⑪
クッションにナイフを突き刺したユキノ。
オレは思わず飛び退って身構える。
彼女が暴れだしたのだと思ったのだ。
ところが、バショウ隊長は身じろぎせず、彼女の様子を見守っている。
ユキノの言葉を待っているようだった。
ユキノはクッションを切り裂き、それから慎重に中に詰まっている綿を取り出しながら話を続けた。
「でもね……あの日は違った」
「あの日、とは?」
バショウ隊長は冷静な声で聞き返す。
「ふた月前……彼が行方不明なる前……最後にくれた手紙よ」
「なんと書かれていたんですか?」
クッションから綿を全て取り出し終わったユキノは、それをじっと見つめ、今度は綿を詰め直し、慣れた手つきで縫い合わせていく。
よく見るとクッションには、いくつも縫い目がある。
(なんだ……? この人、さっきから何をやっているんだ?)
「こう書かれていたわ。『大事な人が、大事な人のままでいられたらいいのに』と」
「……なるほど。それはまたアレですねぇ」
「ねぇ『大事な人が、大事な人のままでいられたら』って……それってどう言う意味かしら。もしかして、大事な人は、もう大事じゃなくなったって……そう言う意味なのかしら……」
ユキノはか細い声で呟く。
「心変わりをしたって、そう言う意味かしら。あれは、彼からの別れの手紙だったのかしら」
擦り切れそうな悲しい声だった。
「その直後に《ヘビワタリ》の事件があったから、私……私、心配で……いてもたってもいられなくて……」
ザクリ、と彼女は今度はソファの布をナイフで切り裂いた。
じっと裂け目を見つめ。
がくりと首を大きく動かし。
じろりと中を覗き込む。
その鬼気迫った様子に、オレは何も言えない。
「そうしたらね、彼のご実家……エチゴ家から、この芝居小屋に原稿が届いたの。家に残された原稿があったからと、送ってくださったそうだけど……きっと、私へのメッセージがあるに違いないと思って、いつものように夜中にこっそりと下へ降りたわ。そして、捨てられていた封筒を切り開いたの」
そう言いながら、ユキノはソファのあちこちをナイフで切り裂く。
「そこにはね、何もなかったの」
「何も……なかった……?」
「ええ。秘密の手紙は隠されていなかったのよ」
彼女はソファの裂け目から手を突っ込み、中をまさぐっている。
「封筒自体に炎をかざしても、何も現れない……だからね、もしかしたら今回は原稿の方に何か残されているんじゃないかとそう思って、そちらに火を近づけてみたんだけれど……団長に見つかってしまって、取り上げられてしまったわ」
(そうか……イブキが言ってた、原稿を燃やされそうになったと言うのは、この事か……)
すると、バショウ隊長が優しい声で「もしかすると」ユキノに尋ねた。
「あなたがそうして、先ほどからあちらこちらの中身を確認しているのは、彼の残したメッセージをお探しになっているからでしょうか?」
(……え? 中身を確認? メッセージを探している?)
「ええ、その通りよ! よくお分かりになりましたね」
ユキノは頬を染めて笑う。
やっている事とチグハグな、どこかあどけない、照れた様な表情。
「私ね、ノジがきっとこの部屋のどこかに、私への言葉を残しているんじゃないかって、そう思って……それで彼の座った場所、触れた物、全て切り裂いて『中身』を確かめないと気が済まなくなってしまったの」
「中身……を……」
「そうよ」
ユキノはかすれた声で呟くオレに、にっこりと微笑んだ。
「封筒が二重になっていたように、どこかに何か仕掛けがあるかもしれないでしょう。そう思ったら、中身を確認しないではいられなくて」
「いや、ちょっと待ってください」
オレは、混乱した頭のまま言葉を返す。
「そのソファ、縫い跡の数からすると——何度も切り裂いていますよね? クッションもそうです。きっと、戸棚や引き出しも、何度何度も確認しているんじゃないですか? そんなの意味ないですよ。どうして何度も中身を確認するんですか?」
「開けるまでわからないからよ」
ユキノはこちらを見た。
虚ろな瞳だった。
「たとえばね、あなたをこの戸棚に閉じ込めたとするでしょう。そこに毒薬を入れる。ねえ、かわいい黒虎ちゃん。ここを開けた時、あなたは生きているかしら? それとも死んでいるかしら? それはね、開けて確認するまでわからない事なのよ。未来が——生死が確定していないの」
(何を……何を言っているんだ……?)
ふと、オレはエチゴの屋敷の死体を思い出した。
鍵のかかった部屋に閉じ込められた獣人。
彼の生き死には、その扉を開けるまで、決まっていなかったとでも言うのだろうか。
オレは背筋がぞわりとする。
(あの獣人について、バショウ隊長はなんと言っていた?)
——腹が切り裂かれていて、中身が抜かれていた。
それを聞いた時、なぜ犯人はそんな事をしたのか、と疑問に思った。
でも……
(あの部屋で死んでいたクチナワ者が、もしも人違いで殺されたんだとしたら?)
精神的に不安定なユキノが、彼をノジだと思い込んで殺してしまったのではないか。
クッションに、ナイフをつきたてるユキノの姿は、かなり異常だった。
そんな彼女が、ノジは行方不明になったのではなく、自分に愛想を尽かして消えてしまったのだと思い込み、恨みを募らせて凶行に及んだとしたら……。
ふと、オレは彼女の話がどこまで本当なのだろうと思った。
二重になっている封筒は本当に存在するのだろうか。
炙り出しのメッセージは嘘じゃないのだろうか。
ユキノとノジが特別な関係だったと言うのは、彼女の妄想じゃないのだろうか。
だってそれじゃあまるで、芝居の恋物語のようじゃないか。
(大事なのは、外側じゃない……中身だ……オレはそう思っていたけれど……)
彼女は、想い人の気持ちを確認したくて、中身を取り出したのだろうか——。
その後「ノジ様の知り合いに、茶縞の獣人はいなかったか」と言う問いかけに対して、ユキノは淡白に「知らない」と答えただけだった。




