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ねじ込み軟 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 はああ、ようやく荷物検査が終わったわ。

 こういうの一度でも引っかかっちゃうと、後が大変よね。ずっと先生たちに目をつけられちゃって、入念に荷物を調べられたりする。

 ほんの一回、間が悪かっただけでも常習犯と同じ扱い。たまったもんじゃないわね。

 でも管理する先生側から見たら、ヘタな言い分を許すわけにはいかないでしょう。一度許せば、みんなその言い訳をして逃れるようになるし。決まりと気持ちって、往々にして相いれないものよね。


 つぶつぶは、この手の検査にあんまり引っかからなそうだけど、自分の荷物ってちゃんと把握してる?

 どこかの検閲担当とかはわいろ目当てに、検閲中の相手に違法物を紛れ込ませて、マッチポンプ風にとがめてくるのだとか。そこまでいかなくても、身に覚えのないことで追及されるのは、まじめな人ほど納得いかないんじゃない?

 出かける時にはなかったものが、帰ってきた時には入り込んでいる。もし、これからそんな経験をすることがあったら、注意した方がいいかもね。

 私がおばあちゃんから聞いた昔話なんだけどさ。聞いてみない?



 むかしむかし。

 あるところにお祭り帰りの男がいたそうよ。お神輿を担ぎ終えて、そのままみんなで酒盛りをして、したたかに酔っていたのだとか。

 男の家は歩いて一里。途中で小高い丘を登って下り、てくてく歩いて着く長屋。

 その夜はあまり風の吹かないとき。火照る身体の熱さに負けて、いくらも歩かないうちに男ははっぴをもろ肌脱ぎしていた。

 肩をさらしたまま、男はふらふら丘を登り出す。後ろにいたならば、背中がはっぴの溜まった生地の端が、風呂敷のようにも見えたでしょう。


 その丘の頂あたりで。

 ずしっと、男は背中にさらすはっぴの中身が重くなった気がしたんだって。

 酒に気が大きくなっていることもあってか、男はその場ですぐ確かめない。長屋の戸を開け、瓶に汲んである水をひと口。それから畳へ横になり、そこからころりと落ち来るのを見て、ようやく先の重さに思い当たる。

 背中から畳へ転がり落ちたもの。酔いが抜け出した男の目には、潰れた握り飯のように見えたらしいわ。

 両手で包めるほどの、白い軟体。そこかしこに細かい粒が成す凹凸が見られたのが、男の判断材料だった。

 けれど、いざ手袋をはめて取り除けようとすると、強い。そう、重いんじゃなくて強い。

 じわじわと持ち上がる気配は見せるのに、なお軟体は畳にひっついて、容易にはがれようとはしてくれなかった。鳥もちもかくやという強力さで、ようやく畳から引きはがせたのを、男はまたどこかに触れないようにするので、えらく気をつかったらしいわ。

 真っ向から掴みかかった手袋は、もはやがっちり軟体と仲良くなって離れない。やむなく、長屋裏手の地面に穴を掘って、手袋ごと埋めはじめた男だけど、ふと思った。


 これほど強烈な接着力が、どうして自分やはっぴ相手に発揮されなかったのかと。

 自分の身体とはっぴを、丹念に手触りしていく男。彼らと畳で大きく異なっている点といえば、汗に濡れているかいないか。

 いまだ乾ききらないはっぴの袖の端をわずかに破き、それを男は埋めかけた軟体へ、そっとくっつけていく。同時に、そばに転がっている木の枝も張りつけた。

 結果、はっぴは垂らしたときと同じように、さしたる抵抗に遭わないまま持ち上げられる一方で、木の枝はたとえ両手で力を込めても、はがれる気配も見せなかったとか。


 あの丘に、どうやら厄介な手合いがいるようだぞ、と男はあそこをよく行き来するだろう仲間へ話を伝えたわ。すると、自分以外にももう、同じように白い軟体をねじ込まれた面子がいたのだとか。

 彼がもろはだ脱いでいる時に、突っ込まれたのはたまたまのこと。どうやらきちんと服を着こんでいても、背中へ潜り込まされるらしい。

 そのいずれもが、祭り帰りの彼のように汗をいっぱいかいている時に限ってのことだったわ。おかげで異変に気付いた時には、全員が簡単に軟体を引きはがせたそうなのね。



 その一致ぶりに、てっきり男たちは軟体を入れてくる輩が、相手を選んでいるものと思っていたそうね。

 けれど、彼らが丘の往来を避けるようになってほどなく。あそこを行き来する駄馬の背に、白い軟体がひっついたという話を聞いて、彼らは耳を疑ったみたい。

 負っていた荷と一緒に、たっぷりと背中へくっついた軟体は容易にはがせず、かといって馬を見捨てられず。いくらかの毛と皮を犠牲にして、ようやく分離できたとのこと。

 馬は人と並び、汗をよくかく生き物のはず。その汗が通じないとなれば、あの軟体は人の汗にしか効果を発揮しない可能性が高い。

 まずいことに、ほどなくして今度は人の子供が、例の軟体の被害に遭った。

 やはり頭上から落ちてきたもの。気を払わない者がかわせる道理もなく、子供は頭から後背にかけてを、べっとり軟体で覆われる羽目になった。

 そしてはがれない。身体から流れ出る量が少ないか、そもそも子供のものでは力不足なのか。汗をかきやすい髪の毛を擁する頭はともかく、首から腰にかけての軟体は、一日をかけてもほとんどはがれなかった。

