第9話
スライムクイーンの攻撃は、あっという間にゴーレムちゃんを土塊へと戻す。しかし、もう二回目なので、そのことを気にするものはもういない。ばいばい、ゴーレムちゃん、君の勇姿は無駄にしないよ……。きっとこの冒険の中で何度も繰り広げられる光景であると思われるため、慣れていかないといけないのさ、この辛さにもね……。
そうしている間にも、ドロリスの詠唱は続けられる。こと、耐えることに関しては、前回十分過ぎる経験をしたこともあり、また、今回は、ノラが恐れつつも心を入れ替えサポートに徹しているため、俺の体力消費も前回よりは少ない。
スライムクイーンから見れば、俺たちは防戦一方に見えることだろう。しかし、それは大きな間違いだ。ドロリスの魔法は大地をも吹き飛ばす。モンスターの上位種ともなれば、そういった概念も多少理解してくるだろうし、中にはその蓄える魔力の強さによって、本能のみで次々と魔法攻撃を繰り出してくるような種族もいるのだが、悲しきスライムの定め、いくら大きくなってもスライムはスライム、どうやらそういったことまでは理解できないでいるようだった。
「……にしても長い」
「────、──、──────」
ドロリスの詠唱は、人の耳に認識出来る高さの音から、人の耳には聞こえないであろう音域の音まで様々な音が含まれているだろうと考えられるが、魔法について詳しくなく、魔法を使おうともしなかった俺には、それが何を意味しているのかは分からない。
しかし、補助や小さな攻撃程度に魔法を使いこなしているノラには、その強さが良く分かっているのかもしれない。その証拠に、俺の先ほどのボヤキに対して、
「当たり前だよ、あんな大きな魔法、使おうと思うなら」
サポートをしつつ、俺にそう伝えてくる。
「あれだけの詠唱を行うには、相当の魔力がいるだろうし、同時に、鍛錬も才能も要る……。メンバーに加えることを否定はしていたけれど、その力は正真正銘だよ、ドロリスさん。さてさて、何十年──いや、何百年生きているのやら……」
「えぇ」
あ、そういう感じの人だったのか。それこそ、人という概念を超えているような存在なのかもしれない……。それでも細かい魔法が使えないというのはちょっぴりチャーミング、かも。
そんなことを考えていると、俺の背後から、ものすごい殺気が漂ってきた。
俺は魔法を使えない。しかし、魔法の力というのは感じたことが何度もある。モンスターが発する魔法、騎士団に所属していた時、仲間の魔法使いが発した魔法の気配、そういったものについては、半端な魔法使いよりもよほど多く触れてきた自信がある。使えはしないけれど、見てはきたのだ。とてもたくさんの魔法を見てきたのだ。それは、それだけ多く戦場に立ったことがあるということでもあり、たくさん、いっぱい、モンスターちゃんたちの攻撃を受けてきたということでもある。
けれども、俺の背中にひしひしと打ち当てられている空気は、これまで感じてきたどの魔力の雰囲気よりも禍々しいものだという印象を受けた。よもすれば、俺が喰い殺されてしまうのではないかという錯覚さえ覚える。頭では分かっている。それが、ドロリスの発している魔力の蓄積であるということが。
しかし、である。それは、あまりにも強大で、悪さえ感じられるかのような強くおどろおどろしいものであった。
俺は魔法を使えない。しかし、魔法の力を察知するアンテナは幸か不幸か持ってしまっている。そのことを不幸だと感じたのは、まさに、この時が初めてかもしれなかった。魔力なんて感知できなければよかった、殺意なんてものを感じられなければよかった、心からそう願いたくなる、そんな力を背中から感じ続けていた。
つまるところ、ドロリスの詠唱が終了したということを告げている。
まず初めに感じることができたのは、光だった。光の到達は音より早い。次に来るのが音。最後に、衝撃。
「う、うおぉおうぅ!!」
爆発は、どうやらスイラムクイーンの頭上で起きたらしかった。
はじけ飛ぶのはスライムの断片。身体。肉片と言えばいいだろうか。とにかく、もはや、それらは欠片であった。
