4.現状確認
肉親を貪り食らうと、傍らにある剣が目に付いた。汚れているが、素人でもわかるその業物は、光を帯びていた。消えかけの蝋燭のような、弱い光──。
(フィエルテ)
剣の鍔に印されていた文字が目に入る。その意味は分からない。
俺が手に取っても、その剣の光は消えない。依然として辺りを照らしている。
「よくお似合いです。救世主様」
自分でも驚くほど、その件は手に馴染んだ。人生の大半の時間をその剣と過ごしたような感覚だ。
軽く空を切ってみる。すると剣は光の斬撃を飛ばし、劣化した城の壁をウエハースのように砕いた。
チートはいらないと言ったはずなのに、随分とサービス精神が旺盛のようだな。
「救世主様、まさかここまでとは__」
長老は驚いた表情を浮かべる。そして手を叩きゴブリンらを整列させた。ゴブリンは皆、頭を垂れて蹲っている。
どの個体もみすぼらしく、醜い。近づくと腐敗臭がする。
「あなたの名前は?」
俺は長老に名前を尋ねた。食事を取ったことで精神的に安定していた。
「パイオスと申します。シャーマンとしてこの群れを率いておりました。が、この群れは既に救世主様の物、何なりとお申し付けください」
シャーマン。確かにこの長老は杖を持っているし、他のゴブリンと比較して、知能も高そうだ。
「俺の名前は、アグリです」
救世主と呼ばれる事に気まずさを感じていたこともあり、前世の名を用いた。
「おお、アグリ様! 我らが救世主! 」
パイオスはこちらを仰ぎ、恍惚とした表現を浮かべた。名付けられてもいないのに名乗ったことに触れるつもりはないようだ。
「俺が救世主というのは、どういうことだ? 」
腕を組んで尋ねる。自分がどのような世界に、どの立場で生まれたのか知る必要がある。
「ゴブリンというのは、弱い存在であります。魔物の餌であり、冒険者の武器の練習台という立場。貴方はその様なゴブリンを安寧へと導く存在なのです」
長老はオタクのように一息で言い切った。よほど俺の存在が待ち遠しかったのだろう。
「俺は何がそんなに特別なんだ? 」
救世主と呼ばれるからには、それなりの理由かあるはずだ。だが今の所、特別な力が使えたりする様子はない。
つまらなかったら、自殺してやる。俺はあの空間でそう言ったはずだ。こんな醜い生物に転生させやがって。
剣を見る。随分と長く手入れされていないはずだが、その刃は生きている。俺の首など簡単に跳ねれそうだ。
「それはもちろん! あなた様が──」
長老が言いかけると、城に大きな衝撃が走った。何が大きなものがぶつかった音。
ゴブリンらが、ざわめき出す。
すると、擦れた皮の防具を着て、木の先に尖った石を取り付けた槍を持った一匹のゴブリンが、息を切らしながら部屋に入ってきた。
「パイオス様! 侵入しゃ──」
そのゴブリンは言いかけ、俺と目が合うなり、片膝を付いて俺に向けて言い直した。
「救世主様。侵入者です。冒険者パーティが三名この城に入り込みました。現在複数の戦闘個体が対応を図っておりますが、我々には手に負えません。ご指示を。」
凄いな。ゴブリンと言うのは本能的に誰が上の立場がというのを察することが出来るらしい。今までこのゴブリンらを率いてきた長老を差し置いて、まず俺に指示を煽った。
絶対的な合意がここにある。
「普段はどうしているんだ? 」
俺は長老に尋ねた。急に指示を出せと言われても厳しい部分はある。
「複数の下級ゴブリンを盾に、逃げます」
「は? 」
拍子抜けする。
「戦わないのか? 」
ゲームやアニメで、ゴブリンがそそくさと逃げるイメージは無い。
「我々が人間に戦って勝てる見込みなど無いのですよ。逃走を選択するのでしたら、今すぐお逃げください。位の低いものから優先して盾になります故」
長老は杖をさする。老齢のその立ち居振る舞いは穏やかだ。しかし、その目には戦闘の意思がはっきりと表れていた。
「いや、戦う」
俺は宣言した。転生したのにも関わらず、前世のようにびくびくと逃げ回って生きるのは嫌だ。母親を殺して自殺までしたのだ。どうなってもいい。恐怖はない。
「御意。では戦闘職のゴブリンを集めます__」
「必要ない」
俺は剣を抜いた。やはり驚くほどに手に馴染む。構え方から足運びまで、何年も鍛錬を積んだようだ。
「パイオス。俺に何か攻撃を仕掛けろ。使えるのだろ? 魔法か何か」
「えっ、ええ。しかし、救世主様に攻撃など__」
長老は少し動揺して答える。
「命令だ」
目を見て言い放った。
「御意」
長老は受け入れ、ゆっくりと杖をこちらに向ける。
「では、お手並みを拝見させていただきます」
穏やかな口ぶりの中に、劣悪な悪意を感じる。ゴブリンの殺意。
「風刃。」
風の魔法を長老はいくつか飛ばす、俺の身体は予想通り軽やかに動いた。いくつかは斬撃で相殺し、残りは足さばきで躱す。
攻撃の練習として、俺は地面を蹴って一気に距離を詰める。
「土壁」
長老は地面に手を付き、俺との間に壁を作る。立ち止まらざるを得ない。
「火球」
壁に穴が開き、そこから火の球がやってくる。大きい。
「くっ」
俺はそれを剣で受け、何とか後ろにそらした。ゴブリンは痛覚が鈍いのか、手が多少焼けていても気にならない。
魔法職と戦闘職においては、間合いがものをいう。こちらが勝つための定石は、とにかく距離を詰めることだ。先ほどやられたように、俺は斬撃を何個か飛ばす、土の壁は崩れ落ちる。
長老は斬撃の処理で手一杯のようだ、今なら__
もう一度、一気に踏み込む。土ぼこりを抜けて、距離を詰める。しかしその先に長老はいない。
「転移魔法」
後ろに気配を感じる。まずい。
「奈落線」
強烈に”死”が迫る。
「ほ、聖なる光」
ほとんど無意識に、俺は魔法を唱えた。剣の光と俺の魔法により、長老の攻撃は相殺される。
「おお。スライ様に教えて頂いた、とっておきの魔法でしたのに」
長老は杖を置いて、両手を上げた。
「素晴らしい魔法でした! 初めてとは思えぬ精度と魔力。御見それいたしました」
俺は膝をついて息をする。魔法__とてつもない疲労感だ。
「俺は__弱いか? 」
長老に尋ねる。すると長老の口元が緩まる。
「下にいる冒険者と戦ってみてはいかがでしょうか? 」