8.猛き者も終には
「さて、参りましょう」
パイオスは何事もなかったかのように告げる。
「ゴブリンって」
拳を握る。長い爪が手のひらに突き刺さり血が滴る。
「惨めだな」
先へ行こうとするパイオスの背中に言葉を投げる
「ええ。惨めです」
怒りのまま、こぶしを握ることすら、この身体は想定されていない。怒りなどお前には無駄な感情だと、生まれた時から運命づけられているようだ。
「我々は、蔑まれ、嫌われ、笑いものにされる。オークの憂さ晴らしに、冒険者の武器の試用にされる」
抑揚のないパイオスの声がわずかに震える。
泣きそうだった。人間が敵であることは想像がつくが、同じ魔物であるオークからも忌み嫌われているとは思わなかった。
学校でも家でも、俺は居場所がなかった。前世と何も変わらないのではないか。
「ですが__」
パイオスは振り返る。
「我々がやることは一つ。強くなることです。栄養の足りない弱い頭で考え、細い腕で棍棒を振るう。そうやって我々は生きてきました」
パイオスは木の陰に隠れるゴブリンらを指さす。
「あのような”動物”から、私のような”自立性”を持つ個体へと、ゴブリンは進化を遂げた」
「それが、下位のゴブリンと上位のゴブリンか?」
先ほどのオークの発言が脳裏をよぎる。
「ええ。我々にとって人間は食糧でした。しかし長い年月をかけ、ゴブリンは数を増やし、孕み袋へと役割を変えました。人間から生まれたゴブリンは人間のように思考力を有し、他のゴブリンを従えます」
パイオスはの手のひらを上に向ける。ぽっと火が付く。
「私のように魔力が使えるものは、私を産んだ人間が魔術師だったからです」
そう言えば、他のゴブリンが魔法を使っているのを見たことがない。まともにコミュニケーションを取れるのも、パイオスだけだ。
母体の属性を引き継いでいるのか。じゃあ俺は__
「私は恵まれています。しかしボス。あなたはもっと恵まれている。惨めで弱く、卑しいゴブリンという存在を変える力をも持っている。自信を持ってください。では先を急ぎましょう」
パイオスは踵を返し、進行方向へと身体を向ける。
「しかし、あなたのオークに対する一撃、見事でした」
パイオスは群れを従え、行進を再開した。俺もゆっくりと後を追う。俺としてはジョギングのつもりではあるが、群れの他のゴブリンは苦しそうに口呼吸を行っている。
恵まれている、か。ゴブリンに生まれてそんなことを思うのか。
眼前に断崖絶壁が見えてくる。群れは速度を落とす。村と言っているが、集落らしきものはどこにもない。
「ここです」
生い茂る背丈の低い草木。一か所だけ土の色が違う部分があった。
パイオスが指を鳴らすと、ゴブリンが数匹、土を掘り始めた。始まりの森の外れに、ゴブリンが白昼堂々、穴を掘る。
数分後、ゴブリンが穴から出てくる。俺はその穴を覗く。随分深く掘ったな__いや、元からある穴につながっている?
「先へどうぞ、ボス」
言われるがままに俺は先へ進む。その穴は人工物とも洞窟とも言えない代物だった。風の流れはなく、空気は淀みに淀んでいる。人間が近づく場所ではなさそうだ。
「ここはドワーフの根城だったそうですよ。今は使われておりませんが」
暗闇を進む。明かりがなくとも目はすぐに慣れる。外は真昼。この場所に太陽は届かない。
「なんで居なくなったんだ? 」
水がどこかで滴る音が聞こえる。俺の声も同様に響いている。
「先の人間戦争の際に、ドワーフが魔族側に付かなかったため、怒りを買ったのですよ。当時は四天王が冒険者によって殺されたため、魔族内の政治も混乱を極めていましてね。魔族は自身の味方に付かなかった種族を徹底的に攻撃しました。いわゆるスケープゴートですね」
歩きながら壁を手で撫でる。土と言うよりは岩に近い。まるで大きな岩に穴をあけたような、そんな洞窟だ。ドワーフの技術力が窺える。魔法があるとはいえ、この世界に重機など存在しない。
「そこにゴブリンが住み着いた、と」
「そういうことです。ドワーフにしてみれば、屈辱そのものでしょう。誇りを持って培った技術を我々に使われているのですから」
パイオスは自虐的に笑った。
一キロ近く歩いただろうか、壁が現れた。
「行き止まりだぞ? 」
俺の発言にパイオスは首を振る。そして杖をその場で横に振る。細かい粒子のようなものが床に散らばっていく。
「発現」
詠唱とともに、魔法陣が地面に浮かび上がる。
「転移魔法陣です。この壁の奥に飛びます」
パイオスに促され、その上に歩を進める。前方にあった壁が、いつの間にか後ろにある。
俺は幾重にも重なった乾いた音だった。俺が前世で受けたことのないもの。歓声と拍手だった。
急に明るくなったため、視覚による認知は遅れた。やはりゴブリンは光に弱い。
目の前で、おびただしい数のゴブリンが俺を迎えていた。