決意
急遽男子を迎えることになった学園に足りない物、それはトイレである。
とはいえ男子トイレが無いわけでは無い。授業参観や業者などが無ければ困ってしまう。だが流石に十二分にあるかと云えば無いという程の設置数であった。各階に2箇所設置されている女子トイレに比べれば現状で一番近いトイレは職員用か運動場にある。
放課後になって、後は帰宅するだけだったが我慢するという選択肢は存在しなかった。由紀と美由は部活があるのだが、由紀は「今日は一緒に帰ります」と云う事で既に帰宅する事を告げていた。茶道部に籍をおいているらしく明日にでも是非見学をと云われた、今後の事も考えるとそういった事も機会があればやった方がいいのかもしれないとは思うが、これまで学校が終わると図書館に篭もるような生活で部活に入った事が無い。
以前の学校では文学部にだけ籍を置いて半幽霊部員と云う立場であったのだ。半というのは普段は全く部室には近寄らないが、小説や詩文などを寄せたりする時には友人からの情報に基づいてそれなりの作品を常に載せていたからだ。
そんな部活の話を由紀としながら職員室横のトイレを借りてから校舎をでようとした所でまたもや美月と鉢合わせする事になった。生徒会の部屋が職員室の建物と一緒であり同じ一階にある為なので不思議では無いのだが、裏で守護霊が苦心した事を崇は知らない。そして其処まで苦労する理由が美月の頭の上にあったのである。
「先輩、いえ生徒会長」
「あら、崇さんに由紀さんですか、もうお帰りですか」
「はい、今日は転校初日ですから」
「明日は茶道部へ見学予定を組みましたけども今日は崇様の部屋の片付けなどがあるので」
「御二人とも優秀ですから来年度からは是非生徒会に入って欲しいのですけど、こちらの見学も宜しければ予定に入れて下さいね。」
「生徒会に入るほどの能力は持っていませんよ」
「色々と噂は聞きましたよ、既に高等部でも有名ですから」
何が噂されているのか気になる所ではあるが、二人揃って生徒会、学園関係者の立場もあるだろうけどその辺りは由紀に合わせてしまえばいいかなどと適当に考えている崇である。
「そうですね、崇様の能力なら生徒会という選択肢もありますね」
「私は由紀さんにもお願いしたいのですよ」
「私はお婆様もいらっしゃいますから」
「小枝様にも御相談したので由紀さんの意思に任せるという事でしたが」
「まあ、もう確認されていたのですか」
「優秀な人材を確保するためですもの」
「お、あれ?」
「え?」
「ああ、いえ、また埃がちょっと目についたので、今度はほら、糸くずでしたね」
「フフフ、今朝に引き続きですわね、そうでした、今朝のお礼をまだしていなかったので、後ほどお礼に伺います」
「いえ、気にしないで下さいね」
「今日の用事はそんなに無いですから、でも片付けがあるならお邪魔かしら」
「それは別に構わないのですけど」
「では是非お礼をさせて下さいませ」
助けを求めるようにというか、お礼に来られるとしたら天ヶ瀬家に来ると云う事なのだ、そういう意味もこめて崇は由紀の方へと目線を泳がせた。
「では美月様も久しぶりに晩御飯をご一緒致しましょうよ」
「宜しいのですか」
「是非」
「では後ほど」
また美月の頭上には禍が浮かんでいた。今朝取り除いたばかりでもう一度憑くことなんて滅多に無かった。偶然なのだろうか、崇は少し気になっていた。
実際には偶然では無い。白雪が鈴音に確認を取り頼んだ上で崇と美月をこの場で引き合わせた結果だ。
そして崇は白雪の希望通りに見事に禍を除いてくれた。実際何気ないように禍を除くために手品の真似事まで覚えている崇である、糸くずを手の中に仕込んでおく事ぐらい簡単だった。
そして禍を潰せば崇に不幸が訪れるという合図でもある。何が不幸として訪れるかなどは運次第。
まさしく今この瞬間に上空からパンツが飛び込んできてもそれは不幸である。もう一度言おう飽くまで不幸であると。
