第8話
「はいよぉっと」
何の掛け声なのか、理解出来なかったが、起こった事はすぐに分かった。何故か、なんというか、俺の隣に、いる。俺のとなりに、いた。
誰がいるのか。うぅん、なんといえばいいか……知らない、少女。特徴ならいくらでもいうことが出来る。まず、痩せ細っている。それはもう、かなり痩せ細っている。俺がこれまで見てきた病人の中でも一、二を争う痩せ細り方だ。
じゃあこの少女は何か。
うーん……なんだろう。
ただ一つ言えるのは、この少女は人間じゃないということだ。土くれ──恐らく、ゴーレムの類だろう。ゴーレムというのは、一般に、土や石などといった無機物に、なんらかの魔力が宿ることによって動き出すモンスターのことを指す。この肌の色などを考えるに、きっとこの子はゴーレムだ。
別にゴーレムがいることが珍しいことだと言いたいのではない。問題は、この病弱そうでひ弱な体つきで、いかにも戦闘をこなすことが出来なさそうなゴーレムが、味方っぽい立ち位置にいて、さらに、それが、ドロリスの気の抜けた掛け声の後に出現したということを言いたいのだ。
つまり、それは、ドロリスがゴーレムを作り出したということを意味していた。
珍しいことではない。
団体行動を行わない魔法使いなら、己の身を守るための壁役となるゴーレムを作り出すというのはごく自然なことである。ただ、その、俺が気になるのは──
「お、おいおい、まさか、この子に前衛を務めさせるつもりかぁ……?」
いやいやいや、務まらない! 間違いない、務まらない! 世の中には適材適所という言葉がある。残念ながら、このゴーレムちゃんは、前衛は愚か、家事だって務まらないのではなかろうか。うん、俺がMという性癖をもっていなかったら、守ってあげたくなる、そんな子だ。病弱かわいい、というやつだ。
「もちろん」
しかし、残念ながら、俺以外の目にはこのゴーレムはただの貧弱なゴーレムとしか映っていないのである。だから、ドロリスは平然とそう言ってのけた。もちろん、そのことに対して、ノラもまた当然だという顔をしてはいるが、やはり、見た目が貧弱なゴーレムに対しては疑問をもっているようだった。
「なんか、そのゴーレム……えーっと、そのー、言いにくいんだけど」
「大丈夫」
ノラの突っ込みを遮るようにして、ドロリスが言い放つ。同時に、貧弱なゴーレム──俺から見ると、貧弱な女の子は、スライムへと攻撃せんとばかりに、突撃していく。
「お、おいおい!」
次の瞬間繰り出されるのはスライムの粘液による攻撃。ゴーレムはそれをかわそうとするものの叶わず、直撃。
普通に考えれば、元の素材が土でつくられているとはいえ、ある程度の魔力を受けたゴーレムが粘液程度の攻撃によって大きなダメージを食らうことはない。食らうことはないはず、なのだが……。
目の前に繰り広げられるていたのは、思わず目を覆いたくなるような光景だった。
「と、溶けてますやん!」
どっろどろ。もうスライムの養分にされんとするばかりのドロドロ具合。やられちゃってる。ゴーレムは完全に守護者としての役割を失い、今やただの土塊と化していた。
「はや」
ノラも驚きの言葉を隠せないようだ。無理もない。これじゃ守護者どころかただの観光客である。残念、ゴーレムちゃんは土に還ってしまったのです、ちゃんちゃん、だ。
「……やっぱりだめか、うーん」
ドロリスはそういうと、今度は呪文の詠唱を始めた。魔法全てに詠唱が必要という訳ではないが、威力の高い魔法などについては詠唱が必要なものも多い。俺は魔法の専門という訳ではないので、詳しいことは分かっていないが、詠唱にはその他にもいろいろな理由があるとかなんとか……。つまり、魔法使いには前衛が必要不可欠ということが言えるだろう。
スライムが襲い掛かってくるのを、俺は止めるようにして大盾を構える。スライムの愛を──あ、間違えた、攻撃を受け止める。スライムちゃん! スライムちゃん! い、いかん、我を見失うところだった。
