5日目
5日目。12月22日。
午前二時頃。
ベッドに座り、腕を組む。机に置いてある試験管を睨み付けた。
睨みつけていると、窓が開いた。全ての部屋の窓は一つのみだが、この「001」号室だけ二つの窓がある。一番端だからかと思ったが、丁度この部屋の下、「008」には一つしかなかった。これは可笑しいと思っていたが、やはりこの為であったか。
「何の用だ」
「大方、気づいているだろう?」
窓から侵入してきた人物は、菅だった。不法侵入だ。よくないことをする。
「手術か」
「受けるか受けないかは自由だ」
「もし、俺が起きていなかったら、どうするんだ?」
多分、俺が起きていると予想出来ていたか、もしくは、監視してたか。
「それも、わかっているだろう?」
「俺を買い被り過ぎだ」
「予測くらいは出来るだろう?」
「…………………」
「それで、どうするんだ?」
恐らく、夕食時に貰った試験管の中身は麻酔薬。俺が渡された直後に飲まないことがわかっていたのだろう。俺も、この薬は飲む気がなかった。肉体的な病気が、この薬一本で治ることはない。
奏音の時も、少々怪しかったが、なんとなく治る予感がした。そんな予感で、奏音を危険に晒したくなかったが、結果的に聞こえるようになったので、良かったと安心している。
手術を受けるか受けないかの話に戻るが、これは受けるに賭けるとしよう。一斗は失敗だったが、みんな治っている。みんな、危険な薬を飲んでいる。これで、俺が受けないなんて情けない。
少々疑いの目を向けながらも、手術を受けることにした。
「………朝、か……」
あまり眠った気がしない。何だか、モヤモヤしている。そのモヤモヤが止まらない。
「おはよう」
モヤモヤをそっちのけにリビングに向かった。そこには半分以上の者が集まっている。キッチンに浩一が居た。
彼はまだ車椅子のようだが、治っていないということか。浩一のことを気にしていると、それに気付いた瑠璃が麗那から視線を外し、僕に視線を向ける。
「治ったんだけど、まだ立てるようにはなってないって」
「そっか」
誰しも、最初から立つことは出来ない。浩一は、生まれたてのような状態なのだろう。
食事を取っていると、菅がやってきた。奏音と一斗に薬を渡し、去って行く。
一斗は苦しむ様子は見せなかったので、今回は成功かと思う。そして、奏音は、自分の意思で飲んだ。結果的には失敗だったけど、苦しんだ様子を見せなかったので、そこは良かったと思う。
食事を終え、みんな外で遊ぶ。此間の微妙な空気はなくなっているので、心置きなく遊べることだろう。
「どうした、隆?」
先程まで食器洗いをしていた浩一に話しかけられた。今ここには、僕と浩一と奏音が居る。他のみんなは外だ。そこに混じらなかった僕は意外なのだろう。僕も、自分の行動に少しだけ驚いている。
「ちょっと、モヤモヤしてて。あ、でも、ちゃんと行くから」
「ちゃんと?」
尋ね返す浩一に近付く。そして、耳元で囁く。
「奏音のことだよ」
「…………………」
僕は昨日の夜、泰志から結果を聞いた後、浩一と話をした。奏音との勉強会で薄々気付いたことを話したのだ。
泰志と圭と一緒に対策を練り終わり、風呂でも入ろうかとリビングの方へ向かう。
テーブルに顔を伏せている浩一が居た
「大丈夫?」
目が開いているので、寝ている様子はない。だが、返答はなかった。
「おーい」
顔の前にふらふらと手を振ってみる。だが、まだ返答がない。
「浩一?」
まさか、死んでいるのでは? ミステリー?
