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ホラー系短編

水溜まりの申し子

作者: 涼風岬

 近頃、とある事件がネット及びテレビで話題騒然となっている。それは摩訶まか不思議な水死体事件と呼ばれている。


 水死で亡くなる者は毎年ニュース等で報道されている。特段珍しい事ではない。


 当初、警察は持病による突然死の見解を示し死因を伏せていた。なぜそうしたかと言うと、水死体が水とは全く無縁のオフィス街で通勤ラッシュの時間帯に発見されたからだ。


 そして、最大の理由がある。検死の結果、死亡推定時刻が発見時とほぼ同時刻だったからである。水気のないところで人が水死したのである。到底理解しがたい事だからだ。


 通勤ラッシュ時のオフィス街で起きた事だ。多くの通勤者がおり緊急車両も出動したので騒然となった。その事をSNSサイトに投稿するものも少なくなく当初から関心は割と高かった。


 どこからか死亡推定時刻の情報が漏れて一気に拡散されていった。あっと言う間に各ポータルサイトの検索ワードと各SNSサイトの急上昇ランキング一位に上がった。一週間程は一位キープしていた。一か月程経った現在でも上位をキープしている。


 各動画配信サイトでは人気配信者から底辺配信者まで取り上げている。トリック殺人説、猟奇殺人説、サイコパスによる犯行説、宇宙人による犯行として都市伝説的な説を唱える者など様々な憶測が飛びっている。この事件の関連動画も人気がおとろえるどころか一日の総動画再生回数を伸ばし続けている。


 死亡推定時刻がリークされてからは、警察は事件事故の両面から捜査中と当初の発表から切り替えた。もちろん警察は殺人の線でも捜査を進めている。





 雰囲気のある喫茶店にスーツにサングラスをかけたモノが入っていた。店内には、そのモノを除くとマスターを含め二人しかいない。そして、そのモノは席に着くと手に持っていたアタッシュケースを足元に置く。


 そのモノの対面には二十代後半くらいの女性が座っている。彼女は頼んでいたアイスコーヒーのストローに口をつけて、そのモノを上目遣うわめづかいで見る。その彼女の目はキョロキョロしていて挙動不審だ。


 対照的に、そのモノは落ち着き払っていてオレンジジュースを注文する。しばらくすると運ばれてきてテーブルの上に置かれる。しかし、そのモノは手を付けない。女性はストローで残りを一気に飲み干す。それを確認した男は口を開く。


「お待たせ致しました」


「いえ、ついさっき来たところです」


「お気を遣って頂いているみたいで申し訳ないです」


「えっ……」


「紙のコースターが濡れてますし、からのコップには氷がありませんので」


「あっ……」


「ご気分を悪くなさいましたか?」


「……いえ。あのう〜」


「はい。何でしょうか?」


「その〜、お金は…………見せてもらえませんか?」


「それは合意に達してからと言うことでどうでしょう。達しなかった場合、お互い気まずいですからね」


「あっ、はい。そうですね」


「早速、本題に入っても宜しいですか?」


「あっ、はい。あのう〜」


「はい」


「お名前は……」


「それは名乗らない約束ですよね。後々、トラブルになりかねませんし、私が偽名を名乗るかもしれません。後に分かったら、そちら様が良い気分では無いでしょうし。逆もしかりです」


「あっ……そうでしたし、そうですね」


「では、本題に入っても?」


「あっ、どうぞ」


「合意に達した場合に差し上げるお金は貴方様が人生を再スタートする為にお役立てて頂く為の物です。宜しいですか?」


「はい」


「あなたが、一番すべき事にお金を使う。御理解頂けますか?」


「あっ、はい」


「条件があると軽くお伝えしましたが提示しても?」


「あっ、どうぞ」


「その条件とは、合意に達した後は外出時、これだと曖昧ですかね。今住んでおられる所、つまりご自宅から外に出られた後は水溜まりを絶対に踏まないことです」


「えっ……水溜まりって、あの水溜まりですよね。雨が降った後の……」


「一般的に真っ先に思い出すのは雨の水溜まりですよね。それも水溜まりに含まれますよ」


「えっ……」


「私が言う水溜まりの水とは、水や液体で、分かり易く言えば水分を含んでいることです。何となく御理解頂けてますか?」


「あっ、はい。水分が少しでも含まれていれば貴方の言う水溜まりに該当すると言うことですよね?」


「仰る通りです。理解が早くて助かります」


「あぁっ、どうも」


「もっと具体的にイメージを固めて頂きたいのです。宜しいですか?」


「あっ、はい」


「私の目の前にあるオレンジジュースを見てください」


 そう彼に言われた彼女はオレンジジュースの入ったコップに目をやる。しばらく彼女はそれを見続けている。そのモノは無言で彼女の様子を観察し続けている。彼女が視線を男に向ける。すると、そのモノは口を開く。


