③
百二十年前まで《オオ虫ノ国》は内乱が絶えなかった。
それを終わらせたのが、英雄オルチアだ。
もちろん無血とはいかず、数多の犠牲を出した上での建国だった。
王となったオルチアは考えた。
これからは国を大きく栄えさせなければ。
そのためには『資源』が大切だ。
そこで王が国民に出した『お触れ』——。
それこそが《慈命慰魂の令》だった。
簡単に言えば、「命を大事に」という事だ。
つまり、王国民の命こそが一番の資源であり、資産である。
つまらない諍いで殺し合って資源を無駄にするわけにはいかない、と英雄は考えたのだ。
血みどろの道を歩んで王座についた英雄なりに、思う所があったのだろう。
(とはいえ、この『お触れ』……当時は衝撃だったらしいな)
それまでは「死ぬ方が悪い」の精神で生きてきた獣人にとって、その価値観を受け入れるのはなかなか難しかったようだ。
けれど、オルチアが亡くなり、その息子が王位を継いだ後、徐々に『お触れ』は浸透していった。
人間国《ラ虫ノ国》との交流を始め、新しい文化が次々に入って来た事が《オオ虫ノ国》の価値観の変化に拍車をかけた。
いつだったか、幼馴染のクローが言っていた。
――執着するのは恥ずべきことじゃないって考えが広がったんだよ、きっと。
他者への執着。
富や物への執着。
そして、命への執着。
今まではそれらを恥だとしていた獣人国に変化が訪れた。
『命』に価値が与えられた事により、罪の重さが決まり、法の整備が進んだ。
そこで作られたのが《王の鉤爪》だ。
彼らは王国の治安維持のため、街の警備や犯罪者の捕縛などを部隊ごとに任されている。
ここで重要な事がある。
《王の鉤爪》に裁きを与える権限はない。
つまり、犯罪者の捕縛時には生け捕りにしないとならないのだ。
(オレ達は牙と爪を持つ獣人だ。いつでも相手を殺す事ができる。「殺さないで捕まえる」って、実はかなり難しいんだよな)
しかし、罪に合った罰を与えるためには、捕縛時に殺すわけにはいかない。
先代王が《王の鉤爪》に求めたのは、殺す技術ではなく、殺さない技術だった。
(そこで生まれたのが、『生虜捕縛術』ってわけだ)
羽織った毛皮を、時に紐のように、時に布のように使い、相手の動きを封じる。
自分の命を守り、相手を殺さない技だ。
(そういえば、毛皮を使って相手を捕まえるってのが興味深いってクローが言ってたな)
いつだか思い出せないほど、遠い記憶が蘇る。
――先祖の毛皮を捕縛に使うんだろう? それって、言ってみれば親族の遺体の一部を、ロープ代わりに使うって事だからな。よくよく考えたらとんでもないよね。
クローの言葉に「まあ、死んだら毛皮を剥いで保管するってのは、どこの家でもやってる事だしね」とオレは返した。
――「虎は死して皮を留め」ってやつだね。他の種族には理解しづらい風習だろうな。
クローはそう言って笑っていた。
クロー。オレの大切な幼馴染。
(そうだ……すべてはクローのためなんだ。どうしても《王の鉤爪》に入って、調べないといけないんだ)
オレには《王の鉤爪》に入隊し、すべき事があった。
そしてそのためには、生虜捕縛術を身体に叩き込む必要があった。
(おやっさんに稽古をつけてもらえたのは本当ついてたな)
オレの故郷マルーンには《王の鉤爪》の元隊員だったと自称する、おやっさんがいた。
『おれはなァ、先代王に仕えていた頃は《三牙一賢》の一人とみなされていたんだぞォ』
そんな風にうそぶいていたけれど、どこまで本当かわからない。
普段は酒場で飲んだくれて、気分が良い時はいつもアコーディオンを弾いていた、変わり者のおやっさん。
変人だったけど実力だけは本物だったから、どうにか頼み込んでみっちりと稽古をつけてもらった。
そうして、オレは《王の鉤爪》の入隊試験に合格する事が出来たのだ。
すべては、クローのために。