はる。
こんにちは。ほかの連載に手をつけてないのになんでまた新作なんだってなるかもしれませんが許して。
それと短編ではありますが、気分次第では続きも書くかもしれません。
暖かく見守ってください。
浮方悠乃はこの世のものではない。あれはきっと妖怪だとか、UMAだとかそういった人ならざるものに違いない。
教室の片隅、もちろん窓際のようないい席ではない廊下側の後ろから二番目の席にわたしは頬杖を着いて、隣に座る彼女を横目で見ながらそんなことを考えていた。
そう、この芍薬だか牡丹だか百合の花だったか美しさを称える慣用句の全てが彼女のためにあるのではないかと思いたくなるほどの美人が浮方悠乃である。
進級した一学期最初の席替えでなんとも不運な巡り合わせを引いてしまった。こんな座席にいては隣から感じる後光が眩しすぎて集中できたものじゃない。なによりこんな人外じみた美人がいたのではわたしの存在もかすんでしまう。しないで済むはずの惨めな思いが込み上げる。
なんでわたしがこんな目に、そう思いたくもなる。同情の余地はあるはずだ。
髪の毛は清楚なイメージに定評のある黒のロングストレート。なんであんな綺麗な艶がでるのだろう。今度シャンプー何使ってるのか聞いてみようか。ぜったい無理だけど。
鼻筋はまっすぐな線を描いておりツンと少し上を向いた小鼻が綺麗だ。唇はぷるっとした薄紅色でたぶんリップはブランドもの。切れ長の目にかかる睫毛はピンとキレイに反り返り、薄茶色の瞳がよく見えた。と、同時にその瞳と目が合う。
「何か用でしょうか。武中千遥さん」
自分に向けられた言葉だと気がつくのに数秒かかった。「へぁっ!?あ、え?いやぁ・・・・・・おふぁようごじゃります・・・・・・?」なんて訳の分からない言葉を口走る。
そもそも今どきフルネームで他人を呼ぶ人間がいるのだろうか。そんなもの創作の中だけだと思っていた。
案の定「?」と新種の生き物を見るような目を向けられてしまう。ふっ、とかすかに微笑んだかと思うと
「おはよう」
と天使のような声色で挨拶を返してきた。
わたしの朝に百合だか牡丹だかが一斉に咲き乱れた気がした。
それからのわたしは、来る日も来る日も彼女を目で追い続けた。そうすると、浮方悠乃の一挙一動の研ぎ澄まされたような流麗な身のこなしに感服したり、ふとした時に見せる物憂げな表情に内心どぎまぎしたりするのだ。
なんだこれ。
なんなんだこれは。
帰路を一人歩いても、家で親の作るぎこちない夕食に喉を通す時も、お風呂で湯船にすっぽり頭まで沈ませていても、もちろん夜布団に入りさぁ目を瞑ろうかという時でさえもいつも浮方悠乃の顔が浮かんでは微笑みかけてくるのだ。
どうしたんだ。
いったいどうしてしまったのか。
そんなことを考えて、いや、考えないようにして悶々とした日々を送っていた。
きっとなんてことはない。
そう取り繕うように平静を装ってみるけれど、あっ浮方悠乃だ、こっち見てくれないかな。あっ、目が合った!
・・・・・・ほんとうに、どうしたというのだろう。わたしは。
午前中の退屈な授業を全て消化し、わたしにとって一日における最大の至福のひとときである昼休みに、その事件は起きた。
「あら、お弁当なのね。家庭的な人って好きよ私」
天使の微笑み、管楽器を思わせる優美な音色の声を舌にのせ、浮方悠乃がわたしに語りかけてきた。
ひょっとして、今わたしは彼女に口説かれたのだろうか。
(いや、違う違う、絶対そんなはずは無い)
浮方悠乃は挙動不審な私を目の前にしてもなお、その穏やかな微笑みを絶やすことはなかった。
「・・・・・・い、いいい一緒しま、す?お昼・・・・・・?」
「ええ、もちろん。ありがとう」
私の口から出たはずの言葉を自分で理解するのに時間がかかった。そして理解したと同時に浮方悠乃の返答を聞き逃したことをすぐに後悔した。
「えっとあのいまなんと?」
せっかく声をかけてくれたのにこんな仕打ち、許されるはずがない。わたしはいつも肝心なところでヘマをする、どんくさい人間だった。
「お昼、一緒に食べましょう?私もお弁当なの」
「!!」
これがわたし曰くの昼休み事件だった。
わたし達の通う高校の校舎は真上から見るとちょうどコの字のような形になり、その棟のあいだ、人気の少ない少し寂れた中庭に、わたしと浮方悠乃はいた。
腰掛けているベンチは少し体を動かすだけでぎこちない音をかなで、こわれやしないかと余計な不安を募らせる。
浮方悠乃はベンチとおしりの間にハンカチを挟ませ育ちの良さを存分に体現してみせる。わたしといえば緊張のあまり勢いよく腰掛けてしまったので、おしりに感じる微妙な居心地の悪さにさっそく後悔の念が込み上げてきているところだ。
このなにもかもが正反対のふたりが並んで座ってお弁当を食べている。その状況が何よりもわたしにとって事件以外の何物でもなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
静寂のなかに口に放り込んだ根菜の咀嚼音だけがわたしの耳に妙に響き渡る。この音、聞こえてやしないだろうか。気恥ずかしさと緊張がさらに高潮する。
浮方悠乃をちらと見る。行儀よくお弁当を食べる彼女はやはり私とは相容れない存在に思えた。こんな寂しい空間なのに、彼女の周りにだけは優雅に咲きほこる花々が見えた。
(お弁当もかわいいし・・・・・・はぁ)
頬にわずかに当たる柔らかなものがわたしの意識を覚醒させる。
思わず勢いよく仰け反りながら感触の正体を確かめた。そこにはお箸におかずの卵焼きをはさみ、わたしに突き出す浮方悠乃の姿があった。
「えっ、な、らららに!?」
あぁ、もう!思考もろれつも回らない。
「欲しいのかと思って、私のおかず。違った?」
あなたをおかずにしたことはありま・・・・・・じゃない!