 わずかにできたすき間から手助けをしようと道具を差し入れると、今度はそちらがたちまち軟体に心奪われて、抜け出なくなってしまう始末。

 馬ほどひどくなかったものの、子供もいくらか血が出るほどに肌をはがされて、大泣きする羽目になったとか。


 ――どうやら、こぼし主は俺たち以上に頭がゆるいと見える。選ぶ相手のよしあしすら分からんのか。

 

 男たちは引き続き、つてのある相手へ警戒を発し続けたそうよ。

 

 ウワサはすぐに広まって、例の丘はいよいよ通る人を少なくする。

 彼とその仲間もまた、遠回りを覚悟で行き帰りの道に、件の場所を選ぶのを避け始めたわ。おかげでふた月もすると、軟体の話はいったんは落ち着いたの。

 そう、いったんはね。

 どうやら軟体をこぼす主は、腹を立てたみたい。そのうち、丘へ登らずに近くを通った際に、例の軟体をかぶったと話す人が現れ出したの。

 かつてはっぴに軟体を受けた彼も、仕事帰りにまた受けてしまったわ。実に三カ月ぶりのことだった。

 

 警戒はしていた。けれども、わずかに別のことへ意識の向く、その虚を突かれた。

 あの時ほど、自分は汗をかいていない。そう思った男は、これまでの歩きから一転、全力で走り始めたわ。

 胸の鼓動も喉から出よと、言わんばかりの疾走。日暮れ前かつ、普段から人通りも少ない道ということもあるのか、すれ違う影もない。

 長屋へは向かえなかった。きっと誰かがいて、姿を見られる。男の足はうっそうと木々が茂る森へ。その先には、洗濯に使うこともある小川が流れていた。

 

 揺れる前髪の先から、玉の汗が飛び散っている。もうその背にも十分に汗をかいただろうに、軟体ははがれる気配がない。

 手を後ろへ回す。あの時に手袋越しではあっても、確かに味わったことのある感触が指先を伝った。

 簡単に指ははがせる。汗で滑るのは間違いない。

 なのに軟体もまた、あの時のようにたやすくははがれてくれない。

 なおも走る男は、じょじょに景色が上向いていくことに気がついたわ。

 意識したつもりはない。けれど、走りながら風を受けていくうち、前のめりだった自分の背がどんどん正されていく。

 背中の重みが増していたし、そのせいかとも最初は思った。

 けれど、正面を見据えただけでは足りない。男の視界はなおも上。周りの木々の幹、枝葉、こずえも越えて、空へと飛び出していく。

 足はもう止まらない。止めようとしても止まらない。

 待ちわびすぎたこの瞬間をむさぼるように、筋肉があげる悲鳴も無視して、なお加速を続ける男の足腰。

 これほど、速く走ったことなど一度もない。

 男が悟るのと、森が開けるの。そして、勢い極まった足元から地面の支えが消え去るのは、ほぼ同時のことだったの。

 

 

 男は当初、自分がどうなっているか分からなかった。

 背は大いにのけぞったまま、足もまた背中側に向かって折れ曲がり、太ももからは血もにじむかという痛みが、絶えず襲ってくる。

 森を抜ければ、そこは河原。もちろん、平地とは比べ物にならない大小の石たちが寄り合う、凹凸の山が待ち受ける。

 自らの手もまた、のけぞる背筋のまま後ろへ回され、動かない。もろに張り出したお腹でもって、男はその凹凸を受け止めた。

 信じられないことだった。そのまま倒れ、伸びてしまうだろう予測を、身体はぽんと軽く跳んで、外してしまったのだから。

 まるで鞠のようだった。男はそれから三度も地面で跳ねて、小川へ飛び込む。その際も身体はいささかも沈まず、ぷかりとそのままの姿勢で浮いた。

 手足はいうことをきかないまま。腹でわずかに水の冷たさを受け、流されながらも幅五間(約9メートル)の川を、ゆっくり渡っていく。


 向こう岸へ着いたとき、ちょうど近くのあぜ道を、提灯片手に歩く人がいた。

 気づいたその人の手を借りたことで、男ははっきりと自分が完全に丸くなっていたことを知れたみたい。

 そして、その背中からころりと脇へ転がったのは、かの軟体だったもの。

 男の姿勢によってすっかり固められたそれは、見事な球になっていたわ。そのまま風に吹かれるでも、誰に触られるでもなく、ひとりでに転がっていって河原の茂みの中へ隠れていってしまったらしいの。


 あれが誰かのこぼしたものか、それとも自分の意志を持つものだったのかは、いまとなっては分からない。

 けれどあの軟体は、ああなることでようやく「足」を得て、どこにも向かえるようになったのだろうと、男は感じたのだそうよ。

 

 


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