第一話
「近頃、妙な噂を聞くんだ」
豪快に頬張ったステーキ肉の熱をはふ、と吐きながら、ヴィンセント・リードが言った。
食うか喋るかどっちかにしろと返したところで、ろくに返事など出来ないだろう。
口に含んだ固形物はきっちり30回噛んでから飲み込むという彼の癖に気付いて以来、それを対面でカウントして確かめるのがハロルド・レイスの密かな暇つぶしであった。
「……で?」
「で、ってお前。それが遠征帰りの親友への態度かよ。まあ良いや、噂ってのは―――」
『詩歌の魔法使い』がいる。
次の肉が放り込まれる前に聞いたのは、そんな内容だった。
魔獣討伐の依頼を受けたヴィンセントが北の教会に足を運ぶと、そこに居合わせた興奮気味の司教が「これが真実であれば世紀の大発見だ」と言い拡げていたらしい。
この世の人間は、性別の他に大きく二つに分けることが出来る。
『魔法』が使えるか否か、これだけだ。
生物の呼吸のために必要となる酸素の他に、魔法を使うための物質『魔素』が大気中に漂っている。
これを魔力に変えて魔法として放出させられる才を持つものを、この世では『魔法使い』と称した。
魔法使いの存在は特別珍しくはない。
魔法大国と称されるこの国の人口で例えれば"そうでない者"との比は8:2であるし、世界的に見ても半々と言ったところだ。
・足の小指の先がほんのり光る
・発した声を2秒遅らせて音にする
・自身の体躯の大小をひと回り変えられる
たったこのうち一つのみが出来る者でも、等しく『魔法使い』と呼んだ場合であったが。
「詩歌って……旋律に乗せて詩を紡ぐ、あの詩歌のことか?」
「ああ。司教様も又聞きらしいから真偽の程はわからんが。本当ならすごいことだよなあ。オレだって普通にやって火加減覚えるのに4年かけてさ、首席のお前でも無詠唱の習得は卒業までに叶わなかったわけだし」
「今はもう出来る」
「はいはい、それは知ってる。すごいすごい」
先人達は魔力を放出するにあたり、魔法発動への効率化と魔法使いの統率を図って、ある文言を定めていた。
それが『呪文』だ。
この魔法のときはこれ、あのときはあれを読み上げなさいと、幼馴染のヴィンセントと共に通った魔法学校でも、ハロルドは4年間口酸っぱく言われ続けた。
その常識を『無詠唱』という形で覆したのが、記念すべき第100期生の首席に当たるハロルドであった。
「お前が一人コツコツ積み重ねて来た『予め対象物に魔力を溜めておく方法』なんて研究も、お前が卒業した途端、特許として更なる学園の栄光と繁栄の礎にされちゃった訳だけどさ。本当に気の毒だよ、ハル」
「別に。むしろ躓いていた最後の仕上げを勝手にしてくれたんだ、功績なんてどうだって良い」
「ひえー、相変わらずクールだこと」
対象物に予め魔法をかけ発動まで留めておく必要のある、実質無詠唱とは言えない無詠唱のことなど置いておいて、だ。
魔法発動への条件である『一字一句、正しい発音で声に出す』という呪文の旋律を捻じ曲げる方が、よっぽど常軌を逸した所業であった。
魔法学生時代、おふざけで歌うように呪文を口にした同窓生達がそれを叶えるのをハロルドは見た試しがない。
「司教は他に何と言っていたんだ」
「司教様、な。北の教会のさらに北、国境ギリギリにニール森林ってあるだろ。その湖畔にポツンと建つ小屋に、詩歌の魔法使い様とやらがいるらしい。あくまで憶測だけど」
「場所まで特定しておいて憶測なのか」
「うーん、情報提供者も記憶が定かじゃないんだと。魔獣に負わされた傷で朦朧としてたとか」
北の方でしか採れない植物を目当てに馬を走らせ、街道を逸れていったその人は、気付けば大きな爪を持つ魔獣に背を引き裂かれていた。
肩紐が千切れ地に落ちた籠。その中に好物の実があったことで魔獣が気を逸らしたその隙に、瀕死の馬と共に逃げ込んだのがニール森林だった。
国境の直前まで続く深い森は、あちらの国、こちらの国のいずれもがあまり手を付けていない場所であった。
ニール森林の先には国境を跨ぐ大きな山があり、近道ではあるが険しいそこを切り拓く手間を惜しんだために、住み着いた動物や魔獣の生態系もあまり知られていない。
何より、魔法の発展を望むこちらと、剣や武道を重んじるあちら。むしろこの山ででも遮っておきたいというのが双方の暗黙の了解であった。
「騎士団でも立ち寄ったことのない場所だ」
「俺のとこも。街道を逸れようと思ったこともないなあ」
自らの所属する部隊の長や先輩達が気にする素振りを見せず、整備された路に従って馬を走らせるものだから、自身らもそれが当然だと思っていた。
「襲われたのも自業自得ではあるな」
「まあね。ああそうだ、その人は森の中で意識を失った訳だけれど。次に気付いたときには広い水の上だったらしい。それが湖で、聴こえてきた歌で身体が癒えていく心地がし、うっとりとまた意識を失う前に視界に入った掘立て小屋が魔法使い様の住処なんじゃないかって」
なんだか神秘的な話だ、と朗らかに目を細めるヴィンセントの向かいで、ハロルドはわずか眉間に皺を寄せ、視線を斜め下に落としている。それが威圧的で不機嫌そうに見えるのはもうずっと昔から変わらないので、ヴィンセントは特に触れなかった。
あとは昔馴染みである自身の勘から、この話題は「下らない」とハロルドが吐き捨てて終わる訳では無さそうだと、返事を待った。
「死にかけて羊水でも夢に見たんじゃないか」
ヴィンセントの予想は外れはしなかった。
「母親の腹ん中に掘立て小屋はないだろ」
「……荒屋生まれかも知れない」
「ったく、どうして素直に"そうなんだ"で済ませられないんだ」
「だって……」
「、だ!!だ、だって!?だってって言った!?」
「―――死んだ父さんが俺だけに作った絵本の話と、そっくりなんだ」
それは聞いてないよ。
まだ数度噛んだだけの肉が、ヴィンセントの喉奥に押し込まれた。
ご閲覧頂きありがとうございます。
過去に連載途中だった物のプロットが綺麗さっぱり消えてしまったため、データの残っていた部分から設定を一部いじりつつ、新しく書き直しています。