隣家の窓
一人暮らしを始めて、すぐの事だ。
セキュリティを度外視した、都心で五万円を切る六畳の安アパートを我が城として、俺は有頂天だった。
築四十年だが、リフォームしてあるためそこそこ綺麗で、一人暮らしなのでユニットバスも問題にはならい。
騒音は少しだけ気になった。
壁が薄く、隣の家と窓が隣接しているので、隣家の喧騒がダイレクトに響いてくる。
一度、窓越しに隣家の住民と対面してしまった事があるが、お互いそれは気まずい感じで、それ以来カーテンをしめきって、開かずの窓にしてあった。
ある日の夜。
俺はユニットバスのトイレに座って、ぼんやりとスマホをいじっていた。そのまま風呂に入る予定だったので全裸でだ。
風呂にお湯が溜まって、蛇口を止める。
静かになった途端、俺は物音に気づいて動きを止めた。
ガサゴソ……ガサゴソ……ドスドスドス。
(え!? 空き巣!?)
明らかに、家の中を物色する音と、足音だ。
玄関のカギをかけ忘れた? それともこじ開けられた?
咄嗟に、俺は開けっ放しだったユニットバスのカギをかけた。
――すると。
トン、トン、トン。
ユニットバスのドアが、外側からノックされる。
俺は縮みあがった。
声を上げまい、動くまいとしてみるが、そもそもさっきまで湯をためていたのだから、俺がユニットバスにいる事は犯人に知られてる。
息を殺しても意味はないと分かっていても、声を上げる勇気が出なかった。
ノックは次第に強くなる。
コンコンコン。
ドンドンドン。
バン!バン!バン!
ついに、両手でユニットバスのドアを叩き始めた。
そこで、俺は気づいた。
スマホを持っている。
「やめろ! 出ていけ! 警察呼ぶぞ!」
俺はようやく叫んだ。情けない事に、助けを呼べると思ったとたん、急に勇気が湧いて来た。
震える手で110をプッシュし、誰かが家に侵入したと訴えかける。
他人の声が死ぬほどありがたかった。
「警察よんだからな! 五分もしないで来てくれるからな!」
バン!バン!バン!
ドアは未だに叩き続けられている。
それが急にピタリとやんで、逆に不気味なほどに静かになった。
はぁはぁと、相手の息遣いが聞こえる。
ユニットバスと廊下を繋ぐドアには、すりガラスの窓が付いている。
そこから外の様子をうかがえるかと、俺は恐る恐るドアを見た。
そこにべったりと張り付けて、こちら側を見ようとしている顔。
直後にパトカーのサイレンが聞こえて、窓に張り付いていた顔は離れて行った。
ドアのチャイムを鳴らす音がしても、しばらくは恐怖で動けない。
「警察です! 大丈夫ですかー!?」
外から呼ぶ声がする。
俺は慌てて服を着こんでユニットバスから飛び出し、玄関に飛びついた。
カギを開けて、制服姿の警官に安堵する。
そこで、あれ? と思った。
「……俺今、自分でカギ開けましたよね?」
「そうですね。カギはかかっていましたので」
「でも、じゃあさっきまでいたやつ……どこから……?」
「窓は確認しましたか?」
はっとして、俺は窓に飛びついた。
閉まっている。カギもかかっている。
「えぇ……? でも、確かにさっき……」
「見てください。カギにテグスが」
警官が言う通り、窓のカギに、細くて透明なテグスが絡まっていた。
そのテグスが、隣家の窓に続いている。
もし、隣家の住民がこのテグスを引っ張れば、安物のカギは簡単に開くだろう。
「嘘だろ……」
俺は顔を上げた。
隣家の窓辺に人が立っている。
慌ててカーテンを閉め、警官を見ると、気まずそうな苦笑いだった。
「なんで逮捕しないんすか? 不法侵入ですよね」
「いや……それが」
「もうずっと空き部屋なんですよね、お隣さん」
俺は耳を疑った。
では、窓越しに顔を合わせ、気まずい気分になった人物は何者なのだ。
窓に侵入してきた者は。
俺の部屋の窓にテグスを絡めた犯人は。
どうしても信じられず、警察官立ち合いの元、その空き部屋を見せてもらった。
家具が何も置いていない、正真正銘の空家。
俺は隣家の窓から自分の部屋を見た。
揺れるカーテンの向こうに、部屋の中でうごめく影が見えた気がした。
十分の一くらい実話が混ざっている。
正直ちびるほど怖かったし永遠に窓が隣り合ってる部屋には住みたくない。