道場破り……7
今朝もやはり道場脇で素振りしていると、昨日と同じように視線を感じた。
今日は腰に富重を差しているし、素振りに使っているのも鉄心棒を仕込んだ特注の竹刀だ。
「見ていても極意は分かりませんし、切りつけても分かりませんよ。警戒して富重を持っているからといって、業賢の鯉口切ったりしないでくださいね」
最初からこれから起こりそうな出来事を、全て口にして抑制させておく。これで犠牲になる竹刀も減るだろう。
昨日と同じところから、無表情な少女が現れる。業賢の鯉口が結ばれる音が冷たく響く。
「ではなぜ富重を腰に差しているのですか?」
その通りである。抑止しているなら、何故準備万端なのか。
それは逃げ腰の笹木総史郎という、半分侮蔑の通り名が語っている。
「あなたは世間に聞くほど弱くない。いえ、単純な剣術でも私と互角かそれ以上です」
鋼から褒められるとは意外だった。負けず嫌いの節がある彼女は、人の強さを認めないと思っていた。
「私はただ抜刀が早いだけですよ」
自分が逃げ腰で弱いのは、事実だと思っている。総史郎は一撃で人を必ず殺すか、必殺の一撃をほぼ確実に防ぐことができるだけなのだ。それが強さだとは、総史郎は思っていない。
自分は強くないし、実に臆病だ。臆病だから誰からも攻撃を受けぬように考えて、人より多く鍛錬した。それだけだ。
「卑屈な考えはよくありません」
鋼は少しだけ、両眉の端を吊り上げる。
総史郎は自嘲していた。
「貴女に褒められると、自惚れてしまいそうです」
これ以上言われたら、総史郎は自己嫌悪でこの場で腹を切りたくなってしまう。
強い人間にお前は強いと言われると、ことさら自分が矮小で、どうしようもなくダメな人間に思えてくる。
他人は自分を過大評価しすぎる。実際とは見当違いの評価を下される自分は、誰からも本当の姿を理解されていない。そう考えると身が潰されてしまいそうなほどの孤独感に蝕まれる。
誰からも理解されない、あやふやな言動ばかりとる自分の態度が余計に気に食わなくて、孤独を上回るほどの自己嫌悪が身を襲う。所詮自分はあの時のように、自惚れて周りを巻き込むのだ。それだけしか出来ない屑だ。
だからそうなる前にいつも自分は己惚れたように見せかけ、話をはぐらかせる。相手に呆れさせて、その話を終わらせてしまう。
総史郎は向き直り、道場に上がる。
「さて、今日は生徒たちに真面目に稽古をしてもらいましょう」
これ以上の会話は、総史郎の胸を蝕ませるだけだ。
昨日は結局なにもしていない。
これではお金をいただいている親たちに申し訳が立たない。
「それでは私は、端から見学させていただきます」
鋼はそう言うとどこかに消えた。勝手知ったる他人の家だ。
彼女の消えたあとすぐに、門下生たちが裏の門下生用の戸から入ってきた。
「今日は、皆さん」
「昨日の姉ちゃんいないのかよ~~」
「また審造の話聞きたかったのに~~」
子供たちは口々にブーイングを垂れてつつ、道場と総史郎に一礼して入っていく。
「とにかく、今日は厳しく行きますよ。昨日は何もしていないのですから、体がなまっているでしょう」
「ぜんぜん」
「むしろ普段の疲れがとれたよなぁ」
子供たちは無邪気にはしゃいでいる。
「そうですか。なら、疲れが取れた分、しっかりできますね」
「げっ!」
「先生がマジだ!」
総史郎は自分の右眉が強張って、跳ね上がっているのが分かっている。それが自分が怒っていることを自覚する確認器だ。
「防具をつけなさい。付けたら付けた者同士で組合百です。手抜きをした者は、私が直々に指導しますからね」
子供たちの悲鳴が心地いいなんて自覚していても、決してそれを肯定したりはしない。肯定なんかしたら、その日に総史郎は母屋の屋根裏から鳥にならなって、大空へ羽ばたかなくてはいけなくなる。