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1.終焉

「おい、亜久里(あぐり)が来たぞ」

 サッカー部の男子の陰口が聞こえる。


「ねえ聞いて。亜久里の後ろ、めっちゃ臭いんだけど」

「分かる! 私も最悪だった! めっちゃ胸見てくるし、ほんとキモい」

「今からでも先生に言って席変えてくれないかな」

「言ってみれば? あ、あっち行こ」


 後ろの席の女子が別の席へと移動する。そして俺を横目で見ながら会話を続ける。場所を移動しても、会話は途切れていないようだ。



 ちっ。取っ組み合ったら負ける貧弱な生物が勝ち誇った顔しやがって。誰かと一緒じゃなきゃ悪口も言えない人間が、こういう時にだけ最も声がでかい。胸を見るのはそこがお前にとっての唯一の長所だからだよ。そこでしか男を釣れないブスが、なに被害者ぶってんだよ。見てくれてありがとうだろうがよ。


 気持ち悪い。どいつもこいつも。




「亜久里、お前成績酷いぞ。 入学した時はトップだったのに。 やれば出来るんだから頑張れ」


  放課後。体育教師の担任が檄を飛ばす。学期ごとに一度、一人一人と面談をする。この教師の拘りだ。悪い人では無いのは知っている、だがその熱量が迷惑甚だしい。


  「すいません」

 謝罪の言葉が、するりとでる。

「お前なあ。 得意なことは伸ばさないと勿体ないぞ?」


  得意なこと、か。確かに勉強はそつなくこなせた。授業はしっかり聞いているので、それだけでテストの点数は確保出来る。でも最近はクラスメイトと一緒にいるだけで、気分が悪くなる。


「親御さんにも相談を受けてるからさ。期待されてるんだよお前は」

「は?」


  足の多い虫が這い回るような嫌悪感が背中に走る。


「お前汗すごいな。ほら、これで飲み物を買って帰れ。あ、炭酸はだめだからな。せめてスポーツドリンクだ」

「ありがとうございます」


 機械的に会釈しつつ、机に置かれた五百円玉を受け取る。

「ま。まだ一年だ。 そんな必死になる必要も無い。だけど少しでもいいから勉強しとけ、な?」


「はい」




  背中に虫を背負ったまま、急ぎ足で家へ帰る。空腹なのに吐き気が止まらない。


  玄関に勢いよく入っていく。

「おかえり。なになに。そんな雑に」


 母がリビングから声をかけてくる。

「いや、なんでもない」


 俺は急ぎ足で二階に上がろうとする。


「あ、パソコンとゲームは捨てたわよ」

 母の声が一階から浴びせられる。俺は振り返ることなく自室に向かい、ぶつかるようにドアを開ける。


 ああ──終わった。



 俺の心の拠り所は奪い去られた。呆然と立ち尽くす。

「成績落ちたんだってね。仕方ないから捨てておいたわ」


  いつの間にか、母がノックもなしに部屋へ入っていた。

「俺の気持ちとか──考えなかった? 」

 怒りなのか失望なのか、単体なら暴れ回るほどの激情が混ざり合い、俺から出たのは静かな質問だった。


「だって成績下がっちゃったんだからねえ」

 他人事。


「俺の大事なものだったんだよ」

 高校入学の祝いに父に買ってもらったPCだ。


「何言ってるのよ。あなたにとって大事なのは勉強でしょ? 」

  俺の言っていることの意味が分からないというような声色が、少しずつ俺の感情を逆撫でる。


「もういいよ」

 言い捨て、母を部屋から追い出そうとする。

「なに? 私は貴方のことを思っていつも行動してるのよ!? それが迷惑だって言うの!? ひどいわ!」


  学校で嫌われて学んだこと。ストレスの効率的な対処法。それはストレスを与える対象物から距離を置くことだ。だがこの場所において、ストレスの根源──つまり母は、ひたすら俺に干渉してくる。


「いいから出てってくれよ! 」

 たまらず叫ぶ。


「ねえ!? なんで! 私はあなたのことを思っているのよ! なんでそれが分からないの!? 」

  ヒステリックな金切り声が頭痛を引き起こす。



  もういい。俺が悪かった。

「母さん」

 俺は母の肩を抱く。次に出る俺の発言は自分でも驚くほど、落ち着いており、冷たかった。


「俺が悪い。母さんは何も悪くない。デブでブサイクな俺が中学の時勉強が出来ちゃったことが間違いなんだ。無駄な期待をさせた。ごめん母さん。ごめん」

 何の感情なのか、涙が止まらない。



「お母さん、あなたの育て方を間違えたみたい。お母さん、だめね」

 ああ、そうだよな。俺の母は俺のことなんて見たことない。いつも自分を見ているんだ。俺は彼女の投影だ。

  自分が苦労しているから、息子はそれに応えてくれると思っているのだ。


  心の底では、お母さんはあなたの味方だからと言って欲しかった。そうじゃなくても、せめて俺の発言に対して怒って欲しかった。でもダメだ。人間はそう簡単に変わらない。


「母さん」

 俺は母の脇に手をやり、その身体を持ち上げ、PCが置いてあった机に放り投げた。


 ゴン、と鈍い音がなる。

「痛い」

 しかし背中をぶつけただけで、対した怪我には至っていない様だ。


 俺は母に覆いかぶさって、首に手をやる。デブの俺よりも母の体温は高かった。

 俺は母の首を締め上げた。全身の体重を手の方へ持っていく。このだらしない体が、人生で最も役に立つタイミングだ。


 ありがとう母さん。母さんが産んでくれた身体はちゃんと役に立ったよ。


 小便を撒き散らしながら死ぬ母が俺に向ける目は、息子に対するものでは無かった。恨みが鮮明に写った目だった。

  この目はやがて白目を向き、母は肉へ堕ちた。



  終わりだ。



 俺は自室の反対側のドアノブに紐を結び、扉の上を通して自室へ垂らす。自分は扉に背を向けて、紐を首の周りに括る。白目を向いた母と目が合った気がする。

 

  罪悪感はない。何も感じない。メディアはたかがゲームを捨てただけで親を殺した事件として、俺のことを報道するのかな。ま、どうでもいいか。クラスの奴らも、俺がいない方がマシだろう。



 紐がゆっくりと首にめり込んでいく。母と同じ死に方をすることがせめてもの償いか。


  俺のこの身体はまた、役に立った。意識は途切れ、俺は死んだ。

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