真夏のバッティング 後編
「錯乱BOYクン。」
そういうと、彼はにやにやと口を歪ませ窓の外に立った。
ぼくは声を出さない。やり過ごす。さっさと、いなくなって。
オイオイ、受け止めたのかソレ。相変わらず無茶苦茶な神経だな。
ホラ、さっさとその球寄越せな? あと散らばってんの綺麗にしとけヨ?
そう捲し立てると、手招きしボールを寄越せとジェスチャーした。
ぼくは、逆らわない。ボールを、彼に向かって投げた。
やり過ごす。これ以上、何も起こるな。
「ア?なにやってんのお前。はやく寄越せっつッてんのが、聞こえねぇのか」
彼は大声でがなる。右目の彼女の"うるささ"なんか可愛らしいと思える。涙が出そうだ。
あれ?今、球はあっちに投げたはずじゃないか?
ぼくは左手に視線を向ける。あれ?ボールは、ここにあるぞ?たった今放した感触があったはず―――――――――
「三下ジャン。」
ぼくの左半分は、震えあがっていた。硬球が、変形してしまっている。握りつぶしてしまいそうだ。
武者震い?いや、そんな言葉、生温い。これは、この震えは
「ブッコロス」
心臓が全身を奮い立たせているオトだ。
身体は既に動いている。すべての血流が、ひだりに集まっていく。地面スレスレまで振りかぶった半身を、全部、放出する。
ぼくの肉体が一回り大きくなっている感覚がある。窓越しにいるアイツの顔面が、すぐ目の前にあるような。
必ず、アタル。
「シネ」
腕ごと飛んでいくんじゃないかと思うほどの威力に、ついていけない。ぼくが引き剥がされるッ、この力は、ヤバい。本当に、あいつを。
(ダメだッ)
失う。それはダメだ。奪ってはならない。誰でも、どんな相手でも、そんな、そんなの。こんなことで。
「しちゃだめだッ」
ぼくにはその勢いを止められない、だから、なんとか、その方向を、ずらすッ
右半身の制御。思い切り脱力して見せる。こちら側は彼女の支配下ではない。
思い切り踏み込んでいた左足も、崩れる右方向へとぶれる。身体が、横に、吹っ飛んだ。
―――――――――音が響く。 ぱ タァンッという歯切れのイイのおと、それだけだった。
ぼくは壁際まで吹っ飛んで、ドアに寄りかかっている。今の音、窓ガラスが、貫通している。あの硬球の形を残して。
「おぉっとォォオオオオオ!これは、素晴らしい剛速球だァああ!外にいた宮本ォ!彼を巻き込んでキャッチャー本田へ一直線だーーーー!」
外側でいまだに解説が繰り広げられている。無事だと、いいけどな。
窓際にいたヤツは今の一撃でさっさとどこかへ立ち去って行ったらしい。
窓が二枚分、亡骸になって床に散らばっていた。
窓二枚半分、間一髪だった。
ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
その後、五時限目を職員室で状況説明に費やし、こっぴどく叱られた。
外側から割られた痕跡があったため、僕一人の犯行だとはならなかったが、窓ガラスを破壊したのは事実なので、説教を延々と聞かされる羽目になった。
「ギィくんギィくん、ほらみてこの人、ちょっと耳に毛が生えてんの、かわいいくない」
どうでもいい。彼女はなにひとつ状況に左右されないまま、ぼくに話を振り続けた。
六時限目の始まる前には職員室から解放され、教室へ戻った。
体操服姿でいるクラスメイト達が数人残っている。もうあらかた出て行ったようで、つまりは、次の授業は体育だった。
そして、本日最終決戦となる舞台は、ここ、グラウンドでの合同試合。
「さっきはよくも、やってくれたナァ。どーてークンがよォ」
昼休みに校庭を占拠していた、ヤツらのクラスと一緒の授業だった。
oh my God! 蝉がここぞとばかりにジージー応援歌を奏であげる。
ぼくのクラスはワリカシおとなしい人間が寄せ集められている気がする。
