第16話
ここからは、その人影は、せいぜいこぶしくらいの大きさにしか見えなかった。まだ距離が離れているのだ。しかし、進んできているのは分かる。確実に一歩、一歩、前へと──即ち、俺たちがいるこの砦へと向かって大地を踏みしめている。
ここに到着するまでは宙を舞っていたように見えたが、ここに来ていきなり大地を歩き始めたのは一体何の意味があるのだろうか?
今、確かに分かることは、その人影は敵だということであろう。少なくとも、味方ではない。異様な魔力を纏い、その強さからか、その人影の周りはふわりともやに囲まれるようにして不気味に光っているように見える。
行われたのは、魔法の攻撃。爆発魔法を初めとして、様々な火力がその一点へと注がれる。もはや他のモンスターはほとんど倒しきっており、戦力をそこ一点に集中できるというのはとても幸運なことと思っていいだろう。
たちまち、その異様な人影は爆炎につつまれ、辺り一帯が土埃に覆われ、俺も、誰からも、直視によってその人影を視認することができなくなってしまう。けれど、本来はそれで問題がないはずだった。何故なら、それだけの火力を集中して攻撃すれば、多少上位の魔物といえど、一瞬にして消え去るほどの威力を持つ量の攻撃だったからだ。一つ一つの魔法の呪文の強さに関して言えば、ドロリスに遠く及ばないが、この場にいるドロリスを除くほぼ全ての攻撃可能な魔法使いが一斉に攻撃を行ったのであるから、それらを総合した威力を考えれば、ドロリスの魔法一撃にも及ぶほどかと考えらえる。
「…………」
俺は、沈黙して、その後の状況を見守るしかなかった。敵が魔王だなんてことは一度も明言されていないが、しかし、それは、もう、疑いようのない事実とさえ思えた。
しばらくして、徐々に土埃が収まっていくのが分かる──が、土埃が収まるよりも前に、わずかに、俺の耳には声が届いているような気がした。辺りを落ち着きなく伺う俺は、同じく怪訝そうな顔をしているノラと目が合う。
「……聞こえるよな?」
俺が辛抱できずにノラに問いかけると、
「……多分、話し声……?」
と返答。そして、直後、悲鳴。
「なんだ!?」
その悲鳴は、間違いなく人間のものだった。続けざまに次々と聞こえる悲鳴。助けを求めるような悲鳴、痛みをこらえるような悲鳴。分かることは、土埃がうっすらと舞う中で、戦闘が行われているということだった。
ガチャガチャという防具の音や、剣などの武器が振られているであろう音と同時に、物が──いや、肉が爆散するようなぐちょ、ぐちょ、という聞きたくない音が聞こえてくる。
気が付けば、どうやら、俺の見えるところ──砦の前に、居た。
奴はもう砦の前に居たのだ。人影は、完全に実体となって、今、確かに、俺の視界の中に囚われていた。敵の姿。けれど、敵は俺の方を向いてなどいない。敵は──いや、魔王は、歩きながら、向かってくる人間たちを殺していた。
砦から矢継ぎ早に出る兵士たち。薙ぎ払われていく兵士たち。無論、砦の上などから魔法攻撃が行われるが、魔王は何も気にしないかのようにそれらが放たれたところへと、次々に魔力による遠距離攻撃を行っている。
その姿は、決して、強靭そうなものでもなければ、禍々しく彩られた表現するのが難しいような化け物でもない。
「なんだ、あれ、人?」
少なくとも俺の目にはそう写っていた。いや、待て、と考える。もしかして、また俺の特殊能力があまりの脅威の前に復活してしまったのではと考えざるを得ない。また、モンスターたちが人の姿に見えるようになってしまったのだろうか? つい先ほどまで、ゴブリンも、オークも、人型には見えていたけれども、間違いなくモンスターとしての外見を見ていた。
思い返せば、ドラゴンの時からそうだ。あの時から、俺はモンスターをモンスターちゃんと認識することなく、モンスターを脅威として視覚により認識するようになっていた──いや、戻っていた。けれど、今、俺の前に差し迫る脅威は、間違いなく人の身体をしていた。
