第二話
口にしかけていたスープを思わず鼻息で飛ばしてしまうところだった。
先日助けた男性がけっこう権威のある植物研究者だったとかで、搬送先もとい私のお得意様である宿屋から、平均より大幅に多い収入が入った。
だからと調子に乗って、貴族街のレストランに入った結果がこれだ。
入口に背を向けて座ったことも後悔している。
振り向いたらあの、あの愛してやまない乙女ゲームの推し、ハロルド・レイスがいるというのに……ッ!
しかもその向かいには彼の親友、そして本作のメイン攻略対象であるヴィンセント・リードまでセットでいるなんて!!
「―――死んだ父さんが俺だけに作った絵本の話と、そっくりなんだ」
随分前に助けた絵描きがまさか、まさか推しの父親だったなんて知るわけがないじゃないか。
そんな設定など存在しなかったはずなのだから。
ハロルドは物心の付かないうちに母親を亡くし、父親も幼い頃に亡くしている。どちらも病気だ。
……なんていうのも攻略本にうっすら載せられた程度で、彼といくら親密度を高めようが、恋人ルートや結婚ルートを進もうが、それ以上の話を彼の口からしてくれることはなかった。
そもそも彼らに接触する気など、私には毛頭なかった。
―――トラ転。
この一言で大体通じるような便利な世の中になった訳だが。
湖畔にひとつポツンと佇むボロ小屋で、私は前世と同じ性別に生まれ産声を上げた。もちろん夢の中だと思った。
しかし直後、眩いばかりの光が眼前に広がり強い衝撃と身体が弾け飛ぶ感覚が、背筋に沿って全身を巡る。
走馬灯という奴だろうか。あまりにもはっきりした記憶だったため、まだ自身に意識があることに混乱した。
第一声を上げてから、しばらく経った。
しかしいくら待てど、視界に入るのは見覚えのない天井だけ。私を産んだはずの親も育てるはずの親も現れることはなかった。
どのパーツも思うように動かずどうしようもない私を覗き込んだのは、直近の深夜、残業終わりでボロボロになったOLが迫り来るトラックから助けたはずの黒猫だった。
半ば現実逃避だった。この辺りまではまだ、翌朝には向かわなければならない会社から逃れるための妄想だろうと思っていた。
あーアンタがトリップの神様ね、はいはい。
フッと鼻で笑い視線だけ投げれば、あからさまに毛を逆立てた黒猫は、髪と瞳の黒いイケメンに化けた。
猫耳も隠せたらしく顔だけ見れば若い人間にしか見えないが、私は首も座っていない赤ん坊らしいので、彼の首から下がどうなっているかまでは視認できなかった。
勝手に話し始めた黒猫男は、神ではなく『死神』なのだと自称した。きまぐれに各地を放浪しては、その世界で死に値すべき者をあらゆる方法で滅してきたんだとか。
そしてお前は選ばれたのだと、私を見下ろしたたまま言った。
つまり?お前は死んで当然だったと?え?