焦り、体を揺らす。
「ん? ああ、隆。どうしたんだ? そんな顔して」
どうやら死んではいなかったらしい。それに安心する。
「何でもない。それにしても、珍しいね。浩一がそんなぼーっとしてるなんて」
「あ、あー……」
気まずそうに視線を逸らす。こんな行動を取るなんて、浩一らしくない。らしくないということは、慣れてないことでもしたのか。
「俺は、周りに流されていると思うか?」
「周りに流されてる?」
浩一の言っていることがわからない。
「それとも、これは俺自身の本心か」
どうやら、本人は本人で悩んでいることがあるらしい。独り言か。僕も、気になっていたことがあったので訊いてみる。
「あのさ、浩一」
「ん? なんだ?」
返事はするものの、どこか違うところに頭を使っている気がする。別に、重要な話ではないので、続けさせてもらう。
「浩一って奏音のこと、好きなの?」
「ふぇ?」
浩一は僕に、人生で初めて見る阿呆面を見せ、人生で初めて聞いた素っ頓狂な声を聞かせた。これは意外と効果がある質問だったらしい。
奏音との勉強中、微妙に視線を逸らしたり、少々顔を赤くしている部分があったため、なんとなくそうなのでは、と思っていたがこれは確信に変わっていく予感が……。
「だから、奏音のこと、好きなの?」
もう一度質問している。多分、先程の質問は聞こえなかったものとして扱われているだろう。
「それはー……」
そっぽを向いて、耳まで真っ赤にする。そして、微かに頷く。浩一がこんな態度を取るのは驚きだ。まさかこんなに可愛い一面があったとは。
「僕で良かったら相談っていうか、協力? するよ」
「あ、ああ。ありがとう。でも、まだわからないんだ」
「わからない?」
「ああ。隆の質問には肯定したが、実際、本当にこれが……恋心、というものかが、わからない。それに、相手は生まれたての赤ん坊のようなものだからな……」
つまり、圭からしてみれば、ロリコンと言われると。確かに、奏音に恋心を抱くというのは珍しい、というか特殊というか。もし奏音に恋心を抱くとすれば聞こえるようになったから、喋れるようになったから、ではないだろう。その前から若干、という説はあったわけか。
「まあ、ゆっくりでいいんじゃないか? ほら、この施設で恋してない男って僕だけなわけだし」
「お前は落ちる可能性がないと?」
「ゼロとは言い切れないけど……」
「でも、男が狙わなくとも、奏音が他の男を好むかもしれない」
「それは……」
それに関してはフォローのしようもなかった。口を噤む。
「ま、その時はその時だな。風呂に入りに来たんだろ? 今は空いてるはずだから、入って来い。俺は俺でなんとかするよ」
「そ、そう……?」
「ああ」
そうして、僕は風呂に入った。
それで、浩一が奏音に少しくらいは好意を寄せていると確信を持って、今に至るわけだが。
浩一はずっと口を閉じたままで、何も言おうとしない。
そんな中、ドアが開く。そして現れたのは瑠璃だった。
「隆! アンタそこで何してるの! 早く来なさい!」
「え? 何で?」
「何でも何もないでしょう。遊ぶの。アンタが居ないと面白くないんだから」
「そ、そうかなあ……」
浩一に視線を送ると、行って来い、という感じに帰って来た。どうせ二人きりにする予定だったので、瑠璃に返事をして外に出る。
「ねえ、隆」
みんあのところに向かっているであろう瑠璃が僕に声をかける。
「何?」
「何してたの?」
「休憩してた」
答えは間違ってはいない。今朝からモヤモヤしていた気持ちを切り替え、整理していたのだ。
「休憩? 昨日の疲れでも取れてなかった?」
「うん。まあ、そんなところ」
昨日は瑠璃にいろいろとやらされ、実際には疲れていた。今朝、起きたときにはその疲れも癒えていたのだが。