綺麗な肌色とは言わないが、陶器のように白い透き通った肌は、遠くからでもそれが人のものと大差ないという事実を俺に押し付けてくる。表情はうまく読み取れないが、気味の悪い、楽しそうな笑顔をしているように見えるし、少しぼさっとしているものの非常に長く、腰のあたりかそのくらいまで垂れ下がっている髪の毛も見える。
服は、どうやら、人間のものだ。平民の服と思われるが、すでにボロボロになっているように見える。そのことがより一層、相手は果たしてモンスターなのか、人間なのか、はたまた、俺の頭、特に視覚を司る部分がいよいよパニックを起こしてしまっているのかということを考えさせる。
俺はとっさに、ノラに、
「あれが魔王だっていうのか? 人、だよな? 人の形をしてるよな?」
と聞くと、ノラは、何を言っているんだ、というような顔をして、俺に肯定する。どうやら、俺の頭がおかしくなった訳でもな、特殊能力が再び目覚めた訳でもなく、その魔王は、その村娘のような姿で、確かにそこにいるらしかった。
「……行こう」
ドロリスが呟いた。
「行くって!? なんでだよ、ここから攻撃すればいいだろう!」
俺の否定を、ドロリスがさらに否定する。
「分かるでしょ、あんなの、長距離からやって攻撃が通る相手じゃない。近くで、それも、私の最大出力の魔法を叩きこんで──なんとかなる、か、ならない、か」
「ば、ばかな、そんな……いや、いいか」
俺はそれ以上反論をするのを止めた。ドロリスが真剣な目で俺のことを見ていたからだ。その目が物語ることは容易に想像できる。行きたくないなら貴方は行かなくてもいい、ということだろう。嫌なら私一人で行く、そんなことを言い出すのは明確だったし、彼女は彼女の信念をもって、この場に立っているのだから、そこを俺がどうにか捻じ曲げようとしても無理な話。
ドロリスがスタスタと見張り台を降り、砦の外へ──騎士たちに紛れて駆けるように進んでいく。俺もノラもそれと一緒に駆ける。
周りを行く男たちは、誰もが必死な顔をしていた。中には、村人が武装したであろう人間が何人もいた。その誰もが、自分が何とかしないといけない、と思っているのだろう。
「……皆、ここを守りたいんだ」
ノラが周辺の様子を見ながら言う。ここを離れて生きていけるような連中は、戦いが始まってすぐに逃げている。ここに残っている連中というのは、この地を捨ててしまえば生きることが困難になる農民を中心とした連中。彼らに後退の文字はないのだ。
「──うわぁああ!」
悲鳴がこだましている。魔王は歩みを進めているらしかった。
地を歩くその足取りは、阻む騎士たちを倒すためか、少しは遅くなっているようだったが、ほとんど役に立っていないらしいことは明らかだった。俺は、大盾を両手で持ちつつ、その後ろに剣を構え、歩みを進める。
砦の入り口。
「倒してくれ!」
「頼む!」
どうやら、魔王と対等に戦う者が現れたらしかった。入り口を遮るようにして無数に並ぶ騎士たちの間からなんとか抜け出し、その戦いの様子を見るべく俺はさらに歩みを進めると、一対一で向き合う人影が二つ。
「……あ!」
俺は、その人物を見て、ピンとくる。かつて騎士団に所属していた時の隊長。彼は騎士団の中でも指折りの名騎士であり、攻防一体の戦闘スタイルに魔力による自身の強化を組み込んだ戦い方は部隊の中でも屈指の強さを誇っていた。
「お前が魔王──か。ここは通さん」
どうやら、全体で指揮を執っていたが故に、到着が遅れたらしい。同時に──彼の敗北は、この村を守る組織の頭を失うことにもつながりかねない。
「少しは出来るニンゲンが来たんだね?」
俺が聞いた初めての魔王の声はその一言だった。その小さな村娘のような容姿になんとも一致するような、高い女の子の声。話をする魔物がいないという訳ではない。上位に位置する魔物は言葉を持つと聞く。その言葉は決して俺の妄想の産物ではなかった。確かに、魔王発せられたものだった。その証拠に、隊長がぴくりと顔を動かす。
俺は、視線を俺の元隊長から魔王へと移す。そこにいたのは、やはり──村娘のような人間──いや、魔王。
