第15話
失うこと──。失うこと──。
とても辛く、悲しく──。
──本当にそうなのだろうか……?
「……来た。来たわ、すぐに準備して!」
それは、日が暮れ、もう床に着こうかと俺もノラも、そして、ドロリスも、村で借りた部屋で寝ようとしていた時のことだった。叫んだのはドロリス。
モンスターの襲来を意味していた。ドロリスの観測用術式が気配を察知したのだ。ドロリスはギルドへ向けて緊急用の通信魔法を送るようにノラに頼む。観測用の術式は管理できるのに、そういうことは出来ないらしい。俺には境目が良く分からない──が、今はそんなことを考えている場合ではない。
俺たちが砦の頂上へとたどり着いた頃には既に散発的な戦闘が開始されていた。
あちらこちらで叫び声が聞こえる。暗闇の中での攻撃。モンスターたちは基本的に夜でも問題なく行動出来ると言われている。その理由は、嗅覚がどうだとか、聴覚がどうだとか。一方の人間は、それが叶わない。行われるのは簡易照明となる発光魔法の散布。これは王国騎士団の手によって無事達成され、宙にいくつもの光源が出現することにより、戦場の状態が明らかになる。
「なんだ、これなら俺たちの出番はないんじゃないか?」
まだ戦闘が本格的に開始されている訳ではないとは考えられるものの、王国騎士団と冒険者集団による遠距離魔法攻撃を中心として、サイグネの村の村民による簡易的な弓部隊による遠距離、かつ、高位置からの攻撃は、どうやらモンスターの尖兵達に十分効果的に損害を与えているように見える。
俺は、ど真面目な顔をして戦況を見つめていた。距離があるためはっきりとは見えないものの、モンスターの部隊は一番強そうなものでもせいぜいオーク程度のもので、俺一人の未熟な剣捌きであったとしても一対一なら倒せるのでは程度の連中ばかり。第一波が白兵戦による死者を多数出したとはいえ、今回は、それとは訳が違う。
何故なら、王国の騎士団と冒険者による魔力支援があるからだ。一回目の戦闘はそれらの火力がなかったために、白兵戦を行わなければ村へと侵入を許してしまう危険性があったが、今回は違う。俺はこの時、素直に感じた。心配し過ぎたんじゃないか、と。そして、少なくとも、この第二波については、このまま何事もなく終わるのではないかと感じていた。無論、まだこの先のサイグネのことを考えると、アルマネの地の奪還を初めとして、苦難は多くあるだろう。しかし、その頃には、もっとドルムント全体でそれを支援するような動きが活発化しているだろうと考えられるし、今ほどの窮地ではなくなるんじゃないか、と俺は感じていた。
「そうだといいんだけどね」
ノラもまた、俺の意見には同意のようであった。ドロリスはというと、険しい表情を溶こうとはしておらず、かなりの緊張が伺える。俺は、思い切って、この際、ドロリスがなんでそこまで頑張ろうとするのかと聞いてみようかと思った。
戦闘が開始されてはいるものの、まだドロリスの出番はないし、この場所に、俺、ノラ、ドロリス以外の人間はいない。前方で戦闘が行われている中で、何を呑気に話しているんだ、と思われるかもしれないが、俺としても、彼女がそこまで頑張れる理由は気になる。その理由を知れば、俺だって同じように頑張れるかもしれない。
「良かったら聞かせて欲しい。俺も命をかけて戦いたいんだ」
俺の言葉が、果たしてドロリスの心を打ったのかどうか、彼女の表情から読み取ることは出来なかったが、ドロリスはぽつりぽつりと言葉を発し始めた。
「──どこから話せばいいだろうか……。私は、かつて、傲慢に生きていた。悪魔との契約でとても大きな力を手に入れてね」
「……あ、やっぱり本当にだったんだ」
ノラが、ちょっぴり興味ありげに言う。
「あまり細かいことを言いたくはないんだ、おおざっぱに結論だけ言おう。だから、私は、その分のツケを返さなければいけないのさ。誰の為でもなく、私自身の為に、ね」
「……ふぅん」
ノラの声。俺はというと、どう答えてよいのか分からずにいた。そして、その沈黙こそが正しい答えだとも思った。俺に、ドロリスにかけられるような立派な言葉はなかったからだ。
