第17話
「皆に聞きたいことが──」
その言葉を魔王が話し終えるよりも前に、数人が魔王に向かって切りかかって言ったり、攻撃魔法による攻撃を行ったりして、数人の命が失われた。魔王は笑顔とも、悲しみとも取れないような、およそ人の表情とは思えないような中途半端な笑顔で話を続ける。
俺は動けないでいた。
「あるの」
再び、数人の命が消える。同様にして消える。魔王は自分の話を聞かれていないことに苛立ったのか、ついでと言わんばかりに、膝をついていた隊長の首を飛ばした。文字通り、隊長の首はすこーん、とボールのように宙を舞い、ぐちゃ、という嫌な音とともに地面に落下する。
俺は思った。今、俺は、嗚咽を堪えらえないような、酷い精神状態にあるのではないか、と。前、一緒に戦っていたとても強い頼れる男が一瞬のうちに死に、魔王という存在の圧倒的なまでの強さにひれ伏し死を覚悟するしかないような状態に追い込まれているのだから。
けれど違った。俺の頭に思い浮かんでいるのは、少なくとも、多分──そんな状態じゃないような気がした。恐怖で気が狂ってしまっているのかもしれない。
「なんで皆は──」
この場でただ一人、絶叫や悲鳴ではなく、言語として声を発し続けるのは魔王ただ一人であり、同時に、こんなにも沢山の人がいるのに、その声に耳を貸そうとするものは誰一人いなかった。
しかし、もはや、この目の前で行われているのは戦闘などではない。虐殺。立ち向かう兵は尽くその圧倒的な戦闘力の前に薙ぎ払われるようにして倒れていく。向かってきたから倒す、魔王はそんな当たり前のことを当たり前に行っていたし、何より、それを苦とも思っていなさそうなゆるい表情のまま一歩一歩先へと進んでいく。それでいて、話を続ける。
「戦うの?」
何人もの騎士が倒れた。そして、ついに──魔王に立ち向かう者はいなくなった。
人は一目散に逃げ始める。戦闘が辛うじて継続されていたのは、指揮官、隊長の死後も、己の意志でこの魔王を倒さなければならないと考えた人間が多かったから。それら勇気に溢れた人々は、何十もの死体となって魔王の踏みしめた大地にバタバタと倒れていた。
「やるわよ」
ドロリスが呟いた。俺やノラ、ドロリスの横を、敗走する男たちが悲鳴を上げながら砦の奥──村の方へと逃げていく。魔王の行く手を阻もうとするのは、もう、誰もいなかった。ただ、俺たちを除いては……。
それは完全なる敗走であり、誰も後ろを守る者はおらず、他の人が殺されている間に自分だけでも命を救われたいと思っている集団ということを意味していた。信念を以て戦う者がいなくなった集団というものは、無残なものだった。もし、ここに大量のモンスターでも押し寄せていようものなら、見るに堪えない状況になっていただろう。
俺、ドロリス、ノラが魔王に対峙する。同時に、魔王が視線をこちらに向ける。俺と魔王の目が合った瞬間だった。ふと、頭に過るのは、かつてモンスター達に嬲られることを喜んでいた俺の姿。そんなものを連想している暇なんてないはずなのに、魔王の姿が人型であることからか、どうしても、頭にはそんなことがふわふわと思い浮かんでしまう。
「? 君たちは逃げないの?」
魔王が不思議そうな顔をして聞いてくる。その目は爛々と輝いており、ただただ、心の底から彼女はその問いを放っているように見えた。俺は大盾を構え無言で相手の出方を伺う一方で、ノラはメンバー全体に対して肉体強化魔法、ドロリスはすぐさま詠唱を開始する。
「あれ? 言葉が間違ってるかな……おーい」
こんなに血に溢れた場所において、魔王が平然と俺に会話を求めてくるのは異様な光景に見えた。俺は、始終無視して、防御に備えようと考えた──が、思いついてしまう。相手が、どんな気持ちで、どんな考えて、俺に会話を仕掛けているのかそんなこと分かるはずもないが、利用してしまえばいいのではないか、ということを。時間稼ぎだ。ドロリスの魔法が発動されるまでの時間稼ぎに、この会話を使ってしまえばいいのではないだろうか。これは名案だぞ、と俺の頭が囁くと同時に、俺は、なんと返答すれば会話が長引くのか考えてみる。
