第19話
「何故か、ですよね、それは、これが、俺のM騎士道、だからですよ」
ここが俺の終着点、俺はそう信じていたし、それは、少なくとも俺の中では揺るぎない事実である。ここが俺の墓場に相応しい。もう覚悟は出来ていた。俺は、目の前にいる魔王様の手の中で死ぬ。
「え、む? そんなの、ボクは、ボクに理解できないっ! 意味が分からない! 生きようとしているおに、生きようとしていない……。そんなの」
魔王様に、俺のことを理解していただくことはどうやら難しいらしい。
俺への攻撃はまだまだ続いており、俺は、ついに、この手で盾を支えることが不可能となる。盾を使った防御を完全に諦め、俺は、この身体を以て、魔王様の攻撃を受け続けていた。
意識は朦朧としていた。もう体の感覚はほとんどないに等しい。例え、攻撃が止んだとしても、もう俺の手で魔王様をどうにかするということは体の関係からして不可能だろう。とっくに、体はその痛みを俺に伝えることを諦めており、けれども、俺の顔は、恐らく、笑顔。
悦びを魔王様に伝えていた。もう何も隠す必要なんてない。もう何も守る必要なんてないし、もう何もかも偽る必要もない。
魔王様は何かぶつぶつと呟きながら俺へと痛みを与え続けていた。まるで、信じられない物を見続けているような顔で、けれども、彼女は、きっと、彼女自身のこれまで得た知識を否定することが出来なかったのだろう。
「あり得ない、ニンゲンが、ボクに理解できない行動を取るだなんてことあり得ない。誰かを守るだとかいって、最後は命乞いをしたり、ボクにわざわざ殺されるために歯向かったり、攻撃したり、そんなの、全部理解出来てたはずなのに、こいつの行動は全く理解できない」
俺への蹴り。うつ伏せている俺の腹へと食い込むように刺さるその蹴りを感じられるだけの感覚が俺に残っていないのが残念でならないが、今の一撃で、俺の内臓がいくつかダメになったのかもしれないと考えると──んひぃ、幸せェ……。
人は思うだろう、そんな訳ない、と。いやいや、それが違うんだ。本当にそう感じてしまっているんだから仕方ないんだ。もう、ここまで来てしまった俺が失うことが出来る物といったら、この命くらいなもんだ。それを失う瞬間が刻一刻と近づいているんだ。
それは、罰、だろうか? 村の人、一緒に戦った兵士たち、それどころか、大切に思っていた仲間が死んでもなお、快楽を感じている俺への罰だろうか?
もし、神様なんていう存在がいるとしたら、きっと罰として、まさに、死ぬほどの痛みを俺に与えているのかもしれないな。でも、残念だったな、それは、むしろ、ご褒美なのだ……! 俺に何をしようが、もうそれは全部ご褒美になってしまうのだ! まさに、これこそ──
──これこそ、最硬の騎士、なんじゃないか? ははは。
俺は、まだなんとか動く表情筋を動かし、笑む。
俺は、ヒーローなんかじゃない。俺は、誰かを守る立派な騎士なんかじゃない。だけど、一つ言える。俺の勝手だろ、と。けど、別に、それは誰に言うでもない。別にドロリスのような生き方も、ノラのような生き方も、騎士団の隊長さんのような生き方も否定する訳じゃないんだ。俺は、俺のために生きて、俺のために死ぬ。その過程に、何があるかなんていうことは人によって違うっていうだけの話だ。
「……理解、できないん、ですね」
げふ、げふ、と口に出来ているかどうかも分からないが、俺は魔王様に言った。きっと、それが理解出来てないんだろう。別に、教えることもない。なんたって、教えてしまったら俺のことを虐げてくれなくなってしまうかもしれないじゃないか。
いきなり、魔王様の攻撃がピタリと止まった。俺は、なんとか顔を魔王様の方へと動かし、魔王様の様子を伺う。多分、このまま放置されても俺は息絶える。最後は見つめて終わってくださるというのだろうか? ここまで来たら、もうどっちだっていい。魔王様は横たわる俺を哀れな者を見るかのような目で見下しているように見えた。
しかし、どうやらそれは違ったようで、魔王様は、すらりとしゃがむと、目線を俺の顔まで下げて、俺に言った。
「もし、取り戻させてあげるー、って言ったら?」
俺の頭は朦朧としていながらも、その言葉を理解しようとする。
