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怪盗ウィリーの挨拶

作者: 曲尾 仁庵

 一六九八年、物理学者であったドニ・パパンの飼っていたペットのハムスターが見せた驚異的な脚力は、世界を震撼させるに充分なものであった。それを目の当たりにした海軍将校トマス・セイヴァリはいち早くハムスターの有用性に着目し、その研究に着手する。試行錯誤の末、ヒマワリの種とパプリカをある一定の比率で与えることによりハムスターの筋力を安定的に強化できることを発見したセイヴァリは、それらを強化(エンハンスド)ハムスターと名付け、人力、家畜、水力などの既存の動力に代わる新たな動力源として世に送り出した。強化ハムスターが回し車を回すことによって生じる驚異的な運動エネルギーは、時計の進歩に伴い発達した精緻な機械技術との融合によって、世界の景色を大きく塗り替えていく。


 ドニ・パパンのペット自慢に端を発した産業、ひいては社会構造の大いなる変革の時代を、後に人々はこう呼ぶ。


『産業革命』と――




――カラーン、カラーン


 教会の時計塔が正確に時を刻み、もうすぐ太陽が舞台を降りることを人々に伝える。無数の歯車を組み合わせて作られたこの巨大な時計塔は、人の手を必要とせず、決まった時間に自ずから鐘の音を響かせる。その働きを支えるのは時計塔の最奥で働き続ける強化ハムスターたちだ。教会の時計の正確さは、多数の強化ハムスターを抱えることを可能にする教会の権威と財力を街の隅々にまで誇示している。




 そんな夕暮れ時の街の通りを、一台のハム車が疾走していた。ハム車――ハムスター自動車とは、強化ハムスターを動力源とした自動車のことである。電気自動車が電気を動力源とするのと同じく、ハムスターを動力源とする車がハムスター自動車と呼ばれるのは必然であろう。黒い車体の、二人乗りの小さなハム車を運転するのは、まだ年若い、少女と言ってもよい年頃の可憐な乙女であった。


「ごめんねハミルトン。もう少し頑張って!」

「みゅっ!」


 美しいアッシュブロンドを結い上げ、淡い蒼のドレスに身を包んだ乙女は、エンジンルームで回し車をひたすら回し続ける彼女の相棒に労りの言葉を掛けた。乙女の首には大粒のエメラルドをあしらった首飾りが揺れている。彼女の頼もしい相棒は、なんのこれしきとばかりに力強い鳴き声で応えた。乙女はわずかに口の端を上げ、さらに強くアクセルを踏んだ。


「こらーっ! 待つでやんすーっ!」

「そんなにスピード出したらあぶねーでごんすよーっ!」


 乙女の乗るハム車の後方から、どこか緊張感の欠落した声が聞こえる。ツーエンハムエンジン(エンジンルームに二匹の強化ハムスターを格納できる高出力エンジン)搭載の大型ハム車に乗った二人の男が、窓から身を乗り出して叫ぶ様子が乙女のハム車のバックミラーに映った。




「まったく、とんだじゃじゃ馬でやんす」


 車内に戻り、助手席で腕を組むヤンスが憎々しげに前を走るハム車をにらむ。


「あれで伯爵令嬢だなんてとても信じられないでごんすよ」


 ハンドルを握るゴンスが呆れたようにそう口にした。ヤンスとゴンス、いずれもおそらく三十過ぎの男だが、黒の全身タイツを身にまとい、頭には猫の耳のような飾りを付けている。鼻にもピンと左右に三本ずつ伸びたヒゲ付きの付け鼻をしており、つまりは黒猫の仮装のような格好をしているのだ。その格好の意味するところは、すなわちこの二人が今、街を恐怖のどん底に陥れている犯罪集団、ドクターキャッツ率いる黒猫団の一味であることを表していた。




 ギャリギャリギャリッッッ!!!