「私の言う水溜まりがイメージ頂けたでしょうか?」


「コップに水分を含んだオレンジジュースが溜まっているから、これも水溜まりに該当するのかなと」


「素晴らしい理解力です。しかし、今はテーブルの上にあります。なので厳密には違います。もし、このオレンジジュース入ったコップが、ぴったり一致するくぼみにまっていているとします。それが足元にあれば私の言う水溜まりに該当します」


「あぁ〜、そう言う事ですかぁ。分かりました」


「まぁ、そんな事は滅多にないでしょうがね。分かり易く言うとくぼみに水分が溜まっている状態が水溜まりと言うことです。先程お伝えした条件は、とにかく足裏で窪みに溜まった水分を踏まなければ宜しいんです。足裏とは靴を履いた状態も含みますよ。裸足で外を出歩く人にお目にかかる方が難しいですからね。御理解頂けますか?」


「あっ、はい」


「水溜まりと言って貴方様が真っ先に思いついた雨の日にできる水溜まりについて御提案があるんですが?」


「何でしょうか?」


「雨の日に雨でできた水溜まりを踏まないのは難しいと思いませんか?」


「話を聞いてから、それ思いました」


「そうですよね。日常生活に支障をきたしますよね?」


「はい」


「それで雨でできた水溜まりは条件から除外致します」


「いいんですか?」


「はい。貴方様が一番にすべき事をする前に踏んでしまっては申し訳なく思います。それで雨でできた水溜まりは翌日に残っていても除外と致します。つまり、雨でできた水溜まりは完全除外と言うことで如何いかがでしょうか?」


「こちらとしては有り難いです」


「更に除外を御提案させて頂いても?」


「そちらが宜しいのであれば、はい」


「当たり前に水分を含んで水溜まりと捉えられる場所は除外致します」


「それは……」


「あっ、すみません。例えば、海、湖、池等ですね」


「あっ、気づかなかった。広い意味で捉えれば確かにそうですね」


「一般的にそう思われている所は全て除外致します。たとえ踏んでしまっても無効となりますので御安心下さい。私が言う水溜まりは一通り御説明致しました」


「何か思ったよりも簡単そうですね?」


「意外と難しいみたいですよ」


「えっ、そうなんですか?」


「貴方様の前に合意なされた方が難しかったみたいで、ここから離れたんです。遠くへ行くのは胸が張り裂けそうで藻掻もがき苦しんだと思いますよ」

 

「そうですか。私は都会育ちから無理かなぁ」


「そうですか。まぁ、人それぞれですからね」


「ですね。私は、ここで頑張ろうかと思います」


「気のおもむくままにされた方がストレスも溜まりませんしね」


「私、やり遂げて見せますよ!」


「あっ、すみません。あと一つ重大な御説明が残っておりまして」


「なんか先走っちゃてすみません。どうぞ続けて下さい」


「水溜まりを踏んでしまった場合の代償が有るのをお忘れではないですよね?」


「あると言ってましたね。気になってたんですけど、その内容に関しては聞いてはいけない約束でしたもんね」


「はい。貴方様が一番すべき事をなされれば即刻条件が解除され代償は不要ですからね」


「でも大金を頂くわけですから気にはなりますね」


「では、こう考えては如何いかがでしょう。金額に見合った代償を貴方様御自身で考えて行動されてみれば慎重になり不用意に水溜まりを踏むこともないのではないでしょうか?」


