逃げた先に
大雪が吹いている。更に北風。今日はとても最悪な日だ。日頃、こんな天気なのだが。風が吹かない時もある。それに比べれば、最悪な日となろう。
海岸を歩く。母からの使いで、買い物を頼まれた。
「……!」
ふと、海を見た時。
吹雪であまり見えなかったが、確かに人影があった。
幻ということを願いながら、海の方へ走る。
そこには一人の少女が居た。
その少女に触れる。まだ、息があることを確認。その後、自分の着ている服を着せ、背負う。救急車を呼ぶより、自宅に行った方が速い。それに、この雪道では、なかなか救急車も来ないであろう。
なるべく速く足を運ぶ。そんなに重くはないが、一人の少女を抱えている上、吹雪も凄い。だが、このままではこの少女が死んでしまうから。
家に到着後、親に説明し、少女を温めた。
目が覚めると、知らない天井があった。
起き上がると、知らない場所があった。
部屋は暗く、外は少し明るい。早朝、ということだろうか。
「…………………」
ここはどこだろうと周りを見渡す。
自分が寝っ転がっていたのはソファー。隣には絨毯を挿んで暖炉がある。近くには窓。そこから見える景色は雪。その雪が激しく揺れている。吹雪、だったか。
その景色を眺めていると、一人の男がやって来た。
「起きたか」
部屋の電気を付けられた。そこに立っていたのは高身長の男だった。整った顔立ちの、すらっとした体型。筋肉がわりとあるのが見て取れる、普通の無地のTシャツにメンズパンツ。少々薄着な気がするが、寒くないのが、室温の力か。
「あー、オレは東雲和真だ。宜しく。一応言っておくが、怪しい者じゃないぞ?」
「はい、宜しくお願いします……」
何が宜しくなのかわからないが、形式的に言っておく。相手が名乗ったので、私も自分の名前を名乗ろうとするのだが……。
「私は……」
誰、なのだろうか。
麗那が去った後、僕は瓦礫の近くに行く。瓦礫の隙に入った。
移動した理由は単純。何やら、ピーポーピーポと聞こえたので、誰かが来る気がしたから。それと寒いから。僕は最初、誰かが来ても動かないつもりで、殺されるならあっさり殺されようとしたが、麗那にあんなことを言われてしまったのなら、死ぬわけにはいかない。生きていなければ。
麗那の転移先が無事であることを祈りながら気絶した。
「うっ……」
日の光が眩しく、目を開ける。
寝たお陰で、体力は無事回復。体も万全に動かせる。
そのことを確認し、瓦礫の隙間から、周りの様子を確認する。周りには、何やら人がたくさん居る。それぞれ、同じ服を着ている人が数人。あれは確か、警察だったかな、と頭を悩ます。圭と見たアニメやドラマで見たことがある。
警察に捕まるのは不味い。僕は捕まることをしたわけではないが、いろいろと訊かれると、僕の正体がバレる可能性がある。
僕は警察の目を盗み、何とか脱出する。
だが……。
壁を登って、飛び降りた所為か、青い液体のところに飛び込んでしまった。海、だと思う。確か、海にはたくさんの魚が居るとか……。
海に飛び込んだのでたくさんの魚をこんにちはした後、頑張って浮かび上がり地上へ向かう。
びしょ濡れの服のまま歩く。この後、どこへ向かえばいいのか。完全に力を取り戻したのはいいのだが、住む場所がない。その辺で寝てもいいのだが……。
他の人達はどうしているだろうか。
無事脱出出来ているはずだから、安全なところに居るだろうけど……。
浩一たちの安否がわからない。確かめようもない。
しかし、その前に……。
「寒っ……!」
冬という季節の上に、びしょ濡れの恰好だ。それは寒い。しかも風が吹いている。
「温かいところがあればいいけど……」
周りにはたくさんの建物がある。あれは勝手に入ってはいけないものだったはず。
寒い中彷徨うが、特に何も見つかるわけがなく。
そろそろヤバいかも、と思った瞬間、誰かに声をかけられた。
「キミ、どうしたの?」
その声に反応し、振り返る。もしかしたら助けてくれるかもしれない。その希望の目を向けた。
「びしょびしょだよ? こんな時季に何をしたのよ」
女の人だった。僕より年上の女性だと思う。
「あー、えっと……」
脱出する為に、海に落ちました、とは言えない。
「楽しそうだなあっと思って、海に潜りまして……」
無理がありそうな言い訳をする。心苦しい。
「ふっふふ……。いい年して、子供みたいなことやるのね」
「あははは……」
何とか誤魔化せたことに安堵する。
「今から家に帰るところ?」
「あー、いえ。そういうわけでは……」
家がない、とは言えない。どう説明するのが、普通なのだろう。
「家出少年?」
「え?」
「家出して来たの?」
家出というのは、親とかに断りなく、家を出て行き、出たまま戻らないことを言ったはず。それだったら家を説明することもなく済むか。
「そんなところです……」
「そっか」
困ったように微笑んだ。
「取り合えず、私の家に来る? その恰好じゃ、寒いでしょう?」
パアッと顔が明るくする。これは絶好のチャンスだ。御言葉に甘えさせてもらおう。これからのことは後で考えるとしよう。
「ありがとう、ございます……!」
