第6話
サイグネの村は、その人口規模に似合わず以前よりも人が多く集まっており、農業主体の村であったのが、商業もまた活発になりつつあった。
現在は、ドルムント王国、最北端の領土。現在という注釈がつくのは、かつてさらに北にアルマネという村が存在していたからであり、その村は残念なことに現在はモンスターの占領下にある。
アルマネに住んでいた人々の多くは、今、サイグネの郊外にて開墾作業をしたり、物流関係の職に就くなどして、サイグネへ住居を移そうとしているものの、その多くは、かつての自分たちが住んでいた村に戻りたいと願っており、アルマネのギルドへの依頼、ドルムント王国への依頼でなんとかアルマネ付近のモンスターたちを退治してもらおうとしていたり、中には、軍隊へ入隊するという者も多くいるらしい。
どういった事情もあり、サイグネの村は常に慌ただしい雰囲気に包まれている。今のところは、モンスターたちがサイグネの村へ徒党を組んで襲い掛かってくるということは起きていないものの、いつ、どうなるかなんてことは分からない。緊張感は村を支配し、心なしか、人々をピリピリしているようにさえ思えた。
「さて、と。この先どうすっかなぁ……」
俺はギルドにいた。ギルドといっても、ドルムントの街ほどの規模とは到底程遠い、ほとんど酒場のような小規模なギルド。しかし、そこにいる冒険者の数は少なくない。今や、この村は、ドルムントの国の北の最前線なのだから。
「さー……?」
あの暴露発言の後のノラの様子は変だった。否、変と言うか、そうだな、しっかりと説明するなら、理解不能な存在を前にどう接していいのか分からないし、出来ることなら離れたいけれども、一度あれだけおおっぴらに謝罪をしてしまった以上そうする訳にもいかず、仕方なく付き合っているという様子だろうか。
「違う、違うの」
俺の心の声を悟ったかのような言葉をノラが放つ。
「その、ね、どうやって接したらいいのか、分からなくて……」
気のせいか、ノラの顔が紅潮しているように見える。ううぅん、気のせいか? 気のせいだと思いたいが、俺は、一応問うてみる。
「なんだなんだ、俺に惚れでもしたのか?」
俺の騎士的行為(※ただし、変態的な意味合い)を見せたことによって、もしかしたらノラは俺に惚れてしまったのだろうか。吊り橋効果という言葉を知っているだろうか。死を感じさせるその直前まで、俺はノラを守っていたのだ、俺が意図していた、していないに関わらず、彼女からはそう見えてしまっていたのだ。まさに、吊り橋効果的状況に他ならない。
「…………」
押し黙るノラ。
「んん?」
何故俺がこうしてあえて追撃するのかを説明しておこう。それは、ノラが俺に惚れることが好ましくないからである。確かにノラは少々腹黒いものの外見はそれなりに良く、一般的価値観における女の子の魅力としては十分にあると言えよう。
しかしながら、俺的、すなわち、M的価値観において、彼女の魅力とは悪女要素にあるのだ。しかし、ノラの好意がもし俺に寄せられるようなことがあった場合、M的価値観に照らし合わせるとノラの魅力は半減、下手をするとゼロにまで落ちてしまうことになりかねない。だからこそ、俺は彼女に本気の好意を寄せられることを望まないのであーる!