「ふーん。ま、いっか」
そんな曖昧な答えを気にせずに、話を進めようとしている。その態度が瑠璃らしくない気がした。深堀してほしくない気持ちはあるので、ありがたいけど。
「それで、昨日のことなんだけど、浩一と奏音って何かあるの?」
「何かって何?」
少々緊張を含めた声で訪ね返す。
「んー……」
首を傾げ、悩み始める。どうやら具体的なものはわからないらしい。緊張が高まる。
「付き合ってるとか?」
「……!」
その答えに驚き、目を見開く。まさか、瑠璃がそのことに、と言っても付き合っているわけではないが、気づいたとは。
別に可笑しいことじゃない。僕だって、ここ数日一緒に過ごしてわかったことだ。それで、僕が気づいていて、瑠璃が気づかないわけはない。でも、瑠璃はここ数日というか、大体の日にちは麗那としか過ごしていない。それなのに、わかったことが少し悔しい。
「え? マジで付き合ってるの?」
「いや、付き合ってない」
「でも、好意は持っていると。持ってるのは、浩一ね」
僕の言葉に続くように話す。そして、ニヤニヤと笑いながら、独り言を呟いた。
「浩一も中々よね。まさか、恋に落ちるとか……。不器用でしょう、アイツ」
「器用、不器用は関係ないと思うけど」
「そうかもねぇ……」
瑠璃に連れられ、みんなのところに行った。
隆が瑠璃に呼ばれ、去って行く。
「みんな、そと、いったの?」
椅子に座っていた奏音が、覚えたての言葉を並べる。
「ああ、そうだよ」
奏音の隣に並びながら答える。
「そう……」
「奏音も行くか?」
「わたしは、いいよ」
笑顔を作って、俺に向けた。その笑顔を直視することが出来ず、視線を逸らす。
タイミングがよく、扉が開いた。誰かと思えば菅だった。
「こんな時間に珍しいな」
「すまない。薬を間違えてしまってね」
菅が持っていた試験管を奏音に持たせる。去り際に、試験管を返す。
「ま、頑張りたまえ」
何の応援かわからない。だが、勝手に解釈をして、その応援は受け取っておこう。
「これは、くすり?」
菅が去った後、持っている試験管を俺の方に向けながら問いかける。
「ああ」
自分の元に試験管を戻し、暫く時間を取った。その間、眉を顰めていたので迷っているのだろう。
それにしても薬を間違えたのに、何事もなくてよかったと安心する。安心と同時に、あることを思い出した。そういえば、奏音に渡された試験管は何の番号も書いていなかった。
そんなことを思い出していると、視線を感じた。横目で奏音のほうを見れば、綺麗な瞳で俺を見ていた。どうやら、もう飲んだらしい。
「っ……!」
その瞳に、目を見開く。そして、急いで視線を逸らす。
「……?」
その行動に、首を傾げた。横目で見てみると、きょとんとした顔がそこにあった。完全にそっぽを向く。すると、耳に触れられた感触が。
「……!」
反射的に奏音の方へ顔を向ける。目の前には、奏音の手があった。
「あつい……だいじょうぶ?」
「あ、ああ……。大丈夫だよ」
無理矢理笑顔を作りながら、奏音を安心させる。
「さ、さて。目が見えるようになったことだし、勉強するか」
目が見えることによって、わかりやすいものもあるだろう。
目で見たもの、不思議に思ったものを順に学んでいった。
わたしは、何も見えなく、何も聞こえなかった。感触というものでしか、何かを判断することは出来なかった。
でも、あの日。1日目の日。奇跡が起こった。
何か、不味いものを飲まされたと思った。今は喉が渇いているわけではないし、食事の際、水やお茶を飲むことはあるけど、その時間でもない。時計は見えないけど、感覚的にわかる。大体、同じような時間に食事をしているわけだし。