ノラも攻撃を行っているようだが、いかんせん数が多い。ノラの力だけでも倒すことは可能だと思われるが、それではしばらく時間がかかりそうだった。もちろん、俺としてはそれでもありがたい、大歓迎、ウェルカム、なのだが、今はノラ以外にも攻撃役がいるということを忘れてはならない。
ドロリスはまだ詠唱を続けている。これは威力が期待できる。わくわくだ。巻き込まれないようにうまいこと距離を取らなければいけないが、その辺りは、きっと合図でもしてくれるのだろう。
俺は攻撃を受け続け、ノラも攻撃を行い続ける。
──さて、どれくらいの時間が経っただろうか。ううぅん? おかしいなぁ、もうスライムの残りはほとんどいない。俺は堪らずドロリスの方を振り返ってみた。
「……────」
どうやら、まだ詠唱を行っているということだけは良く分かった。何を言っているのかは知らないが、魔法の発動にはきっとそれだけの力がいるのだろう。
「はーい、とどめー」
ノラがそんなことを言いながら、最後の敵にとどめの攻撃を行う。ジュワァというスライムが命を失う音──俺からしたら断末魔が聞こえ、戦闘が終了する。
「……終わっちゃった」
「おーい、ドロリスさん~、終わりましたよ~」
「……ん、ああ、お疲れ」
すました顔で言うドロリス。だが、残念ながら、俺とノラの疑問は解消されることがある訳がない。
「あのー、ドロリス? 少し質問があるんだけれども……」
「あら、何かしら」
「そのー、今みたいな大して強くない敵については、威力を抑えた魔法を軽めに打ってくれればいいと思うんだよねぇ……」
「僕もそれに賛成ー。結局攻撃してたの僕だけじゃないか」
ドロリスは俺たちの講義の声を聞いているのか聞いていないのかも分からないようなとぼけた顔をして、
「────こと──なの」
ぼそぼそっとつぶやく。残念ながら、その声は聞き取ることができないくらいに小さなものだった。俺とノラがもう少し聞こえるような声で説明することを催促すると、ドロリスは嫌そうな顔をして、先ほどよりは僅かに音量をあげて説明する。
「さっきも言ったけど、私、細かいことは嫌いなの」
逆切れだ。音量こそ控えめであるが、これはまさしく逆切れと言って問題はないだろう。
「こ、細かいことって……」
つまり、ゴーレムの生成もその細かいことに分類されるのだろう。ドロリスは威力こそ申し分ない爆発魔法を初めとした多くの魔法を使えるのかもしれないが、小回りが利かないのだ。さながら大砲とでもいうべきか……。
「あー、そう、ね。分かった、理解した。僕はギルド職員がやってたことを大体理解したよ」
そこで、ノラが何かを理解したようなので、俺はすかさずどういうことなのか聞いてみる。ノラは、少し面倒くさがりながらも、洞窟の奥を目指して歩きながら話し始める。
「ようは厄介者ってことでしょ、ね、ドロリスさん」
「失礼ね……塵にしてやろうか」
ドロリスの脅しにも負けず、ノラはしゃべり続ける。
「アルマネの一帯でどれだけの力をもっていたかは知らないけれど、ギルドにそれなりの報酬を払えるだけの蓄えはあるみたいね──でも、うん、確かに、こんな大技しか使えない魔法使いっていうのは、魔法の発展、技術の発展にはとっても役に立つけれど、冒険においては役に立たない──」
「何を証拠に、そんなこと」
ギリギリと歯ぎしりをするドロリス。そんなに刺激するとちょっと良くないんじゃないか、と思いつつも、ノラが言っていることは恐らく正しい訳で、俺は口を挟むことが出来ない。変に反論するとボロが出かねず、ドロリスを侮辱することに繋がりかねないからだ。
「証拠──うーん、ギルドの人が僕たちみたいな少人数で大した実績も残していない最近できたメンバーに声をかけてきたから、かなァ……」
「ぐぐぐ……」
このままではいけないと感じた。これは、メンバー崩壊の危機である。こんなところで仲間割れして何になるっていうんだ! 俺の快適なモンスターライフが破壊されてしまうではないか! 俺はなんとかこの場を抑えめなければいけなかった。必死に考える。
「ほ、ほら、その辺にしとけよ、もう。あー、なんだ、その──」
