第5話
スライムクイーンの存在感は圧倒的だった。
一般人から見たら、それは、恐ろしいモンスターだろう。証拠に、ノラは引きつった表情でスライムクイーンと対峙している。きっとそれは、ひどくどろどろとした巨大な塊に見えていることだろう……。
だが俺は違う。
美しい……! そのなりは女王様。少し体が透き通ってはいるものの、妖艶なピンク色は俺の煩悩を刺激するためにまとわれているかのようにさえ思えてくる。
通常のスライムは水色や緑色が少し濁ったような、自然色っぽい色合いをしているのとは一線を画した色合い。それは、我は女王である、我は圧倒的な存在である、と主張せんばかりの効果を放っていると言えよう。
通常のスライムを、よくいる一般市民の女の子と例えるならば、このスイラムクイーンは優雅で可憐なお嬢様。それでいて、下階級に属する人間たちを生まれつき下等な存在だと見ている。何もそれは見下したくて見下している訳ではない。彼女にとってはそれが自然なのだ。そんな様子が、スライムクイーンからは伺えた。
「お、おいおい、攻撃は続けてくれよ?」
俺は昂る気持ちを抑えつつ、攻撃の手を緩めて恐れおののいているノラに声をかける。
「う、うるさいなぁ! そんなこというならあんたが攻撃すればいいでしょ!」
「俺は、ほら、攻撃をさぁ~受けないといけないからさぁ~」
い、いかん、少しにやにやが外に漏れ出てしまっただろうか……。俺は、顔を引き締め、再び目の前に迫るスライムクイーンへと目線を戻す。
「さ、餌になってくださいね」
なんてことを勝手に言っていると想像しながら、俺はスライムクイーンの攻撃に立ち向かう。視覚においてはモンスターを美少女と見ることが出来る俺だが、まだまだ聴覚の方は訓練が必要なようだ。
スライムクイーンの攻撃は、強烈。
消化液をまき散らすのは基本動作であるが、しっかりと装備を着こんだ人間たちにとって、その攻撃が大した効果を上げられないというのは彼女自身よく分かっているようで、それだけで攻撃が終わることはない。
その動作を行いつつ、繰り出される攻撃は、自らの身体を鋭利に硬化させた部位による刺突、薙ぎ払い。その威力は凄まじく、洞窟を削らんとするばかりに縦横無尽に攻撃が飛び交う。
俺は、その素晴らしい攻撃をノラを守るようにして受け止め続ける。痛い! 結構効く。装備の上からでも十分に俺の身体は蝕まれていく感覚。
「くぅうう! きっくぅうう」
思わず声を出してしまう。
「あはは、ほら、ほら、早くくたばって?」
なーんてことをスイラムクイーン様は思ってくれているんだ! なんて妄想しながら攻撃を受け続ける。
まだしばらくは大丈夫だ。いやいや、気持ちの面だけで言えば、もっともーっと受け続けたい、この攻撃。
「……あんた、頭イカれてる」
そんな声が俺の後ろから聞こえた気がしたが、スライムクイーンの繰り出す攻撃の音によってはっきりとは聞き取れない。攻撃をなんとか受けつつ、凌ぎつつ、俺は後ろの様子を見る。こちらの陣営唯一の攻撃役であるノラを見る。
「な、なにっ!」
ノラはビクッとする。相手の攻撃が激しいため、俺の背中、後ろに隠れていても、多少の攻撃を受けているようで、服が少し破れたりしていた。
「攻撃、してくれよ」
俺は催促する。俺一人ならいいのだが、ノラがいるとなれば話は別で、ずっと攻撃を受け続けるだけという訳にもいかないのだ。だが、俺が平然と攻撃を受け続けている一方で、ノラの表情は段々と恐怖に固まっていっているように見えた。
「……だめ、無理……。もうだめね。僕、ここで死ぬんだ……」
どうやら、実に劣勢だと思い込んでいるようだ。全くもってけしからん。これがいいというのに……。
「おいおい、しっかりして──」
「や、やってられない! 僕は逃げるよ! じゃあね!」
「お、おい!」
「ぴぃいいい」
俺たちが少しの話をしている間に、スライムクイーンはしびれを切らしたのか、さらに多くの攻撃を仕掛けてくる。俺は後ろを振り向いている余裕もなく、前へと視界を戻し、ひたすら攻撃を受けることに専念する。
痛い! 身体への衝撃は、ひたすら俺の痛覚を刺激していた。余裕がもてない。だが、それでいい。これこそが、俺の求める嗜虐である。無論、スライムクイーンの側としては、嗜虐というよりは、捕食のための攻撃──だが、俺とスライムクイーンの利害は一致(?)しているのだ!