なので、こういった体育の授業も、体育館でのんびり木陰でぐっすりが基本スタイルで、授業といっても教師は面倒なんか見てられんという風で、適当にうろついている(だから合同とかわけわからんことになっても気に留めない)。
そういうわけで、クラスメイトの大半は隅の方に追いやられ(むしろ自分からそうしている)、グラウンドの広いスペースを、別のクラスの面々と僕が一人で占領する形になる。だれか、ぼくを助けてくれ。
「じゃあァ、さっさとそこ立てカスぅ」
左目の彼女に倣えば"三下その2"が、僕に指示を出してくる。
これはあくまでスポーツの一貫として、先生は黙認しているようだった(むしろなんか、こっちみて熱い血もやしてませんか)。
僕はバッターボックスに立ち、それに応じる。
左目の彼女に言わせれば"三下リーダー"はベンチに腰を下ろし、この試合の行方を見届けるだけのようだ。
「ピッチャー第1球!投げました」
—————
「ギィ選手、本日31本目ェ!絶好調ー!」
「おかしいやろ。アイツに打てるはずがねえ」
「なんでや!野球部の浜田もかい!」
やり過ぎだ。左目の彼女の怒りは未だおさまる様子がない。全ての球を、ピッチャーに打ち返している。その度相手側から悲鳴、罵詈雑言ブーイングの嵐である(バットが飛んでこないだけマシだと思ってほしい)。
もうあと授業も残り時わずかなはずだ。もうこれ以上は不毛だろ。三下リーダーにチラリと視線をやると、ようやく彼は立ち上がった。
「オイ眼鏡ェ!ちょっとこっちコイ。」
彼が呼び出すと、颯爽と現れた人影がある。あ、同じクラスの旅西くんだ。
彼は三下リーダーになにかひそひそ告げ口している。
「オイ、お前よォ。」
三下リーダーは、ぼくに向かってヘラヘラ笑って話しかけてくる。
「握力右18、左46。」
旅西、お前
「ハンドボール投げ右19、左48。」
おい、やめろ
「視力右測定不可、左2以上」
眼鏡!
「お前、左目閉じろ。」
無茶苦茶な理屈だった。
ぼくはたじろいでしまう
「そんなことしてなにになるんだ。」
彼はぼくに近づいてくる。
「お前の左、オカシイんだ、無茶苦茶なンダヨ。お前、なにかキメてんじゃねぇのか?」
たしかに彼のいうことは的を射ている。左目の彼女は体力測定時も、その力をフルに使ってほかの男子達の記録を薙ぎ払っていった。それも三下グループが絡んでくることに腹を立てていたからではあるのだが。
「オラ、さっさとしろ?お前のその力が左だけだとすれば。今までの全部説明がつくかンヨォ。」
ぼくは左目の彼女がいなければ、平均より下の人間に元通りだ。
「ダメ。」
いつのまにか彼女がいる。彼女も察している。ぼく一人の力なんてたかが知れていることを。視界を覆って、目と目を合わせてくる。
「あのクソったれの言葉、聞かなくていい。」
口が悪過ぎる。ぼくは、これ以上の争いごとはごめんだった。
ただ、彼女のその眼を、みていられなかった。
瞼を静かに下ろす。
「ダm———。」
右側の世界だけが広がる。ごぉぉぉぉ、と、おとがなっている。血が流れている音?彼女を閉じ込めている、昏い底に広がるオト。
これでもう、彼女はアイツを見ずに済む。これから起こることも、これから浴びせられるであろうリアルも。
途端に、バットが地面にバウンドする音が鳴る。腕がもう、痺れてしまい、うまく、力が入らない。
右目だけじゃ無理だ。打てっこない。
絶対開けんなよ?と再度忠告が入るが、言うまでもない。これ以上、彼女をこの空間に晒してたまるか。
ぼくは力を振り絞って、バッターボックスに立つ。
「お前よォ、いつもいつも目障りなんだワ。」
勝ち誇った顔で、マウンドに立った。三下リーダーのお出ましだ。
お前ミテェナキモオタが、しゃしゃり出てくんンナ。くっせェナ。
いつも絵、描いてんよなァ、あれがお前のカノジョ?
それにしちゃ、幼稚すぎネ?