 乙女のハム車が急ハンドルを切り、激しい音を立てて石畳を削る。あわや横転、という車体を意志と勇気で抑え込み、乙女が狭い路地へと入り込む。道端のリンゴ売りの屋台を車体がかすめ、赤、青、黄色の色鮮やかなリンゴたちが路上にぶちまけられた。


「ちょっと! なんてことしてくれるんだい!」

「ごめんなさい! あとで全部買い取るから!」


 こぶしを突き上げて怒る屋台のおかみさんの抗議に応えつつ、乙女は速度を緩めることなく路地をひた走る。残飯を漁っていた野良犬が慌てて身を隠した。




「路地に入ったくらいで逃げ切れると思ったら、甘いでやんすよ」


 助手席のドアを開け、転がるリンゴを器用に拾い上げて、ヤンスが小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。自分のも拾ってくれればいいのに、と恨みがましい目でヤンスを軽く睨み、ゴンスはエンジンルームの頼れる仲間に声を掛けた。


「さあ、ハンバーグ、ハムステーキ! お前たちの力の見せどころでゴンス!」

「むふー!」


 ゴンスの期待に二匹のハムスターは荒い鼻息で応える。ゴンスはハンドルを切って路地に正対するとアクセルを踏み込み、右の前輪を歩道の縁石に引っ掛けて車体を跳ね上げた! 車体は左に大きく傾き、狭い路地へと強引に侵入する。車の屋根が建物の壁をガリガリと削る音が響いた。




「嘘でしょ!?」


 バックミラーに映る信じがたい光景に思わずそう叫んで、乙女はさらにアクセルを踏み込んだ。エンジンルームのハミルトンが気合の鳴き声を上げる。ハミルトンは危機になるほど燃えるタイプらしい。

 路地に渡された紐に干された洗濯物を吹き飛ばし、積み上げられたガラクタを蹴散らしながら二台のハム車が裏路地を疾る。アパートメントの住人が何事かとベランダから顔を出した。




「若い娘っ子にしちゃ、なかなかの腕でゴンスねー」


 乙女のハム車を追いながら、ゴンスが感嘆の声を上げる。乙女の乗るハム車は小さく軽いが、エンジンルームの強化ハムスターはかなりの剛脚である。軽い車体で化け物のようなエンジンを飼い馴らすのは簡単なことではない。車が通ることを前提としない裏路地でハンドルを取られることも無く進むことができるだけでも驚嘆に値する。


「まぁ」


 助手席のヤンスがしゃりっとリンゴをかじり、


「袋のネズミに変わりはないでやんすよ」


 意地の悪そうな顔で笑った。




 薄暗い路地の向こうに、夕焼けの赤が見える。もうすぐ路地を抜け、街の中心、ウィリアム四世広場に出る。広場をハム車が暴走していればすぐにでも警察が集まってくるはずだ。自分も捕まってしまうだろうが、追っ手も捕まるか逃げ去るだろう。身の安全を考えれば警察に捕まった方が確実だ。乙女の狙いはそこに会った。

 不意に視界が開けた。まぶしさに一瞬、目を細める。海軍提督を讃える記念塔の影がウィリアム四世広場に長く伸びていた。


「待ってたよ、お嬢ちゃん」


 艶やかなハスキーボイスが乙女の頭上から投げかけられる。大きな影が陽光をさえぎり、乙女のハム車を黒く覆った。


「!?」


 乙女が慌ててブレーキを踏み、大きく左にハンドルを切る。空から落下してきたとてつもない質量の鉄塊が、轟音と共に広場の石畳を踏み砕いた。かろうじて圧殺を免れたものの、乙女のハム車は制御を失って横転し、広場の石畳を回転しながら滑る。もうもうと土煙が上がり、広場にいた多くの市民が悲鳴を上げて一斉に逃げ散った。乙女のハム車は広場中央の噴水に激突してようやく止まった。


「ちょっと、無茶しないどくれよ。まさか死んじゃいないだろうね?」


 鉄塊からは再び妙齢の女の声が聞こえる。いや、鉄塊ではない。それは確かに全身鉄の塊でありながら、あたかも中世の騎士が身にまとう銀の甲冑のごとき形状をしていた。しかし建物の二階ほどもあるその大きさから、甲冑を着込んだ時代錯誤の粋人という可能性は否定される。巨大甲冑はキリキリと歯車の音を立て、鈍重な動きで横転した乙女のハム車を振り返った。


鎧機兵(アルミス・マキナ)……!」


 横転したハム車から這い出し、擦り傷だらけの姿で立ち上がった乙女は、巨大甲冑を見上げて呆然とそう呟いた。その胸には気を失ったハミルトンを抱えている。ハム車が横転した瞬間、ハミルトンはエンジンルームを飛び出し、自らの身を挺して乙女をかばっていたのだ。