しかし、俺にとって、つらいことが起きる。
「ふううぅう」
俺は溜まらず恍惚の声を漏らした──が、この場でその声を聞いているのは、俺とスライムクイーンの二人に過ぎなかったのだ……。
逃げられた。
逃げた、ということだ。ノラが俺を置いて逃げたということだった。俺はノラがいないことを確認する。どこへ逃げたのか、その答えまでは分からないが、俺がスライムクイーンの攻撃を引きつけている間に、ノラは逃げてしまった。彼女は恐れたのだ、自分が死ぬことを。
「くっそ」
俺は少しだけ悪態をついて見せた。いくら俺がモンスターちゃんの攻撃を受けたいからといって、ノラの裏切りにも近いこの行為を簡単に見過ごすわけには……。
いかない、そう考えかけたが、俺はスライムクイーン様の攻撃を受け続けつつ、そうじゃないんじゃないか、と考え直す。
「これは──俺の墓場に相応しいんじゃないか?」
もちろん、まだまだ生きてモンスターちゃんたちの攻撃を受け続けたいという気持ちもある。しかしながら、女の子に裏切られ、見捨てられ、そして、女王様に嬲り殺される。こんなこと、こんなことって──!
「最高ぅううう!!」
安心していただきたい、決して、気が狂ったという訳ではないのだ。これこそ、追いつめられて、追いつめられて、究極で死ぬ、ってことじゃないか? なんてことを思っただけだ。どうせ人はいつか死ぬ。それが今だったというだけ。病魔に犯されたり、はたまた、ちょっとした事故、自然災害で死んだり、そういう死に方よりは、俺にとってよっぽどいい死に方なんだ、これは!
そのくらいの覚悟が出来てなくて、モンスターたちに立ち向かっていくことなんてできないんだよ、なんていう悟りの境地──ではなく、煩悩、被虐の境地に達しようとしている俺。
「……ぐぅ」
そうしている間にも身体は蝕まれる。スライムクイーン様が威嚇とばかりにまき散らしている消化液が、俺の装備の隙間から入ってきており、身体の隅々が、常時、激痛に襲われていた。皮膚が攻撃されている。神経が攻撃されている。
その痛みと戦いながら、しかし、俺は致命傷を避けるようにうまく立ち回り、また、相手の攻撃の衝撃を受けさらなる痛みを感じつつも、倒れないように踏ん張り、ひたすら攻撃を耐え続ける。
徐々に、気持ちがふわふわとしてきた。
それは、脳が本能的にもうすぐ自分は死ぬんだということを告げているようであり、しかして、それでもなお、俺の煩悩は諦めることない。
「ほら、ほら、痛い? 痛いですか?」
なんてことをスライムクイーンが言っている──ような気がする。はい、痛いです、ズキズキドキドキしますぅう。ぶひぃい!
恍惚の中、意識が遠のいていくような気がした。
身体に染みついた防御で、なんとか倒れることなく攻撃をしのぎ続けているが、次第に身体がいうことを効かなくなってくる。いや、身体が思うように動いているのか、それとも、満足に動いていないのか、それさえ分からない気がしてくる。
ノラは無事に逃げ出せただろうか? 彼女も目的をもって行動していたとはいえ、俺の性癖に付き合わせてしまったことは確かだ。フェチに人は巻き込むな、という格言がある。巻き込んではいけなかったのだ。彼女が助かるといいなぁ、なんて思いが、恍惚の中にほんの一筋だけ思い浮かぶ。助かって欲しかった。それでこそ、見捨てられたということだ。助かって初めて俺は見捨てられることができるのだ。彼女がもし倒れてしまったりしていたら、それはもう心中である。そんな美徳、俺が身を置くべき場所ではない。それでは俺は満たされない。
──意識。
途切れようとしていた。俺は最後に絶叫した。なんと言っただろうかもはや俺の脳は認識できなかったが、多分、やったぁ、だとか、喜びの声をあげたのは確かだ。
目の前には綺麗な麗しのスライムクイーン。にんまりとした表情をしているように見える。俺を打ち負かしているということが彼女には理解できているのだろうか。それゆえの、にんまりとしたその表情なのだろうか。
その真偽を確かめるよりも前に、俺の意識は──途切れようとしていた。
「──今──る──」
声が聞こえた気がした。俺の周りが、煙か何かに包まれているような気がする。しっかりと視点がが定まらないが、何かが起きている……。
だが、何が起きているか俺は知ることなく、意識は途切れていった。
ふわふわとしていた。魂だけになったのか。俺は死んだのか。いやいや、考えられるということは死んでいないということなのだろう。きっと、死んだ後というのは無なのだ。そこに思考など存在しない。それはつまり、煩悩さえも存在しない。俺は死んだということになる。