「お前さァ、あの絵でマスかいとんのちゃうか!?キモぉ!」
どっ、と笑いが起きる。野郎共にはツボらしく、げらげら腹を抱えている。
ぼくは、なんとか左目だけは開かないようにだけ神経を集中させる。いま、彼女にこんな光景をみせたら大暴れする。それは、ダメだ。
このまま、耐えろ。
「だから、左ばっか鍛えられとンのなお前左利きやもンなァひん曲がっとンでェーー!!」
もう、止まらない。彼らにはなんの躊躇いも無い。
「ヒー、オモロ。じゃあ、さっさと終わらソ。」
未だにガヤは笑い転げている。これがawayというやつだ。
けど、これまでだって、なんとかやり過ごしてきたんだ。
「オイオイ、泣くこたねェジャンよ?笑」
え、なんだ、ぼく、泣いてるのか?
ほんとだ、左目が、止まらない。
なんだ、なんでだ。やめろ、みっともないぞ。
「みっともネーなー、かえって、あの子に甘えンぼして貰えナ?」
ぼくは、涙をぬぐうのをやめた。そのままで、彼を右目で捉える。不思議と、右目はいつもと変わらないままだ。その目で、精一杯睨んで見せた。
「イクぜ?」
彼は左足を軽く引き、振りかぶった。
ぼくは、ぼくにできる限りのことをしてやろうと思った。
しっかりとバットを握って。まだ振れる。まだ見えている。やってやる。ぼく自身の力で、左目の彼女のためにも、ここで。
ぼくは直前に一度、しっかりと時間をかけて両目を閉じた。次の瞬間に放たれたボールの軌道を見逃さないために。一瞬の隙も、生まないように。全力を、尽くすために。
それから、目を見開いた。
マウンドに立つヤツの身体が、横にブレた。
――――――? 、なんだ? 彼の姿が、二重になって見える。
幻覚でも、見えているのだろうか。それとも、涙が滲んでそうみえているのか?
しかし、右目からはなにも込み上げてなんてこない。周囲の景色は正常に映っている。
蜃気楼?いや違う、これは、正常に映っているからこそだ。
先ほどからアイツの姿がない。アイツは?アイツはどうしている?
あんなに騒がしかった、右目の彼女は今何をしている?
意識をマウンドに立つヤツに集中させる。すると、ピッチャー三下の股の下から頭が生えているのが見える。彼の足は、手に生え変わっている。
「さぁピッチャー大田選手ゥ!第1球ふりかぶってぇえええ!」
彼女はピッチャー大田の股の下でクラウチングスタートのポーズをとった。
「投げたぁああああアアアアアアアアアアアっっっ」
そう大声を張り上げながら、彼女はスタートを切っていた。キャッチャーミット目掛けて突っ込んでくる。放たれたボールと同じスピードでだ。
呆気に取られていた。ぼくはそれを見送るほかない。横を一瞬で抜けてゆく。反応できるわけがない。バットを振る?不可能だ。
ほらみろ、あいつ動けねぇでやんの。タってね?やっぱひだり曲がっとる。まぐれだまぐれ。だっさ。
各々ガヤが騒がしいが、そんなのが覆われてしまうくらいにはしゃいでるのが一人いた。
「ワンッストライクゥゥゥウウウッいしゃーっギィ選手動けないィイ」
ベースを一周しながら叫んでいるのがいる。いやそういうゲームじゃないだろ。
彼女はすでに一周走り終え、再びピッチャーの位置に立ってぴょんぴょん跳ねている。ピッチャー大田の姿が見え隠れしている。
「ダッセぇナ〜お 「ほら!振らなきゃ当たらないんだゾしっかりココ、狙うんだよぉ〜」
汗まみれになったおでこを拭って、自分の額を指差した。
ぼくは、彼女しか見えなくなっていた。
「ピッチャーふりかぶってぇえええ!」
再び彼女はクラウチングスタートのポーズ。
太田の姿はそれでも見えなかった。彼女の額だけ、そこから目を離さない。
「よドン」
思い切りフライングした。ズルイ。彼女は1球目と変わらない速度で突っ込んでくる。
ぼくは自分自身の両腕で思い切りバットを振った。