「黒猫団を甘く見たかい? あたしらが本気になれば、こんなものまで用意できるのさ」


 鎧機兵は得意げにそう言って乙女を見下ろす。路地からヤンスとゴンスが乗る大型ハム車が飛び出し、乙女のすぐ傍で耳障りなブレーキ音と立てて止まった。


「さあ、観念してその首飾りを寄こしな。ロズモンド伯爵令嬢、イスラちゃん!」


 ハム車から降りたヤンスとゴンスがイスラに近付き、首飾りに手を伸ばす。しかしイスラが炎の如く激しい怒りを宿した双眸でにらみつけると、二人は焼けた鉄板に触れたようにびくりと手を引っ込め、後ずさった。


「何びびってんだい! 小娘相手に情けないね!」


 鎧機兵から呆れたような声が飛ぶ。ヤンスとゴンスは鎧機兵を見上げ、情けない顔で言った。


「だって怖いし」

「かーっ! ほんとに情けないねこの役立たず! もういいよ! あたしがやるから、お前たちはそこで見ときな!」


 鎧機兵がずんっと地響きを立ててイスラに近付く。イスラにはただ、迫る鉄の鎧をにらむことしかできなかった。その肩がかすかに震える。鎧機兵が哀れみを含んだ声で言った。


「にらみつけようが泣き喚こうが、弱けりゃ奪われ、踏みにじられるのが世の中ってもんさ。運命だと思ってあきらめることだ。貴族が今まで奪い、踏みにじってきた報いだとね」


 鎧機兵の歯車が軋み、イスラを捕らえるべく右腕が伸びる。その鉄の拳が開かれ、イスラの視界を覆った。イスラは唇を噛み、固く目をつむる。そして、冷たい鉄指が乙女に触れようとした、その瞬間。


「可憐な乙女の肌に触れるのが機械仕掛けの鉄の指では、あまりに無粋というものではありませんか?」


 びゅうと風を裂き、漆黒のマントがたなびく。鉄の指に囚われんとしていた乙女の姿は、鎧機兵の視界から消えていた。忌々しげに舌打ちをして、鎧機兵が叫ぶ。


「また出たねこのクソガキ! 毎度毎度飽きもせず、あたしらの邪魔しやがって!」


 ヤンスとゴンスがきょろきょろと辺りを見回し、やがてヤンスが噴水を指さして叫ぶ。


「あ、あそこでやんす!」


 ヤンスの視線の先、噴水の頂上には、目を丸くして驚くイスラを抱え、夕日を背にして不敵な笑みを浮かべる、十歳くらいの少年の姿があった。黒のハットにタキシードを優雅に着こなし、マントに身を包んだモノクルの少年は、たしなめるように鎧機兵に言った。