女性の家にお邪魔させて頂くことにした。
女性の名前は、涼風琥珀。一人暮らしの大学生らしい。
家にお邪魔させてもらい、最初に風呂を借りた。全身を湯に使う。
出た頃、食べ物の準備がされていた。朝に家を出歩いていた理由は、朝帰りだったからそうだ。だから、まだ朝食は済ませていない。朝帰りと言っても、涼風さんは何も飲んでいないから酔っていないらしい。
「それで、及川くんは何で家出を?」
食卓で一緒に食べていると、その質問が来た。来るとは思っていたが、油断していた時に来たもので、しまった、と思う。
「えぇっと……」
理由を考えていなかった。
「言えない事情があるならいいけど。親御さんに心配かけないようにね?」
僕が答えないでいると、何かを察したように言ってくれる。随分と優しい方だ。
「さてと、朝のニュースでも見ようかな」
朝食も食べ終えた頃だ。食器は僕が片付けている。勿論、僕が名乗り出た行動だ。お世話になっているわけだから、これぐらいはしないといけない。
『次のニュースです。昨晩、東京都の埋め立て地である施設が、怪物達によって崩壊された事件がありました。その施設に監禁されていた子供達は八人、救出しましたが、一人が行方不明の状況です』
「直ぐ近くに事件なんて起きたのね」
そんな呑気な感想を漏らす涼風さん。
『また、監禁していた菅智史は警察に逮捕されました』
そんな情報が僕の耳に入って来る。
でも、そのニュースを聞いて、可笑しな点があった。
それは、僕の存在がない、ということ。
八人の子供は、浩一、奏音、圭、瑠璃、一斗、泰志、薫、純恋だ。そして、行方不明の一人というのは恐らく麗那のことだ。だったら、僕は、存在しなかったことになる。
『子供たちは、鎖骨の上部、僧帽筋中部繊維に、「001」や「002」などと書いてあり、「008」が見当たらないと言うと、菅智史が、自分が「008」だ、と言い張っています』
「……っ!」
菅が僕のことを隠してくれているようだ。多分、そのことは信じてもらえないかもしれないが、それでも、隠そうとしてくれていることが嬉しかった。
「監禁されてたなんて、可哀想だね」
涼風さんが僕に問いかける。気付けば、次のニュースに変わっていた。
「そう……ですね」
監禁なんてされていない。あの施設の日々はどれも楽しいものだったから。菅は僕たちが楽しく過ごせる為に努力してくれた。何よりも、僕を守る為に造られた施設だ。好き好んで入ったわけではないにしろ、監禁の言葉は間違っている。
「まさか、昨晩にこんな大事件が起きてたとは、驚きだ」
伸びをし、僕の元へ近寄って来る。僕も、丁度皿洗いが終わったところだった。
「ご苦労様でした」
笑顔で言いながら、お茶を入れたコップを差し出してくる。
「それで、これからどうするの? 家に帰る? それとも、帰らない?」
「その、非常に申し訳ないのですが……」
「私は別に構わないよ。一人暮らしというのも退屈だし」
「あ、ありがとうございます!」
まさか、こんなにもあっさりと住まわせてくれるとは。
「ただし、バイトをして、お金を稼ぐこと。及川くん、今何歳?」
「16……だったはずです」
「……?」
「いえ、16歳です」
年齢というのは数えていない。誕生日はみんないっぺんに行っていて、特に数えたことはなかった。ただ、特別な日、ということでしか認識していなかった。一応、菅からは年齢を言われたこともあったので、今の僕は16歳のはずだ。
「高校は?」
「高校?」
「ん?」
「あ! あぁ……。行ってません」
「ごめん。言い方が悪かったね」
「いえ……」
高校という存在を忘れていた。僕は年齢的に高校生だ。高校は義務ではないので、通っていなくとも、大丈夫。大体の人は通っているとは思うけど、ここで嘘をついても、その先が面倒だ。
「仕事の出来る年齢だけど、バイトの方がいいよね?」
「ええ……」
仕事をして、お金が稼げるあれか。お金が稼げるなら涼宮さんに迷惑をかけることはない。
「バイトして、多少は稼ぎ、家事をしてくれれば、居候してもいいよ?」
それが、ここにお世話になる条件らしい。そんなことでよければ、引き受けよう。
「ありがとうございます」
こうして、涼宮さんとの同居生活が始まった。
バイトを始めて数日。経歴は涼宮さんから借りて、苗字は「涼宮」とした。つまり、弟設定ということだ。僕は近くの飲食店やコンビニなど、掛け持ちしている。家事もしっかりやり、多少は忙しいものの、ちゃんと健康な生活をしている。涼宮さん改め、琥珀さんには、本当にお世話になっている。僕は、何も自分のことを話していないが、何も訊かずにいてくれる。
そんな一月の下旬の休日。
「隆くん、今日空いてるよね?」
「はい」
一週間前に空けておいて、と言われたので、今日は暇だ。
「じゃあ、出かけようか」
「はい。………え?」
「あ、出かけたくない?」
「いえ。そんなことはないです」
いきなりの誘いに驚いただけだ。考えてみれば、初めてかもしれない。一度、初詣に誘われたが、友達も行くみたいで、なるべく邪魔しないため、断った。それ以外、誘われた経験はない。
