道場破り……3
虚仮威しの道場破りではないだろう。否、三日前のあの出来事が表すように、この娘は恐ろしい使い手である。油断すれば、即ち首が飛ぶ。
「いいでしょう。何が欲しいのですか?」
欲しいのがまさか道場の看板などと云うわけがないないだろう。こんな辺鄙な道場の看板を、この浮世離れた少女が欲するとは思えない。
「欲しいのは、あなたの刀です。もし私が負ければ、私の財産全てを差し上げます」
少女の財産とはいかなるものか。貧しくは見えないが、大富豪にも見えない。総史郎はわざとらしい笑みを作って、少女に尋ねた。
「二束三文の銭では、天秤が吊り合いませんよ? 私の刀は、そこいらの技物とは訳が違います」
少女はあらかじめ分かっていたかのような態度で、一度こっくりと肯いて、
「お見せいたしましょう」
と言って外套の前を開けて見せる。
外套の中は、鋼で埋め尽くされていた。
鞘に納められた刀が八振り。よくわからない鋼の棒が二本。小太刀や短刀が無数に外套の内側にぶら下がっている。
「全て九慟審造の作です。売却すれば、この町を買えましょう」
小女が極僅かに唇を吊り上げた。
総史郎の背筋に、まるで龍と対峙したときのような戦慄が走った。同時にこの娘が全く負ける気が無いという自信が伺えた。
なるほど、総史郎の通り名を聞いて、甘く見ているのだろうか。
名工、九慟審造。その工が鍛えた鋼は、世界最硬の鋼と謳われている。刃物や車の部品、建築素材と幅広く使われ、その鋼が使われた建物は数世紀は持ち堪えると学者が口を揃えている。
またその鋼の製法は審造本人しか知らず、その当人は数年前に突然失踪した。
総史郎は眼鏡の位置を直して、間抜け面を繕い直した。
「驚いた。そんな小さな体に、それほどの鋼を……。いいでしょう」
全てが九慟審造の鋼と云うことは、少女の体重の倍ほどの重量だろう。
それを纏ってあの重みを見せない動き。もし全力で戦ったのなら、まず総史郎の勝ち目は薄い。
総史郎は帯に挿した富重を直し、娘と向き合うように道場の中央に立つ。少女も肩に吊るした大太刀の帯を直す。
「うちの道場破りの決まりです。うちは剣術道場であるので、真剣を用います。殺めては片づけが大変なので、寸止めでお願いしますよ」
ここでルールを決めておかないと、後々面倒な事になる。少女はこっくりと頷いた。
「分かりました」
聞き馴れてしまうと、少女の声は実に心地よい。淀みのない声は、一切の雑念が流れ落とされる気がする。総史郎はただ剣の事を考える事ができ、太刀を構えることができた。
ゆっくりと右手で抜いた富重を構えると、まだ少女は大太刀を抜いない。
しかしただ佇むだけで、少女の気配はなんと巨大な事か。かつてこれほどの鬼気をもつ者は、ただ一人を除いて総史郎は知らない。打ち込む隙など、ありはしなかった。
何よりあの大太刀の間合い。下手に近寄れば、即上下半身で断ち切られるだろう。例えまだ抜かれていなくても、その閃きが刹那で人を両断することを、総史郎は見ずとも脳内に鮮明に描くことが出来る。
その絶望的な劣勢下で総史郎の心は踊り、血肉が騒ぐのを感じた。
頭に血が上っているのではない。むしろ冷静になっていく。
世界は二人を残して消え去っていた。
総て世界はこの太刀合いが為にあるかの如く、それ以外はこの太刀合いのための演出が如く。
今、この瞬間、世界は今二人のためだけに存在していた。
快楽のような戦慄が背筋を駆け上がり、脳に甘美な刺激を与える。総史郎は一度身震いをして、少女の妖鋭な刃を魅せてもらう事にした。
総史郎の小手調べは、少女の太刀を抜かせるため。彼女もそれが小手調べであることは、分かっていたようだ。刃渡りだけで五尺もある大太刀は、刹那にも満たない速さで抜かれて、宙を泳いで総史郎の刃を腹で弾き飛ばした。
しかしそれは分かっていたこと。
「その大太刀、やはり受けには向きませんね」
あれだけの長刀。刃先で受ければ、それほど力を必要とせずに少女の体を押し込む事ができる。だから彼女は大太刀を泳がせて、総史郎の小手調べを腹で叩いた。
総史郎の言葉に、彼女は動揺をかけらも見せない。
「いかにも」
少女はこっくりと肯いて肯定し、大太刀がもう一度宙を泳ぐように流れた。
優美に流れた刃先は、総史郎を惑わせる。波線を描いく太刀筋は、何処より襲いかかるのかを惑わせるのだ。
それを見極めるのは、己の腕と感。
総史郎の富重は短く、間合いが狭い。しかし短い太刀は受けに強く、守りに向いているのだ。
「逃げ腰の笹木とは、よく言ったものです」