「ん〜っ? 何だろな? 代償って?」


「それは合意なされた後、じっくり考えては如何でしょう?」


「それもそうですね」


「これで全て御説明は終えました。つい直前、後でと言った手前てまえで申し訳ありませんが合意なさいますか?」


「やります。あっ、合意しますと言うべきですかね?」


「合意で宜しいですか?」


「合意します」


「御決断感謝致します。最終意思確認をしたいと思います。別に今でなくとも構いません。明日でも構いませんし、何なら数年後でも構いませんよ」


「今でもいいんですよね?」


「勿論です」


「あのぅ、もしかしてぇ……お金をくださると言うのは嘘で私の反応を面白がってるんですか?」


「そう思わせてしまったのなら申し訳ありません。代償を伴いますので熟考なされてからという意味だったのですが」


「あっ、疑ってすみません。大丈夫です。私なりに考えた上ですのね」


「では最終意思確認を致します。これで合意に達しましたら後戻あともどりは絶対に認められません。合意なさいますか?」


「はい。合意します」


「合意に達しました」


 そのモノはそう言った後、足元にあったアタッシュケースを手に取りテーブルの上に横に置き開く。そして回転させ中身を彼女に見せる。彼女は札束の数に目を輝かせる。


「お約束した金額の4219万円です。御確認下さい」


 そう言われた彼女は恐る恐る震えた手で一束を両手で取る。そして、親指で弾き札束をめくっていき確認する。それを四十二回繰り返す。


 終えて端数のお札にも手を伸ばそうとする。しかし、手を止め頭を上げる。すると、そのモノと彼女は視線が合う。


「あっ…………別に疑っていたわけではないんですよ。失礼でしたよね?」


「いえ、とんでもないですよ。条件を課して代償を払って頂く場合も御座いますので金額を確認するのは当然ですよ」


「そう言って頂けて胸のつかえが取れました」


 そう言うと彼女は留め具を掴みアタッシュケースを閉めようとする。しかし、未経験なので上手くいかない。そのモノが手助けしようと腕を伸ばす。すると彼女は自分の方へ引き寄せてアタッシュケースに覆い被さる。


「あっ、すみません。自分でやりますから」


「これは失礼致しました」


「いえ」


 そう言うと彼女は悪戦苦闘しながらアタッシュケースを閉めることに成功する。そして、取っ手を握り席を立とうとする。


「足元、特に足下には気をつけて下さい」


「えっ……」


「分かりづらかったですね。足の周りだけでなく特に足の裏には細心の注意を払って下さいってことです。水溜まりを踏まないようにですね」


「あっ、そう言う事ですか?」


「貴方様がすべき事をされ人生の再スタートされる事を心より御祈り申し上げます」


「お心遣い感謝しますね」


 そう言うと彼女は足早に店の扉へと向かう。出てからはアタッシュケースを胸にかかえ前後左右を常に気にしながら帰路へとつく。


 一方、そのモノはオレンジジュースのストローを取りテーブルの上に置く。その際、ストローの中のオレンジジュースが水滴となって足元に落ちる。


 そのモノは、その水滴を眺めながらオレンジジュースを一気に飲み干す。そして立ち上がり、カウンターの中に入るとマスターに会釈する。その後、そのモノは奥の扉を開け、その中へと消えていった。





 家に帰ってから数日間、彼女は一番すべき事は何かを考えていた。彼女は、それを自分がしたい事だと都合よく解釈した。


 それで彼女はハイブランドの服、カバン、アクセサリー等を買い漁るようになった。着飾った彼女を見る人々の羨望の眼差しに優越感を覚えるのだった。





 今日、彼女は自分を見下していた知人に高級レストランで食事をおごってあげた。今までは高圧的だったのに、てのひらを返したようにびてきた。それが彼女にはたまらなかった。


