花邑杏子は頭脳明晰だけど怖くてちょっとドジで馴れ馴れしいがマジ傾国の美女【第36話】
たまらず義範は外へ飛び出した!
階段を駆け降り、いつも通勤時に歩く広い街道に出た。
そこに待ち構えていたのはーー
「みんなぁ~!元気ぃ~!?」
とてつもない大音量を振り撒く4台の街宣車!壇上には、何やらフリフリのゴスロリ衣装を纏った成人女性が誰もいない周りに、両手を目一杯振っている。
(まずい、逃げなきゃ・・・)
瞬時に悟った義範は、街道から離れた。だが・・・
「こら~、そこの君!逃げちゃダメぇ~!」
見つかってしまった!仕方がない・・・
全力で逃げてる間、生きた心地がしなかった。
もし捕まったら、デュエットさせられるかも・・・
ダッシュで部屋まで命懸けでたどり着く。
どうやら逃げ仰せたようだ。
しかし、悪夢はここからだった。
彼女の容赦ないギトギトした歌声が、大音量で炸裂した。
(もしかして、これがあの清流ピロリ・・・)
音痴ではない。さすがの音程とリズム感なのだがーーどうやら全く感動しない。おそらくどんな名曲を授かったとしても、彼女が歌ったばかりに、駄曲のそれに格が下がってしまうだろう。
「こんなにも人の心を全く引き付けない歌い手なんて、初めて見た!」
そんな悪夢が小一時間程続いたのち、警察が漸く重い腰を上げた。そして・・・特大のメガホンを使っての言い合いが始まった。
「早く止めんかい、このボケ!」
「うるさいわね!こちとらこれに命懸けてんだから」
「だったら、会場を抑えなさいよ!」
「うるさ~い!客が来ないんだわよ!」
まるで、プロレス会場でのやり取りみたいで、思わず笑ってしまった。
そのうち、男性陣が出てきた。
「お嬢のソウルフルな歌には、参っただろう!」
「お前、本気でそんなこと言ってんのか?」
「本気でなきゃ、泣きながら言うもんかい」
「それがうるせえって、苦情がでてんだよ!」
「警察屋さんは、聴いてどう思ったよ?」
「一刻も早く、排除しないとなんめえーーって改めて決意したよ!」
「何故だ!何故なんだ!?」
「全く、感動しねえんだよ!あのギトギトな歌声じゃあな!」
警察は俺と全く同意見だ!これで安心して寝られるな。その間も、けったいな歌声は延々流れているのだがーー
翌朝7時ーー
どうやら収まったようだ。
ひとつ気づいた。
「一睡もできなかったぁ!」
そういや、今日から篁課長が復職するから、居眠りなんて、出来ないわな。よっしゃ気合い入れてこ。
義範は、気持ちをリセットした。
会社にてーー寝ていたのは君島国子だった。
義範も、心地よい空調と、単調な作業と、君島国子のいびきにつられ、ついつい寝てしまいそうになる。そこを我慢して仕事する。
篁課長はお見通しだった。
「根を詰めるのはよくないから」
と、臨時に休憩をくれた。なんて甘い。広報から他の部署に移ったら散々な事態になるだろう。
俺はコーヒーショップサザエに来ていた。クリーム多めのカフェオレを注文し、年代物のシングルソファーに身を委ねる。
今までの出来事に思いを馳せる。俺、よく生きてこれたな。一言。終わり。さっさと飲んで、仕事に戻らないとーーと思ったら
「みんなぁ~!元気ぃ~!?」
「どぅおあー!」
あの声だ。超特大音量を醸す黒塗りの街宣車の壇上に立つのはーー清流ピロリこと花邑依子。
「今日も頑張るからねぇ~!」
よりによって、コーヒーショップサザエの真ん前で展開されるその様は、迷惑だが滑稽。チアリーディングの衣装を纏った清流ピロリは今、ガンズアンドローゼスのカバーを歌ってる。相変わらずギトギトしてる。
「英語は流石。でもいいのかな、マザーファッカーとか新宿の中心で叫んだら・・・」
今度は機動隊がやって来た。隊員さんは怒っていたよ。
少しでも早くこの場を離れたかった義範は、カフェオレの残りを飲み干すと、そそくさと逃げるように会社に戻っていったーー