「さぁな、どうだと思う?」
俺が出した答えは、疑問で返す、ということだった。俺が相手の会話にのるなんてことを思ってもいなかっただろうノラが戸惑ったような表情になるが、彼女もまた頭の回転が早いらしく、どうやら状況を理解したようではあった。
「あ! そうだ! なんで他の人は逃げるの? さっきはボクを殺そうとしてきたのに!」
だが、相手の返答は俺の会話とはまるで噛み合っていないような答え。俺は返答を悩む。相手は一体何を考えてこの質問を投げかけているのかなんてことを考えてもきっと答えにはたどり着けない。とにかく、会話が続くように返答をしなければいけない。
「そんなもん、人それぞれだろう? お前だって、好きで殺してる訳じゃないんだろ? 何か目的があったりしないのか?」
「それぞれ……? え? そうなの? ボクは、皆、死にたがってるんだと分かった、ホラ、こんな風に」
魔王は既に解を持っていたのように俺に言う。そして、何を思ったか、魔王はいきなり天に手をかざした。俺は、とっさに大盾を構える。ダメだ、言葉と行動が一体どのようにリンクしているのか全く分からない。まるで、別の言語を話しているかのような噛み合いの無さ。攻撃が来る、俺はてっきりそう思ったのだ。
バッ、という音にならないような音がした。俺はそれが魔王による俺たちへの攻撃だと思った。何を思って攻撃してきたのか、そんなことはまるで分からないが、今、俺がすべきなのは防御態勢を取ることだと判断した。
ところが、それはまるで見当違い。魔王の天に向けられた手の平から放たれた、黒紫色の魔力の塊は宙へと放たれ幾多もの線となり四方八方へ散らばっていき──注がれた。敗走する兵へ、村を守る砦へ、そして、村へ。地面などへ着弾したそれらは、人へ直撃すると音もなく冷酷にそれらを死へと導いた。その様子は、俺の後ろから幾重にも折り重なって聞こえる絶叫によって十分に知ることが出来た。
ぶつかった対象が生物でなければ──砦であれば、それは爆散し、崩れ去る音は、俺にまでよく聞こえた。村の方へと放たれていった攻撃もまた、同じような結果を招いているだろうし、もっと考えれば、村にいた人々は……。
「どうだろう? 皆、ボクを襲ってくるよりは楽に死んだかな? 良かった」
魔王は、不気味に微笑んで、問いを向けてくる。俺の思考は、停止しようとしていた。今起きたことを理解しきれていなかった。
「……ぅう!」
ドロリスの唸り声のようなものが詠唱の隙間から聞こえてくる。ドロリスは、今にも飛び掛からんとするような目つきで、魔王のことを睨んでいた。彼女は守るべきものを失ってしまったのだ。無論、彼女が守りたいと願っているのは、この村だけでなく、人間そのものであろうから、全てが失われた訳ではないにせよ、少なくとも、彼女が今、この場で守ろうとしたものは造作もなく破壊されてしまった。ほんの数十秒の出来事だ。
けれども、ドロリスの悲痛な表情を魔王は見るでもなく、ただ、気色の悪い──いや、違う、俺には理解の出来ない笑顔とも、悲しみとも取れないような表情で俺に向けてさらに言葉を放つ。
「ニンゲンは皆、死にたがってる。死にたがってるのに、生きたい、守りたい、と言う。世界は皆死にたがっている。ニンゲンは何かを守りたいだなんて思っていないのに、守りたい、守るため、と言う。言っているのに、言っていない。良く分からないけれど、分かった。ドラゴンは、生きたいと言っていた。本当だった。ゴブリンも、オークも、皆。でも、ニンゲンは死にたがっている。それが分かった」
まるで自らの思考の整理のようだった。気まぐれに放たれたであろう言葉だと説明されるのが一番納得のいくような、そんな言葉であったが、俺は、なんとかキシキシと思考を放棄しようとする脳みそを奮い立たせて回転させる。今の魔王の言葉を理解するんだ。しなければいけない。防御姿勢を取りつつ、俺は頭を動かす。
「バカなことを言うな! 俺たちだって、必死に、生きたいと思って──」
「生きたいと思ってるに決まってる!」
俺が言い淀んだところで声をあげたのはノラだった。
