冷凍チャーハンがうますぎる
早速だが、私は料理が出来る方である。別に飲食店で働いているとかそういう経験はないのだが、おそらく一般的な料理できるラインは超えてるだろうなという自負はある。実際多少手の込んだ料理程度ならレシピもみないで作れるぐらいには。
その中でも中華料理なら、だいたいのものは作れる。北京ダックとかは流石に無理だが、スーパー程度で材料が揃えられるものなら一通りできる。故に、チャーハンは得意である。
はっきり言って研究までしたといっても過言ではない。やれ卵かけご飯だとか米だけ冷凍しておくとか中華鍋とかXO醤とかネギ油とか、そういうおおよそ日本男児が持つチャーハンへの情熱は注いだだろう。だから私は自分が理想のチャーハンを、既に体現してしまっている。
だが、一つの個人的な頂に登った私を待っていたのは、七つの大罪よろしく怠惰だった。剣の道を極めた男が自失呆然となるように、理想のチャーハンを完成させた私に残ったのは一種の虚無感しかなかった。なぜならチャーハンの本質は、あくまで余り物の料理だからである。
――チャーハンとは何か。
米と卵と適当な具材と調味料で楽しむただの卵かけご飯の強化版みたいなものではなかったのか。そもそもこれだけ白米をそのまま食べて美味しい国で、チャーハンのために米を炊くという行為自体が冒涜ではないのか。もはやチャーハンのために具材を買いにスーパーまでハイオクでリッター9キロぐらいしか走らない車で出掛ける事は母なる地球を破壊するためだけの行為ではないのか。
程なくして私は中華鍋を振るうをの止めた。それでもチャーハンを食べたいという気持ちは収まらなかった。そこで私は、冷凍チャーハンと出会ったのである。
――安かったんスわ。
当時の私にインタビューをすればそんな答えが返ってくるだろう。なにせ一袋450グラムも入って258円だ。一食半分でも129円ととってもリーズナブル。横の中華料理屋の半分の値段で倍の量が入っているのだ。
美味い訳がない。理想のチャーハンを完成させた私にはそんな驕りさえあった。結論から言って、別に冷凍チャーハンはそんなに美味いというわけじゃない。
タイトル詐欺も甚だしいのは自覚しているが、究極のチャーハンを100点とすれば60~70点ぐらいをさまようのが妥当だろう。では何故私がタイトル詐欺まで働いて冷凍チャーハンは魅力を伝えたいかというと、たったの一点である。
手間だ。
冷凍チャーハンは、とにかく楽なのだ。袋に空けてレンジでチン。それだけでチャーハンが完成する。つまるところこれは、私が作った思考で究極のチャーハンよりよほどチャーハンの本質に肉薄しているのではないのか。
そもそもチャーハンが美味しいのは調味料がどうとかではなかった筈だ。いつの間にか我々はチャーハンの味を追求することによりチャーハンから遠ざかったのではないのか。つまるところ究極のチャーハンはチャーハンなどではなく、米と卵を使った贅沢料理に成り下がっているのではないのか。
袋を開けレンジに突っ込み、鼻くそでもほじって五分ぐらい待ってれば60点ぐらいのチャーハンが出来上がる。血眼になり材料を厳選し作り方を試行錯誤し作成するチャーハンよりも余程チャーハンではないのか。
それから私の家の冷凍庫には、いつも冷凍チャーハンがある。洗うのは皿とレンゲだけでいいし、忙しくてもすぐ食べれる。それは私達の心の中にある、チャーハンの姿そのものではないのだろうか。