「美しい女性にそのような汚い言葉は似合いませんよ? ルシアンさん」


 少年の言葉に鎧機兵の動きが止まる。戸惑ったような呟きが鎧機兵から漏れた。


「う、美しいとか、こんな、公衆の面前で言われたら、照れるじゃないのさ」


 ヤンスとゴンスがため息を吐き、呆れた顔で鎧機兵を見る。


「姐さんは褒められ慣れてないでやんすからねぇ」

「男運が壊滅的でごんす。この間もパブで出会った男に貢いだ挙句振られたでごんす」

「おだまり! 聞こえてるよお前たち!」


 ルシアンの怒声に首をすくめ、ヤンスとゴンスが素早くハム車の影に隠れた。


「あなたは、だれ?」


 イスラは間近にある少年の顔を見つめる。黒真珠のように神秘的な光を湛えた瞳が優しく笑った。


「ドロボウ、ですよ。通りすがりのね」


 ドロボウと聞いて、イスラの顔が強ばる。右手は隠すようにエメラルドの首飾りに重ねられた。


「あなたもこの首飾りが目当てなの?」


 厳しい視線が少年を射抜く。しかし少年は平然とその視線を受け止めていた。


「古来、ドロボウは美しい宝石に目がないもの。僕もその例外ではないが、今は他のものに興味がある」

「他のもの?」


 警戒を解かず、イスラが少年に問い返す。少年は「ええ」と頷くと、イスラの瞳を覗き込んで言った。


「気高い意志と勇気を宿した貴女の瞳に、ですよ。麗しきお嬢さん」

「な、なにを!?」


 イスラの顔がみるみるうちに朱に染まる。少年は悪戯っぽく笑うと、イスラを抱えたまま跳躍し、ふわりと地面に降り立った。


「相変わらず気障なガキだね! 背中がかゆくなるよ!」


 鎧機兵がカタカタと首を少年に向ける。イスラを降ろし、軽く肩をすくめて少年は答えた。


「イスラさんに興味があると言ったことがお気に召しませんでしたか? ご安心なさい。貴女が充分に魅力的な女性だということを、僕はよく存じ上げていますよ」

「んな!?」


 人懐こい笑顔で少年は言う。鎧機兵は思いのほか素早い動きで、キーっと言わんばかりに両腕を振り上げ、足をバタバタとさせる。


「そういうことを言ってんじゃないんだよ! 人をバカにして!」


 鎧機兵の鉄の仮面が心なしか赤らんでいる。当然錯覚なのだが、落ち着かぬその仕草が鎧機兵の搭乗者の動揺を伝えていた。その無意味な仕草を再現しているのも、鎧機兵に格納された強化ハムスターの働きである。彼らは仕事に忠実なのだ。


「遊ばれてるでやんすなー。がきんちょに」

「もてあそばれてるでごんすねー。十歳児に」

「おだまりっ!」


 顔を突き合わせて慨嘆するヤンスとゴンスに八つ当たりの叱責が飛ぶ。少年は口に軽く手を当て、くすくすと笑った。


「笑ってる余裕があるのかい?」


 落ち着きを取り戻したのか、ルシアンが低く物騒な声を少年に投げかけた。鎧機兵が発条と歯車を鳴らして身構える。


「いくらあんたでも、この『ミサグリア』を相手に生身で戦えると思っちゃいないだろう?」

「ミサグリア!?」


 イスラが驚きに息を飲む。『ミサグリア』は軍が昨年正式採用したばかりの最新モデルで、どれほど金を積んだとしても一般人が手に入れられるものではない。


「ふむ、確かに。生身で勝てる相手ではなさそうだ」

「ちょっと! そんな他人事みたいに!」


顎に手を当て緊張感なく納得する少年に、イスラが慌てている。ルシアンが楽しげに声を上げた。


「さあ、今日こそ泣いておうちに帰ってもらうよ! 忌々しき怪盗ウィリー!」


 歯車の回転数が上がる音が大気を震わせ、ミサグリアがウィリーと呼ばれた少年に向かって大きく一歩を踏み出す。思わずウィリーのマントを掴んだイスラを安心させるように微笑み、そしてウィリーはよく通る声で静かに呼びかけた。


「ハムレット、来い」


 ざばぁぁぁんっっ!!!


 ウィリーの声に応えるように噴水が大きな水しぶきを上げる。水から飛び出した大きな影は空中でくるくると回り、その身体に付着した水を拭き散らすと、ウィリーの傍らに軽やかに着地した。ミサグリアが動きを止め、ルシアンが驚愕を叫んだ。


鎧機兵(アルミス・マキナ)!? どうしてあんたが!」

「貴女に用意できるものが僕に用意できないと思うのは自惚れというものですよ、可愛い人」


 現れたウィリーの鎧機兵はミサグリアよりも一回り小さく、そしてその形も戦いに向いているとは思えない奇妙なものだった。外装は金属のようだが光沢はなく、一見すると布地のように見える。着地した地面は砕けることも抉れることもなく、その重量が鎧機兵にありえないほど軽いことを物語っていた。そしてなによりその姿はいかめしい戦士の装いではなく、むしろサーカスの道化を連想させるものだった。


「『ホワイトクラウン』……!」


 イスラが道化を見上げ、呆けたように呟いた。イスラはウィリーのマントを引っ張り、ぐっと顔を近づけて耳元で叫んだ。


「鎧機兵の始祖、始まりのアルミス・マキナ! 軍の機密庫から霧のように消え、もはや実在すら疑わしいと言われた伝説の『ホワイトクラウン』を、どうしてあなたが!」


 耳元の大声に顔をしかめ、ウィリーはイスラの顔を覗き込むと、人差し指を自らの口に当てて片目をつむった。


「少し離れていてください。巻き込まれては危ない」


 ホワイトクラウンが片膝をつき、その胸がかぱりと開いて操縦席があらわになる。マントを掴むイスラの手をそっと外して、ウィリーは軽やかに地面を蹴り、操縦席に乗り込んだ。ウィリーの言葉に従いイスラが後ろに下がる。操縦席の扉が閉まり、ホワイトクラウンの瞳に紅く妖しい光が宿った。