出かける準備をして、家を出る。
「どこに行くんですか?」
「デパート」
「デパート? 何で?」
「隆くんの服を買うのと、気になってた店に行こうと思って」
「僕の服? 足りてると思うけど……」
バイトをする前、適当に三着を購入した。その服と、僕が着ていた服を使いまわしている。それで、足りている。僕はそもそも施設で同じ服を着ていた。何着か興味本位で菅に訊いてみたところ、三着だとか。だから、買い足す必要はない。
「多少はオシャレしてもいいと思うんだよね」
「オシャレ? 近場で仕事して帰るだけなのに?」
「友達とか居ないの?」
「友達……」
僕にとっての友達はあの九人だけだ。八人の無事は確認されていて、今どこに居るかわからない状態だ。会いたいとは思うけど、未だ会うのが怖いと思っている部分もある。でも、僕は無事という事実だけで満足している。麗那に関しては、まだ見つかっていないようだ。僕も、ちょくちょくバイトを休んで、遠出している。でも、見つからない。他の道府県に行かないと見つからないか。もしくは、違う国に居るのか。僕一人では中々見つからない。麗那だって一箇所に留まっているわけではない。擦れ違っているかもしれない。それでも、動かずにはいられない。
「もしかして、気に障ること言った?」
前を歩いていた、琥珀さんが振り向き、首を傾げる。
「いえ、大丈夫です」
「そう?」
と、琥珀さんは再び歩き出す。その後、続いてデパートに到着した。
最初に琥珀さんが気になっているという店に行く。
「随分と並んでるね」
「そうですね」
名簿に名前と人数を書いて、待合席に座る。軽く雑談していると。
「あ、琥珀!」
琥珀さんと同級生くらい女性が三名、こちらにやってくる。
「こんなところに居るなんて珍しいね」
「珍しくないと思うけど」
「男と居るのが珍しいね」
「珍しくはないとは言い切れないね」
僕の方に視線を向ける女性に対して、軽くお辞儀をする。
「で、彼は、彼氏? 琥珀って案外年下好き?」
「あまり年齢の好みはないし、彼氏じゃないよ」
「じゃあ、誰よ。義弟?」
「そんなところ」
「一人っ子だもんね、琥珀」
「そうね」
一人がペンを取って、名簿に名前や人数を書こうとした時、その手が止まる。
「一緒にい?」
友達の女性が琥珀さんに訊くと、琥珀さんが僕に顔を向ける。気まずさはあるが、断る理由がないので、頷くと、琥珀さんが許可する。
五人で食卓を囲む。それぞれが頼み、談笑しながら食べ始める。意外と会話が弾んだ。そんな中、琥珀さんがお手洗いに立つ。姿が見えなくなったところで、目をキラキラと輝かせた三人の方々が僕に質問する。
「で、実際のところどうなの?」
「実際のところとは、どういうことでしょう……」
おおよそ予想はつく。でも、僕には訊き返すしか方法はなかったのだ。
「琥珀に惚れたの?」
興奮をしながら質問するのは、窓際に座っている片山さん。この場合、「惚れました」と言えば、深堀され、「惚れていません」と言えば、殺されるパターンのやつだ。
「惚れるよねー、あの可愛さは。私は一目見た瞬間に友達申請したから。惚れない男は居
ないね」
ぶつぶつと呟いているのは、廊下側に座る石木戸さん。石木戸さんは琥珀さんに惚れたようだ。
「そう思ってるのは貴方だけよ。惚れてない人も居るんだから」
呆れた様子で石木戸さんに言ったのは、中央に座る水橋さん。この三人と琥珀さんは仲良しで、最初は四人で遊ぶ予定だったところ、先に琥珀さんは予定を入れていた。決して仲間外れをしたわけではないらしい。こうして出会えたのだから良かっただろう。
「それで、琥珀と居て、ドキドキしない?」
「えっ……あー、それは……」
お酒で酔って帰って来た時とか、警戒心のないままソファーで寝るところとか、そういうところは良くないとは思うが、基本的に一緒に住んでいてドキドキ感はあまりない。基本的には、だが……。
「やっぱり、ドキドキするものなの?」
はっきりと答えられなかったので、目をギランギランにして、僕を見つめる。
丁度その時。
「隆!」
そんな、懐かしい声が聞こえた。
どうやら私は記憶を失っているらしい。所謂、記憶喪失という奴だ。記憶喪失にはなったことがないと思うが、身近にそういう人が居た気がする。ただ、はっきりとは思い出せない。なぜ私が記憶喪失になったかも、勿論わからない。
どこかに行く当てもないので、東雲家にお世話になることにした。親切な人達に感謝を込めて、なるべく騒がず、出来ることを手伝っている。
12月も終わり、1月に入った頃のことだった。
「出かける準備は出来たか?」
「うん」
今日は、和真くんと出かける日だった。近場を見てみることが目的だ。もしかしたら、見覚えのあるものがあるかもしれない。そんな理由だった。
「何か、些細なことでも覚えてないもんか?」
「そう、だね……」
町を歩きながら思うのは、この人達は誰も知らないということ。私は特定の誰かとしか会ったことがない。そんな気がする。新鮮な世界に飛び込んだ気分だ。
「やっぱり、どっかから来たのかなぁ」
