7.構造的差別
「んだ、てめえ」
オークはこちらを睨みつける。3メートルはありそうな巨体。棍棒を肩に担ぎ見下すその視線は、軽蔑に満ちていた。
「そのゴブリンを離してもらおうか」
首を絞められるそのゴブリンは、顔色が文字通り青くなっていた。
「あ? 」
オークは締め上げるゴブリンと俺を交互に見て、鼻であしらう。
「てめえ、上位のゴブリンだろ? なんでこいつを庇うんだ? お前らもやっぱり狂ってんのか? 」
敵意は消えていないが、俺との意思疎通は計れるようだ。
「上位のゴブリン? 」
オークの言葉で気になった部分を反芻する。
「てめえ、ゴブリンの癖になんも知らねえんだな。”人間から生まれた”ゴブリンのことだろうがよ。自立した思考回路を持ってる奴だろうが」
俺は木の陰に隠れるパイオスの方を見た。彼からそんな説明は受けていない。
「オークはてめえら上位のゴブリンとは争わない。だが、下位のゴブリンは別だ。こいつらは知性がない。上位の指示に従って頷くだけの木偶の坊だ。汚いだけの屑だ。お前らにとってもすぐに代えの利く存在だろう。それをなぜてめえは守るんだ? 」
「俺が弱者の味方だからだ。もう一度言う、その手を離せ」
剣が光る。
「所詮ゴブリンが、なにオーク様に指示を出しているんだよ。俺様はな、上位だろうが何だろうが、ゴブリンってのは薄汚くて卑劣で嫌いなんだよ。力がないから人間を襲って能力を奪うことしかできない。紛い物なんだよ、てめえらは」
こちらの顔を覗き込むように眺めてくる。本質的に自分のことが上だと疑わない態度。
よく覚えているよ。その目。自分が安全圏にいると信じて疑わないやつの目、弱いのは本人の努力不足だと思っている奴の目だ。自分が恵まれているだけなのに、それを自分の努力だと思っている。
「殺すぞ」
殺意が沸き起こる。人間を容赦なく殺せた俺に、オークを殺すという心理的障害などない。まず首を絞める手を切り落として、それから__
「舐めがって」
ぐしゃ。
オークの手はゴブリンの首を握りつぶした。胴体と頭が地面に落ちる。オークの顔には挑発的な笑みが浮かんでいた。
「てめえ! 」
突発的に切りかかる。
「ふん! 」
オークは大きな棍棒を薙ぎ払うように振る。俺は身体を空中で捻ってそれを交わす。太い腕の上に着地し、腕を上り肩口から首を一気に斬り落とそうとする。
剣は何か堅いものにぶつかった。肉というよりも岩を切った感覚だ。
オークは下から生える大きな牙で俺の剣を防いだ。俺の剣は牙を砕き、舌まで到達した。
「痛え! このくそ野郎が」
オークの口から血が垂れる。
まさか防がれるとは。あの駆け出し冒険者よりもよほど強い。
「てめえ、こんなことして、許されると思っているのか? 」
オークは口を押える手の指の間からこちらを睨みつける。
「俺はゴブリンの味方だ」
もう一度飛びかかろうとすると、俺とオークとの間に壁が出来た。透明な、魔力の壁だ。
「そこまでです。ボス」
パイオスは俺とオークの間に立つ。
「どうしてだパイオス! こいつは仲間を殺したんだぞ」
俺は壁に連撃を加える。ヒビこそ入るがなかなか壊れない。物理攻撃に特化した壁なのが分かる。
「火球」
物理特化なら魔力で__
「いい加減にして下さい! 」
パイオスは声を荒げた。
「__どうしてだ。仲間が、弱者が殺されているんだぞ? それに俺は命令したはずだ__」
パイオスは横目でこちらを見る。
「あなたは『あのゴブリンを助けるから邪魔をするな』をしました。そのゴブリンが死んだ今、その命令は無効です。それに先ほど殺されたゴブリンは仲間ではありません。下位ゴブリンは、上位のゴブリンの仲間ではなく、駒です。あなたはゴブリンのことをまだ知らなすぎるのです」
パイオスの言葉は強く、俺の殺意を鎮めた。
「オーク殿」
パイオスは膝を地面につく。
「この度の御無礼をお許しください」
頭を地面につける。
「えっ? 」
予想外の行動に気の抜けた声が漏れる。
「ああん? 調子のいいこと言ってんじゃねえぞ!? 」
オークは横柄にパイオスに詰め寄る。
「おめえはあいつの教育係か? 年寄りはちゃんと常識を教えねえとダメだろうが。ええ!? 」
オークはパイオスの頭を握り、持ち上げる。パイオスの身体が宙に浮く。
「面目ありません。ですが、あの者は生まれてから一日も経っておりません。何卒、ご容赦を」
持ち上げられながらもパイオスは直立不動を維持する。
「ごめんで済んだらこの世界もっと楽だよなあ」
オークはパイオスの身体を地面に叩きつけた。
「お前はいい。だが俺様を切ったあいつは殺す」
蟹股でこっちへ歩く。
だが、オークの歩みは、二、三歩で止まった。
「身体が、動かねえ」
オークは力の限り前へ進もうとするが、パントマイムごとく、その場から動かない。
「オーク殿」
パイオスは立ち上がり、土を払ってオークの隣に立つ。
「貴方がこのまま進もうとするのでしたら、私の謝罪は撤回いたします。私たちのボスに手を出すことは絶対に許しません」
「ぐっ、俺様の身体を止めるとは。一体何者なんだ貴様! 」
宙に浮遊するパイオスにオークは叫ぶ。
「醜覡のパイオスと申します。以後お見知りおきを」
パイオスは粛々と名乗った。
「パ、パイオス__」
オークの顔に脂汗がにじむ。こう見ると、オークは豚なのだと実感する。
「ほう。私のことを存じ上げているとは。恐れ多いことです。さて、いかがなさいますか。老体に鞭を打ち、お相手して差し上げましょうか? 」
パイオスが杖で地面を叩く。するとあらゆる魔法が、オークの周りに発生する。炎、水、風、雷、氷、闇、光__塩味のある調味料をとりあえずぶち込んでおけば、不味くはならないと言ったような、子供じみた考え方。
しかし、その子供じみた考えを実行させる能力が、この老いぼれには存在する。
「分か__った。今日のことはなかったということに」
オークがそう言うと、魔法は解除される。オークは膝に手を付き、肩で息をする。
「寛大なご対応、感謝いたします」
そう言うと、オークは苦々しい表情でその場を去った。