すると直前で彼女は、ぼくのバットを両膝スライディングでギリギリ避けた。ボールが避けるな。
その姿を目で追っていった。彼女はそのままキャッチャーをすり抜け、その勢いのままヘッドスピンを決め、立ち上がった。その後さっさとベースを一周してまわった。
もちろんぼくのスイングは何一つ捉えておらず、そのすぐ後にミットへボールがおさまったおとがなった。
「オイオ 「ツゥウウウウストライクゥウウウウ!まさかの『魔球・ダンスシリーズ・リンボー』!ここで決めてキタァ!ギィ選手あとがない」
バットを地面につけ寄りかかり、一度深呼吸をする。
いつのまにか左目の涙は止まっていた。緊張がぬけて、ほほがゆるんでいるのがわかる。
「最後の一球ゥ!さぁどうなるインターハイ出場を掛けたこの死闘!数時間にわたり繰り広げられた試合も、もう、決着をつけるとき」
彼女の解説を耳に、ぼくはマウンドに立つ"ライバル"に向かってバットを向けた。
「おぉっとこれはホームラン宣言だッ彼は!決める気ですここで、因縁のライバルに蹴りをつける構えだァ」
そうだ、そうだった。
ぼくのライバルは、ぼくの最大の敵は、
球役も、ランナーも、体操選手も、実況解説も、全部こなし、全身で遊び、全力でなにもかも、吹き飛ばしてみせる右目の彼女だけだった。
バットを握る手に、力が漲ってくる。これは、ぼくの力そのものだ。何度も握る、緩めるを繰り返して確かめる。
ぼくは、彼女にだけは負けたくなかったんだ。
もう、なんのタイミングを計ることもない。彼女はぼくに向かってくる。それを、こいつで、打ち返すのみ。
「第三球ゥウゥウウウウううううう~~~~~~ッ、
投げたッ」
真っ直ぐに突っ込んでくる。汗を曝して、地面を蹴り、風を貫き、後ろの景色を吹き飛ばして、キた!!!!!
偶然、一瞬だけ、彼女の額と、球が、重なった。
ここを、狙うッ—————―――
—————フリをしてぼくは、真上にバットを振った。
彼女のフェイントは手に取るようにわかった。ぼくの予想通り、彼女はぼくの頭上にいた。さすがの俊敏さだ。魔球・爆宙!とか、そんなとこだ。
彼女の額をちょうど目掛けて振り抜く。当然何にも擦りはしない。空を切る。彼女を貫通し、僕は落ちてくる彼女を見届ける。
「よくぞ見破ったッ!『必殺魔球、愛の告白シリーズ・爆チュー』ッッ。バットなんかじゃ受け止めきれないのぉ!」
そう言って彼女はぼくに落下した。見上げている額目掛けて。
一瞬で交差するぼくと彼女。チューなんかできるはずもなく、一瞬で素通りしてった。
『ガッきぃい〜〜〜〜ンッホームラン!ホームラン!見事、ギィ選手、最愛の彼女との約束を果たすことができました!』
彼女の中では"ホームラン"の判定らしい。着地し前転を数回決めた後、今度はグラウンドの中央を突っ切ってマウンドも、二塁ベースも、踏み抜いて走り去ってゆく。
そのまま場外へと突っ走っていく彼女の後ろ姿を見ていたら、笑いがこみ上げてきた。
「スリーアウト」
キャッチャーが小さな声で呟いた。けど、その言葉の意味をぼくは忘れ去ってしまっていた。
ぼくはその場で笑いを抑え込もうとかいう考えが全く起きなくなっていた。
「よし、もう一発来い!」
"ピッチャー"に向かってそう焚きつける。
すると、すぐそこに右目の彼女は姿を現した。ほんとうに、すばしっこいな。
再びバットを構え、次の魔球を待った。
なんでもこい、なんだって返してやる。
ぼくたちのゲームはネタが尽きるまで続いた。
まぁ正確には、授業のチャイムが鳴りやむまでだったけど。
ぜんぶを置き去りにして。
いや、彼女がすべてだったんだ。初めからずっと、彼女とはしゃいでいた。
ぼくは、ここでなにをしていたのか、なにが起きていたのか、全部、その日のうちに忘れてしまった。