勇者、迎撃用意
「まったく、なに考えてるんだ、お前は!」
マサキの怒号にタケルは十三歳の矮躯をさらに縮こまらせた。
「だ、だって、ママが手紙で、ボクには勇者になるのは難しいだろうとか、いつでも実家に戻ってきていいとかいうから、つ、ついカッとなって」
「カッとなって? それでウソをついたのか? 勇者に選ばれただなんてウソを? アンリは完全に信じ切ってるし、王都まで出征式を見にいくつもりでいるんだぞ? 自分がなにをしたかわかっているのかい!?」
「ご、ごめんなさい。そう、だよね……絶対ママも怒るよね。ひとり暮らしも許してもらえなくなっちゃうよね……はあ……」
「まあその前にひとり暮らしする場所が消滅するだろうね」
「えっ?」
「いや、こっちの話だ」
すっかりしょげた我が息子を尻目に、マサキは忙しなく書斎の中を歩き回った。
――まずい、非常にまずいことになった。アンリが知ったらおそらく激怒する。ウソをついたタケルにではなく、タケルを選ばなかったこの国に対して、だ。頭に血が昇った魔王が何をするか……想像もしたくない。それだけはなんとしても避けねばならない。そう、どんな手を使っても――。
「ごめんねパパ、こんなこと相談しちゃって……やっぱりボク謝るよ、ママに正直に全部話してくるよ」
「……いや、タケル。待て。謝るのはすこし待て」
マサキは書斎のカーテンを全て閉め、ドアの外に誰もいないことを確かめた。念のため室内に空間転移拒否用の結界も張ると、声をひそめて言った。
「ママには何も言うな。友だちにも、他の人にもだ。僕がなんとかする。タケル、お前のウソを、僕が一日だけ本当にしてやる」
*
「いや、なに考えてるんだ、キミは……」
人気のない王宮の一室で、会うなり深々と頭を垂れた伝説の勇者と、彼の口から飛び出した頼みの内容に、近衛大将のローラン・ベインは動揺を隠せなかった。
「ローラン、お願いだ。こんなこと、君にしか頼めないんだ!」
「マサキ、自分がなに言ってるかわかってるのか? 勇者の出征式といえば、国民行事だぞ。もちろん国王陛下も出席なさる。その全員を騙すとでも? あのなあ、家族を悲しませたくないのはわかるが、いくらなんでもそれは……」
「今回ばかりは事情が違うんだ。場合によっては無関係の他人が大勢巻き込まれるかもしれないんだよ」
「はは、なにを大げさな」
「大げさなもんか! 君は愛する人や親しい友人がキャベツや豚肉や海老や焼きそばになってもいいっていうのか? この美しい国が両面じっくり焼かれて、マヨとソースを交互にかけられるのを黙って見ていられるのか!? その上で踊るカツオ節に、僕たちはなるかもしれないんだぞ!」
「……なんで急にお好み焼きの話になったの?」
「あ、いや、な、なんでもない」
尋常でない様子のマサキを落ち着かせるため、ローランはあえて相好を崩してみせた。
「なあ、マサキ。キミがなにを心配してるかは知らないけど、経験上そんなのは息子にゲンコツひとつで片付くもんだ。それともなにか、キミの奥さんはそんなにも怒ると怖いのかい」
「機嫌がよければミンチですむ」
「その人、本当に母親だよね?」
「ローラン、頼むよ。今回はなにも聞かないで僕を助けてほしい。この通りだ!」
マサキはとうとう地面に手をついて、額を床にこすりつけた。
「おい、なにやってんだマサキ! わかった。わかったから頭を上げてくれ」根負けしたローランは短く息を吐いた。「……まったく、伝説の勇者に土下座させたなんて知られたら、どんな噂を立てられるかわかったもんじゃない。やるよ、協力する」
「ほ……本当かい?」
「ああ。だが一つだけ言っておくぞ。近衛大将としてのローラン・ベインはキミに協力できない。王の傍らを預かる身として、国民を騙すなんてもってのほかだ。だから今回キミに協力するのは、近衛大将ではなく――キミの幼なじみで腐れ縁で札付きの悪童のローラン・ベインだ、いいね?」
そういってローランは、無骨な顔に似合わぬウィンクをしてみせた。そのあまりのちぐはぐさにマサキは思わず噴き出した。
「笑うなよ、失礼なヤツだな」
「ごめん。でも、ありがとうローラン」
「とりあえず、だ。あんまり時間もないし、まずはキミの息子……タケルくんのことを教えてくれ。なにができてなにができないのか、俺も知っておく必要があるからね。勇者としての資質はどんなものなんだ?」
マサキは目を伏せ、静かに首を振った。
「親バカだと自覚してはいるが、それでも勇者たりえるかというと……」
「ははは、キミからしたらほとんどの人間がそうだろうさ。まあ、聞かせてくれよ。育成校に通ってるんだろ、成績はどのぐらいだ?」
「下から数えた方が早い、というぐらいらしい」
ローランはうなずきながら、手元の紙にペンを走らせた。
「ここからはキミの主観で構わないんだが、タケルくんの能力はどんなものだ。たとえばそうだな――俊敏性は?」
「晴れの日のナメクジと良い勝負だ」
「晴れの日のナメクジと良い勝負、ね……あれ? いま、晴れの日のナメクジと良い勝負って言った?」
「晴れの日のナメクジと良い勝負って言った」
「晴れの日のナメクジと良い勝負するの?」
「い、いや、晴れの日ならさすがにタケルの方が素早い、と思う。だが……少しでも雨が降ったなら……水を得たヤツらのスピードについていくことはおそらくタケルには不可能だろう」
「ナメクジの話してます?」
「ナメクジの話してます」
マジかよ……とつぶやきながら、ローランはそれもメモを取った。
「じゃ、じゃあ単純な筋力はどうだ?」
「分厚いチャーシューは持ち上げるのを諦めるぐらいカスい」
「耐久力は?」
「水に濡れた和紙より少し弱い。蚊に刺されたとこがアザになったことがある」
「……もしキミが魔王討伐に行くとして、息子が仲間だったらどう使う?」
「売った金で薬草を買う」
「キミ、本当に父親だよね?」
「いや、でも本当に親思いのやさしい子なんだよ。くりっとした目やくるくるの癖毛なんて僕そっくりだし!」
「なんのフォローだよ。聞いてて俺が泣きそうになったぞ」
「やればできる子なんだ。ひとりで立ったまま靴下を履いたことだってある!」
「限界突破してやっと人並みの私生活かよ。親がどんな業を背負ったらそんなことになるんだ」
「魔族を率いて人類と戦争したり、とかかな」
「は?」
「あ、いや、気にしないで」
「まあとにかく、一筋縄でいかない案件だということはわかった。出征式はおろか、着せる装備から考えないといけないなこれは……」
「や、やっぱり難しいか?」
「なあに、少し手間が増えた程度のものだ。出征式をでっち上げるとなれば、やれることは一つだ。誰にも――国王にも知られないうちに終わらせてしまえばいい」
「できるのか、そんなこと」
「任せておけ。このローランに秘策あり、だ」
そう言ってローランはまた似合わぬウィンクをしてみせた。