 食事を終え、彼女は帰路についている。彼女は禁酒していたのだが五年ぶりに高級ワインを飲んだ。ワインの味なんか分からないが高価な代物だったので大満足であった。


 久しぶりなのとワインを飲み慣れてせいもあって大分だいぶ酔っていて気分がすぐれない。行く前に、薬局で酒酔いに効く錠剤を買って飲んだのだが効き目がなかったようだ。


 彼女はコンビニでペットボトルの水を買い近くの公園と向かう。そこで少しでも酔いをまそうと思ったのだ。


 ベンチの前まで来たところで彼女は足を取られる。ハイヒールのヒールの部分が土に食い込んでしまったのだ。


 彼女は足を上げて引き抜こうとする。しかし深く食い込んでいるようで思うようにいかない。


 そうしているうちに彼女は体勢を崩しハイヒールが左足から脱げる。咄嗟にベンチの背もたれの上部を掴む。そして、そのままベンチに座る。


 座ったままの状態で引き抜く事にする。彼女は腰を曲げ掴むと思いっきり引っ張る。すると、引き抜けた。


 これまでハイヒールなんて滅多に履いてこなかった。彼女の記憶では随分前である。履き慣れてなく、ハイブランドの新品だったので足が痛くて疲労していた。なので足では引き抜けなかったのだ。


 もう片方のハイヒールの彼女は脱ぐ。そして、座っているベンチの右横に並べて置く。バッグの中から錠剤を取り出し口に入れる。そして水のペットボトルのキャップを開け錠剤を流し込む。


 キャップを閉めようとする。酔いのせいで右手に持ったペットボトルを落とす。それの飲み口がハイヒールの中にまる。そして、中に水が流れ溢れ出る。


「今日おろしたての高いヒールなのにぃ、ハァ〜ッ」


 そう言うと最悪な気分の彼女はハイヒールの中の水を地面にこぼす。休んでいる気分ではなくなり履いて立ち上がる。





 翌朝、彼女はベンチの前で死体となって発見された。死因は水死であった。この事がニュースとなると第二の摩訶不思議な水死体事件として話題が大沸騰した。しかも、同じ県内で起こった。二か月経過した現在でも沈静化する気配を見せない。


 一人の女性刑事が二つのは事件に関連性がないか調べている。水死体となった二名の情報を収集し始めた。


 二人が急に羽振りが良くなったという情報から、そこからの二人の使った金額をレシート等の利用明細を徹底的に調べ上げた。自宅のアタッシュケース残されていた札束を合計して大まかな金額を算出した。


 その金額と近い二人に共通する点を見つけ出した。それは損害賠償額である。二人は死亡ひき逃げ事故を起こしていたのだ。


 たちの悪いことに自賠責、任意保険ともに加入していなかった。しかも損害賠償金も支払っていない。


 この関連性を彼女は上司に報告したが、これだけでは認められないと一蹴された。諦めずに調査を進めているが犯人像すら掴めていない。


 彼女は別の視点から当たって見ることにした。それは県内過去十年分の死亡ひき逃げ事故を調べた。それは二人に現金の入ったアタッシュケースを渡した者がいるはずだと考えたからである。


 死亡ひき逃げ事故なんて滅多に起こらない。件数は九件であった。水死した二人を除くと七名である。


 その結果、アタッシュケースの者が接触を図ると思われる人物が一人浮上した。この人物も自賠責、任意保険ともに未加入で損害賠償金を支払っていないことが判明した。


 その者を除く六名は損害賠償金を全額支払済みであり、その中の一名は最近死亡していた。死因は病死であった。念の為、病院を当たってみたが不審な点は見られなかったとのことである。


 彼女は対象者をマークすることにする。しかし、その時すでに対象者はアタッシュケースをそのモノから受け取っていたのだ。





 その後、彼女は対象者の尾行を続けている。その為に彼女は有給をまとめて取った。上司からは露骨に嫌な顔をされた理由を尋ねられたが、報告義務はないと無視していた。それでも、しつこく言ってくるので国内旅行巡りだと伝えた。すると、行く先々の土産みやげを買って来いと言われ、そう言ったことを後悔した。


 対象者の男は張り込みを始めた日から自宅から出て来ない。それもそのはず男は部屋のパソコンの前でオンラインカジノに興じていたのだ。それが一週間ほど続いている。


 負けが込んだ男は気晴らしに外にでも出てみることにする。彼は冷蔵庫から買いだめしたノンアルビールを取り出す。現在、とある理由で彼は禁酒している。自宅を出て彼は車に乗り込む。