俺は、なんとかドロリスをフォローする言葉を考える。何か決定的な一言。それも、ドロリスとノラ、両者を納得させる一言を発しなければいけない……。
いいんだ、建前でも。こんなものは建前でもなんでもいい。とにかく、この現状を丸く収める一言を捻り出すことが出来ればそれでいい。
「あー、そのな。あれだ! そう、ドロリスの高い威力の魔法というのは、強敵と戦う時になくてはならないものだろう? そう──この先に待っているスライムの化け物みたいなでっかいやつと戦うのには必須! 魔王、がいるかどうかは知らなけれど、いるとしたら、それを倒すにも必須! そうだろ、ノラ?」
ノラを見る。
「……うーん、ま、まぁ……」
俺の言葉にノラからのドロリスへの批判は収まりを見せた。ドロリスはというと、何やら満足気な目で、俺のことを見ている。満足気な目、というか、なんかトロンとしているような気もするが、俺の熱弁が通じたのだろうか? とにかく、この場はなんとか収めることができたようだった。ノラのドロリスへ対する目つきから、まだ何となくわだかまりが残っているような気がするが……。
「よし、じゃ、気を取り直して……行くぞ! な、ノラ、ドロリス」
「……うん」
「はい~」
ちなみに、この返事、前者がノラで、後者がドロリスである。んん? な、なんか、ドロリスの様子がおかしくないか? 酒でも飲んだのだろうか? 先頭を歩くノラ、その後ろを歩く俺、更に後ろに続くドロリス、そのドロリスから背中に受ける視線が、なんだか、心なしか、ほんのちょっとだけ、気のせいだといいのだが、熱烈なものになっている気がする……。
そんな俺の心配をよそに、ついに俺たちはあの忌まわしき場所へと到着する。おどろおどろしい気配。大物の気配。化け物の気配──そして、俺にとっては、女王様の気配! 昂る胸、心、身体! この前はよかった。ほとんど死ぬ直前だったが、まだまだ限界には程遠かった。まだ、いけた。まだまだ俺はいけたんだ。限界の先、体力が尽き、もはや意志の力ではなくただただ己の本能、己の奥に眠る強い思いだけで立っている、そんな極限の状況に俺は追い込まれたいんだ。
その一歩手前までは前回の闘いの時に確かにたどり着いていた、はずだ。
今回も、まだあのお方、スライムクイーン様はまだ神々しいお姿でこの場にいてくださるのだろうか?
そんな俺の不安は、全く必要なかった。
「ひっ……」
なんていうノラのおびえた声で、スライムクイーンがここに健在であるということが明らかになる。現れるのは巨体。その姿、やはり、恐怖。
たかがスライムなんていう言葉は通じない。俺とノラが一度敗北した相手だ。俺はもちろん怯えてなどいないのだが、ノラはやはり恐怖に包まれようとしているようだった。
「なぁんだ、この程度か」
そう、この、ドロリスの余裕綽々の呟きがノラの耳に届くまでは。
ドロリスは、このスライムクイーンを、この程度と吐き捨てた。それほどに自信があるのだろう。これは、強がりでは決してないのだろうと思える。その証拠に、彼女の身体は少したりとも震えてない。確固たる自信がそこにはあるのだ。
「────!」
短い詠唱と共に、再び、俺の横に戦闘用病弱ゴーレムちゃんが形成される。俺は思わず、もうそんなに頑張らなくていいんだよ、と声をかけそうになるが、その試みは、スライムクイーンがこちらへと攻撃を仕掛けてきたことによって達成されることはなかった。
相変わらずに激しい攻撃。
しかし、俺はそれを食い止める。一度見た攻撃だ、受け止め、受け流し、己へのダメージを最小限に抑えながら凌ぐことは実に容易だった。いや、容易になってしまった。少しだけ、寂しさがある。
「──、────、────」
そうしている間にも、ドロリスの詠唱は進む。先ほどは詠唱の途中で敵が倒れ去るというちょっぴり悲しい事態に陥ってしまっていたが、今度はそうはいかない……。ああ、ばいばい、スライムクイーン様……。
さようなら、さようなら。俺が心の中でさよならを呟く。スライムクイーンは、けれども、己の身に起きるであろうことを察しようともせず、ひたすらに俺を嬲ってくる。美しい、美しいじゃないか。