おぎゃあ……と出た情けない声に今度は死神が鼻で笑った。
そう嘆くな。貴様は女神様のお目に留まったのだ。
死神は声高々と言った。
長寿化した現代で、輪廻転生を司る女神様は暇を持て余していたのだと。死神に駆らせた命を女神で転生させるという、彼らのノルマという名の暇つぶしに私は利用されたのだと。
手鏡を眼前に掲げるというアナログな方法で生まれたての自分の顔を見せられて、あまりにも非現実的だったからなんだか泣く気も失せた。
連載中の漫画なんかをもう読めないのは物凄く悲しいけれど。
仕事を辞める勇気も無く、もういつ死んでもいいか、と思う程度には大切なものは特段なかった。
「てか誰が育ててくれるんだコレ」
赤ん坊の頭で思ったことがそのまま口に出た時には、身体が小学生高学年ほどになっていて、気を失いそうになった。
一気に10年くらい年を取ったらしい。
知らぬ間に背丈に合った簡素な服も身に纏っている。
神様やべえ。
呟けば「そうだ女神様はすごいんだ」と死神が自慢げに鼻を鳴らした。死神は顔だけでなく全身をも人間に変えられていたらしい。背の高いスラっとした黒尽くめのイケメンが踏ん反り返っていた。
腕を組んで立つ彼に倣い私もヨタヨタと立ち上がれば、あとはお好きにと言わんばかりに死神は姿を消そうとした。
お前達の気まぐれで死んでやったんだからもう少し付き合えと、慌てて引き留めた。
「これからどうすりゃ良いのよ……」
「お前自身の身体的な要素に理想があれば、概ね要望通りに設定してやる。で、この世界で生きるにあたり、定期的に報連相の場を設けてやろう」
「何で上からなんだ……ちなみに返事は?」
「イエスかノーのみ受け付ける」
「……仮にノーだったら?」
「さらばだ」
「あああ待て待て待ってイエスで、イエスで」
「よかろう」
・中肉中背でよい
・でも程々の美人になりたい
・現地の人間と同じ人種が良い
思いついた三つを挙げると、死神は「それだけで良いのか」
と目を丸くした。
それで良い。むしろそのくらいで良い。
身体的というのだから、生まれ落ちた時点で家はどうにもならないし、ポケットを叩いたらコインが倍に増やせるようにもなる訳がない。
「絶世の美女にも最強にも出来るぞ」
「あぁそれなら一日だけなら……いや良いかな」
勇者一味や貴族に目を付けられるような、これ以上人目に付く場所に縛られて職務を全うする人生なんて御免だ!
社畜OL時代の私が懇願したので、全く同意だと頷き返した。
「とにかく、寝起きで鏡を見るのが苦痛にならない程度の顔になれれば後はどうにかするよ」
「はあ……お前がそれで良いならそうしよう」
「あとは何か良い感じにオマケしといてくれると嬉しいです」
そうお願いした。
真っ黒な出で立ちの死神が操るには似つかわしくない、金粉のような光の粒子がふわりと私の全身を包む。
それは魔法なのだと教えられたが、こちらが観察する間もなく溶けるように消え去った。
希望した容姿には成長の過程で叶えてやろうと答えられ不安だったが、それから時が経ち、おそらく18歳辺りになった頃。
ヒロインと並べば流石に見劣るであろう、けれどほどほどに顔の整ったちょうど良い身長の私が完成していた。
前世と比べれば上々だった。
そもそもどんな世界に生まれ落ちたのか、当初は知る術が無かった。
テレビもスマホもない、車や電車、飛行機の音もしない深い森の中だ。
外へ出るために歩くには遠すぎる広大な自然の中で、私ひとりしか居ない小屋を訪ねてくれるのは、食物をくれる親切な動物たちと、赤・黄・緑・青それぞれ淡い4色を纏った小さな妖精たちだけだった。
美しい少女が手のひらサイズに縮んだような姿の妖精は、果実や木の実を焼き、夜毎湖に光を浮かべ、落ちてくる木の葉を踊らせ、水面を跳ねさせ、私と遊びながら過ごしてくれた。
動物たちは優しいし、妖精たちは美しい。
どれも随分と古びていたが、布巾がわりになる端切れや洗えば使える日用品もあって案外生活には困らなかったし、靴は無くてずっと裸足だったけれど、布を足裏から甲までぐるぐる巻きにしておけば不自由なかった。
毎日がキャンプ泊のような穏やかすぎる日々に暇を持て余していたが、働かなくても生きて良いのだという喜びが何より勝った。
そんなスローライフな日々に変化をもらたしたのは、湖のほとりでのんびりしていた私と妖精たちを目掛け動物たちが森の奥からわっせわっせと運んできた、傷だらけの人間の男だった。
今の私が18歳だとして、12歳になる頃だったろうか。男は30歳前後だったと記憶している。