「魔王、あんたが何かなんてこと、僕は知らないよ。でも、さっきから話を聞いてて分かった。ドラゴンにも何かしたのね?」
魔王は俺以外の人間が話したことにはさほど興味がないようだった。魔王は既に相当な数の人間を殺している。先ほどの攻撃で。しかし、俺たちに対しては攻撃をしていない。さて、その理由は一体何なのか……。
「ドラゴン……? うん! ドラゴンの親を殺して──そしたら、子供が暴れ出したよ!」
そうか、だから、あのドラゴンは小さかったのか。
「いったい何のために!?」
ノラが怒りを堪え切れず全面に出して問う。けれど、魔王の返事は、ノラの知りたかったものではなかった。
「あ、それは、怒っているの。怒り──ニンゲンは怒る。ドラゴンも怒っていた。同じ。すごい! 分かった!」
何が分かったのかなどということは、俺には一切分からなかった。魔王の中で、何かが分かったのだ。そして、その次の行動は実に素早いものであった。俺はなんとかその魔王の動きについていこうと試みる。
腕が振りかざされる。その瞬間に嫌な予感がしたからだ。頭に過るのは、先ほどの魔王の攻撃。手の平から魔力を出すという単純にして、実に効率的な攻撃。その攻撃は、戦闘を成立させない。圧倒的な魔力の槍は、技や駆け引きなど関係なしに、力でこちらをねじ伏せ──息の根を止めるための手段として効果的、最適解であると言えた。まるで今までの攻撃は俺たちに何かを問うているかのような攻撃だったということが分かる。簡単に言えば、手加減されていたのだ。試されていた、と言い換えてもいいだろう。
腕が振りかざされようとした先は、ノラ。その腕から放たれようとした魔力を俺は盾で受け止めなければならない。受け止めなければ、ノラは、死ぬ。彼女は防御策を何も持っていない。簡易な防御魔法などでは到底防ぎきれない攻撃。薄手の鎧など造作もなく貫くだろうし、厚手の鎧一つでは守り切ることは難しい。例え急所に当たらなかったとしても、その一撃は重たく、暗く、鋭利で、救いはない。望みを絶つ一撃。
俺が大盾を動かし、その動きは、魔王の腕から放たれる黒紫の槍を捉えた。
──かのように思えた。
「えっ」
ノラの最後の言葉はその一言。はっ、はっと荒い息を振り絞るような音が聞こえる。ノラの呼吸音。信じられない、何が起きたのかを理解したくない、という思いを抱いたノラの呼吸音。俺は、防御も忘れて振り向かざるを得なかった。それしか俺には出来なかったのだ。
ノラはバタ、バタ、と足をつきながら、地面へと伏せ込んだ。魔王の一撃は、俺の盾で全て防ぎきれていなかった。思い浮かぶのは、死、という言葉。俺の盾は、僅かに魔王の攻撃を防ぐには届き切っていなかった。ノラへの攻撃は直撃ではなかったにしろ──だが、しかし……。考えにくい、生存は、絶望……。
そこまで思考がたどり着いたところで、俺は叫ばざるを得なかった。声をあげて、必死に抗議することでしか伝えられなかった。今、目の前にいる敵に、俺はお前を許せないだろうということを何とか伝えるには、それしかなかった。
「うわぁあああああ!!」
頭に血が昇る。全身に血が巡る。状況の理解なんてものは後回しにして、今すぐにでも、目の前にいる敵──そう、敵を討ちたい。倒したい、俺の剣で、切り付けたい。強い強い思いが溢れ出る。それにも関わらず、俺が睨みつける魔王の顔は、まだまだへらっとしたような、張り付いたような、意味不明な笑顔であった。
俺は、剣を抜こうとした。
俺に湧き上がった感情は、憤怒なのだろう。しかし、俺は、その感情が何たるかを突き止めるよりも前に行動に出ようとした。分かる、冷静に考えれば、今、俺が剣を抜き、目の前の、にへらと笑う邪悪に立ち向かったところで何の成果を出すこともできないだろうなんていうことは分かっているのだ。
怒りは人の判断を鈍らせる、なんてことは常日頃から理解しているはずの理屈だし、怒りに任せた行動によって訪れる結果は、運任せになるなんてことも知っていた。しかし、それでいても、俺は剣を抜き、なんとか一矢報いてやりたいというとめどない怒りの濁流に流されようとした。




