異世界、はじめての、『鉄道』(3)
のぞみに仕えている侍女の巫女たちは、自分たちの主のことを心配していた。その内心の全てが善意ではなかったとしても。
まずはその生気のない瞳だ。
艶のある黒髪とともに、のぞみを美しくするはずのその黒い瞳が、今は濁って見えるのだ。
彼女たちがのぞみに仕え始めてすぐは、そういう目ではなかった。
だが、翌日、初めてダンジョンに行き、戻ってきてから、ずっと、濁った瞳のままなのだ。そして、その濁りは着実に増していた。
それから、ダンジョンから戻って、手洗いの回数が異常に多かったのも、侍女たちは気になっていた。
朝、目覚めれば手を洗い、服を着せれば手を洗い、朝食前には手を洗い、朝食後にも手を洗いと、とにかく、何度も何度も、手を洗うのだ。
彼女たちはそれを侍女頭に報告し、侍女頭は女官長に報告し、そしてさらに、この事実は宰相をはじめとするオジサン軍団にも伝わった。
のぞみが精神的に不安定である、として。
勇者とはいえ子どもだからある程度は仕方がないと、オジサン軍団も最初は考えていた。
のぞみは背が低く、体つきの女性らしさもまたまだ未成熟だったため、15歳なのに、12歳ぐらいだと認識されていたからだ。
ちなみに、こちらの世界では、12歳でもよっぽどのぞみよりも女性らしい見た目になっているのが平均的な姿だった。
期待はできるが、どれだけレベルを上げても、解放されない固有スキル『鉄道』。
精神的に不安定になっている幼い女の子の勇者。
ダンジョンの中層の奥へと潜ることで、傷を負うようになっている護衛の聖騎士たち。
オジサン軍団は、次第に、のぞみのことを不良債権だと感じるようになっていったのだった。
これまでの長いケイコ教国の歴史の中で、失敗だったとされた、何人もの召喚勇者。
のぞみもそんな一人になる可能性が高い。
そういう風に考えられていた。
元々、ケイコ教国だけが可能な勇者召喚は、ケイコ教国の強みだ。
だから、勇者召喚の年には、召喚の3か月後に、各国の外交を担当する者を招待して、勇者のお披露目を行うのが通例となっていた。
勇者召喚前から、各国へは案内を送っているので、お披露目自体は今さら取りやめるという訳にはいかない。
だが、いかに、のぞみを目立たないようにするか。または、どうにかして、うまく他国に、それも高く売りつけることはできないか。そういうことを考えていた。
ただし、固有スキル『鉄道』に高い価値があれば話は別である。
勇者アカツキによれば、『鉄道』が秘めている可能性は、限りなく素晴らしいものだという。アカツキは勇者として大当たりの部類で、ケイコ教国の信任も厚い。その言葉には重みもあった。
だから、まだ、のぞみの扱いは変わってはいなかった。
これでもし『鉄道』スキルが役に立たないものだったとしたら。
大量の消費魔力を必要とする時点で、可能性として素晴らしいものだったとしても、多用できないスキルである可能性もある。
そうなった場合、のぞみは、『土魔法』の使い手でしかない。ただ、他の使い手よりもかしこさが高く、魔力が多いというだけだ。
のぞみの命運は『鉄道』次第。
そういう状況になりつつあるのが現実だった。
のぞみの異世界転移から2か月と少し。
ダンジョンでののぞみのパワーレベリングは中層の一番深く、深層の手前まで進んでいた。
聖騎士たちや回復役の神官たちの表情は固い。彼らにとっては、立ち入ることのない空間だ。彼らの適正レベルを超えた深さなのだから。
聖騎士の中には、のぞみのことをうらやましいとさえ思っている者もいた。
もし自分がのぞみと同じように、とどめを刺すだけの立場にいたとしたら、彼は自分のレベルも上げてもらえるのに、と。そう考えていたからだ。
それでも、そういうことをのぞみに聞こえるように、口に出すことはなかった。
のぞみの表情を見ていると、そういうことを言う気にはならなかったからだ。
手足を失ったミノタウロスの心臓にナイフを何度も振り下ろしながら、のぞみの瞳はどこも見ていないかのようだった。
とにかく表情に生気がない。
目の前に見えているものを見ないようにしている。そんな感じだ。
「『鉄道』が使えるようになれば、大丈夫だから」
アカツキがそんな言葉をかけると、のぞみは一応、うなずいて答える。
だが、そのうなずきは、ただ反応しているというだけで、そこには何の感情も込められてはいないようだった。
ナハは、あまりにもひどいのぞみの様子に、からかうことすら止めていた。
冗談が通じるか通じないか、それぐらいの判断はナハにもできるのだ。
(あれは、心、病んでるよなぁ、ぜってーに。ヤバいヤバい。異世界って、どっかで開き直るしかねぇのに、それができないとあーなんのかよー……いや、同情はできねぇけど、さすがにねー。開き直って、日本じゃできなかったこと、ヤリまくるぐれぇで、ちょーどいいと思うんだけどなー)
実際、ナハは侍女となった巫女とヤリまくっていた。拒む巫女もいるのだが、拒まない巫女もいたのだ。巫女の中には勇者の種を身ごもることを狙って、積極的にナハと寝ようとする者もいたのだ。
こっちの世界で勇者の遺伝子がその子にどういう形質を遺伝させるのかは分からないが、そういう巫女がいるということは、何かの価値はあるようだった。
アカツキは、そういうことをしていない。そのため、勇者の種を求める巫女はナハの侍女となることを切望していた。
そういうのを望まない巫女は、のぞみの侍女たちのような巫女だった。
実際のところ、アカツキはアカツキで、巫女たちから人気があった。だが、子種がほしいというような、一時的なものというよりは、正式に妻となりたいという、もっと真剣なまなざしだったのだ。
ナハと寝ている侍女たちは、ナハの妻になりたい訳ではなく、勇者の子を産んだ母になりたいだけだった。
本質的にはナハよりもアカツキの方がモテているのだが、ナハはそんなことにも気付かず、ただ日本ではモテなかった分、女体に溺れる日々を満喫していた。
(さすがにJKとはいえ、テツコちゃんはちょっと小さいよなー。いや、セーフか? JKってセーフだったっけ? アウトだったっけ? 確か、高校でリア充してたらリア獣してるよなー? ならセーフなんかも。弱ってる心の隙に付け込めばって、よく考えたら、アレ、もう弱ってるって段階を通り越してんじゃん? 付け込むとかなくね? 下手な声かけしたら自殺しかねないっしょ? あー、ムリムリ、地雷女って感じか? うーん。地球の日本を知る者同士でヤってみたかったけど、ヤっちゃった翌朝首つってましたとか、トラウマもんだよなー……)
はっきりさせておくが、JKはアウトである。完全にアウトである。ただし、ここは異世界。そういう意味では関係がないのだ。
(まあ、そろそろテツコちゃんのパワレベに付き合うのも飽きてきたし、どうしたもんかなー……)
そんなことを考えていたナハの前で、のぞみがミノタウロスにとどめを刺した。
「……あ」
小さな、それは小さな音。
そして、それは、本当に久しぶりに、のぞみが発した声だった。