ブラックオーク遭遇戦
「――でね、でね、ボクが誓いますって言ったら、王様は、なんて立派な勇者だ、って言ってくれたんだよ!」
「うん、うん。見てたわ。とってもかっこよかったわよタケルちゃん」
森の中、能天気な母子の会話を、半ば呆然と聞きながらマサキは馬を走らせた。
ローランのでっち上げたニセ出征式は成功した。ハプニングはあったが結果的には大成功だったと言っていい。
だが、そのせいで事態は最悪の方へと転がった。
『――アンリ、なにやってるんだ。なんでついてきてるんだ君は!』
『あんなに素敵なタケルちゃんを出征式だけ見て帰るなんてもったいないじゃない。せっかく来たのよ、もっともっと色んなタケルちゃんが見たいと思うのは、母親として当然でしょ?』
『でも、約束したじゃないか。出征式が終わったら魔界に帰るって!』
『ええ、だからこうしてちゃんと帰ってるじゃない。勇者のタケルちゃんと、たまたま向かう先が一緒になってるだけよ。違う?』
『うっ……ぐ……』
かくして、なし崩しにマサキは魔王討伐の旅に出ることになり、打開策もないまま、虚ろな気持ちで勇者と魔王を先導しているのだった。
「――それにしても、全然魔物がいないわねえ。戦うタケルちゃんが見れないじゃない」
「それはたぶんあれじゃないかな、タケルがあんまりにも強そうだから、魔物も怖がって隠れてるんじゃないかなアハハハ……ハハ……」
言いながら、マサキは念のため持ってきた聖剣をマントの裏側に隠した。
聖剣による退魔の加護が魔物を遠ざけていることが、マサキに残された唯一の救いだった。
「でも、これじゃただのピクニックだわ。どこかにブラックオークの野営地とかないかしら」
「いやあ、残念だけどそれは難しいよアンリ。ブラックオークの生息地域はもっと南の大陸だし、なにより今は狩りの季節でもないから出会うことすら困難だよ。もし出くわしたら奇跡と言ってもいいね」
「――おい、ニンゲンの臭いがするぞ」
「ゲヒヒッ、本当だ、こいつぁツいてる」
「俺たちブラックオークの恐ろしさを思い知らせてやる」
……。
「いたーーーーーーー!」
薮を抜けた場所で、黒肌の屈強なオークが野営地を築いていた。
「な、なんでだ、ブラックオークがこんなところに生息してるわけがない! どこ住みだ貴様ら!」
「クックック、ニンゲンの方からのこのこやってきてくれるとはな」
「狩り休みにみんなでお金出し合ってこの大陸まで旅行してきた甲斐があったというものだゼ!」
「なんだ狩り休みって! 宿題しろ宿題!」
「ゲッヒッヒッヒ、ちょうどいいゼ、こいつらの皮を剥いで自由研究といこうゼ!」
「くそ、お前らのアルバムの一ページなんか飾ってたまるか!」
マサキが構えるよりも早く、タケルがオークの前に立ちはだかった。
「た、タケル!? 危ない、下がってなさい!」
「ぼ、ぼ、ボクが、守るんだ。ボクがママを、ボクでボクをボクるんだ!」
「やめろ、テンパって全部主語になってるじゃないか!」
「がんばれータケルちゃん、そんなヤツやっつけちゃえー!」
「う――わあああ!」
アンリの声援に後押しされるようにタケルは剣を振りかぶり、全力で突進した。だが、
「おっとぉ」オークに難なくかわされ、タケルの一撃は虚しく空を切った。「ケッ、ノロマが。潰れて死ね!」タケルの頭がめがけオークがこん棒を振りかぶった。
「――隙ありィ!」
気合い一閃、稲妻のような一撃がオークの腹部にめり込んだ。「げぼぁっ!?」こん棒を振りかぶった姿勢のまま巨体が仰向けに倒れた。
「ふん、口ほどにもない相手だったな、タケル」
「……ねえ、なんであなたが倒しちゃうの」
「えっ、ぼ、僕? や、やだなあ、タケルの目にもとまらぬ一撃がオークを倒したのを見てなかったのかい!?」
「あなたがオークの横腹に左拳と足刀をぶち込んだのは見てたけど」
「いやあのそれはホラ……慈悲、慈悲だよ! あのままだとオークは間違いなくタケルに一刀両断されてただろ!? それはさすがにかわいそうだと思ってさ!」
「そう、かしら……」
「て、テメェ、ニンゲン風情が……よくも俺たちの仲間を!」
