樋口アキ 祖母の夢と記憶
夏の終わりを告げる虫達が
夕暮れの暑い中鳴いている……。
何処と無く切ない様なそんな気分にさせる……。
縁側で一人野良猫を相手にしていた時、彼の事を呼ぶ声が耳に入った。
樋口総一朗 二十二歳 秋。
『総一朗?』
『ん……?』
『畑から胡瓜とトマトをお願い出来るかい?』
『判った』
総一朗は祖母からの頼みを
嫌な顔ひとつせず頼まれた野菜を取りに向かった。いつも通り二つずつ。
ふと空を見ると灰色の曇が町を覆ってきている。
風もいつの間にか冷たく感じる。
空の機嫌が暫くすると夕立が来る事を知らせている。
用事を済ませ中へ入ると同時大粒の雨が降りだした。先程の空があっという間に
暗くなった……。
祖母が手拭いを片手に小走りで土間までやってきた。
『大丈夫だから』
『良かったぁ……雨に濡れたんじゃないかって……それにしても凄い雷と雨だ……』
『……盆が終わったばかりだからな……』
『……野菜、有り難う』
総一朗は微笑む祖母を優しい表情で見ていた……。
雨上がりの蒸し暑い夜
樋口は新選組の屯所で目を覚ますと
そっと部屋を抜け出し総司が好きな中庭で涼む事にする。
池の鯉はどうしているのか?目を向けるが
そんな事は彼にどうでも良かった。
腰を下ろすと自然と月を見上げる癖がついていた。首が疲れようが痛くなろうがそれもどうでも良いのだろう…。
子供の頃はよく祖母と二人で
月を観ながら話を訊いていた。
祖母の話は夜な夜な町を歩くなだとか
立派な大人になれだとか説教じみた
話では無かった。
総一朗の両親の話だった。
あった事のない両親はどんな人だったのか知りたいあまり、満月の晩だけ両親の話を訊くようになっていた。
今思えば祖母、樋口アキはどんな気持ちで二人の事を教えてくれていたのだろう…。
切ない気持ちか……
または知りたいならこの子に教えてやろう……どちらかかそう思ったのかもしれない。
『眠れないのですか?』
後ろへ視線をずらすと彼の目に智香が
映った。髪は真っ直ぐだ…。
智香は眉を寄せながら樋口を見ている。
『いや……目が覚めてしまっただけだ』
智香は樋口の隣へ腰を下ろす。
彼の目には彼女だけが映る。
当たり前なことだ……。
膝を曲げ、座る智香が近藤御気に入りの池をじっと見る。
沖田の護衛はいつも通りだと彼女は謂っていたが一人女が屯所内をあるっていてよいのだろうか……そうも思った樋口だが彼女の部屋へは此所を通らなければならない。
川柳へ行った後なのだろう。
『こんなところにいても良いのか?』
『ほんの少しです。……沖田さん……樋口さんの事心配しています……最近浮き沈みが激しいって……何かあったんですか?』
『いや…祖母の夢を見るようになってな…。死人の夢など……』
『死人の夢には意味があるんだですよ。その人の表情が関係しますけど…喜んでいる祖父母は夢を見た人の幸運を表していて、険しいと危険を知らせてくれているんです。祖父母が病気だと…えっとぉ…あ!先祖に、感謝とかお墓参りに行った方がいいだとか』
『智香は物知りだな?』
『いえ……これも、趣味の一つなだけで…』
智香は気がつくと樋口の腕が壁へ寄りかかり彼女は彼と壁の間だと暫くして気づいた。
『樋口……さん……?』
『お前の目はいつも澄んでいるな…嘘などこれっぽっちもない…』
『え…と……』
『お前はお前らしく生きろ』
『あたし…らしく?』
『そのままで…』
そう……祖母がそうだったから。
曲がった事があると真っ先に彼へ何かと訊いてきていた。彼が無実だと確認がとれると周囲の者達へ聞き込んだこともある。
樋口は眠たそうにしている智香を部屋へ戻るよう促す。これ以上此処で二人で居ても沖田が黙っていないからだ。
彼女は沖田の御気に入りだから…。
彼女もまた沖田を慕っている。
朝になると米を炊く匂いが屯所内に薫る。近藤のあせる声と智香の笑い声で樋口はそっと目を開ける。
新選組の朝は何気に騒がしいものだがこれもまた樋口にとって羨ましくあった。
身体を起こすと沖田が部屋までやってきた。
『あ、起きたんだ。って…そりゃあれだけ騒いでいれば起きちゃうよね?』
『目覚ましになるな…』
『昨日あの娘と何話してたの?』
『……?』
『ごめん…』
沖田は樋口の使う布団の隣へ腰を下ろした。右足は伸ばし左足は軽く曲げる。
『静か過ぎて二人のしゃべる声が聞こえただけなんだけどね?』
『成る程。嫉妬しているのか』
『は、はぁ?!してません』
『まぁいい。安心しろ俺の夢の話をしていただけだ…』
『……そっか……』
『お前は身内の夢を見るか?』
『どうしたの?何かいつもと違うよ?』
『祖母の夢をみたせいか……?』
『…身内の夢はあまり見ないなぁ~?夢さえ見てるかどうかって時もあるけど』
樋口は立ち上がると沖田を見る。
『少し手合わせでもやるか…』
『いいねぇそれじゃ中庭で待ってるよ』
沖田が部屋を後にする。
まだ近藤の困った声が聞こえる。
彼は着替えを済ませると沖田が待つ
中庭へ向かった。
ちらつく祖母の顔、聞こえてきそうな声…。樋口総一朗にとって祖母の死はやはり辛いものだったのか…。
しかし不思議と心は晴れていた。
いつもなら不機嫌が増すのだがこの時は違った。夜中の智香との会話や沖田の気配りがあったからだろうか?
沖田との手合わせが始まった。
いつも通り、彼の刀は申し分ない。
明日彼は一度新選組の屯所を出る予定だ……。