「だから、特にレオ、君が、私やノラを守るという理由でここに立っているのを、私はあまり快く思ってない。本当にそんな考えて命をかけていいのか? ……そう、私は、君みたいな人が好きなんだよ、だから──」
ドロリスの言葉を最後まで聞き取ることは出来なかった。その一瞬の沈黙は、突然に訪れたのだ。ドロリスの言葉を最後まで聞けなかったのは、ドロリスが言葉を最後まで発言せずに、事態の変化を察知したことによる。
「……?」
俺は、何故ドロリスが会話を途中で止めたのかすぐに察することが出来ず、ドロリスが言葉を発するよりも早く、ノラの声によって異変を察知する。
「あれ、見て!」
ノラが指さす。その先には、王国騎士団の中の魔法使いの唱えた発光魔法により照らされた戦場──そして、先ほどよりも多く聞こえるのが、圧倒的多数の、人間による悲鳴だ。
「わぁあああ!」
「ぎゃぁあああ!」
といった悲鳴がこだましている。その理由は、やはり、ノラが指さしている方向にあるようだった。
「なんだ、あれ……!」
「巨人族……?」
「タイタン、あるいは、ギガンテス……? こんな人里に彼らが来るなんて、そんな!」
ドロリスがすぐに呪文を詠唱し始める。多少距離が離れているとはいえ、ドロリスほどの腕を持つ魔法使いならば、それは大した問題ではない。むしろ、この遠距離から攻撃できるというのは彼女の魔力の高さを存分に活かせるといっていいだろう。
「おいおい、おいおい」
俺が慌てふためいていると、ノラが、
「落ち着いて」
と声をかけてくる。
「良く見て、大丈夫、前線にはそれなりに歴戦の冒険者もいれば、王国の騎士団だっている。きっと、最前線の土塁による防衛線は破られる……モンスターの中でも上級に位置する巨人族の侵攻だもの。次に戦場になるのは、私たちがいるこの砦。それに、よく見て、うまく、迎撃してる」
道具を使わなくても、前線の動きはある程度見える位置にいる。冷静になってよく見れば、なるほど、確かに、統率の取れた人間の軍隊のうまい戦い方をしているように見える。土塁を中心として、モンスターたちの中で前に出過ぎる巨人族がいれば、白兵戦を仕掛けたり、集中的に魔法攻撃を行うことでその侵攻を阻む。何度も言うが、相手はモンスターであり、決して統率が取れている訳ではない。ただ、こちらを攻めて滅ぼす、単純な突撃兵器に過ぎないのだ。
ドロリスの魔法が遠距離で攻撃を行い始め、巨人族にもそれなりの損害を与えているようには思えるが、何せ、数が多い……。後から後から、暗闇から生まれるようにして出てくるそれらは、こちらの戦力を削るのには十分過ぎる量に思えた。
それでも──徐々に押されているのが見て取れた。土塁によって築かれた最前線は、ついにモンスターの侵入を許してしまう。
「あぁ……!」
それでも、俺は見ている他なかった。俺が守りたいのは、あくまで、ドロリスとノラだから。空から敵が来るとも限らない訳で、ドロリスがここで攻撃を行うと言っているのにわざわざ最前線へと行く必要性が見当たらない。
「……大丈夫、うまい」
ノラの呟き。
「よく見て。騎士団も、その指揮下に入ってるだろう冒険者たちもよく統率が取れてる。指揮官が優秀なのかな? 土塁をすぐに放棄して、砦へと退却してる。防衛施設は直せば使えるけれど、兵が傷ついたらこの戦いにおいての戦力はそれだけで減る。それがちゃんと分かってるんだ。守り切らなければいけないのは、この砦。ここさえ越えられなければ村は守れる」
騎士団に所属していた頃は、上の命令に従うばかりで、軍全体の動きなど考えもしなかった俺としては、ノラのそんな冷静な分析には少し驚かされる。戦略的なこともきちんと考えられるんだな、ノラは……。勇者、と呼ぶには、そして、このメンバーのリーダーとして動くに相応しい、気がする。
味方が退却してくるに伴って、俺たちがいる場所にも騒がしさ、血の匂い、それらが徐々に増えてくる。戦場──俺たちも戦闘に加わらなければいけない。
俺は、昔のことを思い出す。騎士団で戦っていた時のこと。大勢で戦うということ。それは、今思えば、まるで、一つの命が小さくなっているかのような気がすることだった。