「すまなかったね、ハムレット」


 ホワイトクラウンの操縦席から、ウィリーはエンジンルームの相棒に声を掛ける。ハムレットは水中眼鏡とシュノーケルを外してため息を吐いた。へくち、とクシャミをひとつ、身体をふるふると震わせて毛に付いた水を飛ばす。ウィリーは苦笑すると、軽く息を整えて正面を見据える。


「いけるか?」

「みゅう!」


 誰にものを言っている、そんな顔でハムレットが答える。「それは失礼」と呟くと、ウィリーは楽しげに口の端を上げた。


「さあ、僕らのデビューだ。踊るよ、ハムレット」


 ウィリーが操縦桿に力を籠める。ハムレットが力強く回し車を蹴った。歯車が軋みを上げ、そして、ホワイトクラウンがゆっくりと立ち上がった。




「始まりの鎧機兵だかなんだか知らないが、要するに旧型ってことだろ? 最新モデルのミサグリアが、そんなポンコツに負けるわけないじゃないのさ!」


 若干の苛立ちを交えてルシアンが吠え、ミサグリアが地面に深い足跡を刻んでホワイトクラウンに襲い掛かった。ミサグリアが右手を大きく振り上げる。ミサグリアの重量はただの殴打を石壁を突き崩すハンマーと化すのだ。大気を歪ませ振り下ろされる一撃は、しかし標的を捉えることができずに地面を穿った。ホワイトクラウンは鎧機兵の常識ではありえない速度でミサグリアの攻撃をかわしていた。


「ちょこまか動くんじゃないよ! 黙って当たりな!」

「無茶をおっしゃる」


 ルシアンの理不尽な要求に、ウィリーは苦笑いの呟きを返した。ホワイトクラウンは華麗なステップでミサグリアの左側面に回り込む。ミサグリアはそれを追って左に向きを変えた。ミサグリアの歯車がキシキシと音を立てる。


「イスラ嬢を狙う理由は何でしょう?」


 ぶんっと振り回されるミサグリアの太い腕を紙一重でかわしながら、ウィリーはルシアンに世間話のように声を掛けた。その態度が気に障ったか、ルシアンは荒っぽい怒声を返す。


「決まってるだろ! 世の中をぶっ壊すためさ!」

「そのために、封神の秘石(ミスティックジュエル)が必要だと?」


 ウィリーの言葉に一瞬ミサグリアの動きが止まる。しかしすぐにミサグリアは大きく踏み込んで距離を詰め、ホワイトクラウンを抱きしめるように両腕を広げた。ホワイトクラウンは低く身体を沈め、ミサグリアの左腕の下をくぐって逃れる。ルシアンの悔しそうな舌打ちが聞こえ、ミサグリアは再び向きを変えた。歯車がギシッと音を立てる。


「そいつを知っているってことは、あんたも同じ穴のムジナかい?」

「どうでしょう? 私利私欲、という意味では同じかもしれませんね」


 答える気のないウィリーの答えに、ルシアンはつまらなさそうに鼻を鳴らした。ミサグリアを中心にホワイトクラウンはちょうど半周し、最初とは逆の位置にいる。つまり今、イスラとホワイトクラウンの間にミサグリアがいる。


「お前たち! 何ボサッとしてんだい! とっととお嬢様を捕まえな!」

「がってん!」


 ハム車の横でぼーっと突っ立っていたヤンスとゴンスが、戦う鎧機兵を大きく左右に迂回してイスラに駆け寄る。ミサグリアは大きく手を広げてホワイトクラウンの進路をさえぎった。イスラは左右を見渡し、強く首飾りのエメラルドを握った。ドレス姿で走ったとしても、男二人から逃げおおせる可能性は極めて低い。


「これは姑息な」


 むしろ感心したようにウィリーが呟く。気分を害した声音でルシアンが言った。


「やったもん勝ちなのさ。この世の中はね」


 なるほど、と息を吐くと、ウィリーは静かに、そして冷徹な声で言った。


「ジャグリングナイフ」


 声に反応するように、ホワイトクラウンの左右の手のひらに穴が開いたかと思うと、そこから銀色に鈍く光る投げナイフが飛び出した。両手に投げナイフを握り、流れるような優美な仕草で、ホワイトクラウンは走るヤンスとゴンスに向けてナイフを放つ。ナイフは奇跡のように二人の身体をかすめ、服だけを貫いて地面に縫い留めた。ホワイトクラウンが持てばナイフと呼ぶべき長さに見えるが、実際にはちょっとした長剣ほどの大きさがある。ヤンスとゴンスが走る姿のまま固まった。