初めて、音が聞こえた時、言葉が通じなかった。何を言っているか、わからなかった。
それでも、嬉しかった。通じなくても、目が見えていなくとも、良かった。
それから、勉強した。浩一、圭、瑠璃、麗那、一斗、泰志、隆、薫、純恋。後、菅智史さん。その人達が、どういう人柄で、どういう声をしているのか。それがわかったのが、凄く嬉しかった。
そして、5日目。視界に景色が入った。私の視界には、男の人が一人居た。先程まで会話をしていた浩一。
人を初めて見えたもので、少しドキッとした。目があった直後、驚いて、目を背けてしまった。だけど、彼も視線を逸らしたようで、彼の顔をじーっと見つめた。
これは人間観察というもの。
人間というのは初めて見たのだから。一瞬、浩一の視線を感じたものの、直ぐに、顔をそっぽに向ける。その時、耳の色が変化したことに気付いた。
興味本位で触れてみる。
すると、ビクッと少しだけ動いた感じがした。それに驚きながらも、熱い感じがした。平常ではないことは、大丈夫ではないだろう。そう判断して、訊いてみた。だけど、大丈夫、と返って来たので、安心はしたけど、あまり、大丈夫な気がしなかった。慌てた様子だった。
その様子に不思議に思いながらも、浩一の提案通りに昨日の続きをした。
ちょっと、緊張している。なぜかわからない。でも、心臓のドクドクと鳴り響く音が、少し煩い。言葉を学ぶことは大事で、みんなと話が出来ないから学んでいるというのに、集中が出来ない。
このドキドキをどう対処すればいいのだろう……。
「ねえ、隆」
「ん?」
遊んでいる途中。瑠璃が僕に声をかける。
「何で、私達がペアなわけ?」
「仕方ないだろ、余ったんだから」
二人乗りのウォータースライダー。そのペアで、余ったのが僕と瑠璃だった。
今日は、プールに居る。外に出ると寒いので、プールなんてものに入りたくない。だが、温水プールなので入ることにした。本当は昨日入る予定だったのだが、流石に男二人、女一人は瑠璃が嫌なようで今日となった。
水着は更衣室にたくさんあったのでそれを着た。
泳ぐ者や、水遊びをする者が居たのだが……。ウォータースライダーに乗ることになった。それは二人乗りのもので。ペアは、自ずとわかる。一斗と薫、圭と純恋、泰志と麗那。そして、僕と瑠璃。薫と純恋に関しては、じゃんけんをして、薫が勝ったので、一斗との座は薫が勝ち取った。
「じゃあ、訊くけどさ」
「何よ」
「瑠璃には組みたい人でも居たの?」
「……っ! い、居ないわよ、そんな人」
「…………………」
今のは完全に怪しいのでは?
じーっと、瑠璃を見つめる。瑠璃はイメージ的に汗をダラダラかいている。これは、瑠璃の弱みを握れるチャンス。チャンス、だと思う。
「…………………」
声にならない悲鳴が聞こえて来る。
「さっさと、滑りましょう!」
「あー、はいはい」
大人しく、普通に滑った。今のことはなかったことにした。瑠璃の弱みを握って、弄るのもいいが、僕はそういうタイプではない。折角の武器だが、捨てるとしよう。それに、誰と滑りたかったかなんてわからなかったし。訊いても言ってくれなさそうだし。
「てゆうか、普通に男女じゃなくて、女子は女子同士、男子は男子同士にすれば良かったのよ! 何で、男女ペアなんて作ったのよ!」
滑り終わったところで、一人怒っていた。だがこの男女ペアを考えたのは他でもない、瑠璃だ。自業自得だろう。それか、優し過ぎが故か。
「さー、麗那。もう一度滑りましょう!」
麗那の腕を引っ張って、階段を上って行った。
「よっしゃあ! 隆、一緒に滑るか」
「断る」
「何だよ、ノリ悪っ!」
僕の即答に不服そうに圭は泰志を誘った。何となく、男は組みたくなかったのだから、仕方ない。悪寒がするのだ。そんな提案、即答しないわけにはいかないだろう。
