表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

蜉蝣の男

作者: ぬこだいふく

 男は、極々普通の平民だった。何時も荷運びの仕事をしながら毎日仕事終わりにお気に入りのお酒を楽しみにしているだけの生活。大切な物と言えば母の形見である小さな石のネックレスくらいだ。


 ある日突然、男はとある宿屋の看板娘を見かける。


 一目で惚れた。だが、男は臆病だったのでその思いを伝えることはなかった。


 思いを伝えぬまま月日が流れ、宿屋の前に豪華な馬車が通りかかる。

 

 あの宿屋は一般人向けの宿だ。貴族なんかが来るような場所ではない。

 後で聞いてみたら看板娘を貴族の息子が気に入り。結婚を迫ったらしい。


 貴族の息子は性格が悪く、民達からの評価は最低だった。

 立派な父親からあんな子供が生まれたのか不思議な程に。


 日が経つに連れて、貴族の息子からのアプローチが増えていったが、看板娘が首を縦に振ることはなかった。彼女の両親も猛反対したらしい。

 それに腹を立てたのか、貴族の息子は相当怒っていた。


 貴族の息子から嫌な雰囲気を感じた男は、暫く宿屋の前を通るようにした。


 数日後。貴族の息子が乗った馬車が、猛スピードで通りを抜けていくのが見えた。


 嫌な予感がして路地裏を抜けて宿屋へと先回りする。

 案の定。貴族の息子は宿屋の前にやってきた。


 看板娘は丁度買い出しから帰ってきたところだった。


 そこを高速の馬車が通る。進行方向には看板娘がいた。

 明らかに看板娘を狙っている。このままでは彼女は馬車に轢かれて死んでしまうだろう。


 そう思ったら男の体が動いた。咄嗟に看板娘の体を押した。


 突然のことに戸惑う彼女の顔は、とても可愛いものだった。

 

 馬車が男の体を捉える。車輪が体に運悪く当たってしまい。男は瀕死の重傷だった。

 響く看板娘の声。泣きながらこちらに駆け寄ってくる。


 あぁ、やめてくれ。そんな悲しそうな顔で見ないでくれ。

 私が勝手にやったことだ。私が貴方を助けたかっただけだ。


 未だに名前さえ知らない彼女は、俺に謝ってくる。

 意識が遠のいていく中、せめて彼女の名前くらい知りたいと声を振り絞った。


 貴方の名前を教えてくれませんか?


 ボロボロと涙を流しながら、彼女はアンナと名乗った。とてもいい名前だと思った。


 そこで、男の意識は途切れた。


 気が付くと、男は誰かから呼びかけられていた。

 不思議な空間だった。まるで夢の中を漂っているような、そんな感覚。


 神と自称する声は、男にもう一度命をくれると言う。

 しかし、何に生まれるのかは分からず、そしてその命は必ず短命になるのだと。


 その命、僅か七日。それでも同じ世界にまた生まれることが出来るらしい。


 全てを伝え終わると、意識がはっきりとしてきた。生まれてきた体は犬だった。

 その体は、異様な速度で成長し。あっという間に子犬の姿となった。


 視界には、視点こそ低くなったが見慣れた町があった。

 今いる場所が彼女のいる街だと分かった男の行動は決まっていた。彼女の様子を見に行くのだ。


 彼女は宿屋の前で花壇に水やりをしていた。だが、その顔には若干曇っていた。


 その原因は直ぐに分かった。昼頃、奴が姿を現したからだ。


 傲慢な態度で俺の物になれと迫る男。そう、あの貴族の息子である。

 嫌だと断ると、男は顔を真っ赤にして怒る。

 

 そして彼女が水をやっていた花壇の花を何度も何度も、何度も踏みつぶした。


 座り込んで泣く彼女を見て、またと去っていく貴族の息子の顔は何故か喜びを浮かべていた。


 奴が去っていった後、男は励ますように看板娘に近付いた。

 彼女は、犬になった男を無言で抱きしめた。


 ごめんね。少しこのままでいさせて。


 男は、少し苦しいと思ったが彼女が離すまで身を任せた。


 二日後。また貴族の息子がやって来た。今日も先日と同じように結婚を迫るが看板娘は断る。


 それを男は遠目から見ていた。二日前まで子犬だった体は今は立派な成犬だ。大型犬だったらしく、その体は子供よりも大きい。


 今日も断られてご立腹だった奴は、遂に看板娘に手を出した。

 大きく振られた手は、このままいけば看板娘の顔に当たるだろう。


 看板娘に手を出すことは許さないと男は貴族の息子に噛みついた。

 成犬となった男の顎の力は凄まじく強く、奴の腕を噛み千切った。

 口の中の肉を吐き捨てて、看板娘の前に立つ。そして貴族の息子を睨みつけた。


 自分が攻撃されると思ってなかったのか、貴族の息子は驚いた。

 そして、大きく抉れた自身の腕を見て叫びをあげた。


 叫ぶ声に反応したのか馬車からは男の護衛らしき人が出てきた。

 護衛の男は明らかに貴族の息子を守る気がない。奴が馬車から出てきているのに護衛の彼が馬車の中にいることからもわかるだろう。


 この犬を斬れ! この俺に噛みつく野良犬を斬れ!