最初に向かったのは私を見つけたところ。砂浜のところに居たらしい。多少は濡れていたものの、ずぶ濡れではなかった為、海から流されたという、あまりにも有り得ない可能性はなかった。
「どこからか来たとなると、どうして私はあそこに居たの?」
「んー……。そりゃあ、転移魔法とか? 転移魔法を使えるのは極僅か、伝説級だったはずだからなぁ……。その魔法を使おうとして、失敗した。その線が高そうだけど……その場合、真知が凄い魔術師か、あるいは、真知を実験台にした奴が居るかのどちらかだな」
真知というのは仮名。私が記憶を失っている間は、東雲真知として過ごしている。
「どこからか来なかった場合は、あまり考えられないな。あんな寒い日に、あんな薄着は可笑しい。沖縄とかだったらギリ平気かもしれないけど」
「そうだね」
今着ている服と、私が最初に来ていた服の厚さや温かさは段違いだ。今は少々寒いくらいだが、この温度にあの服は流石に薄すぎる。もし、記憶を失う前の私が馬鹿だったら別なのだが。
「やっぱ、北海道じゃないか」
「その可能性の方が高いかな」
和真くんと町をぐるっと周る。誰も私のことを知らなければ、私は誰も知らない。
やはり、ここ、北海道で私は暮らしていないかったのか。
ただ、北海道といっても広い。故に、全部を周って探すのは困難だ。
「何か思い出したら言ってくれ。ゆっくりでいいぞ」
「ありがとう」
そう言ってくれる和真くんにお礼を言った。本当に優しい人に救われたのだと、心の中で盛大に感謝する。
「おーい、和真ー!」
大きく手を振り存在をアピールしている一人の男と、女三人がそこに居た。
「どうした?」
「助けてくれよぉ」
情けないく、男は和真くんに抱き着く。それを華麗に躱し、説明を要求する。
「コイツらが、休日も和真くんと居たいわ! どこに居るの? とか言って来るんだ。ったく、何で俺に言うかなあ」
イラついた様子で、和真くんに文句を。彼女達は和真くんを探していたようだ。和真くんを見つけ、駆け寄って来る。
「どうしてここに居るの、和真くん」
三人の女性が、目をキラキラとさせ、和真くんに問い詰める。彼は学校で結構モテモテらしい。クリスマスに誘いが何件かあったらしいが全て断ったとか。結局、何もせず、私と話していただけだ。
大晦日も、初詣も、クリスマス同様、女子から何件かの誘いがあったらしいが、全て却下。その代わり、私と過ごした。どうやら彼は私の傍が落ち着くらしい。私は迷惑しないので、それでいいのだが、女子から睨まれそうで怖い。現在、「ところで、コイツ誰?」という視線を感じる。本当に、女という生き物は怖い。私も女だけれど。何だか、彼女たちの言いたいことがわかるけれど。
「この辺の子じゃないよね?」
不信がる女子達。
「記憶喪失なんだ」
警戒心が抜けたが、「つまり、同居ってこと……?」といそいそ話。直ぐに睨まれる。疚しいことは何もしていないのだが、言ったところで信用してくれないだろう。
少々、雑談をし、昼食を食べに行くことになった。一時過ぎで、お腹が減っている。丁度いい時間だ。
注文したものが来て、それぞれ談笑をするが、私は食べ物を口に運ぶことが主だった。食事を終わり、気まずさから抜け出すべく、お手洗いに向かう。鏡の前に映る自分の姿を見て、気付く。服の隙間から数字の端が見えていた。この数字は自分でもわからない。最初にお風呂に入る前に気付いた。「005」これは何を示している数字なのか。多分、記憶を取り戻す手がかりなのだろう。そういえば、このことは誰にも言っていなかった。後
で、和真くんにでも相談しようか。
そんな思考を巡らせていると、他の客が入って来る。私は慌てて服の端を引っ張り、数字を隠す。その行為は反射的なものだ。なので、自分でも隠した理由がわからなかった。
全員が食事を終えたので、会計をする。店を出て、別れた。最後まで、和真くんにくっついていた女子達も和真くんに言われ、悲しそうに離れる。離れた直後、再度睨まれた。
それから、町を歩き、帰った。ちょくちょく遊んだりしたので、楽しい時間となった。
結局、成果はなし。やはり、私は違う都府県の子なのか。違う国から来たのか。行き場所が定まらない限り、行きようのない。東雲の人達の言葉に甘え、ゆっくりすることにした。次第に、記憶を取り戻さなくてもいいのでは、と思い始めた。
1月の下旬。もう直ぐ2月となる、そんなある日。一ヶ月前くらいの事件がニュースでやっていた。ソファーに座り、ぼーっと見ている。
『12月24日の東京都の埋め立て地で起こった事件の行方不明者ですが』
「あー、そういえば、そんな事件あったな」
隣に座っていた和真くんがそんなことをぼやく。
「どんな事件?」
「東京の埋め立て地で怪物に襲われた事件があったんだよ。で、そこにあった施設に九人の子供が監禁されてたんだって。その子供達は、鎖骨の上辺りに番号が書いてあって、それで、その「005」の服部麗那って人が行方不明らしいんだ」
「……違う」
無意識に反論した。
「え?」
でも、そうではないことが、なぜか知っている。あそこには九人じゃなくて、十人の子供が居て、監禁されていたわけじゃない。そのことを無意識に理解している。
