第18話
けれども、すんでのところで、それはドロリスの放った強い視線によって遮られる。止めたのだ。ドロリスが俺にその存在をアピールしたのである。今は違う、ということをアピールしたのであった。
彼女は未だに詠唱を続けていた。ノラがバタリと倒れた姿を見て、それなりに強い怒りを抱いたには違いない。しかし、彼女は目の前の敵をどう倒せばいいのかということを冷静に判断していたのだ。それこそが、ドロリスの強さだと言えるだろう。
俺は、刹那、その制止を無視して突っ込んでやろうと思った。ドロリスは悔しくないのか、短い時間とはいえ、行動を共にして来たメンバーが倒されて悔しくはないのか、そう問い正したい気持ちが溢れ出そうになった。しかし、すぐに考え直す。違う。ドロリスはそれら全ての感情を押し殺して、詠唱を終えることに全力を注いでいるのだ。
なんのため? そんなものは決まっている。今目の前にある脅威を倒すためである。
では、俺が出来ることはなんだろうか? そんなことも決まっていた。ドロリスを守り通すこと、ただ一つだ。ノラの治療をする術を俺は持たない。ノラは、確かに、生きたいと言っていた。その願いを達成させることは出来なくなってしまうかもしれない……。
俺の胸には、ノラを失う、という大きな大きな穴が空くが、それを無駄にしてはいけないと俺は思いなおし、再び、盾をがっしりと、力強く構えた。
「…………」
無言で魔王を睨む。怒りを押し殺すようにして魔王の睨む。魔王はその視線に何を言うでもなく、首を傾げた。
「あれ……おかしいな。君は、他のニンゲンとは少し違うような気がしたんだけど、やっぱり一緒?」
魔王の目は全てを飲み込むような暗闇で俺を捉えていた。この問いに答えた時、俺の命が終わるということが予想できた。俺は、他の人と一緒になることができたのだろうか? 他の騎士たちと、兵士たちと──ドロリスと同じように……。
「……分かるものか、そんなこと」
俺は、もうこの際、馬鹿正直に答えてやることにした。どうせ何を言ってもこいつと戦わなければいけないのだ。どう答えたら生き延びられるなんてことは、ない。正直に答えようが、何かを考えて答えようが、はたまた、沈黙を突き通そうが、この魔王とかいう存在の思考を理解することなんてできないということはこれまでの会話から良く分かったからだ。
「分かんない! ……あ。それはだめだね」
俺は返答を誤ったのかと思ったが、どうやら違うようであった。魔王が見ていたのは俺ではない。ドロリス。すぐに察する、ドロリスに関心を寄せているということを。じゃあ、一体何のために……? 何がダメなのか……?
ピンとくる。ドロリスの詠唱が終わろうとしていたのだ。魔力の高まりを感じ、魔王がその言葉を放っているのだろうということを察して、次に魔王が取るであろう行動を予測する。当然攻撃だろう。ドロリスへの攻撃。魔王は自身へ武器を向けた人間を尽く殺しているのだ。それならば、先ほどの言葉は当然、ドロリスの詠唱に対して、だめだ、と言っているに違いない。
魔王は、言葉を放ちながらドロリスへ手を向ける。
「お前が、ボクを殺そうとするのは分かる。魔力からよく感情が読み取れる。怒り、だね」
言いながら、魔王は暗黒色の魔力をドロリスへ向けて放つ──が、俺はそれを大盾で受け止める。
衝撃! ゴウン、という衝撃が両腕に重くのしかかる。きっと、その衝撃の発生自体はほんの刹那の出来事であったのだろうが、俺の腕はその力に耐えきれず、メシメシという音を一瞬感じたと思った次の瞬間には、大盾を吹き飛ばされ、背後にあった俺の体は大盾と共に後ろへと倒れる。耐えきれなかったのは腕だけではない。身体全てが、その衝撃、威力に耐えきることが出来なかったらしい。
盾の直撃を体に強く受けた俺は、しかし、なんとか、攻撃をしのいだということを認識する。その代償は決して小さくはなく、俺の腕は既に盾を支えるので精一杯、自在に素早く動かすにはあまりにも損傷を受けていた。骨にヒビくらいは入っているであろうか……。しかし、回復はできない……ノラは──。
ドロリスは険しい顔をしながらも詠唱を続けていた。魔力の高まりは、俺の肌でも感じることが出来るほどに大きくなっていた。もう数秒。あと数秒。村は壊滅しているし、ここで魔王を倒したとしても、決して手放しで喜べるような勝利ではないだろう。けれども、魔王を倒すには、ほんのあと僅かに、投げたコインが地面に落ちるくらいの時間があればいい……。