「いえ、ち、違うんです。そのぅえっと、姿勢いいな、て思って」
「いらないの?美味しいのに」
僅かに浮方悠乃が目を伏せる。
「い、いります!」
浮方悠乃が目を輝かせる。コロコロと表情が変わる様が見られるのは世界でわたし一人だけならいいのに。
そのまま卵焼きをわたしの口に差しだす。いわゆる“あーん”の体勢だ。口いっぱいに甘さが広がるようで本当の味なんかちっとも分からなかった。けれど、不味いわけがない。あの浮方悠乃の卵なのだから。・・・・・・あれ、何か違うような気がする・・・・・・けど細かいことは今は気にする必要なし。
「もうすっかり、暖かくなったものね」
浮方悠乃が髪を耳にかけながら穏やかな表情を浮かべる。
同じようにわたしもぎこちなく髪を耳にかける素振りをした。髪のフィルターをなくした耳にまだ少し肌寒くも陽気に包まれた心地の良い風の音が聴こえた。
「もう、すっかり春です」
素直にそう言えた。
「私、春が好き」
浮方悠乃はそう言った。その言葉に不意に鼓動が高鳴る。
「・・・・・・はる、のさん」
「え?」
「・・・・・・悠乃さん!」
突然大声で名前を呼ばれ浮方悠乃は目を丸くさせている。なぜだか無性に名前を呼びたくなった。
「わたしの名前千遥なんです!」
「え、ええ、知っているけれど・・・・・・?」
何が言いたいのか自分でもよく分からない。けれど言いたかった。
「わたし達名前に、“はる”ってついているんです!わたしも春が好きなんです!」
息を切らす。鼓動が早い。全身を春の陽気とは違う内からくる暑さが包む。
「・・・・・・それ、告白?」
浮方悠乃が真っ直ぐにこちらを見つめている。
「え」
告白・・・・・・したのだろうか、わたしは。いや、したのかもしれない。だって私の心は今とてつもなくどきどきしていて何かを欲している。
「・・・・・・うん。したよ告白」
あぁ、そうか今ようやくわかった。わかってしまった。
わたしは恋をしてしまった。
そしてそれはもう終わろうとしていることも。
一夜だけの美しさを誇り、直ぐに枯れてなくなってしまう花があると聞く。きっと私の恋もそれだ。
自覚したら、あとはもう、消えるしかない。
不意に涙がこぼれる。止めようともがいても、一度あふれたものは元には戻らない。
幻想が、終わる。
花が、枯れる。
「ごめん、忘れて」
必死に絞り出した言葉は喉をかすめて不協和音のように不快な音になって、空に消えた。
わたしはなんてみじめなんだろう。こんなことなら、お昼になんて誘わなければよかった。
浮方悠乃なんて、見つめなければよかった。
こんなに、胸が苦しくなるくらいならいっそ───────・・・・・・
「待って」
浮方悠乃がわたしの袖を掴む。
「まだ、返事、してない」
その表情は怖くて見れなかった。必死に目をそらす。まぶたは閉じている。
「こっちを見て」
浮方悠乃が詰め寄る。
「私を見なさい!武中千遥!」
袖を掴む手が勢いよく引っ張られる。
顔が近い。すぐにでも触れられそうな距離に浮方悠乃のこの世のものでは無い美しい顔がある。
「あなたのこと、もっと知りたい。それじゃだめ?」
「まだ、これが好き、ってことかわからない。けれどあなたといる時間は嫌いじゃないから」
くしゃくしゃになった顔を上げる。
「どういう意味?それ」
浮方悠乃は微笑む。
天使のような細工めいた彫刻の、作りものののような笑顔ではない、頬に赤みを乗せて恥じらいと緊張と未知の感情に振り回されるような、そんな年頃の少女のような笑顔だった。
「あなたと一緒に過ごす時間を、ください」
わたしの何がよかったのか、さっぱり分からないけれど、浮方悠乃はそう言った。
わたしといたいと、そう言った。
「いいの?わたしなんかで、ほんとうにいいの?」
「あなたが、いいの」
翌日、朝。
いつものようにわたしは思考がぼんやりしたまま家を出る。
なんだろうこれは。
なんなんだろう、これは。
歩いていたはずの私の足は、いつの間にかかけだしていた。その足取りは軽やかで弾むようで。
どうしたのだろう。
どうしてしまったというのか。
その答えは、すぐにわかった。
「おはよう、千遥」
目の前に佇む少女は黒く清楚な髪を風に泳がせ、わたしにだけ見せる天使のような柔らかな笑顔を浮かばせわたしをみつめる。
「おはよう!悠乃!」
薄紅色の花弁が舞う。わたしは彼女に歩調を合わせその隣を歩いた。わたしたちの春はまだ、始まったばかりだ。