「わた、し、は……」
「ど、どうしたんだ?」
そんな声も聞こえない。
「行かなきゃ……!」
なぜか、わからないけど、東京の埋め立て地に行かなければならない気がした。
私はいそいで家を出る。だが、和真くんに腕を摑まれた。
「ちょっと、待て! どこに行くんだ!」
「あの施設に、行かなきゃいけないの。離して!」
「あの施設って、東京の埋め立て地か?」
返事をせずに、行こうとするが、和真くんに摑まれたままだ。中々離してくれない。
「行き方、わかるのか?」
「わからないけど……」
「じゃあ、取り合えず落ち着け」
「でも……!」
「行きたいところに行けないだろ。一旦家に戻るぞ」
「…………………」
大人しく和真くんの言うことに従う。
ご両親に相談した上で、明後日東京へ向かうことにした。
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「いや、大丈夫だ」
和真くんに頭を下げ、謝ると、笑顔で返してくれた。
「なあ、もしかして、ここに番号が書いてあるのか?」
「あ……うん……」
相談しようと思っていた案件。だが、その相談もする必要はなくなった。
「そうか」
「黙ってて、ごめんなさい。早く話せば、記憶を取り戻す鍵になったかもしれないのに」
「いや、いいよ。最初着てたあの服を見た時から、予想はついてたし」
「服? あれは珍しい服なの?」
訊き返しながらも、そういえば、あんな服、見たことないな、と思い返す。
「ああ。普通の人が着てたら珍しいと思うよ。患者服っぽかったし」
「患者服?」
「病院に入院してる人の服だよ」
「あー……」
確か、そんな人が居た気がする。多分、一般常識なものなのだろうが、私は世間知らずのようだ。
「行方不明者を探している時、特徴や名前、服とか何かの情報も出てたからね」
「なるほど」
「それを知っておきながら、何も言わなかったオレにも責任はあるよ。すまなかった」
「いえ、お互い様です」
「そうかもな」
二人して笑い合う。すると、夕食が出来たらしく、呼ばれた。
翌々日。北海道を出て、東京へ。真っ直ぐ、埋め立て地に向かった。
立ち入り禁止のテープと共に、警備員が一人立っている。そんな警備員を無視して、入ろうとするが、警備員の仕事をサボっていたわけではないらしく、止められた。
「ここは立ち入り禁止です」
「離してください。ここに人が、あの人が居るはずなんです」
誰かわからない。でも、大切な人だということはなぜかわかっている。
「人何て居ませんよ。ここに居た人は、安全なところに居ます」
「安全なところ?」
「僕は知りませんが」
「…………………」
丁度、和真くんが来て、警備員に謝りながら私を引っ張る。
「近くの交番に行けば、キミの知っている人は居ると思う」
「うん……」
大人しく引っ張られるが、途中、ぐぅーっと誰かのお腹の音が聞こえた。
「先に、昼食でも食べるか……」
「そうだね」
「隆じゃん! 久しぶりー」
帽子を深く被った少女が僕のところまで来る。その後ろに一人の少年が居る。
久しぶりと声をかけるということは、あの九人の子供と一人の大人しかいない。だが、この声に、この感じはきっと……。
「瑠璃、か?」
「そう! 瑠璃よ。いやー、一ヶ月も会ってないのは初めてだからさ。新鮮な感じが味わえたよ」
「お、おう……」
全く変わらないテンション。その変わらないで居てくれたのはありがたい。
後ろに居た少年は少し帽子のつばを上げて、軽く頭を下げる。少し見えた顔は、泰志のものだった。
「何よ、冷たいわね」
「いや、瑠璃がテンション高いだけだよ」
「仕方ないじゃない。どこに行ったかわからない弟が見つかったんだから」
「そうかもしれないけどなぁ」
もし、瑠璃がこんなテンションでなければ、僕も素直に喜べる、はず。
「えっと……」
丁度、お手洗いから帰って来た琥珀さんが首を傾げていた。
「アンタ、この人誰よ」
瑠璃が僕に耳打ちをする。その声が聞こえたらしく、琥珀さんが軽くお辞儀をする。
「涼宮琥珀です。貴方は、隆くんのお姉さんですか?」
「ど、どうも……。島崎瑠璃です。隆の姉……みたいなものです」
実際、血は繋がっていない。だが、3歳の頃から一緒に居たので、姉弟みたいなものだろう。それにしても、瑠璃がこんなよそよそしい何て珍しいものだ。
「浮気とかしてないよね?」
「何も疚しいことはありません……! てか、何で瑠璃がそんなこと気にしてんのさ」
「私の大事な大事な可愛い子の為よ」
「あー、そうですかぁ……」
僕らがこそこそとやり取りをしていると、泰志が瑠璃の袖を引っ張る。そして、近くに居た僕が雑音にしか聞こえないような小ささで、泰志が瑠璃に伝える。
「何よ」
「俺達は監視されてるんだ。今は追い払ってるけど、いつ戻って来るかわからないだろ?隆は見つかっちゃいけないんだから」
「そ、そうね……」
瑠璃は僕から離れて、一度お辞儀をして去って行く。
「ご家族の方?」
「そんなところです」
「ついてかなくていいの?」
「まあ、あちらもあちらで事情がありますから」