「うぁあああ!」
俺は叫んだ。ギシリ、ギシリ、と痛みを訴える足になんとかいうことを聞かせて、立ち上がろうとした。そのために声をあげて自らの身体を奮い立たせる必要があった。力の限り、叫び、歯を噛みしめ、立ち上がろうとする。
魔王は困ったような、嬉しいような、そんな顔をして、再び、放った。魔力の弾丸を。
パシュッという音が鳴り、暗い閃光がドロリスの胸を貫いた。直撃。それは、ノラへの攻撃とは比較にならないほど綺麗にドロリスの身体を貫いた。俺の盾の守りが一切ない、邪魔のない貫きは、美しくさえあった。
「かはっ」
という微かな声とも、ただの空気の漏れとも聞こえるドロリスの言葉。ドロリスは、ゆらりとその体を揺らし、詠唱を続けようとパクパクと口を開けたり閉めたりしながら、倒れた。
身体を地に預けたドロリスの目は恐ろしいものを見るかのように、どこか一点を見て、動きを止めていた。
「……!! こ、の! この!」
俺は魔王に向き直った。もう俺が剣を抜くことを止める人間はどこにもいない。この地に両足を着いて立っているのは、もう、俺と魔王ただ二人しかいないのだ。
魔王も俺を見ていた。くふっ、という笑いをこぼしていた。
「この野郎! この野郎! この野郎! こんな!」
俺の吐きだす言葉は、罵倒でも何でもなく、ただ、魔王への怒り──。
全てを失った。仲間を失った。共に旅した仲間を失った。スライムクイーンを、ドラゴンを、共に倒し、生活を共にし、これから先、一緒に過ごしていこうと考えていた仲間を、俺は失ったのだ。
あっけないものである。魔王という絶対的な力を持つ者の前に、俺は、まさしく、絶望。絶望を味わったのだ。罵倒も何も出てこないのはそれ故だろうか。今、魔王を倒したところで一体何になるというのか。もう何も守るべきものもなく、ただただ失った俺は、今、何の為にここに立っているというのか。
「死んじゃったね」
くふっと笑う魔王。一体何を考えているのか、俺には理解できなかった。
脳は思考を停止し、激しい怒りは、今や、深く深く、底の見えない悲しみへと変化しようとしていた。俺の周りに横たわる二つの肉体。ノラ、ドロリス。二人はそれぞれの思いを口にし、そして、圧倒的な力の前に散った。
魔王の一言は、俺にその事実を明確にさせるのに十分で、俺が、涙を流すのには十二分だった。
「……泣いている? 死にたい?」
「違う、違う、これは」
魔王は、また、首を傾げて俺を見ていた。俺に絶望を与えた女の顔を、俺は、痛いほどに直視した。そして──感じた。
「違う、そう、死にたい……殺してくれ」
ただ、俺は、言葉を口にしていた。同時に、頭に、懐かしい感覚が蘇ってくるのを感じていた。これは、俺が、求めていた、感じ。間違いない。これは──これこそ──。
「分かった」
魔王は腕を振りかぶった。俺は、けれども、それをそのままこの身で受け止めることなく、大盾で受け止める。
無論、それで防ぎきれるような一撃ではない。華奢そうに見える魔王──いや、魔王、ちゃん──であるが、その身体は膨大な魔力により生物とは思えないほどの力を持っており、打撃による攻撃は、巨人族に蹴り飛ばされたような重厚な威力を持つ。俺は、その衝撃をがっしりと全力で盾で受け止め、俺の筋肉はそれらのダメージを全てまともに受け止める。
数メートル吹き飛んだ俺はそこら中をボールのように土へと衝突させ、激し過ぎる痛みの中に身を置く。痛い。痛くて溜まらない。身体も、そして、心も。まだ俺の絶望は冷めきってなどいない、そこへ加えられる魔王ちゃんの攻撃はこの上なく最高の──。
そう、最高の──嗜虐的行為だった。
「やっぱり、お前、死にたがっていないな?」
魔王ちゃんは、その妖艶な体をこちらへ向けて一歩一歩、確実に大地を踏みしめて吹き飛んだ俺に近づいてくる。途中、ノラやドロリスの身体を何もないただの地面であるかのように蹂躙し、俺のところへと差し迫ってくる。
言おう。俺は、今、興奮している! ぞくぞくぞくぞく、と絶え間ない興奮が俺の脳から湧き出て全身に広がっていた。それは、絶望の底に叩き落とされたからこそ感じられる感情であり、魔王ちゃんの手によって俺が大切にしていたもの、時間をかけて築き上げたものを一瞬にして破壊されたからこそ感じられる感情であると言えよう……!