 エンジンをかけて、エアコンのボタンを押す。そして、車をスタートさせる。しかし、一向に車内が冷えない。通風口に手をかざしてみる。温風が手に当たる。


「故障かよっ! ついてない時はついてないな、ったく!!」


 そう言うと彼はドアを全開にし運転を続けている。しきりに彼はバックミラーを覗き込む。


 それには理由がある。大金をくれたアタッシュケースの奴が尾行してこないかである。常に監視されているのではないかと疑心暗鬼になっているのだ。


 彼は再びバックミラーを見る。さっきから同じ車が後ろに付いている。思わず振り返る。


 それに対して、女性刑事は気づかれたと気づく。スピードを落とし車間を取る。すると、間に車が一台入ってきた。一台越しに尾行を続ける。


 男は気のせいかとも思ったが用心に越したことはないと気を引き締める。目の前の信号機が赤になろうとしている。男はアクセルを踏み込み信号機を過ぎていく。


 一方、女性刑事は前の車が停止したので自分も停車する。信号機が青になり前の車を追い越しスピードを上げる。しかし、いくら走っても男の車を視界に捉えることが出来ない。思わず彼女はハンドルを叩く。


 男は高速道路に乗っていたのだった。彼はパーキンエリアに車を止める。喉を潤す為にドリンクホルダーから持参したノンアルビールのプルトップ人差し指で引っ張って開ける。


 その途端、勢いよく中身が飛び出しあふれて出てくる。体にかからないように腕を伸ばす。それがゴム製のフロアマットの上にこぼれる。


「ほんとっ、今日はついてないなっ! ったく、なんて日だよっ!! 久しぶりに、やけ酒でも飲むかっ!!!」


 男は気晴らしどころの気分ではなくなった。なので帰ることにする。男はエンジンをかける。





 その数時間後、男の死亡が確認された。死因は水死である。窓を開けエンジンをかけたまま眠っているのを不審に思った通りがかりの人が通報したのだ。


 この一報を受けた女性刑事は尾行をかれたことを悔やんだ。その後、男の部屋を捜索した。そこでメモを発見した。そこには喫茶店waterholeとサングラスとスーツの男と記されていた。


 彼女はそこへ急ぐ。店内に入ると彼女はマスターらしき人物と客を一人確認する。スーツ姿にサングラスをかけている。足元にはアタッシュケースが置いてある。彼女は対面に断りもなく座る。