「ん?」
何とか誤魔化した。
軽く雑談をし、店を出る。そして、友達と別れた。その後、服を買いに店に向かう。
琥珀さんは僕の服を選んでくれた。
「着たら呼んでね」
「はい」
返事をしながら、カーテンを閉める。
試着室で試着をする。
「…………………」
下着姿の僕が鏡に映る。僕の僧帽筋中部繊維のところに「008」と書いてある。消えない番号。これを見られては困る。
服を着ると、ちょっと数字の端が見える。服の端を引っ張り、隠して、琥珀さんの前に現れた。
何着か試着して、購入する。店を出た後、軽くお茶をして、帰宅する。
夜となった。夕食を済まし、風呂に入り、といろいろといつもの日常を過ごす。
風呂から出たことを琥珀さんに知らせると、返事をし、洗面台に向かうが……。
「ねえ……」
「何ですか?」
呼ばれたので振り返る。僕の方に近付き、襟ぐりを摑み、引っ張る。
「……!」
「やっぱり、そうなんだ……」
そこには「008」と書いてある数字があった。
「やっぱりって……」
「最初から予想はついてたんだよね」
「最初から……」
だから、何も訊かずにいたのか。
「そう。最初から。あの日に、ずぶ濡れのキミが現れた。その服は、普通の服じゃない。どこからかの患者が、病院から抜け出したのかと思ってたけど、その日の今朝のニュースを見て、少しだけ動揺していた。そして、偶に見える、数字の端。世間知らずの人。絶対に語らない自分のこと。これだけ言えばわかるかな?」
「予想はついてたんですね」
「ええ。でも、ニュースで探してたのは、「005」でしょう? どうして貴方は居なかった存在に?」
「それは……」
そのことを言ってしまえば、琥珀さんに拒絶される。それが、嫌と思う程に、僕は琥珀さんのことを大切と思っている。
「……居なかった存在にされるのは、悲しいことよ」
「いえ。それが僕の為なので」
「そう……。まあ、いろいろと事情があるのね」
少し、悲しそうな顔をした。その後、直ぐに風呂に向かった。
「本当に優しい人だなぁ……」
僕は呟いた。
検査を受けた。浩一は重傷の為、入院することにした。薫は入院する程ではないが、重傷ではある。その為、他の人より検査に時間がかかり、大変だった。菅は警察に捕まる。九人の子供を監禁した罪だ。牢屋に入るだけで、死刑ではないらしい。監禁したわけではない、と警察に言っても、洗脳されているとかで、罪が重くなる。聞いてくれたとして、何の為に、と言われる。隆のことは言えない為、口を噤むことしか出来ない。すると、騙
されているということになる。
警察に事情聴取をされる。あまり答えることは出来なかった。なぜなら、麗那の行方、隆の行方の方が気になるから。今、警察では麗那の方だけを探している。それは仕方ないこと。隆が見つかると、もしかしたら怪物だということが露見してしまう。それは何としてでも避けなければならない。勿論、浩一たちも隆が怪物だということは驚いている。それでも、怪物だからと言って、恐れるわけにはいかない。それを思う程、隆と九人の子供
たちは絆で繋がっているということだ。
警察の監視の元、子供たちは多少自由になった。未来を創る子供であり、加害者ではなく被害者だ。だが、あまりにも世間に慣れていない為、多少の監視はある。それと、麗那を探す手がかりとして、隆を探す手がかりとして、だ。彼らが一番二人のことを知っている。なぜ、隆の存在を探しているかというと、菅が自分が「008」だ、と言い張っているが、警察はそれを信じていないからだ。勿論、菅の僧帽筋中部繊維の部分に「008」がいてある。でも、その言い張りは怪しい。子供たちを監視している本当の理由は「008」の真相だろう。そのことを察した上で隆には見つけても知らないふりをすることを約束した。
中学まで義務教育なので、子供たちが勉強に励む。だが、人によって頭の良さが違う。そこは互いに教え合い、基本的には一人の教師が教えている。
ある休日、みんなで浩一のお見舞いに向かう。外には警察が立っている。流石に中には入って来ないし、盗聴もしていないらしい。
「麗那も隆もどこに居るんだろうね」
八人の子供は二人を心配している。死んだ可能性はあるが、そんな可能性は一ミリたりとも信じていない。手がかりは何もない。
一月下旬。瑠璃と泰志が施設に向かう。今どうなっているか気になったからだ。
「やっぱり、誰も居ないよねぇ」
施設に居た人なので、警備員も許してくれた。
誰も居なければ、何もない。ただ、歪な形として残っている場所だった。
「にしても、驚きよね。私たちはここに閉じ込められてたんだから」
「…………………」
正確に言うと、閉じ込められていたわけではない。菅の本当の目的は彼らにはわかっていない。だが、閉じ込めていないと、彼らは思っている。
「どこに行ったんだろうね」
菅の話では、転移装置と呼ばれるものを使用したと考えられていた。ただ、それは一人がどこかへ転移する装置だ。そう、一人。だから、片方は残っているはず。でも警察が探しても探しても誰も居なかった。怪物は全滅。生存者は一人居た。気絶していた柊一だ。柊は、気絶していたので、何も見ていない。つまり、手がかりはゼロ。