ノラは、砦上部から、下にいるモンスターたちに向かって弓を射る。砦とは言え、急ごしらえの産物。高さがさほど確保できている訳でもない。モンスターたちの中には、その跳躍力や壁をよじ登る力を以て、砦の上へと上がってくる者もいる。ほとんど少数ではあるが、俺はそれらを向かい打つ役割を担う。
砦前では、白兵戦が繰り広げられる。巨人族はここまでの退却途中においても続けられていた各魔法使い達の攻撃により、その数を大きく減らしていたが、それでも、こちらの部隊に大きな損害を与えていることに変わりはなかった。
だが、後続はもうほとんど見えない。正直、この状況がもうしばらく続けばこちらの勝利は固いだろう。巨人族を超える大物クラスのモンスターがそう大量に押し寄せてくるとも思えない。
いつの間にか、深夜の時間をとっくに通り過ぎていた。発光魔法によって、そして、何より、目の前で殺し合いが続けられているという緊張から、時間の感覚が狂っていたが、もう数時間もすれば朝日が昇るのではなかろうか……。
「……もう、そろそろか?」
俺は、子鬼のようなモンスターを切りつけたから呟く。ドロリスも呪文の詠唱をやめ、戦況を見守っているようだった。何も、事態が収まりつつあるのに無理に魔力を使う必要はないという判断だろう。いくら優秀な魔法使いといえども、魔力が無限にある訳ではないのだから。
「──そうだといいけれど……」
ノラはどこか不安げな顔をしていた。何かすっきりしない様子。
「確かに、魔王、魔王って騒がれてて、いざ、何もなく二度目の攻撃が終わるってのも、すっきりしないだろうけどな。何もないに越したことはないんじゃないか?」
俺は、心のどこかで安心していた。魔王などという強大な存在を相手にしなくて済むという事実。問題が後回しになったと言ってしまえばそれまでだが……この場は逃げられるんだから……。
まだ続いている白兵戦。しかし、それも次第に収束しつつある。発光魔法だけがチカチカと明るい光を放ち続けるだけで、照らされる影がないような場所も沢山ある。そこにあるほとんどは、モンスターの死骸……。もう、俺にとって、それは、ただの肉塊……。
きっと、戦場にいる多くの兵士が、ふぅ、と一息つきつつあっただろう。良かった、守り切れた、と大半の人々が思い始めていただろう。
戦ったこともなかった村民たちも、家族を守ることが出来て、ほっと一息つこうとしていた。村の中にいる残された人々は、まだ不安の中で眠れない夜を過ごしているだろうが、それも、一旦は終わる。すぐに復旧作業が待っているし、次の脅威もいつ来るか分からない、けれども、ほんの一時の休息はあるということは、自分たちが生きているのだということを感じさせてくれるに違いない。
けれど、それは、残念なことに、叶わなかった。
迫りくる危機を一番早く察知したのは、やはり、ドロリスだった。
「来る、来る……! 備えて!! ……だめ、観測用の術式は、全部破壊された」
一瞬のうちに、色々な情報を弾きだす。観測用の術式が破壊されたということが、事態の脅威の高さを物語っており、咄嗟のことでどうしたらいいのか分かっていない俺を差し置いて、ノラが周りにいた兵士たちに緊急事態を伝える。
すぐに、全体に伝わるようにと、どこかの部隊の魔法使いが緊急事態発生を意味する色を持つ発光魔法を発動。すぐに迎撃態勢が取られる。
何が来るのかということは、ドロリス以外誰も知らない。しかし、恐ろしいものが来るのだろう、ということは誰もが認識していた。
それは、何も、発光魔法によってだけではない。……感じたのだ。ギシギシと感じた。きっとこの強烈な感覚は、俺以外の誰もが感じているのだろう。それは、物理的な恐ろしさではないし、痛みでもない。心の中に、頭の中に、恐怖が直接伝わってくるかのような、悍ましく、何より、飛びぬけた強さの力。
ギシ、ギシという音がしていたかのように思ったが、それは勘違いであり、ギシ、ギシというのは、俺が身体をなんとか動かそうとして、けれども、動かすことが出来ずに発せられていた防具から出た音であった。つまり、俺は、動けずにいたのだ。その場から。ドロリス、ノラのそばから。