「…………い、いや、そんなことは」
あーっ! だめだーっ! だめー! 崩壊! 俺の希望が今ここに崩れ去ってしまった! いやいや、これは決して大げさな表現ではない。このタイプの女性というのは、俺に好意をもってしまったが最後、きっと、俺がどんなことをしでかすとしても、心のどこかでは、
「あ~~~好き」
だなんてお花畑志向に陥ってしまうのだ。いいか、よし、一つ試しにやってみようじゃあないか。
「そっか~、あー、ノラのパンツ、今、何色?」
この質問、伝統的に女性を怒らせることのできる質問だろう。怒るを通り越して、哀れむ、関わらないようにする、といった敵対表現を引きだすこともできるとってもデリカシーに欠ける質問でもある。普段、これを発してしまったが最後、俺にとってのご褒美を与えられると共に、俺は二度とその女性に関わる機会を失うという代償を支払うことになるため、俺はこんなことを聞くことはない。そういうところはしっかりしているんだよ、俺は。
「……な、何馬鹿なこと言ってんの! そんなことより、この後、どうするか、でしょ!」
ほら、ダメだった! 突っ込んではくれるがそこに大した毒はなく、ノラは今後のことへと話題を戻そうとする。ありがたいはありがたいのだが、これで俺の心配は確証へと変わってしまったのだ。これ以上の確認は、俺の良心から無理である。
「そうか。あのスライムの巣は潰せそうにないしなぁ……」
「ぐぅう、ごめんなさい」
謝られる。俺がいくら耐久しようとも、何時間耐久しようとも、攻撃の威力が足りないのだ。ノラは優秀な冒険者である。今回特に役に立っていたのは、洞窟など探索するために必要な知識であるが、冒険者として必要な街においての立ち振る舞いを初めとして、熟練の冒険者のメンバーとしてはなくてはならないほどの知識、技術を持つ。メンバーがメンバーであれば、相当な活躍をするのだろうが、いかんせん、今のメンバーは、俺、ノラの二人。無論、少数精鋭を基本とする冒険者たちの中には、一人で冒険を行うという者もいるし、二人が特段珍しいということでもないのだが、組み合わせの相性が良いかなると、改めて考えれば微妙と言わざるを得ない。こと、サポートにおいてはノラという優秀なベテランがいるため問題はないのだが、戦闘力となると話は別で、防御への振りがあまりにも大きすぎちゃったりするのだ。
「……仲間、探すか」
だから、俺は、今後の冒険のために必要となる要素を提案する。
「……それは、どうかなぁ……?」
ノラが、怨めしい者を見るかのような目線で俺をじとっと睨みつけてくる。見たことがある、俺は見たことがあるぞ。これは嫉妬の類だ。俺が他のメンバーに気をもっていかれようとしていることを危惧しているのだ。そらみろ、厄介なことになっている。困ったものである。俺はモンスターちゃんたち一筋だというのに……。
「でも、そうでもしないと、あのスライムクイーン様──あー、スライムの化け物は倒せないだろ?」
「それは……そう、だけど……」
「そうしないと、このギルドで受けた仕事も果たせないしなぁ。いくら多少の費用がドルムントの街のギルドから出してもらえるっていっても、それじゃあ、消耗品とか買ってるだけで生活もままならないし」
俺は、冒険者になって初めて気づいていた、資金がないということの恐怖に。確かに冒険者には魅力がある。一攫千金もある。しかし、騎士時代とは違い、その生活は不安定なのだ。この世界に命の保障なんてどこにもないが、少なくとも騎士をしていた時代は生活が保障されていた。
「でもね、その、ね、うーん」
ノラはこれまでにない甘えたような声で戸惑っている様子を俺に見せてくる。少しだけ心に響くものがあるが、そう甘くない世界だ、許せ。
なんて話をしている時のことだった。ギルドとは出会いの場である。そんなギルドで俺とノラが出会ったのは、本当に、偶然なのだが、時にはギルドの職員が人探しを手伝うということもある。それが、今。
「失礼、あなた方の話、少しだけ、盗み聞きさせてもらいました」
俺とノラの横に座るのはギルドの職員の一人。インテリそうな顔立ち、服装、きっと冒険など経験したことがない、ホワイトカラーな立ち位置の職員なのだろう。
「聞いたところ、攻撃力のある後衛を探しているようですが?」
盗み聞きされるというのは少し不服だが、指摘は正しい。そんな俺の不満を察知してかどうかは分からないが、俺の代わりにノラが職員に対して刺すように言う。