「憶えておくといい。僕が男に割くことのできる優しさの量は、女性に対するそれに比べて千分の一しかないということを」


 皮膚を裂く氷雪のごとき冷酷な声音に、ヤンスとゴンスの身体が震える。そして二人はへなへなと座り込んだ。イスラが安どのため息を吐く。


「と、飛び道具なんて反則だよっ!」


 悔し顔が見えるようなルシアンの負け惜しみに、ウィリーはしれっと答える。


「やったもん勝ち、なのでしょう? この世の中は」

「くぁぁぁーーーーっ! ほんっとに腹が立つガキだよ! とっつかまえて絶対泣かせてやる!」


 頭に血が上った様子でそう叫ぶと、ミサグリアはホワイトクラウンへの攻撃を再開した。はははとさわやかな笑い声を上げ、ホワイトクラウンは軽やかなステップでミサグリアの攻撃をかわす。ミサグリアを中心に左回りにくるくると回るその姿は、まるで踊っているかのようだった。


「くるくるくるくるうっとおしいねぇ! あたしの目を回そうって魂胆かい!?」


 逃げるホワイトクラウンを追いかけ、何度も急激な方向転換を繰り返しながら、ルシアンは苛立ちをウィリーにぶつける。ミサグリアの脚部関節が大きく軋んだ。


「とんでもない。美しい人と一緒に踊ることが楽しいだけですよ」

「その減らず口を今すぐ聞けなくしてやるっ!」


 ウィリーの軽口に、ルシアンはますますヒートアップしているようだ。ひょいひょいとミサグリアの腕を掻い潜りながら、ウィリーは小さく笑った。


「でも、ダンスの時間はもう終わりだ」


――ガツッ


 今日何度目かの方向転換をしようとしたミサグリアの膝関節が、そう固い音を立てる。ミサグリアの機体ががくんと揺れ、その動きを止めた。キィンという高音が響き、割れた歯車がカラカラと音を鳴らしながら地面に落ちた。


「な、なんだい? いったいどうしたってんだい!」


 狼狽したルシアンの様子がミサグリアから伝わる。ホワイトクラウンはミサグリアの正面に立ち、ウィリーは少し得意げに解説を始めた。


「ミサグリアはホワイトクラウンとは比べ物にならないほど重い。その重さは複雑な構造を持つ関節部分にとっては大きな負荷です。ミサグリアがホワイトクラウンと同じように何度も方向転換を行えば、先に悲鳴を上げるのはミサグリアの方ですよ」


 ミサグリアの重量は、破壊力という意味では軍用兵器として重要な意味を持つ。そもそもミサグリアは厚い装甲で僚機の盾となり、敵機の突撃を防いで戦線を維持するための鎧機兵であり、繊細な挙動は設計上考慮されていないのだ。つまりこの戦いは、ホワイトクラウンの勝利というよりはむしろ、ミサグリアの運用ミスによるルシアンの自滅であった。


「最初から、それが狙いだったってのかい……」


 がっくりと気落ちしたような呟きがミサグリアから漏れる。ホワイトクラウンはミサグリアに手を伸ばし、搭乗口の扉を引きはがした。引きつった表情を浮かべ、ルシアンがホワイトクラウンを見つめる。


「……あたしを、どうするつもりだい」


 ホワイトクラウンの搭乗口が開き、ウィリーはルシアンの姿をじっと見つめた。


「そうですね。今回はさすがに規模が大きすぎた。このまま無罪放免ともいかないでしょう」


 ウィリーの黒い瞳が、怜悧な光をもってルシアンを射抜く。ルシアンは観念するように息を吐いた。


「罪には罰を。覚悟はよろしいですか?」

「……好きにしな」


 ウィリーはひらりと身を翻し、ミサグリアの搭乗口に降り立つ。そしてうつむくルシアンの顎に手を掛けて上を向かせると、その耳元に口を寄せて囁いた。


「それでは、その麗しい唇を奪わせていただきましょうか」


 ボンっと顔を真っ赤に染め上げて、ルシアンは目を丸くして口をパクパクとさせる。ウィリーの瞳の奥に悪戯に成功した子供の笑みが浮かんだ。ルシアンは手足を意味も無くバタバタと動かすと、ウィリーを突き飛ばし、脱兎のごとくミサグリアを降りてヤンスとゴンスの乗ってきた大型ハム車に駆けこんだ。空中でくるりと体勢を立て直し、ウィリーもまた地面に降りたつ。