「もし、お前の命も、そして、そこに二つ横たわっている女の命も、助けてやると言ったら?」
俺は、勿論その言葉を理解出来た。
可能だろう。断じてもいい。魔王様はそれだけの力を持っていらっしゃる。魔法というのは魔の理。かつて蘇生を司るような魔法使いもいたと聞く。その頂点に立ちうる存在なら、それくらいのことを出来てもまるで不思議ではない。
だから、本気で聞いているのだろう、魔王様は。俺はどんな顔をしていたのだろうか? 魔王様は続けて言う。
「もちろん、条件があるよ」
魔王様は俺へ目線の高さを合わせたまま続ける。
「それはな、お前を教えること。僕はお前のことを知りた──」
「残念、だけど、断る」
俺は言い放った。ありったけの力を振り絞って、魔王様が話し終えるよりも前に、魔王様の申し出を断った。挑発するように、唾をかけてやりたいところだったが、残念ながらそんな動作をすることさえ難しいほどに俺の肉体はダメージを受けている。
何で断ったかって、そんなもん、決まってるんだ。俺は俺の生を貫きたいんだ。俺は、俺のために生きて、何より、俺のために、死にたいから。いや、いいだろう、こういう命の使い方ってのも。命は一つしかないんだから。
何が大切な命の使い方か、なんてことを人は語るし、人は命を守りたがる。騎士団にいた頃に、騎士の人たちはよくそんなことを言ってたっけな。でも、これが俺にとっての最高の命の使い方で、決してこれは命を粗末にしただなんてことじゃないんだ。
「…………ッ!」
俺の返答を聞いて、魔王様の顔は一気に険しくなった。これまでの、にへら、とした気味の悪い笑みを浮かべることもなければ、無表情に俺を蔑むこともなく、俺に対して敵意の視線を向けていた。
どれだけ怒ってくれても構わなかった。もう俺は魔王様に全てを奪われ、全てを壊されたのだから。
今の俺は、もうどんなことでも、全てが全て受け入れられる。無限大、無限大なんだ!
俺は、魔王様に見下げられ続けた。
時間が流れる。何度も言うように、もう俺の身体は痛みを感じていない。
視界が徐々に薄らいでいくのが分かった。ぼやけて、ぼやけて──ついには、真っ暗になる。それは、目が見えなくなったのではなく、瞼が閉じられていたのだ。作り出された暗闇。残された感覚は聴覚くらいなものだ。
誰の声も聞こえない。聞こえるのは俺の脳が発する絶望の崖が崩れようとしている音くらいなものだ。
ああ、死ぬというのは、こういう感覚なのだ。走馬燈というのは本当に流れるんだ。俺の本能が、俺に生きてれと、俺が生存する道を探すために必死になって俺の記憶を見返して──走馬燈として見させて──俺を生きさせようとしているんだ。
はは、笑ってしまう。ごめんな、本能。もう、俺は生き残るための選択肢を捨てしまったんだ。
いつの間にか、聴覚もなくなっていたように思えた。残るのは脳の奥にある僅かな思考のみ。いや、これは思考が出来ているのかさえ不明。もう俺の脳は何かを考えてなどいなかった。ふわふわとした実感のない世界を漂っているような、あるいは、漂ってさえいなくて、黒い深い、海に沈んでいくような──。
意識はなくなった。
これが、世界の終わり、いや、俺の終わりなのだろう。真っ暗な中でただ時間だけが流れているのだろうか。何も感じず、走馬燈さえ終わり、終わりが来る。そこは天国だろうか? 地獄だろうか? いや、そんなものなくて、無なのだろうか。恍惚の海の中、レオポルト・マルトリッツは終わる。
そして、俺の感覚は途切れた。
──ありがとう──
沈む、沈む、深い海の底。
沈むということは地獄だろうか? うーん、どうにも、そういう景色は見えないらしい。見えるのは真っ暗な世界だけだ。
「あー、全部なくなっちゃったなぁ……」
俺は呟いた。これは声になっているのだろうか? なっていなさそうだ。
「誰が見たって、無駄死にだろうな。俺以外から見たら」
俺はまた呟いた。別に聞こえなくたっていいんだ、俺が、俺に言ってるんだから。
「でも、じゃあ、一体、どういうの無駄死にじゃないんだろうな」
俺は、最後にもう一度だけ呟いて──今度こそ、本当に、何もなくなった。