「いくらギルドの職員だといっても、盗み聞きというのは感心出来ないね。秘密の話、っていうのもあるんだからさ。そういう話を出来る、っていうのもギルドの強みなんだと思うなぁ、僕は」
厭味ったらしい言い方は、先ほどまで俺に見せていた表情とはまるで違う、誰かをからかってやろうというちょっとした悪意が浮かぶような顔つきから発せられる。それを聞いた職員は、少したじろぎ、
「敵意はないんですが……確かに、おっしゃる通り。失礼しました」
という謝罪の言葉を口にする。素直な謝罪にノラも満足気だ。
「それで、本題は?」
ノラが俺の代わりに相手の話を聞く。こと、人とのやりとりに関しては、俺よりもノラの方が数段上にいると言えよう。そのノラに手駒にとられていた過去は、非常に、非常に残念なことに今はもうない。頼もしい一方で、少しだけ寂しいのも事実だが、今、この状況においては頼もしい限りだ。
最初は得意げな様子で話しかけてきていた職員だったが、最初に出鼻をくじかれたことによってか、その態度は殊勝なものに変化しているように感じられた。
「ええとですね……。うちに、一人、いるんですよね。メンバーを探してる冒険者の、魔女──いえ、魔法使い、なんですけど」
「おお、それはいいじゃな──」
俺が二つ返事でその紹介を受け入れようとしたところで、俺の口はノラにふさがれる。あ、手でふさがれただけなので、別に口で口をふさがれるとかそういうシチュエーションではないことは予めご承知おき願いたい。
「待って、ください。その人のこと、もう少し聞かせてもらえません?」
「うん、そうだな、確かに」
俺は、こういう決断の場からは距離を置いておいた方がよさそうだ……。
「この国でも有名な魔法使いさ。ギルド職員の私の目から見ても、その魔法の威力は国内一、いや、もしかしたら、周辺諸国を含めても、威力を見れば上に立つ者はいないかもしれない……」
「へぇ……」
ノラは訝し気な目で職員を見ている。
「他の人とうまくいかないみたいでね、そのー、人を探しているんだ。彼女が必要とされる場を」
うまくいかない、というのは人間関係だろうか? それで言えば、ノラも最初はうまくいかなさそうな人間であった訳だし、俺としては問題はなさそうにも思えるが……。
「他には? 何か、重要な情報とか隠してない?」
ノラは露骨に警戒心を強めているようだったが、
「一回、会うだけ会ってみないか? そうだな、ついでに、その魔法を見られるような場所だとありがたい」
という俺の提案に、渋々応じてくれる。ギルド職員の言う、魔法の威力という言葉に興味を引かれたのだ。職員が少しの時間席から離れ、どうやら連絡を付けた様子でこちらへと戻ってくると、紙切れに村郊外の場所の指定、日時の指定を書いたものを俺に渡す。
「それでは、私はこれで!」
にこやかな笑顔。ノラはちょっとだけ不満そうに呟いた。
「あー、多分、あれ、紹介料か何かもらってるね、ちょっとこっちに回させるべきだった!」
まだまだ盗賊精神は廃れていないようだ。
村の郊外。人はいない。森にまでは至らないが、野草が生い茂る地帯。モンスターが出る危険性もあるが、冒険者の集合場所として、大きな魔法を試すための集合場所としては村の中よりは都合の良い場所だ。
俺が聞いた音は、爆発音だった。爆発音であるということを認識するために、俺が要した時間は数秒。
俺の隣に立っていたノラは、目を丸くして、音がした方を見ている。俺も焦りつつ、音がした方へと視線を移す。
そのあまりにも大きな音。考えられる可能性としては、大型のモンスターが大地を破壊した音だったり、ドラゴンなどのより強大な脅威があたり一帯を焼け野原にしようと試みた音などだが、視線の先に広がるのは、あたり一帯がえぐられたようにして草木が霧散し地肌が弾け出ている景色だった。
その広がりは、音を中心として、半径十メートル、いやいや、それどころではない、三十、四十メートルに達しているくらいに思われるものだった。
しかし、周囲にモンスターはいない。それどころか、その場から逃げだしているようにさえ思えた。何故なら、爆発音の後に残ったのは風が植物を凪ぐ音だけだったからだ。
「……なんだ、あれ」
「……あっ!」
俺が呆けていると、ノラがこちらへ寄ってくる何かを発見したようで、俺に見るように指さす。逃げたり、何らかの脅威を伝えることがないということは、どうやらそれは今、自分たちの元へと現れても不思議ではない存在のようだった。
その姿は──