「あんたでしょ!」


「何を仰られているんですか?」


「水死体で発見された三人に現金入りのアタッシュケースを渡した奴よっ!」


不躾ぶしつけに失礼じゃないですか? 一体、どちら様で?」


「警察よ。あんたの名前は?」


「プドルです」


「分かりやすい偽名ねっ!」


「そうじゃないんですけどね。そう思われるなら御自由に」


「小馬鹿にするのが趣味なのかしら?」


「さぁ、どうでしょうか?」


「人と話す時はサングラス取りなさいよ」


「礼儀を貴方が仰られるなんて滑稽こっけいですね」


「顔を見せてもらえない?」


「生まれてこの方、目を開けたことがないもんで、お見せするのは躊躇ためらわれますね。いや産まれてもないのかな?」


「何言ってるの? おちょくってるの?」


「成長して大人になった私は、この様な顔なんですよ。サングラスは取ってあげられませんが」


「それは当たり前じゃない? 隠してる目は本物じゃないってこと? 見えてる部分が本来の顔で、目は整形でもして偽物だから見せれないってこと?」


「そうじゃないんですけどね。嘘はついてませんけどね」


「嘘を嘘と自覚できてないんじゃないのっ。もういいわ。そんなこと聞いている場合じゃないわ。その足元のアタッシュケースの中身見せてくれない?」


「中身はちょっと御勘弁願いたいですね。外観だけなら宜しいですよ」


「それでもいいわ」


「あっ、一つ条件が」


「何?」


「絶対に触れないで頂きたいのですが?」


「分かったわよ」


 そう彼女が言うと、そのモノはアタッシュケースを手に取りテーブルの上に立てて置く。彼女はあらゆる角度から、それを目を凝らしてみる。


そこも見たいんだけど」


 その言葉に、そのモノは立ち上がりアタッシュケースを手に取り持ち上げる。それに対して彼女はテーブルに頬をつけ底の部分を凝視する。


「これは国内で流通している市販のアタッシュケースね」


「おくわしいんですか?」


「どこの製品が特定するために、あらゆる国の日本で流通しているアタッシュケースを可能な範囲で調べたのよ」


「まぁ、国内に流通していない物も御座いますでしょうしね」


「まだ特定出来てないのよ」


「捜査情報を漏らしても宜しいんですか?」


「…………」


「これ以上、失言なさらないよう帰られては如何です?」


「ちょっと待って!」


「何でしょう?」


「私に触らせないのは中に札束が入っているからじゃないの? 重さで空か、そうでないか分かるからっ!」


「ただ私は私物を触られるのが嫌なだけでして」


「じゃあ触らないから中身を見せるのは可能と言うことよね」


「どうしてもと言うなら、お見せしないことも御座いませんよ。覚悟は御座いますか?」


 その言葉に対して彼女は喉まで出かかっていた見せてという言葉を呑み込む。それは彼女が立てたアタッシュケースの中身がひき逃げ死亡事故の損害賠償という仮説は仮説であって、まだその域を出ない。


 三例しか起きていないので不確かである。偶々《たまたま》、ひき逃げ死亡事故の加害者が三件連続しただけで故意過失を問わず人を死なせた者が対象者とも考えられる。なので、次は殺人犯が対象者になりうる可能性も十分じゅうぶんに考えられ捨てきれない。


 故意が要件である殺人犯が、これから連続して対象者になると考える方が合理的と言えなくもない。その方が犯人にとっては世間の注目を更に浴びやすいと考えられる。


 そう彼女が思いに至っているとしても、今のところ全てが彼女の推測でしかないのだ。再度、上司にひき逃げ死亡事故に関連していると伝えたが、その証拠を持って来いと叱責しっせきられたばかりである。


 それに彼女は了承をあっさりした事に深読みをしてしまう。もしかしたら、損害賠償額の件は本当に偶然でアタッシュケースの中身を見た途端に人の死に関与してない人でも対象者になってしまうのではないかと不安を覚えてしまう。


 ふと彼女は言われたことを思い出す。絶対に触れないで頂きたいという言葉だ。その言葉から触れたら対象者になるのが合理的でないかと考える。


 更に考え込む。中身を見る、アタッシュケースに触れるの二つのうち、どちらか一方でも実行すると対象者になってしまうのではないかと思いに至る。更に考えれば考える程、不安と恐怖が増大していく自分に彼女は気が付かされる。


「今日はヤメとくわ。アンタが怪しいのには間違いないわ。絶対に尻尾を掴んでやるわよ」


「御自由になさって下さい」


 その言葉に彼女は立ち上がり店を後にする。そのモノはアタッシュケースを開く。中身はからである。今度、彼女が訪れて中身を見る決心をしたとしてもアタッシュケースの中はからだ。だって彼女は該当者ではないのだ。


 彼は彼女の心を揺さぶったのだ。思惑通り、刑事である彼女は深読みしたのである。そのモノはカウンターを抜け奥の部屋の扉を開き入る。すると、中には市販のアタッシュケースだけが残された。





 数日後、そのモノは喫茶店の奥の部屋のテンキー式の金庫に数字を打ち込んでいる。それは暗証番号ではない。次の該当者へ渡す金額である。


 打ち込み終えると金庫を開く。すると、その中には打ち込んだ数字の金額が入ったアタッシュケースが出現した。それを彼は手に取ると、床に置かれた市販のアタッシュケースの横を通り過ぎて部屋を出る。





