道場破り……4
少女は初めて自ら口を開いた。その口調は澄んでいて、深い意味はなさそうだ。
二撃三撃と続く彼女の妖鋭は、回を増せば増すほど速くなる。正確に十分の一秒ずつ、総史郎が攻撃を捌く度に速くなっていく。まるで総史郎の限界を見定めているようだ。
遣り辛さが否めない。彼女の剣は曲を描き、読み辛いのだ。ならば直感に頼るしかない。
一方的な攻め。彼女は淡々と総史郎を攻め立て続け、右の肘を狙ってくる。それ以外はあまり狙ってこないのだが、五尺の間合いはとんでもない所から降ってくる。
「利き手を無くせば、刀は不要。ということですか?」
総史郎の呟きに、少女はニコリともせずにただ無表情に頷く。
「ええ。手のない使い手はいませんから」
総史郎は思わずくすくすと笑いを漏らしてしまう。この娘どこからがジョークだか分からない。もしかしたら素で言っているのかもしれないが。
刹那、総史郎は少女の懐に飛び込んだ。不意を突いたように思った。
不意を突いた奇襲は恐らく、ほとんどの人間に通用しただろう。
しかし彼女には通用しなかった。
金切り声は全身に寒気を起こすほど鋭く、おぞましいほどに火花を散らせた。
「左利き、ですか」
「両利きでしたか」
二人の呟きは重なり、総史郎は薄く笑うともう一撃加えて、それを吹き飛ばす彼女の力で跳んで、間合いを開けなおす。
奇襲をかけた総史郎は、利き手の左で少女の右手を狙った。
奇襲を受けた少女は、左手でもう一つの刀を抜いて奇襲を防いだ。
「逃げ腰とは、戯言を言ったものですね」
彼女が薄い笑みを浮かべて前言を撤回する。
「その死角の無さ、全くずるいですね」
総史郎の愚痴であり、あまりの楽しさにぼやいた軽口でもある。
その軽口を聞いてか、娘は大太刀を構えなおして腰を落とす。さらに肝が冷えるほどの鬼気が迸る。
「本腰を入れましょう」
「お相手、いたしましょう」
左手だけで富重を構えて少女を見据える。これが総史郎の全力時の構え。両手時に比べて倍近い範囲と俊敏性を持った構えであり、総史郎の家に代々伝わる構え。
「道場破りさん。お名前は?」
娘は大太刀を鞘に収め、柄に手を当てたまま腰を落とした。
「九慟、鋼」
少女、鋼は美しく整った朱唇と身を同時に動かした。おかげで最後の一言は総史郎の耳元で聞こえた。
なんとか左で受け流すことが出来た攻撃は、異様なほど、全身の骨がきしむほど重たかった。
不思議に思い横目で確認すると、鋼の武器が鋼鉄の棒に変わっていた。
確かに鋼が唇を動かすまで、武器は変わらなかったのだ。ならばその唇を動かして名乗っている間に、武器を持ち替えた事になる。
嵐風のような二撃目に使われたのは、奇形の短刀。三撃目は刀で、四撃目は鉈。
連続。総史郎が反撃に出る隙を与えないほど、立て続けに攻撃が続く。
鋼の両手から繰り出される攻撃は、変幻自在。
使う武器は、毎回違う。リーチや重さはまるで違う。
曲、突、線。さらには両手に別々の武器を持ち、立体や平面的な攻撃も可能にしているのだから、どこまで常識知らずなのだろうか。
鋼は太刀を上段で構えると、腰を上げた。明らかに総史郎の首を狙っている構えだ。総史郎も首を守るために上段に構えを取った。
「ここまで耐えた者は、初めてです」
鋼が朱唇をわずかに上げて笑った。
背筋がぞくりと疼く。
刹那。
首に冷たいものが触れていることに、総史郎は遅れて気付いた。
鋼の大太刀だ。太刀の腹が、総史郎の首筋に押し当てられている。紙一枚分でも動けば、間違いなく切れる。
まったく目に追えぬ速度で抜くという非常識は、よしてもらいたいものだ。
総史郎は嘆息して、力を抜いた。
「富重は、もらい受けます」
勝利を確信した鋼の顔が、僅かに引きつった。もう内心では気付いているのだろう。
鋼は総史郎の目線を追い、自らの若干小さい膨らみに行き着き、暗い色をした刀身に気付いた。
心臓をえぐる位置で、富重の切っ先が胸に触れている。
「え……?」
鋼は目を見開いて総史郎の富重を凝視し、信じられないという顔で、総史郎の顔を見つめた。
もし総史朗の首を落とすために動けば、その時には既に胸にかざされた富重によって、心蔵をぐり取られるだろう。つまりは詰め前の彼女と、すでに詰めの総史朗。勝負は歴然だ。
だが総史郎はにっこりと微笑んで見せて、刀を鞘に収め鋼に向かい礼をする。
「引き分けです。私も家宝がかかっていますので」
しかし鋼は腑に落ちないようで、僅かに眉を吊り上げて総史郎に抗議を申し立てる。
「なぜです。あなたの手の位置からでは、どれだけ早くても間に合わなかったはずです」
たしかに鋼の攻撃を受けてから、上段から鋼の胸へ刀身を動かしては間に合うはずが無い。
「本気になっただけですよ」
それでも総史郎は同じことを繰り返すばかりで、手品の種を明かす気は無い。
鋼は一瞬不満な顔を見せたが、すぐに無表情に戻り大太刀を鞘に収めて下がる。これ以上尋ねても、その種を聞くことは出来ないと悟ったのだろう。
それから鋼は間を置いてから、一つ息を吐くと、突然総史郎に話しかけてきた。
「今晩私は泊まるところがありません」
唐突に切り出された言葉に、総史郎は一瞬理解が及ばなかった。
「……はい?」
思わず間抜けな返事が出てしまったが、鋼は至って真面目に、ただ無表情なだけかもしれないが、こっくりと頷いて返す。
「今晩私は、泊まる宿の用意を忘れました。泊めていただきたい」
絶句である。
総史郎は寝首をかかれて、富重を奪われるのかと警戒したが、どうやらその気はなさそうだ。
「安心してください。あなたの寝首をかいて、富重を奪ったりはしません」
しかし鋼はニコリともせずに言うものだから、嘘とも真実とも取れなくはない。
怪訝に鋼を見据えていていると、もう一度口を開こうとしている所だった。
「寝る場所はこの道場でも、土間でも構いません」
さすがに板の間で寝かせるわけにもいかない。それに朝になれば道場には門下生が来るのだ、道場の板の間にこんな年端も行かない娘など寝かせていたら、あらぬ疑いをかけられかねない。過去に何回かあるのだから今度こそ不味い。
総史郎は溜息をついて、入口で静かに決闘見守っていた使用人に首を向ける。
「部屋の用意をお願いします」
「かしこまりました」
使用人は頭を垂れてから道場を出て行く。