俺は思わずその衝撃の強さに大盾を構えなおす。ある程度の距離が離れていることから、直接的な打撃というのはないが、べちょ、べちょとたまに嫌な音が盾へとへばりついていることが分かる。
「おぉおお」
光はすぐに収まり、音は一瞬。しかし、その一撃が俺とノラに与えた衝撃はとても大きなものだった。
目の前にもう敵はいなかった。スライムはいなかった。あるのは断片のみ。
「うわぁ、す、すご……」
思わずこぼれ出るノラの呟き。
「わっ!」
俺は思わずノラを見て笑いがこぼれ出そうになる。スライムの死がいでぐちょぐちょだ。
「やっぱり、すごい。再生しないし」
そういえば、そうだ。多少の衝撃ならば蘇生するというのがスライムの厄介なところなのだが、そのような行動は一切見られない。ピクリとも動いていないのが分かる。
「それは当たり前。爆発には魔力がこもってる。私の魔力が蘇生を妨げ続け、もうしばらくしたら完全にこの生物はただの液体と化す。今動いていないのはそのせいね」
「なるほど……やっぱり、こういう大きな魔法に関しては、腕は確かなようね」
俺はついていけていない一方で、ノラは理解しているらしい。とにかく、腕は確かということなのだ。うんうん。
「どう、でした?」
改まったような顔で俺を見てくるドロリス。これまでの冷徹な顔とは異なる様子に、俺は少したじろぐ。
「どうも、なにも……。すごいと思ったよ、ああ、後ろからの殺気もすごかったし」
「ど、どうも」
んんん? なんだ? なんだか様子がおかしいぞ?
洞窟から出る道すがら、俺は、ノラに聞いてみることにした。
「お、おい、なんか、感じなかったか? あの、ドロリスから、変な雰囲気というか……」
俺が耳元で話したのがこそばゆかったのか、ノラは慌てて俺から距離を取るように前を歩きながら、俺をキッと照れくさそうに見つめてくる。その後、俺のさらに後ろを歩くドロリスには聞こえないくらいの小さな音量でアドバイスする。
「ちょ、直接聞いてみればいいんじゃないですか?」
「直接ったってなぁ……」
俺がどうしたものかと決めあぐねていると、なんと幸運なことか、何か俺のすぐ後ろに気配を感じることができた。ドロリスが近づいて来たのだろうか、と考えた俺は振り向く。
「……ひっ」
ドロリスの気配だと思っていたものは、惜しいが、違った。ドロリスが近づいてきていた訳ではなかった。ドロリスは、俺の少し後ろで、俺を見ていた。
そう、見ていたのだ。
だが、ただ見ていた訳ではない。まるで、この世の恨み、辛み、憎しみを全てかき集めたようなどす黒い視線で、俺──というより、俺とその先を行くノラのことを見ていた。
やばい。
俺の心が瞬時に警笛を鳴らす。これは、何か、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか、と全く心当たりがないのに、思考はその原因を探すのに必死になった。もはやそうするしか生き延びる術はないとさえ思えた。言うなれば、絶望、だろうか。地獄の釜の蓋が開くとでも言うべきか……。
その黒い黒い瞳の中に吸い寄せられるかのような錯覚を覚えた時、ようやく一つのヒントがドロリスの口から発せられる。
「仲、良さそうね」
仲が良い。その言葉は俺とノラに向けて発せられているのは明確な事実だった。俺の反応は遅れたが、ノラも俺と同じく凶悪な危機を感じていたからなのか、申し開きをするようにドロリスに向けて言葉を発する。
「そんな、馬鹿な! これは、そう、打ち合わせですよ、この先のね。ほら、ドロリスさんも混ざって混ざって」
そう言うと、ドロリスがゆらりゆらりと近づいてくる。先ほどまでの殺気は消えているようにも見えるが……。ノラはそれを見計らってか、俺の耳元でドロリスに聞こえないよう限りなく小さな音量で告げた。
「魔女は惚れっぽいから一人で暮らしてる……とかいう信憑性のあるかどうか分からないような噂があってね、あんまりにどうでもよさそうな情報だったから、あの時、僕は言わなかったの」
「オー」