 現在、そのモノは空港にいる。到着口から該当者が出てきた。五十代前半くらいの男性だ。そのモノは男の前に立つ。男は進路を塞がれ不機嫌そうだ。


「どけよっ!」


「二十年以上前にひき逃げ死亡事故を起こした方ですよね?」


 そのモノは、これまでの三人と違い事故の件を告げた。それは、そのモノにとって特別な事情がある。どうしてもたずねたい事があるのだ。


「……」


「間違いないと思うのですが?」


「そっ、それがどうしたんだ! もう時効だろっ!! 警察か?」


「違いますよ。知らないみたいですが貴方は事故後にすぐに海外逃亡したので時効は停止してますよ」


「だっ、だから何だって言うんだ。俺は外国で新しい身分を手に入れてるんだ。これは正真正銘、本物のパスポートだ」


 そう言うと男はこれ見よがしに胸からパスポートを取り出し振って見せる。


「それに顔だって若い頃とは変わってるし分かんねえよ」


「あちらの国でも罪をおかしたんですね。知らないみたいですので、お教えますね。貴方が出国した後、あちらの国で逮捕状が出てますよ」


「何だって?!」


「その反応だと身に覚えがある様ですね」


「ハッタリだろっ!」


「私は特殊な情報網を持っておりましてね。嘘だと思うなら、あちらの国の知人にでも連絡を取られてみては如何いかがですか?」


「誰が信じるかっ!」


 その言葉とは裏腹に男はスマホを取り出す。そして男は無料Wi-Fiを使い通話アプリを起動させ連絡を取る。男の顔は見る見るうちに青ざめていく。震える手で通話を終了させる。


「どうでしたか? 顔色が優れない様ですが?」


「ほっ、ほっ、本当だった」


「信じて頂けたようで何よりです」


「まだ時効過ぎてないんだよな?」


「えぇ、そうですよ」


「こっ、こうしちゃいられねぇ。他の国に逃げるわ」


「じきに国際指名手配されると思いますよ。もうすでに済んでいるのかな。いや入国できたので、まだのようですね。万が一にも海外逃亡は出来たとします。じきに情報共有されるので、逃亡先の国で逮捕されますよ」


「ちっ、国際指名手配かよ。戻ってきた意味がねぇじゃか!」


「どうやら、その様ですね」


「どうすりゃいいんだよ。くそっ!」


「そこで御提案が御座います」


 そう言うと、そのモノは車に誘導した後に先の三人のように説明していく。全て説明し終えると男に第一段階の意思確認をする。男は了承した。


 最終意思確認は行き先についてからに決まった。行き先は安宿屋街だ。男が潜伏しやすいと指定してきた。そういう情報にはけているようである。現在は走行中である。


「質問宜しいですか?」


「金をくれるんだ。何でも答えるよ」


いたのは臨月の妊婦で、いつ産まれてもおかしくなかったそうですよ」


「そうだったのか。知らなかったよ」


「人を轢いた認識はあったんですか?」


「だから逃げたんだよ。降りてから人だと確認したよ。犬なら、わざわざ海外まで逃げないだろ。堂々と家にいたよ。だって捕まらないだろ」


「お腹の中の子、見つかってないのを御存知ですか? お腹の中にも外にも、いなかったんですよ」


「知らねえな。翌日、元々仕事の関係で海外に行く予定だったんだ。着いたら、すぐに他の国に逃げたんだよ」


「御自身の事件のこと調べなかったんですか? 今はネットも普及してますし」


「調べたって、何も変わんねえだろ?」


「今でもネットでは有名みたいですよ。犯人は子供のできない夫婦だとか、鳥にさらわれたとかですかね」


「馬鹿馬鹿しい」


「当時、事故直後に急な大雨が降ったそうですね。かなりの降水量で道路が冠水するくらいだったとか?」


「そう言えばそうだったな」


「それで妊婦のお腹から産まれ出て近くの貯水池まで流されて今でも沈んでいるとかいう説もあるそうですよ」


「それは有り得るか。でも浮かんでくるんじゃねぇか。消えたとなると異空間にでも飛ばされたとか」


「そういう説も飛びってますよ」


「俺だって咄嗟とっさに考え付くんだ。それをネットに上げてるなんて馬鹿な暇人達だな」


 そう会話を続けているうちに目的地へと到着した。そのモノが後部座席に手を伸ばしアタッシュケースを掴み引っ張る。そして、太股の上に乗せる。それを男は凝視している。一刻も早く金が欲しい様子だ。


「最終意思確認の前に質問まだ宜しいですか?」


「……おっ、おっ、いくらでもしてくれ」


 その言葉とは裏腹に男の声の調子はうわそらと言った感じである。その証拠にいまだにアタッシュケースに視線が釘付けだ。


「あの日、飲酒されて大分だいぶ酔われてたんじゃないですか?」


「そうだよ。どうして知っているんだ?」


「近所の方がフラついて家に入る貴方を見たそうですよ」


「あの日は人を轢いた後は嘘みたいに酔いがめて車を森の中に乗り捨てた後、歩きで周囲を気にしながら家に帰ったんだけどな。まあ、夜だったからな。そして荷造りしてタクシーで空港の近くのホテルに泊まったんだよ。事故起こす前の記憶は全く無いのに不思議だよ」