二人を囲むようにして数百の軍勢がその二人から相当な距離を取って見守る。間に入ることは出来なかった。無理だった。それは、二人がそれぞれが人を寄せ付けないような圧倒的な魔力の渦を放ち続けているからであり、その均衡に立ち入ることは、決して隊長の手助けなどにはならず、下手をすれば、一瞬にして、その魔王に対抗しうる強さを持つ隊長の死を招いてしまいかねないからだった。
それなら、遠距離から魔法攻撃を行ってはどうか、と考える。しかし、それも今や叶わない。それら遠距離攻撃が可能な者どもは、既に魔王の手によって倒されてしまっていたからであり、また、同時に、先ほど記載したように二人の均衡に誰かが立ちいってしまったとして、それこそが隊長敗北のきっかけになるかもしれないという危険性を孕んでいたからである。
「知り合いか?」
俺に聞いたのはドロリス。
「ああ、俺が騎士時代に、ちょっとね」
俺は視線を魔王から離さずにそう答えた。正直な話、この場で彼が勝てなかったとして、さて、誰がこの魔王という存在をどうにか出来るのか、甚だ疑問であると俺は考えていた。さらに言うれば、彼が負けることがあれば、この場の指揮は完全に機能停止する。
それが何を意味するかといえば、答えは非常に簡単である。指揮を失った軍隊というのは、もはやモンスターの雑多な集団と変わりないのである。魔王の対処は愚か、今、ここに、大量のモンスターが押し寄せたとすれば、サイグネの村はたちまち攻め滅ぼされてしまうだろうということを意味していた。
動かない二人。俺は、その二人を見ることなく、ただ、ただ、ひたすら、魔王のことを見ていた。
その容姿は、美しい、と言える。けれども、目を見張るような美しさでもなく、身を包む暗黒色の魔力を除いてしまえば、そこに立つのはただの娘とさほど変わりないような姿だ。それでも俺は美しいと思ってしまっていた。何故、そう思ってしまっているのか、自分でも検討がつかないのだ。二人の戦いを見守る集団の中に、魔王のことを美しいなどと考えている人間がいるだろうか?
俺が彼女──いやいや、魔王を美しいと思っている理由は、魔王のその姿には、普通の村娘とは全く違う何かがあったからなのだろう。しかし、それは、魔力ではない。そうではなく、もっと違う──何かが──。
「いくぞ」
呟いたのは、隊長、らしかった。その呟きが俺の耳に入った時には、隊長は迅雷のごとくその身体を魔王へと接近させており、すぐ後には、もう一撃が繰り出されたようであった。俺が驚く感情を脳へと宿すよりも前に、隊長の姿は何かを薙ぎ払った後の姿になっており、一方で、魔王の身体は一切動いていなかった。
この場にいた人間の誰が、今、起きたことを当事者たちよりも早く理解できたであろうか? いや、理解できたものなど誰一人としていなかっただろう。
「おぉ~」
とぼけたような歓声をあげたのは魔王であり、ボタッという音と共に、この場にいた俺を含めた兵士たちは起きた出来事を理解した。魔王の片腕が切れ落ちた、という結果を。
「うぉおお!」
という歓声が二人を囲む残存兵たちからあがる。俺も思わずそれに加わりたかったが、それよりも先にしたのは悪い予感であった。
「……ダメね」
その呟きは、ドロリスの方から聞こえた。彼女はしっかりと二人のことを見ているようで、瞬きもせずにひたすらその戦いの様子を見ているようだった。彼女は、俺とは違って、魔王だけを見ることなく、目の前で繰り広げられていること全てをしっかりとその感情の薄い目で捉えていた。
何がダメなのか、ということは、
「ぐっ……がはっ」
という、隊長のあげた悲痛な痛みを訴える声と、彼が膝をつき、身体の体重の多くをその膝へと頼らせざるを得ないような攻撃を受けていたということによって明らかになる。
「あーあ、身体壊れちゃった」
女の子のセリフとは思えないようなセリフが魔王から吐かれると同時に、ゴボッゴボッと嫌な、生き物が蠢くような音がして、魔王の落ちたはずの腕からにゅるりと新しい腕が生え出てくる。
この場にいるほとんどの人間が魔王のことを見ていた。魔王は、そんな俺たちを嘗め回すように見ながら、言う。