「ぐぅ……」
腹の鳴る音が聞こえた。泰志のものだ。
「腹減った」
「聞こえたからわかるよ。昼食べに行こっか」
瑠璃たちはその場を離れ。近くの店に行く。その際、隆らしき後ろ姿が見えた。
「ねえ、今の……!」
「ああ、多分……」
ただ、確認するすべはない。もし、そうだとしても、監視されている中、話しかけられない。彼の存在をバレるわけにはいかないのだ。
でも、気になる。
「ね、仕事だから仕方ないけどさ、今だけ監視はやめてくれる?」
瑠璃は、監視役の人に話しかける。普段は話しかけない。会話は滅多にしない。なぜなら、彼らにとって敵だから。自由を奪う人達だから。
「お断りします」
「アンタたちが気まずくなるだけだけど?」
「気まずくなる?」
「私はこれから泰志とデートするの。二人きりになりたいの。気まずくなるのは貴方達。そうね。二時くらいに、ここに来る。それでいいかな?」
「………いいだろう」
容易かった。
「何頬赤くしてんのよっ!」
赤らめていた泰志の頬を抓る。
「あれは嘘だから。いい? 私たちは隆に話しかけるの。その為の嘘! わかった?」
「は、はい……。すみません……」
隆らしき人を追いかけるべく、歩き始めたのだが、見失ってしまった。
昼を食べるのが目的なので、店に入る。すると、そこには隆が居た。瑠璃と泰志は顔を合わせて、隆に話しかけた。
解散後、隆のことを浩一たちに話した。みんな、喜んでいた。
そして数日後。まさかの奇跡、麗那が現れたのだ。それが1月の下旬。もう直ぐ2月になる頃だった。
「いらっしゃいませー」
他の店員が、入って来た客の案内をする。
「……っ!」
丁度、机を片付けたところだった。隙間から見えた客。それは、麗那と知らない男だった。
「麗、那……」
僕の視線の先は麗那だけだった。釘付けにされている。会いたいと、話したいという思いはあるけど、体が動いてくれない。
「おーい、涼宮。そこで止まるな。邪魔だぞ?」
「す、すみません……」
突然、名を呼ばれたもので、慌てて退く。
「ぼーっとすんなよ? 今の時間帯が忙しいんだから」
「すみません」
今は仕事中。余所見はいけない。僕は仕事に集中することにした。
客が少なくなり、暇な時間が増えて来た頃。麗那はまだ店内に居た。麗那を見る。向かいの男は誰なのか。なぜ、ここに居るのか。無事がわかったことを嬉しむ前に、疑問が頭を過る。
「いいよな、あの客。可愛いよな」
隣に来たのは同じバイトの高梨さん。大学生で、一年前くらいからこのバイトをやっているらしい。そういえば、高梨さんが麗那たちを席まで案内していた。
「惚れたんですか?」
「そりゃあ惚れるだろ。特にあの笑顔。向かいのイケメン野郎は彼氏だろうよ。あーあ、世界って理不尽」
溜息をし、背を向ける。
感情がある。ちゃんと。治っているというのは本当だった。それは約束した時とか、別れた時とかに確認済みだ。でも、彼女はあまり表情を見せなかった。治っていたのは本当でも、隠していたとか、癖だとか、そういったことが考えられる。だが、向かいに居る男には容易く笑顔を見せている。その姿に僕は少し妬けている部分があった。
「どした?」
「何がです?」
「お前、どんな美人が来ても惚れなかっただろう? まあ、お姉さんがあんなに美人さんだから仕方ないのかもしれないけど。今日はマジのマジでお前の心に来る奴なのか?」
琥珀さんと高梨さんは同じ大学らしく、知り合いだ。だから、琥珀さんが僕の姉だと知った直後、もの凄く驚いたと同時に、羨ましがっていた。
「似てるだけですよ、知り合いに」
何となく、誤魔化した。
仕事に戻る。そして数十分後に、店長に呼ばれた。
「涼宮、会計お願い」
「はーい」
会計に向かうと、麗那とイケメンが居た。これは話しかける絶好のチャンス。だが、その会話が思いつかずに居た。麗那は僕のことに気付いていないようだ。視線を向ける。その視線に気付いたのか、麗那は僕の方を見る。だが、同時に目を逸らしてしまう。なぜだろう。
「あの……」
会計終了後。店を出る前に麗那が僕に声をかける。
「何でしょう……」
目を合わせることが出来ずに居る。彼女は眉を顰めながら、不審がるように言った。
「どこかで、お会いしましたか?」
「………っ!」
僕の顔は見えたはずだ。でも、彼女は僕の存在に気付いていない。もっとわかりやすく見せれば、彼女に認識されるのだろうか。だが、そんなことをする勇気がなくて……。
「人違いでしょう……」
僕はそう言うしかなかった。
「れ、麗那ぁ……!」
昼を済ませ、交番に行った後、浩一が入院している病院へ行かされた。そこには既に七人の少年少女が向かっていた。
最初に麗那に抱き着いたのは瑠璃だった。彼女が一番麗那のことを心配していた。施設の中では、一番の友達だからだろう。
抱き着かれた麗那にとっては、誰かもわからない。八人の人たちに会っても、麗那は何も思い出すことは出来なかった。
でも、欠片ならあった。先程の店で店員の一人に会った時だ。あの時、私を含めた十人の子供の姿が、施設が、微かに浮かび上がっていた。勇気をもって話しかけたのだが、人違いらしい。