「隆。僕とは……」
「悪いが、断る」
一斗の提案も、断った。勿論、即答で。圭は圭で嫌だが、一斗も一斗で嫌なのだ。今の所為で鳥肌が立ってしまった。男とのウォータースライダーとは、怖いものだ。
よくよく見てみると、ただの綺麗な瞳ではなかった。
本で読んだことや写真でみたことのある瞳、アースアイだった。特殊なもので、綺麗な色。地球っぽく見えるだとか。青や緑、オレンジなどが見える。
その瞳の色に驚いた俺は、奏音の瞳をマジマジと見ていた。
あまりにもじーっと見つめていたもので視線に気付いたのか、少しビクッと体を動かし、恥ずかしそうに顔を背ける。
「あ、あー、ごめん。あまりにも綺麗な目をしているものだから」
「……うん」
奏音は顔を赤く染めながら、微かに頭を動かす。
なぜ、彼女が照れているかは知らないが、この気まずい空気をどうにかしなければ。
周りを見渡すと、時計が見えた。その針は十二時過ぎを差している。そろそろ昼食の準備に取りかからないとマズいと感じたので、奏音に一言言いキッチンの方へ向かった。
何とか気まずい空気から抜け出せたので、安堵した。
すっかり昼の時間を忘れ、気付いた頃には一時半過ぎだった。お腹が空いていたことも忘れ、熱中して遊んでいたらしい、僕ら。「腹、減ったぁ」などと文句を言いながら宿に戻る。
宿に近い施設などにはないが、遠い施設などには転移魔法的なものがある。エレベーターのような箱に入り、宿の隣にある同じ箱に一瞬で移動出来る優れものだ。
実際、怪物を倒す際、魔法を開発したとかで、この世に魔法は存在するらしい。だから、この移動手段も魔法かと思うのだが……。別に魔法は、器具ではない。自分の中にある力を使う。
だから、この瞬間移動的な何かはどういうものかわからないが、あまり気にせず、使わせてもらっている。便利なものだし。
「った!」
扉の前で瑠璃が止まった。
眉を顰めながら、少し後ろに下がり、宿の中を覗くと、浩一と奏音が居た。そして、その奏音の目が開いていた。
瑠璃はそのことに驚いて足を止めのだろう。僕も驚いて、足が止まっている。今朝の薬では治っていなかったはず。後から治ったということか。もしくは、後から菅がやって来たか。何にせよ、奏音が治って良かった。
奏音の周りに人が集まる。
「あれ? 何か、奏音の目、違くない?」
瑠璃が首を傾げる。よく見ると、綺麗な瞳をしていた。
「ああ。アースアイって言う、世界でも、珍しい目だよ」
浩一が答えた。アースアイというのは初めて聞く名前だ。まさか、奏音の目がみんなと違うことに気付き、調べたのか。中々やる男だ。
「ふーん」
みんなが奏音の目をマジマジと見る。見られている奏音は目をパチクリしている。自分の目は見たことないのか。
「それにしても、お前ら遅かったな」
「ああ。時間を忘れてて……」
浩一が用意してくれた食事は冷めていた。浩一に悪かったと思いながら、食べ物を口に運ぶ。冷めているが、美味しいものだ。
食後、浩一の近くに行く。
「そういえば、奏音と何か進展あった?」
小声で浩一に訊いてみる。他の人達は奏音と話している為、僕らの会話は聞こえないだろう。
「それを、お前が俺に訊くのか」
「なるほど」
進展というものは全くなかったらしい。浩一らしいというか、らしくないというか。
何とかならぬものかと考える。
「ちょいちょい」
瑠璃に肩を叩かれる。
「何だよ」
「いいから」
ニヤリと微笑みながら、僕の腕を引っ張る。
「何だよ」
純恋の部屋の前。みんなはもう宿の外に出ている。瑠璃は奏音の方を見ながら。
「奏音、結構怪しかったよ」
「怪しかった?」
「そう。みんなが出て行った後、ちょーっと、奏音に浩一のこと訊いてみたんだけど」