 貴族の息子の指示には逆らえないのか、護衛は渋々といった様子で剣を抜く。


 すまん。


 一言だけ呟き、護衛の男は剣を振りぬく。

 その剣速はとても速く。男は避けることが出来ずに切り裂かれた。

 今度は即死だった。看板娘のことを確認する時間すらなく、男の意識は途切れた。


 そしてまた、神の声が聞こえた。

 何故神だという彼が男の前に何度も現れるのかわからないかったが、彼は再び命をくれるという。


 神は男に聞いた。次もあの娘を守るつもりなのかと。


 男はあの子のいる場所に生まれるなら同じことをするだろうと答えた。


 神は試させてもらうと言って消えた。


 そして、男は再び転生を果たした。


 三度目は人でも犬でもなく鳥だった。大きな鷲だ。

 そして、看板娘に手を出そうとする例の貴族の息子の目を抉った。その傷は目の奥まで達していたのか、奴は死んだ。

 再び護衛によって斬り殺されてしまったが、看板娘を守れたのなら満足だった。


 四度目は馬だった。

 そして、死んだ貴族の息子の兄だという奴が再び看板娘に手を出そうとしていたので大事な所を蹴り飛ばしてやった。


 五度目は蜂だった。

 貴族の息子の兄は、強引に娘を連れて行った。そして、言う事を聞かないからと手を出そうそした奴に、屋敷の窓から入って毒針で刺してやった。奴の顔がパンパンに腫れ上がった。


 六度目は、大きなドブネズミだった。

 看板娘に会うために川の流れの緩やかな場所で念入りに体を洗った。

 貴族の息子の兄は再び手を出そうとしていたが、ネズミの体では奴の攻撃から看板娘を庇うので精いっぱいだった。


 そして、七度目。再び人間として転生した。

 連日親に会えず、泣き続けている彼女を取り換えずべく、屋敷に乗り込んだ。


 止めようとする門番を殴り飛ばし、その剣を奪うと屋敷をずんずんと迷うことなく進んでいく。

 護衛は止めようとする素振りを見せるだけで男を止めようとはしなかった。彼らは知っていたのだ。彼女を必死に守ろうとした男のことを。


 看板娘がいる部屋が騒がしい。部屋に入ると、今にも襲われそうな状況の看板娘がいた。

 貴族なんて知ったことかと殴り飛ばす。貴族の息子の兄は怒り狂って剣を抜く。

 

 貴族の英才教育を施された剣は鋭かった。それでも男は何とか食いついていく。


 全ては惚れた女の為。何としてでも守り抜かねばならない。


 貴族の息子の兄の剣が突き出される。男はこれは避けられないと確信した。

 そして道連れだと言わんばかりに同じように剣を突き出し。両社は互いの胸を貫くのだった。


 看板娘が駆け寄って男を抱き起こす。胸から流れる血は止まらずに床に池を作る。


 また、貴方を守ることが出来た。


 そう、知らぬうちに口から洩れた。


 看板娘は、気付いた。最初に助けてもらった男と同じ姿ではないが、同じ人物なのだと。そして、今まで助けてくれた犬や鳥、馬や虫も彼だったのだと。


 ありがとう。本当に、ありがとう。


 看板娘はお礼しか言えなかった。

 

 男から何度も助けて貰ったが、何も返せていないと。それを悔いた。

 男を強く抱きしめ何度も何度もお礼を言う。


 男は霞んできた視界で看板娘を見ていた。もう、時間だ。


 そんな時、あの声が聞こえた。


 無事試練を乗り越えた。お前には褒美をやろう。


 体の傷は回復し、後もなく消えた。


 お前の寿命は七日。だが、少しだけ伸ばしてやろう。七年だ。既にこれで七度目の人生、お前の寿命はこれ以上は伸ばせんのだ。


 二人は泣きながら喜んだ。


 そして、一目惚れした男と宿屋の看板娘は七年間という充実した時間を過ごし、二人の子供を作った。その間の二人は、それはそれは幸せだったらしい。



──とある国に伝わる神が男に与えたもうた試練『主神アルフェンデスの試練』の書から抜粋

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