「あの……どちら様ですか?」
麗那は恐る恐る瑠璃に訊く。
「……!」
その発言に七人の子供たちが驚く。麗那を連れて来た和真が事情を説明する。記憶の欠片は麗那自身が語った。
「あー、めんどくさ」
あったことを聞き終えた初めの言葉が瑠璃のその一言だった。
「記憶が戻って欲しくねえのかよ」
圭が瑠璃に怒鳴る。
「そうじゃなくて、戻すのが面倒って言いたいんだろ?」
浩一が瑠璃の思考がわかってるようで、窓の外を見ていた。
「だから、何でだよ」
「その店員は恐らく隆。隆が逃げることにより、麗那は記憶を取り戻せない。だから面倒ということだ」
「あ、なるほど」
「阿呆」
「何だと!」
圭と瑠璃の口喧嘩がまた始まる。
「僕らじゃあ、隆を探すことは出来ないよね」
「そうだな……」
そんな中、圭と瑠璃以外は落ち込んでいた。
「あー、そのことに関しては策があるわ!」
瑠璃が自信満々に宣言した。
「どうした?」
「トイレだ。腹が痛いから長くなるだろう」
「そうか」
浩一は奏音と一緒に病室を出る。そして、トイレを行く振りして、近くの窓から外に出る。
「もう直ぐ来るはずよ」
そこには瑠璃たちが居た。
「本当に来るんだろうな?」
「ええ」
暫く、その場で待つ。
だが、待ち人は来なかった。
「これって……やっぱり瑠璃からのメッセージだよな」
瑠璃と再会した時、ポケットに紙が入っていた。そこには日にちと時刻、場所が書いてある。この場所はどこか琥珀さんに訊いてみたところ、結構大きな病院らしい。そして、書いてあった日にちが今日だった。
1月31日。書いてある病院へ向かう。病院の中に入ってみたが、瑠璃の姿がない。入院しているとすれば、浩一だ。だが、浩一との面会は許されないだろう。浩一は、僕らにしか知らない存在。折角、僕を隠蔽してくれているのだから、ここで自分から明かすわけにはいかない。
「どこかに書いてないのかなぁ……」
紙をもう一度見ると、もう一枚の紙があることに気付く。そのもう一枚の紙には、この病院の地図とここと書いてある場所があった。そこに向かう。
「……!」
九人が揃っていた。僕が行けば、全員が再会する。でも……。
僕は一歩下がる。
前に一歩踏むことが出来なかった……。
走って逃げ去った。
「アイツ、逃げたなっ!」
瑠璃は地団駄踏む。
「あの意気地なしっ! バカッ! アホッ!」
等と、隆へ悪口を言う。
「何で逃げたのかなぁ」
一斗が隆に憧れていた部分がある。だから、逃げないと思っていた。
「怖かったんじゃないか、隆は」
「怖かった? 何が?」
「怪物だよ」
その一言に、一同が動揺する。
「この中にも居るだろ、アイツに恐怖を感じてる奴が」
「きょ、恐怖なんて感じてねぇし!」
そう強がるが、その圭だって、少し、少しだけでも隆に恐怖を感じていた。
「お前が感じてなくても、無意識に拒否している部分があるだろう。怪物は人間を襲う。その事実が頭にこびりついている限り、アイツを怖からずにはいられない」
「……っ!」
浩一の言うことは事実で、圭は舌打ちをし、下を向く。
誰にもどうすることは出来ない。
だが、そんな中。
「約、束……」
呟いた人物が居た。
彼女は隆と約束をした。だから、今の会話を聞いて彼女はある一言を、ワンシーンを思い出した。
――たとえ、怪物でも、私は恐れない。助けるよ、キミを――
その約束を、思い出した。
彼女は走ってその場を移動した。
「ちょっと麗那?」
そんな、心配の声は、彼女の耳には届いていない。
今日は元々、バイトを入れていた。バイト前の時間帯だったので行くことが出来たが、結局、僕は勇気が出せずに、逃げてしまった。もしかしたら、このバイトも、先程のことを誤魔化す為にやっていることもあるかもしれない。
ドアが開く。丁度空いていたので、その客を席に案内しようとしたのだが……。
その人はここまで走って来たようで、息切れしている。大分、疲れている様子。
その人に、声をかけることが出来なかった。
あまりにも、有り得なかったから。
なぜ、彼女がここに居るのか。
なぜ、ここまで急いで走って来たのか。
忘れ物だろうか。
そんなものはなかった。
では、なぜ?
彼女の行動は、本当に、謎だらけだ。
「約束、したから……」
疲れながらも、顔を上げる。その時、僕と目が合う。彼女は僕に笑顔を向けていた。
あの時と同じことを言う。
僕は恐れていた。勇気より、恐れの思いが勝ってしまった。
だから逃げた。
彼女との約束は、彼女が覚えていてくれて、本当に嬉しかった。
でも、彼女は僕のことが覚えていないとわかったから。
だから、逃げた。
だけど、彼女は追いかけて来た。
それが堪らなく嬉しくて。
本当に、僕は意気地なしだ。
彼女にばっかり無理をさせている。
逃げても逃げても、彼女は追いかけてくれるから。
いつの間にか、僕は涙を流していた。
とびっきりの笑顔。綺麗に輝いた瞳で、僕を見つめる。
そして、僕から言うべき言葉を、言って欲しかった言葉を、彼女は言った。
「やっと、見つけた……」