なんたる不覚か。そうか、先ほどまで俺が感じていた背中への殺気は、嫉妬、ジェラシーという類のものだったということになれば納得がいく。起きている事象自体には、納得がいく。無論、なんでドロリスが俺に惚れたのか、そんなことは全くもって意味不明なのだが……。幸か不幸か、という言葉はこういう時にこそ使うべきだったかもしれない。
「それで……次はどこへ行くのか決まったかしら? 私としては、今ので十分私の力も分かってもらえたと思うし、早いところアルマネへ行きたいのだけれど」
ドロリスが俺たち二人に向かって話してくる。うむ、確かに、その力に異論はない。
「ね?」
次に、何故か俺に熱烈な視線を送って同意を求めてくる。なんだ、その甘えるような目つきは……。一般的な恋愛とは無縁だった俺から見れば、なかなかに魅力的だ。もし、俺が、少女相手にしか愛情を抱くことができない性癖をお持ちの方だったとしたら、中身が何十歳のおばさんであったとしても、その甘い瞳に吸い寄せられるようにして堕ちていってしまったであろうが、残念なことに、俺は見かけに左右されないタイプの人間なので、可愛いなと言う感覚は持てども、堕ちるということはないのである。
「ね??」
しかし、度重なるドロリスの威圧は、一回目と異なり、逆らったら殺すと言わんばかりの愛情で満ち溢れている。あ、俺はこれを知っているぞ。なんか、知ってる。愛の深いやつだ。聖母……? いやいや、違うね、悪魔、サタン、リリス……? みたいな。悪魔と契約しているかもという噂、やっぱり本当かもしれない。いや、本当でしょ、これはもう……。
「そ、そうだな、確かに」
俺はもう同意せざるを得なかった。事実、ドロリスの力は壮絶なものである。時間がかかるという欠点さえあるが、俺という最硬の守りがあればその欠点もないようなものだし……。
「じゃ、スライムクイーンを倒したということをサイグネのギルドに知らせて、報酬もらってから行きましょ」
ノラが提案。ドロリスは俺に同意を求めてきていた時の甘えるような目の状態を通常の冷え切ったクールな魔女モードへと戻し、ノラの提案に同意の頷きをする。……正直なところ、俺としては、そんなクールで根暗っぽくてコミュニケーションが苦手そうで、けれども、ものすごい力を持っているという魔女っぽさ溢れるドロリスの方が好みではあるのだが、そんなことは口が裂けても言えない。
もし、俺は一瞬でも付け入られるようなところを見せようものなら、きっと、ドロリスは俺を拉致監禁した挙句に、私が一生を見届けて差し上げますからね、とか言い出しかねないタイプだからだ。いや、無論、これは俺の妄想の産物であり、ちょっとだけやぶさかでもないような気もしたしりするが、まだまだ俺はこの世の会ったことのないモンスターちゃんたちの攻撃を受けなければいけないからダメだ!
「……?」
俺の邪な考えを読み取ってしまったのか、ドロリスが怪訝な顔を俺に向けてくる。
「い、いやいや! なんでもない。よし、よし、いこう! 行くぞ~!」
きょとんとするドロリス。俺は心の中で思う、違うぞ~、そうじゃないんだぞ~、もっと刺激的な目線を俺に送ってくれていいんだぞ~、と。しかし、それを口に出すことはできないんだよ。さっきも言ったけれど、それとは別に実はもう一つ危惧がある。
うん、だってな、なんでドロリスが俺のことを気に入っているのか分からないのに、俺に対する心証を一転しかねない、俺はマゾなんです発言でもしようものなら、
「そんなのはレオじゃない! 偽物は殺す!」
とかなんとか言い出しそうじゃないか? うん、考えられる。歩く地雷だ。歩く地雷に対する接し方はあまり心得ていないのだが、なんとか、俺が平穏無事な被虐心満たされる生活を過ごせることを切に願うばかりである……。
こうして、俺を含めた、ノラ、ドロリスの三人のメンバーは、あれだけの苦戦を強いられたスライムクイーンを倒した報酬としてはちょっと物足りない額の報酬を貰いながら、次の地を目指して再びサイグネの村を出る。
目指す土地はかつて、アルマネと呼ばれた村。そして、今はもう、地図の上から居住区としての名称を奪われてしまった場所。
「気を付けなよ」
なんていうギルド職員の本心か営業トークなのか分からない言葉を背に、俺は新たなる出会い(※モンスターちゃんとの)を求めて出発した。