口角を上げて。
「ちょっと、ドキドキするってさ。みんなと違って」
「おー……」
となると、一目惚れ線あるよな。浩一はイケメンなわけだから、納得は行く。それに性格もいいわけだし……。完璧だ。惚れない女なんて居ない。
「それなら、何とかなるかもしれないな」
「ま、恋なんて最初から部外者がどうこうするようなものじゃないのよ」
「僕ら、別に何もしてないけど」
「あーあ、何だか、ここに来てからみんな変わっちゃったなあ」
寂しそうな笑顔を見せる。それには同意だ。変わった環境と年頃の所為だろう。でも、こういう話をしていると、老人の会話みたいだ。まるで、見守る親のよう。
「あれ、瑠璃って気になっている人とか居るんじゃなかったっけ?」
「はあ? 何の話ですかー」
話したくない話なのだろう。ドアの方に歩き始める。
「あーはいはい、そうですかー」
瑠璃の後ろを歩く。
「誰にせよ、頑張れよー」
隣に並びながら、みんなのところへ向かう。
「誰に言ってんのよ」
「流石瑠璃だな」
「叶うわけないでしょう……」
「わあお、珍しい」
「その棒読み、ウザい。アンタの方こそどうなのよ」
「僕? 僕は……わかんないや」
「はあ? 何、それ。ちょーウザイんですけどー」
「わからないものをわからいって言って、何が悪いんだよ!」
「騒がしいな、アイツら」
「なかが、いいのね。隆と、瑠璃」
「そうだな」
あの会話を聞く限りでは、瑠璃に好きな人でも居るらしいが……。相手は隆か。叶わないってことは、隆に好きな人が……?
あくまでも憶測だ。考えても埒が明かない。時間の無駄だ。後、そういうことに頭を使っている暇はない。
「ふたりのかん、じょう? は、すき、なのかな」
「好きなんて言葉、いつ覚えたんだ?」
「きのうのよる、瑠璃からきいたの」
「何を?」
まさか、瑠璃の奴、余計なことを喋ったのでは……。
「薫と純恋が一斗のことがすきで、泰志が麗那のことがすきって」
「そ、そうか……」
どうやら、余計なことは喋っていないようだ。瑠璃のことだ。俺が奏音に抱いている感情は、薄々気付いているであろう。
「どうして、あんしんするの?」
「え? あー、どうしてだろうなぁ……」
顔が近づいて来る。だが、不意に奏音は離れて行った。
「奏音?」
「な、なんでも、ないです……」
俺に背を向ける。今度は俺が首を傾げる番だった。
『それは、気になるって感情なのかもね。いろいろと調査してみるといいよ』
瑠璃からのアドバイスを思い出す。
「ちょうさ……」
調査とは何か、と訊いてみたところ「ある事柄を明らかにする為に調べること」だそうだ。この感情が、どういうものなのか、調べてみるといいよ、ということ。例を訊いてみたら、相手の態度を見るとか。触れてみるとか。それで、鼓動が早くなれば、瑠璃の言った通りなのかもしれない、と言っていた。これはあくまで可能性の話で、確定ではない。
決めるのは自分らしい。気になる、という感情は難しいものだ。
「よし!」
浩一はキッチンで食器を片付けていた。
「浩一」
「……!」
声をかけると、浩一はビクッと体を動かす。
「ど、どうした……?」
いつも不思議に思う。私への態度と、みんなへの態度の違い。ちょっと悲しい。
「りはびり」
「リハビリ?」
「うん。浩一のあしのりはびり」
「ああ。うん。それが、どうかした?」
「てつだう、よ」
「手伝う?」
「うん。わたしのべんきょうをてつだってくれたから」
他の人にもお礼を言わなければいけないけど、一番世話になったのは浩一だから。自分の足より優先してくれたから。
「ありがとう」
それに、手伝ってみれば、触れる機会もあるかもだし……。
「洗い終わるまで、待っててくれ」