「飲酒ひき逃げ死亡事故についてどう思いますか?」


「俺に説教するつもりかい? 文字通り酒飲んで運転して人を轢き殺すことだろ?」


「私と近いお考えのようですね。私は飲酒ひき逃げ死亡事故とはみずからを酩酊めいてい状態にして、車をコントロールをうしなわせた凶器にした犠牲者がランダムに決まる殺人だと思ってます。犠牲者が複数の場合は無差別殺人ですね。私は殺意ある殺人より凶悪だと思います」


「分かった、分かった。兄ちゃん、まだ俺に講釈こうしゃくれるつもりかいっ!」


「いえ。もう質問は終了です」

 

「じゃあ早く金くれよ」


「最終意思確認がまだです」


「あっ、そういうのがあるって言ってたな」


「では最終意思確認を行います。合意致しますか?」


「致す致す。何回でも致す。さっさと金くれ」


「合意に達しました」


 そのモノがそう言った途端、男は奪い取るようにアタッシュケースを自分の太股に乗せ開く。そして、中身を確認すると挨拶も礼もせずに去って行く。


「金額は4590万円です。絶対、すべき事をなさって下さいね」


 そのモノは男の背中に、その言葉を投げつけた。





 あれから男は地域内の安宿を転々としていた。現在は、その中で気に入った所を常宿じょうやどとしている。


 生活はというと、朝から晩までテレビを見ながら、ツマミを食べ酒を飲み泥酔するのが日常化している。


 初めの頃は一切酒は口にしなかった。警察の存在が気になっていたからだ。その存在も意識から薄れ酒に手を出すようになった。それでも意識は保てる量にしていたが徐々に緩んでいき現在に至っている。


 買い物も人を避けるように深夜のコンビニに通っていた。彼にとっては品揃えが良くなかったのだ。それで、今は好物をスーパーで買い、好きな焼酎をを品揃えの豊富な酒屋で飲み比べを楽しむと言った具合である。時間帯も気にしなくなり、行きたい時に行くようになった。





 今日は昼前から酒屋に通う。ついてることに入手困難な焼酎が店頭に並べられている。一升瓶数万円もする焼酎を値段も確認せず購入した。


 店を出るとふたを開けラッパ飲みを始める。前日の酒が残っている上に、この有り様でなので酔いが急激に襲っている。


 千鳥足でふらつきながら焼酎を飲み進める。前後左右に揺られながらも焼酎瓶は離さない。しかし、大きく揺れ始める。遂に限界を迎え前に倒れ込む。瓶から焼酎が溢れていく。それが前方にあるの窪みに流れ込んでいく。


 男は立ち上がり千鳥足で歩みを進める。そして、彼の右足の靴裏が窪みに溜まった焼酎を踏む。その瞬間、その中に彼は引き込まれる。


 その地中に出来た異空間の水溜まりの中に男は包まれている。その様子を、そのモノは傍観ぼうかんしている。


「酒に溺れる? いや酒で溺れる? どっちでも合ってるかぁ。藻掻もがき苦しで息絶える顔をおがんで見たかったかなぁ〜。まぁ、自覚せず死ぬのが一番の罰とも言えないこともないかぁ。実に滑稽こっけいだね、フンッ」


 そう言った後、そのモノが傍観し続けていると男の呼吸は完全に停止した。すると、水溜まりの中から男の水死体は消え、瞬時に地上に出現した。と同時に、そのモノも少し離れた所へ現れ男の水死体を傍観する。


 男の水死体が出現したのは舗装工事中の道路だ。その寸前まで舗装の仕上げにかかっているローラー車が迫っている。そのモノの口角が上がる。この状況は意図されたものなのか、偶然なのかは分からない。


「わざわざ、またとない機会を与えてやったのに水泡に帰してくれるとはねぇ、フゥ〜ッ。いまだに達成者ゼロとはむなしいねぇ。さぁ、この地域は片付いた事だし新天地でのターゲットの所へでも行くとしましょうかぁ〜」


 そう言い終えた瞬間、そのモノの姿は忽然こつぜんと消えた。

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