「お、お前たち! ずらかるよっ!」


 激しい動揺を押し隠し、ルシアンがまだ地面に座り込んでいるヤンスとゴンスにそう呼びかけた。呪縛を解かれたようにヤンスとゴンスがハム車に乗り込む。二人が乗るや乗らずでルシアンはアクセルを踏み込み、よろよろと蛇行しながら広場から逃げ去った。


「おーぼえーてろーっ!」


 そんな捨て台詞を残して。


「やれやれ。相変わらず可愛い人だ」


 そう言ってルシアンたちを見送り、ウィリーはイスラを振り返った。




「お逃げにならなかったのですね」


 少し驚いた顔のウィリーに、イスラは心外そうな表情を返した。


「ロズモンド伯爵家に連なる者として、受けた恩を返さずに逃げ去るなどありえません」

「それは失礼を。どうかお許しください」


 大仰な仕草で、ウィリーは深々と一礼する。イスラは一瞬、不快そうに眉根を寄せたが、すぐにすました顔に戻ってウィリーに言った。


「無頼の輩からお守りいただき感謝します。何か望みはおありかしら? 私にできることであれば、どんなことでも叶えて差し上げるわ」


 ウィリーは顔を上げ、そして地面にかしづくと、うやうやしくイスラに言った。


「まずは貴き御方の手に口づけをすることをお許しください」


 唐突な申し出に面食らいつつ、イスラは頷いて右手を差し出した。ウィリーはイスラの手を取り、その甲に軽く口づけをする。そして手を離した後、ウィリーはかしづいたままイスラを見上げた。


「そして叶いますならばどうか、その胸に輝くエメラルドの首飾りを、このドロボウめにお貸しください」

「貸す? 差し上げるのではなくて?」

「いいえ、それではいけません」


 訝しげな視線を向けるイスラに、大きく首を横に振ってウィリーは答えた。


「それでは貴女にもう一度会う口実が無くなってしまう」


 ウィリーの言葉に目を見張り、そして呆れたように笑って、


「あなたは、いつもそのようなことばかり言うのですか?」


 イスラは首飾りを外してウィリーに差し出した。捧げ持つように首飾りを受け取り、ウィリーは立ち上がると、真剣な表情でイスラを見つめる。


「本心ですよ。ドロボウは確かに物を盗むが、嘘はつかぬものです」


 そしてウィリーは優雅に一礼すると、ふわりと地面を蹴り、ホワイトクラウンの操縦席に入った。キリキリと小さく音を立て、操縦席の扉が閉まる。


「あなたは」


 去って行こうとするウィリーに、イスラは声を掛ける。


「何者なの? 悪党? それとも、正義の味方?」

「さあ、どうでしょう?」


 ホワイトクラウンの瞳に紅が灯り、その身体がゆっくりと立ち上がる。


「一つ言えることがあるとすれば」


 ホワイトクラウンは踊るようにくるりと回った。


「道化はいつだって、誰かを笑顔にするために踊るのですよ」


 ホワイトクラウンが身を沈め、そして空に大きく跳躍する。そしてその姿は町の影に溶けて消えた。警察のハム車の到来を告げるサイレンが聞こえる。イスラはホワイトクラウンが消えた空をじっと見つめていた。

 日が沈み、深い藍色が街を包もうとしていた。




 後日、ロズモンド伯爵邸に、豪華なバラの花束と共に家宝のエメラルドの首飾りが届けられた。部屋の窓から空の月を眺めながら、イスラは誰にともなくつぶやく。


「あなたは嘘つきね、怪盗ウィリー。もう一度会うと言ったくせに」




 海が見える丘の上には、白亜の城のような病院がある。その最上階には小さな部屋があり、そこには一人の少女が眠っている。ベッドの傍らに立ち、黒い瞳の少年が眠る少女の髪に触れた。


「必ず君を取り戻す。だからどうか、待っていて」


 少年の呟きは、窓から聞こえる波の音にさらわれて消えた。



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― 新着の感想 ―
[一言] なんていうか……盛り沢山でした!! お転婆美少女令嬢×ハムスター×ロボット×タイムボ○ン×怪盗紳士(イケショタ)…… 面白かったです!!
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