おかしくなっているのかもしれない。
うん、俺は、頭がおかしくなっているのかもしれない。自分の死がすぐそこに迫っているせいで、おかしくなっているのかもしれない。だが、溢れ出るこの煩悩を抑えることは無理であり、この時間がずっと続けばいいのにと思っているのだ! この絶望の底こそが!
「死にたい、俺は、君に殺して欲しいんだ。俺は、この身で君の全てを受け入れたい」
俺は咳き込みながらも話をひたすらに続けようとした。魔王ちゃんが一歩一歩こちらへと近づいてきてくれている。どうにもならない俺の熱い情熱を吐き出さないと、どうにかなってしまいそうだった。
自分がおかしくなっているのか、おかしくなっていないのか、なんてこと、もはや俺に判断できることではなかったが、確かに言えるのは、俺は、被虐心を取り戻してしまった──いや、忘れてなどいなかった、ということだろう。愚かだと罵られようが、どれだけ人に馬鹿にされようが、これは、事実なのだ。
「あぁ、美しい」
こちらへと到達し、俺を見下ろしている小振りな魔王ちゃんの身体はしなやか。女性らしい身体つきかと問われればそうではないが、その不気味な目つきはいつしか妖艶なものに見えていた。
「……美しい?」
俺を殺そうとしていたことは確かだろう。しかし、俺の小さな呟きに対して、魔王ちゃんは俺に問い返していた。無慈悲に、ひたすらに、こちらの考えや発言に対しておよそ適切な態度を取っていたとは思えない魔王ちゃん──いや、魔王、様、からの問いに俺は答える。
「美しい──俺の全てを奪って、俺を徹底的に痛めつけて──精神的にも、肉体的にも、無慈悲に、理解不能に、俺を虐げる……」
俺の中には、もう、冷静などという言葉は残っていなかった。冷めない興奮に俺は包まれていた。高揚。
先の言葉を、ノラやドロリスが聞いたら何と思うだろうか、なんてことは考えていなかった。どうでもいい──といっては、それはもう、失礼というより、最低。そう、最低かもしれないが──どうでも、いい。俺自身の快楽、そんなものを求めるために、二人の前でこんなことを口にしてしまう自分自身の情けなさ、その情けなさを引きだしてくれる彼女こそ、俺が、様を付けて呼ぶに相応しい相手なのだ……!
「何を言ってる、ニンゲン。……でも、死にたくないと思ってる……」
そう、俺は、死にたいけど、死にたくない。ずっとこの嗜虐を受け続けたい。本心からそう思っていた。
魔王様は、俺のことを見下し、冷たい視線を注ぎ続けながらも、その視線を訝し気なものへと変えていく。俺が魔王様を理解不能であると同時に、魔王様もまた、俺のことを理解できないでいるのだろうか。
魔王様が俺の片腕を踏みつける。嗚呼ッ! 痛いッ! がっ! 心地いい! 常に全身を襲う重たい痛みとは別に、俺に対して何かを問うような踏みつけは俺の肩腕をへし折らんばかりに容赦なく痛みを与えてくる。倫理観のある人間では成し得ない慈悲なき攻め。これぞ嗜虐と言えよう。魔王様は、無自覚に、残虐な行為によって俺の真意を推し量ろうとしているに違いない。
俺は嘘など何一つついていないのだが、それでもなお、魔王様の嗜虐的行為は止まず、俺へと苦痛──いやっ! 快楽を与え続けて下さる!
「イ、痛いッ! あぁっ!」
俺は、けれども、そのお御足に対して触れることは決してしない。ちぎれるような痛みを与え続けても、抵抗しない俺を見て、不思議に思ったのか、魔王様は再び俺に問う。
「何故だ? 何故……? ナカマが死に、悲しむでもなく、怒るでもなく、恐怖するでもなく……」
初めて新しい物を見る子供のような声で俺に聞いてくる。魔王様に聞かれたからにはお答えする他選択肢はない! 俺は脳からどばどば出ているであろう様々な脳内麻薬の力を借りて全身で快楽をむさぼりつつ返答する。




