3.ゴブリン
「はっ」
目を覚ますと、そこは光のない空間だ。一寸先は闇。
「我らが救世主が__よくぞ! 」
聴覚からは歓声と拍手が認識できる。何事だ。一体。
暗闇に目が慣れていく。自分の身体を触る。生まれたばかりなのか、ぬるりとしたものがまとわりついており、気持ち悪い。
拍手元の方を向く。そこには緑色をした人型の何かが数匹立っていた。
俺は__転生したんだよな。なんでこんな場所で__。
周りを見渡す。人工物であろう壁がある。しかし、人が済むような環境ではない。埃が空気中に舞っており、木の根が壁を貫いている。
視界が開けてくる。疑問。
産まれたばかりで何故目が見える?
自分の手を見つめる。拍手を行う数匹の生物と同じ、緑色。
一体俺はなんなのだ。自己を見つめる。産まれて数秒で立ち上がり、五感を有している。先程の言葉も理解できた。
「救世主様、お水を」
緑の生物の中から一匹、ボロボロのバケツを手渡す。
「いらない! 」
近づいてきたその生物の醜さから、俺は拒絶した。
「申し訳ございません! とんだ失礼を! 」
その生物は急いで俺の視界から消えた。前世の自分ではありえない対応に戸惑う。前世なら、母親でもクラスメイトでも、俺の発言など誰も取り上げない。
あの神、勇者とか言っていたよな? なんでこんな場所で産まれるんだ?
混乱とともに急激な渇きを覚える。
「やっぱり──水を」
「はっ」
先程の生物から改めて水を受け取る。頼んだのは俺だと言うのに、その生物の方がよほど有り難そうだった。
茶色く濁る水をバケツのまま飲み干す。衛生状態は最悪だ。だが、人間が備えるべき拒絶反応が機能しないほどの渇きだった。
「まだございます」
今度は大きな植物の葉でできた器を持ってくる。今回の水は澄んでいた。もう一度飲み干すべく、口を付けようとする__
「は? 」
日光が若干入るこの部で、水面に自分の顔が映し出された。
醜い。自分の顔だ、間違いない。自分が手に持つ器だ。ここに映るのは間違いなく自分だ。
「ゴブリン」
思わず口から洩れる。
尖った耳、緑の肌、卑しい目、丸い鼻。それはアニメやゲームで見るステレオタイプそのものの姿だった。
「救世主様、如何なされました?」
俺を囲むゴブリンの中から最も歳を取っている者──長老とでも言っておこう──が近づいてくる。俺と同じ顔をした、クリーチャーだ。
「俺はゴブリンか? 」
長老は首を傾げる。
「ええ、貴方様は我らがゴブリンの救世主、ゴブリン・ザ・ヒーローにあられます」
長老は立膝をついた。他のゴブリンも同じように蹲う。
「ゴブリン・ザ・ヒーローだと? 」
あまりに幼稚なその呼び名を繰り返す。
「全てのゴブリンは貴方様の思う通りに従います」
あまりに突拍子もない出来事に、圧倒される。
「何を言っているんだ、俺はそんな人物ではないし、お前らの救世主になるつもりも毛頭ない」
俺は突っぱねた。だが長老は負けじと食らいつく。
「いえ、貴方様は救世主そのもの。ゴブリンと言えど、直ぐに立ち上がり意思疎通を取れるなど前代未聞。我々を導いて下され、救世主様」
悪い夢でも見ているのだろうか。そうだ、これは悪い夢だ。死んだことで妙な現象に陥っているだけだ。
「じゃあ、そこにいる誰か、首を切って忠誠を示せ」
冗談半分だった。
「御意」
ゴブリンの中で最も線が細い者、弱そうな個体が前に現れる。
その個体は膝を付き、こちらを真っ直ぐみる。そして石のようなもので出来た剣で自らの首をノコギリの要領で切っていく。紫の液体が裸のその身体に滴る。
首の右側__こちらから見ると左__に大きな穴が空いている。だがその個体はまだ絶命しない。あまりに凄惨なその光景に目を背けようとする。
「貴方の命令です」
長老は鋭く言い放った。俺は目を細くしてその光景を見る。
「首を切ること叶わず申し訳ありません。しかしながら、首は必ず差し上げる所存であります」
そう言うと、その個体は頭を壁に打ち付けた。左から右に頭を振る。空いた穴が広がっていく。皮膚がビニール袋のように裂けていく。
数回の衝突の後、頭はポロリと首から外れた。分離した頭は転がり、俺の足元へやってきた。
「ご覧に__なりましたか? 」
右側の潰れた頭は尚もしゃべった。圧倒された俺は震えるように小さく頷く。
「それならば__嬉しい___限り__で_______す」
そのゴブリンは穏やかな表情で目を閉じた。
「救世主様、お水を」
目の前の大往生などなかったかのように、改めて水を渡してくる。自分の一言で何の躊躇もなく、生命が自ら命を絶った。それなのにこの長老は気にも留めていない。
「仲間じゃなかったのか? 」
ゴブリンは卑しいとよく言われるが、群れを形成しているはずだ。群れる動物は助け合うのが一般的だ。
「救世主様のご命令とあれば。私も喜んで首を差し上げます。ささっ、お水を」
半ば強引に水を勧められ、仕方なく飲む。
長老は他のゴブリンに目配せをする。すると恍惚とした表情の生首と身体を、複数体のゴブリンが囲い食べ始めた。ねちょりとした咀嚼音が大きい耳に入ってくる。不快だが、不思議と気持ち悪くはなかった。
「仲間を__食うのか? 」
社会を軽視する生物が共食いを行うことは、俺の知る限り稀有なことだ。先ほどまで群れを構成していたその個体をなんの抵抗もなく口にできることに驚いた。
「貴重な食事ですから」
長老はさも当たり前と言った調子で答える。
「悲しいとか、思わないのか? 」
続けて尋ねる。
「我々はゴブリンであります故、種の存続のためであれば、使えるものは何でも使う。ささ、救世主様、貴方様も食事をなさってください」
長老が指差す先には__人間がいた。全裸で、片足が無かった。俺が近づくと、虚ろな目に少しだけ光が差す。俺を見ている。
本能的に感じ取った。俺を産んだのはこの人間だ。その手には長い剣が握られていた。
「報いは__受けたわよ」
女性はそれだけ言い、眼の光を失った。もう二度と戻ることはない。
「報い__? 」
俺はその言葉を繰り返した。
「おお! 人間の言語が分かるとは! 流石救世主様です! 」
長老は感心して拍手をする。そう言えば、この長老と死んだあの個体は、日本語を話していなかった。しかし、俺はゴブリンが何を言っているか、別の言語として聞き取れた。
転生の影響だろうか。意図せずバイリンガルになってしまった。
だが俺の思考は、ある強烈な欲求によって打ち消された。
腹が__減った。
強烈な空腹感、飢餓感が俺を襲った。
「これはあなた様のものです。ごゆっくり」
長老は死んだ女性を見る。肉だ__肉だ__。
かつて母だったものは食糧へと変貌を遂げていた。そこに特別な感情はない。食べれるものは何であれ食うのだ。
俺はゴブリンに転生した。