浩一は洗い物を再開する。
「それも、てつだうよ」
私はお皿を拭いた。
食器洗いもし終わり、リハビリをする。でも、リハビリのやり方がわからない。
私は浩一の目の前に立ち、両手を指し伸ばす。
「立ってってことか?」
「まずは、たってみることから」
赤ん坊の時は、立つことから始めるはず。私だってそうだったはずだから。あ、あれ? はいはいから、だったっけ……? まあ、いいか。
「そうだな」
浩一が私の手を摑む。
大きくて、不思議な手触りの手。触ったことのあるはずの手が初めて触ったかのような感覚に襲われた。手というのを間近で見るのが初めてだったかもしれない。
でも……。
……重い……。
初めて自分の足で立ったのだから、仕方ないことなんだろうけど……。それにしても、重い。
それと……。
……痛い……。
浩一の上半身はみんなに比べたら、筋肉がある。握力が強く、痛いのだ。そして、重いのと同様、初めて自分の足で立ったのだから、仕方ない。
私は重いものを持ったことがない。私の場合、今の浩一だ。体重を他人に預ける方。慣れないことをした。
「奏音? 大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶ……」
我慢する。この後、段々力を抜いて行けば、立てるまではいけるはず。
そう指示をしようとしたのだが……。
「やっぱり、むり……」
重さと痛さが重なり、後ろに倒れそうになる。それを咄嗟の行動で浩一が支えるが、一人で立てない彼からすれば、その行動は無理がある。
「ご、ごめん……」
「うっ………」
二人して倒れ込んでいる。浩一が私の前で跨ぐかたちだ。私は胸の前に手を置く。全身に心臓の振動が伝わる。口を堅く噤み、斜め下に視線を向ける。
「す、直ぐ退くよ」
「…………………」
言葉通り、浩一は直ぐに退く。そして、車椅子によじ登る。
私は上半身だけ起こす。
「俺が、力を強くし過ぎたな、すまん」
私の方に近寄りながら、手を指し伸ばす。その手を取るのはかなりの緊張するのだが、恐る恐るとその手を取り、立ち上がった。
「……だいじょうぶだよ」
直ぐに手を引き、胸の前で手と手を合わせる。まだ、心臓のドキドキが止まらない。
「……つづきを、しよう?」
「や、でも……」
「わたしは、だいじょうぶだから」
「あ、ああ……」
リハビリを続けた。
だが、互いが互いを意識し、緊張していた結果、あまり出来ず、沈黙の時が多かった。
「不服ー……」
「仕方ないだろ、余ったんだから」
「それ、午前中にも訊いた」
「まあ、午前中と同じ状況だからな」
白鳥ボートを漕いでいる。
こんなところに湖があるのは驚いたが、あったので折角だからという理由でボートに乗っている。
そして、現在勝負中だ。
今回も瑠璃の勢いでペアを決めた結果、午前中のウォータースライダー同様、同じペアとなった。違うのは、一斗と純恋、圭と薫になったところか。圭と薫は不服そうだったが、僕と組まされた瑠璃も不服らしい。自業自得だ。
僕だって不服だ。なぜならばこのボートを漕いでいるのは僕一人。瑠璃は、不服なので足を一ミリも動かしていない。その上、一位を取れ、と無茶を言うのでこんな女と組んで、嫌な思いをしている。
だから瑠璃の言うことを破り、ゆっくり適当に漕いでいるが、ありがたいことに文句を言わない。一位を取れ、というのは、ほんの気まぐれなのだろう。
「私って損してると思うの」
「してるんじゃない?」
「はあ? そこは、何で? って訊くもんじゃないの?」
「何で?」
「ウザ―」
話が前に進みそうもない。
瑠璃は自分で提案したくせ、他人のことばかり気にした結果、こうなったのだ。損しているのは間違いないだろう。