だが、こうして何かを考えられているということは、そうではないということを意味する。
「……あ」
視界が開いた。俺の瞼が開いたことを意味しており、同時に、声が耳に入る。ノラの声だということは、視界にノラの顔があったことからすぐに理解できた。
「……なんだここ」
天国ではない。病院? ノラの装備がところどころ破れていることからも、スライムクイーンとの戦闘がなかったことだとは到底思えない。あれは現実だったに違いないし、戦闘の後半、意識は混濁していたものの、つい先ほどのことかのように思い出せる。夢も見ていた訳ではない。間違いなく、戦っていたし、そして、それは多分ほんの少し前のことなのだと思えた。
「あー!」
いきなり、ノラが声をあげて、ノラはその女の子にしては短めの茶髪をかきむしる。一体何だっていうんだ。俺が何も言えずに驚いた目でノラのことを見つめていると、ノラが一人で話し始めた。
「僕が悪かったよ! 僕が悪かったから、そんな目で見るなよ! 大体な、お前──レオがあまりに警戒心がないのが悪いんだからな」
いわれのない罪で俺が糾弾されているらしい。困った。俺には状況が飲み込めないでいた。一体全体、どうして助かったというのか。疑問、疑問、疑問、である。
「あー、あー、はいはいはい。助けたの。僕がね」
「……うむ」
それは、そうだろうが──。あれっ、てことは──。
「レオの、なんか……気持ちいいぃい! みたいな叫び聞いてね、僕は、気でも狂ったのかと思ったよ。それでこっそり見にいったら、まだ一人で戦ってるじゃない? いや、意味が分からなくてさー? 馬鹿じゃん! って思って、アホらしくなって──あ、でも、本当は、レオはもう死んで僕はたくさんお金をもらってるはずだったんだからね?」
ますます話が飲み込めない。俺の知らないところで、何かが起きて、何かが終わっていて、めでたしめでたしとなっているとしか思えない!
「……あー、だからね」
ノラはゴホンと咳払いすると、少し、恥ずかしそうな、言いづらそうな表情になる。俺は、黙った先が話されるのを待つ。
「だからさぁ、僕は──そのー、騙してたんだよ、レオを」
「……?」
「あのギルドの職員に、こっそり契約しといたの。保険──生命保険ってやつ。僕とレオの仲を、とっても深い仲でかけがえのない親友、旅仲間なんだ、なんてことを言ってさ。危険な仕事なんだろうから、お互いに保険を入れさせてくれってね」
ノラは、実に神妙そうな、そして、申し訳なさそうな顔をして俺に話してくる。俺は、一から十まで話されて、ようやく自分の身に何が起きていたかということを理解することができた。
「あ~」
考える、整理する。自分の身がどのような状況におかれていたか。
同時に理解する。あっ! これって、もしかして、俺、騙されてた!? 利用されちゃってた!? ということを理解する。やっほーい! 悪女だ、悪女!
「悪女だ!」
つい言葉に出てしまった。すると、ノラは何を思ったのか頭を下げる。
「ほんとーに申し訳ないッ! 僕が悪かった、もう改心する。今まで、いろんな悪事を働いてきたよ、生きるためには仕方のないことだって思ってたし、俺が騙したやつら、悪事を働いたやつらは、皆俺と同類、同じ穴の狢なんだって思ってたんだ……」
なんだなんだ、改心し始めたぞ、し始めちゃったよ……。俺は、いやいいんだ、そのまま悪女のままでいて欲しい! などといって是が非でもその改心を止めたいところであったが、そういう空気ではなさそうだし、何より、自分が救われているという現状が、既にノラの改心は終わってしまっているということを意味している。
「でも、レオ、あんたは違った。いや、僕には理解できないけど──その、だからこそ、もう少しそばにいてやりたいな……って」
うわ、デレじゃないか! これは! 困ったぞ、ドMにとって、デレられるというのはなかなか始末に困る問題だ。これは決して俺がクールだからそういうことを言ってるんじゃない。分からないんだ、デレられた時の扱いが。いやはや、困った、困った、困ってしまった。
「だからさ、謝るよ。騙そうとしてごめん!」
もう俺は覚悟した。言うしかない、言うしかないんだ!
「ああ、大丈夫だ。俺は、ドMだからナッ!」
その時のノラの顔は、一体何を言っているんだ、という表情に達することもないくらい、何を言っているのか分からないというような顔であった。