気づけば周り一円をオークの群に囲まれていた。
「テメェら誰一人逃がさねえぞ、野郎共、かかれ!」
四方八方からオークがタケルとマサキ目がけて飛びかかった。
こん棒がタケルに触れるその一瞬、マサキの目が見開かれた。
「――川掌!」「あばっ」
「白馬翻!」「おぼぉ!」
「猛虎硬爬山!」「ぎぃっ!」
「死ねィ! 鳳凰双展翔」「ぐぎゃあああ!」
襲いかかったオークたちは瞬く間に蹴散らされた。
「ねえ、あなた……」
「慈悲だよ、慈悲、じーひ! タケルは無駄な殺生は好まないんだ!」
「慈悲深い勇者が、死ねって言いながら八極拳の奥義叩き込んだりするかしら……」
「それはその場の勢いってやつで――」
言いかけたところを、風切り音と共になにかがマサキの頬をかすめた。
「矢だ、矢を放て、あいつに接近戦はダメだ!」
木々の間から、オーク達がいっせいに矢をつがえた。
「ど、ど、どうしようパパ!」
「そうくるか。だったらこっちも遠距離だ。タケル、魔法を使うぞ」
「えっ、でも、僕、魔法はまだ習って――」
「大丈夫だ、パパを信じろ。手をかざして唱えるんだ。【ファイアーボール】と!」
オークがタケル目がけて矢を放った。「ぅ、うわぁ!」身を守るようにタケルが手をかざした瞬間、閃光とともに巨大な火球が迸った。
「う、お、な、なんだこりゃああああ!?」
火球は木々をなぎ倒しながら、森をえぐった。
炎に呑み込まれたオークは悲鳴と共にあたりを転げ回った。
「よおし、よくやった偉いぞタケル凄いぞタケル!」
「……今のも、あなたが魔法使ったわよね」
「なっなっ、なにいってるんだ見てなかったのかい、タケルの掌からファイアボールが迸ったじゃないか!」
「なんだか魔力の発生源があなただったような」
「今のは間違いなく正真正銘タケルの魔法だよ! その証拠にタケルがファイアボールと唱えた瞬間に炎がぶわあーって!」
「ふぁいあーぼーる!」
「……タケル?」
「ふぁいあー! ぼーる!」
「タケルタケルタケル、今じゃない。もう出た。今じゃないから!」
「ふぁいあばぉぅっ!」
「タケル違う違う違う。出ないのは発音の問題じゃない。もう大丈夫だから!」
「へっ、あ、あれ……?」
タケルは何が起こったかわからないという顔で、抉られた森と自身の掌とを見た。
アンリはそんなタケルに疑いの眼差しを向けた。
「ねえ、やっぱり」
「ちがうから! ほら、アキラは僕に似て完璧主義だからさ。モンスターに追い打ちかけて戦意を完全に削ごうとしただけだから!」
「完璧主義……あのね、もしかしてなんだけどあなた――」
「――テメェら全員動くな!」
しゃがれ声が二人の会話を遮った。いつの間にかアンリの背後に忍び寄っていた小柄なオークが、白刃の切っ先をその喉元に突きつけていた。
「ちょ、ちょっとでも動いてみやがれ、この女の首をかっ斬るゼ! ゲヒッ! おい野郎共! 今のうちにコイツらを嬲り殺しにしちまいな!」
「ほう。首をかっ斬る、か」
アンリは喉元に刃を当てられたまま、ゆっくりと後ろのオークを見た。
「お、オイ、女! 誰が勝手に動いていいと――」
「――この私に刃を向けるとはいい度胸だな、豚」
「ヒッ! ま、魔王様!? すみませんご無礼をげぼぁっ!」
アンリに射竦められた瞬間、オークは泡を吹いてその場に倒れた。
その様子を見ていた他のオークたちに戦慄が走った。
「お、おい、なんだ今の……ま、魔王様って、まさか……」「んなわけねーだろ、魔王様がニンゲンと一緒にいるはずが」「でもよ、あの女の”圧“どう考えても只者じゃねーぞ!」
「――なにをコソコソ喋っている、豚共」
アンリの一にらみで、オークが全員直立不動の姿勢を取った。
「す、すみませんでした! ししししし失礼しまああああす!」
負傷した仲間を引きずりながら、オーク達は蜘蛛の子を散らすように退散した。
タケルはその様子を唖然と見送った。
「……ねえ、パパ」
「なんだい」
「ママって、魔王、なの……?」
「いや、違うよ」マサキは虚ろな眼差しで逃げ帰るオークを見た。「もっとタチの悪いなにかさ」