「それで、損してるから得したいって言いたいの?」
「そうじゃなくて」
「ん?」
「私のいいところをちゃんとわかってくれる王子様みたいなのに出会いたいなあって話」
「乙女だなぁ」
「悪い?」
「いや、全然。いいんじゃない、そういうの」
乙女みたいに夢を見ることは悪いことじゃないと思う。それに瑠璃のいいところはここに居るみんなが知っている。
そういえば、瑠璃って好きな人居る的なことを言っていたような……。振り向いてほしいとかか。
「おーい、やる気ないだろ、お前ら」
ゴールまで着くと、圭に文句を言われた。他の人達は随分前に着いたらしい。
「提案したのは瑠璃じゃんか。何で燃えてないんだよ」
「私はアンタと違って子供じゃないし」
「一つ下のくせに、生意気な」
「好きな女と一緒に乗れなかったからって、燃えてるじゃない。それが子供って言ってんのよ」
「何だと」
「何ですかー」
睨み合う二人。バチバチしている中、他は互いに感想を言い合う。
「随分と疲れているみたいだな」
「うん。全力で漕げばね」
「俺も、それなりに……」
一斗はいつも軽く運動はしているものの、泰志は全くしていない。だが、二人とも疲れている様子。それほどまでに、この勝負を全力で臨んだのだろう。その姿を見ると、少しだけ罪悪感を覚える。
「泰志、麗那とは話したか?」
「ちょいちょい」
「進歩あったのか?」
「いや全然」
「そりゃあ、頑張るしかないな」
「うん……」
一斗も自分の気持ちを真剣に考えて、泰志や圭も頑張って自分の恋を叶えようとしている。そして、宿で頑張っているであろう浩一。彼らの姿を見ると、少しだけ悲しい気がした。
それから暫く、競争やら、探索やらをして、日が沈み始めた。
午後五時頃。
そろそろ帰るか、という話になり、宿へ戻る。
浩一はキッチンで料理、奏音は浩一が作ったノートを見ていた。このノートは奏音に言葉を覚えるために作ったものだ。これは、菅が持って来てくれたらしい。
夕飯を待ちながら、みんなで談笑する。
料理が完成し、食べ始めた。その間、浩一と奏音は、一回も目を合わせることはなかった。そして、接触行為があった際には過剰反応を少し……。これは僕らが遊んでいる間に何かがあったかもしれないと、少し微笑む。これもまた、恋への進展か。
「そういえば、浩一と奏音は外に出なくていいの?」
「俺は別に遊びたいものとかないしな」
お茶を飲みながら、皿洗いをしている浩一に話しかけた。奏音は今、女子達と集まっている。ここには、圭以外の男が集まっていた。
「奏音は?」
「さあ、どうだろう。でも、出たいとは言ってなかったな」
「そっか。明後日は、みんなで遊びたいねって、瑠璃と話してたんだ」
「その場合、俺は後一日で歩ける程度にはしておかないとな」
「あははは。そうだね」
丁度、風呂に入っていた圭が出て来る。圭も混ざって来た。
「そっか。後二日か、ここに居れるの」
「そう思うと、何だか寂しいよな」
無理矢理、事情もわからず来た場所だが楽しかった。遊んでみたいものがここにはたくさんあった。
「もし、明後日みんなで遊ぶなら、俺は、明日もう一度誘ってみる」
泰志の声は自信がない。でも、決意の目をしていた。
「麗那にか?」
一応といったかたちで、圭が泰志に質問する。すると、深く頷いた。
「おー、頑張れよ!」
「頑張って!」
その答えを知った、圭と一斗が応援の一言。
「ついでに、何かを感じられる心にしてやれ」
浩一もまた、応援する。感情を取り戻す、という表現は可笑しいかもしれないが、それが実行出来れば麗那は落ちるだろう。瑠璃も言っていた。それは、瑠璃も望んでいたことだったと思い出す。
……チクリ……。
少し、胸が痛んだ気がした。




