90話 俺は強運の持ち主じゃ無かったのか?
「……うぐ…………イテェ……」
ハイアが目を覚ましたのは俺が人工呼吸と称してフローラの平坦な胸を踏んずけている最中の事だった。
「お、ようやく起きたか」
「な……て、テメェ、アニキをどうした!? なんでオレがこんなちんちくりんになってるんだ!!!」
「お前のアニキはお仕事に行っちまったよ。なんでお前がそんな姿なのかって言えばアニキが迷惑料代わりに置いて行ったからだ。それ以上の事は俺は知らん」
ホントに知らねぇし。迷惑料代わりというか迷惑そのものを置いて行ったとしか思えんが。
「う、嘘だ!! アニキがオレを置いて行くワケねえ!!!」
「知らねぇっつってんだろ? 俺だってお前みたいな貧相なガキなんぞ貰っても困るわい。気に入らなきゃどっか行けよ。腐ってもドラゴンの下っ端だろ?」
「誰が下っ端だこの三下ァ!!!」
「あぁん? このクソガキ人が優しくしてりゃ付け上がりやがって! もういっぺんシメんぞコラァ!!!」
《……チンピラ同士の醜い喧嘩にしか見えんのじゃ……》
額をゴリゴリと擦り付けてメンチを切り合うその姿は確かにあまり上品では無いかも知れない。しかも片方は裸の少女なのだ。見つかって困るのは俺の方だろう。
「ふん、こんなガキとまともに喧嘩なんかする訳ねぇだろ。アスラには出会ったら言っといてやるから帰れよ」
「言われるまでもねーよ!! 次はぶっ殺してやるかんな!!」
そう言ってハイアは空を見上げ……ジタバタともがき始めた。
「ラギ、ありゃ何の真似だ?」
《多分、飛ぼうとしておるんじゃろ。翼も無いのに飛べんじゃろうに。今のあやつは外見と同じ力しか持っておらん。そう言っておったではないか》
「その辺の説明聞いてねぇんだよ……」
「クソッ!! 何で飛べねぇんだよ!?」
いくらクソガキとは言え、見ていると哀れになってくるな……。
「おい、送ってやるから案内しろよ」
「うっせー!!! オレに話し掛けんな!!!」
マジクソガキだぜこの野郎……。
「勝手にしやがれ。ラギ、シューティ、俺らも帰るぞ。フローラも早く起きて……」
「うぼえええええええ」
踏み付けを繰り返し過ぎて気分が悪くなったフローラが俺の足の下でゲロを吐いていた。
「あ、悪ぃ……」
「うえっ、ぺっぺっ!!! り、リュウセイってば私に対してだけ扱いが雑じゃない!?」
「だから悪いって謝っただろ? 細かい事は気にすんなよ」
「ヤダ!!! 口直しにリュウセイの舌を味わうまで帰らない!!!」
「もう一回頭から埋めるぞこのビッチ」
あーあ、散歩に出ただけでトラブルが舞い込んで来やがる。俺は強運の持ち主じゃ無かったのか? こんなん凶運じゃんよ。
「言っとくが、今帰らなきゃ乗せてやらんぞ。当然昼飯も抜きな」
「う……そ、それは困るわ。私、今吐いたせいでとてもお腹が減っているの。後一時間何も食べなかったら餓死しちゃう!」
「その辺の草でも食ってろ」
そろそろ帰らないと本当に昼飯が抜きになりかねないので、俺はシューティにナビゲートを頼んで軽快に走り出し……道の真ん中でうずくまるハイアの前で停車した。
「……何やってんだよ、轢くぞクソガキ」
「う、うるせえ!! 構うなって言っただろ!!」
「お前がそこに居ちゃあ邪魔なんだよ、邪魔だから端に……ん?」
顔を顰めて言い返すハイアの足下がたまたま俺の視界に入ったのだが、そこには小さな赤い水たまりが……
「おい、もしかして怪我してんのか?」
「何でもねぇって言ってるだろ!!! うっ……」
…………チッ、痩せ我慢しやがって。こういう時にガキの外見してんのは反則だろうが。結構深そうだしよ。
傷を庇って立とうとし、やはり痛みでそれを果たせずへたり込むハイアを見て俺は頭を掻き、シューティから降りるとハイアの頭を背後から鷲掴みにして捕獲した。
「さ、触んな!」
「負けドラゴンは黙ってろ。お前の事はどうでもいいが、アスラは俺のダチだ。ダチの妹が怪我してんのを放っておけねぇだろうが。応急処置すっから見せろ」
「余計なお世話だ!! それにオレはまだ負けちゃいね…… いつっ!!」
振り解こうとして尻餅をついたハイアは額に脂汗を浮かべており、どう見ても大丈夫そうじゃ無かったので俺はハイアを力任せに転がすと傷口を確認した。
「結構深く切ってるな……フローラ、水袋と布」
「はぁ~い」
「や、やめろ!!! オレに何をするつもりだっ!?」
もうハイアは一切無視しよう。ん~、結構深いな……。
とにかくまずは傷口の洗浄だろうと、俺は水袋に入った水をハイアの足の裏の傷に掛けた。
「いっ!? いてててててててっ!!! イテェって言ってんだろ!!!」
無視。後は血の跡を拭いて……
そこで俺ははたと気が付いた。そう言えば前に確かオリビアの傷を治せたよな? あれが出来れば話は早いじゃねぇか。よし、気乗りしないが試してみるか。相手は人型とはいえドラゴンだからノーカンだろ。
「よし、ちょっと目ぇ閉じてろよ」
「~~~~~~~っ! よ、よくも痛い目にングッ!?」
「あーーーーーっ!!!」
《な、何という事を!!!》
《あ、リュウセイ!?》
涙目のハイアの頭を鷲掴みにし、俺は強引にその唇に自分の唇を重ねた。これ以上無いくらいハイアが目を見開いているが、これで怪我が治るんだから我慢してくれ。
そのまま10秒ほどして俺はハイアの唇から自分の唇を引き離し、改めて傷口を確認した。これでハイアの傷は跡形も無く治……ってねえ!?
「おいラギ!! なんで傷が治ってねぇんだよ!?」
《リュウセイ……あの治癒方法は精神世界限定じゃ……。現実世界では何の治療効果も無いのじゃ……》
「何だと!?」
じゃあ何か? 俺は全裸の怪我をして動けない幼女に無理矢理キスをしただけって事か?
「な、何故そんな大切な事を言わん!? 俺が逮捕されてもいいのかお前は!!!」
《だ、だってリュウセイが聞かなかったし、それにそもそもそんなスキル持ってないじゃろ? 当然分かってると思ったのじゃ!!!》
「ずるい!! 私には一度もしてくれないのに行きずりの幼女にはしちゃうんだ!!! 抗議よ、断固抗議よぉ!!!」
「お黙りなさい雌豚!!! マスター、唇が汚らわしいトカゲの毒で汚染されています!!! 今すぐ私とキスをして上書……いえ、消毒を!!!」
「…………あふっ」
もうそこからは大惨事だった。ラギは責任から逃れようとするし、フローラとシューティの顔は近付けさせまいとする俺の手の中で不細工になっていた。それでも諦めないフローラは俺の手の平をペロペロ舐めるし、当のハイアは全裸のまま失神してしまっていた。これ何て地獄?
多分今日の昼飯は食えないだろうなと、俺は頭の片隅でぼんやりと思ったのだった。
オリビアの口止めが裏目に出ましたね。フローラも呼吸停止まで行っていればもしかしたら出来たかもしれませんが、ゲロ吐いちゃいましたし……。