「きゃあ!」
「うわぁっとっと」
ドンっと階段の上から落ちてきたのは美由だった。元気溢れるのは良いことだが、突撃した相手が崇以外であれば大怪我の可能性もある。だがこの引き金が崇の不幸を齎した産物ではないかと崇も理解をしている。
不幸と幸運が同時に訪れる特異体質である。
「美由?」
「これで二回目だねお兄ちゃん」
「ハハハ、態じゃないよね?」
「勿論だよ、狙うならパンツ履かないよ」
「美由!?」
「冗談だってばもう、そりゃお兄ちゃんは素敵だけどお姉ちゃんから奪う事はしないってば」
「もう」
「いまから部活かい」
「うん、でも今日は軽く流したらお兄ちゃんの片付け手伝いに帰るよ」
「ありがとう助かるよ」
「気をつけなさいよ」
「うん、いやぁ虫がいきなり鼻に止まって吃驚した所で躓いたんだけどお兄ちゃんが居てくれてよかったよ、それじゃまた後でね」
元気良く校庭へと走り去る美由を見送って崇と由紀は送迎の車に向かって歩いていった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
夕食時が始まるまでに部屋に関してはそれなりに片付ける事が出来た。なんと言っても静音さんを筆頭に侍女の方々の協力があった。プロだけあって次々と衣服から本や雑誌などが棚に整理整頓されていく様子は素晴らしく手際が良かった。自分の部屋なのに自分の部屋じゃない感じも昨日よりは幾分かは薄れてきている。キャンプ用品など趣味の物を詰めたダンボールがあとは残るだけだ。
一人になった所で、崇は先程の美月の禍について考えた。
そして数年呼んでいない懐かしい名前を口にした。疑問に答えられるとすれば彼女しか思いつかなかった。それは触れたくない過去に触れる行為。今日まで崇が逃げていたもう一人の自分へ向き合う決意だった。
「鈴音」
(おい、呼んでるぞ?)
(崇君……うぅぅぅ)
(おい、何でいきなり泣いてんだ、泣き出す守護霊なんて聞いた事ないぞ)
(だっで、ダがじぐんが……わだじのごどよんでくでだぁ)
(あーそう言えば昔は話してたとか言ってたな)
「あ、やっぱり居たね、もう一人の君は知らないな」
(ん?俺の事も見えてるのか、いやまて俺は)
(ちっやっぱりこうなったか……しかたねえ、俺はもう一度寝なおすからな)
(ど、どういうことでしょう)
(崇自身がこうやってお前たちに話しかけてんだ、俺が怒ってぶっ殺したりはしないってことだ)
(ホッ……)
(但し、厄介事に巻き込むなら覚悟しろよ、じゃあな)
(ど、どうしろと)
(だがじぐん!)
「御免ね、鈴音、長い間話しかけなくて」
「いいんです、だって……いえ守護霊は本来話さないものですし、その、夜には時々喋ってましたから」
「あ、そうかアイツも良い所があるよね」
(……)
「それで、聞きたいんだ、二度と後悔するなんて御免だから。美月さんに何が起こってるか知ってるかい」
(おおよそは、でもまだ確定していません)
「おおよその事が判ればいいよ」
鈴音は嬉しさのあまり鼻水を流してしまうほど感極まっていたが、守護霊が何時までもそんな事ではいけないと気を取り直して崇に今までの判っている現状を説明した。恐らくは呪いの類だろうと云うのが守護霊達からの判断であった。崇もそれなら、禍があの速度でもう一度現れた事に納得がいった。
問題は彼女の守護霊が神格の分霊ともいうべき白雪であるのに禍を打ち払えない事だ。可能性は同格、もしくはそれ以上の力の物による呪いや、もしくは未知の呪術によるものという話である。
残念な事に崇自身はオカルトに関しての知識は少ない。一般人の認識に比べて本物を知る分には詳しいが呪法、陰陽術などについて専門的な勉強などしていないからだ。
やってきた事と言えば単純に禍を打ち払っていただけで、それが災いとなった頃に交通事故に巻き込まれたりしながらも生き抜いてきたというだけだ。
しかも大体においては美由との遭遇などのラッキースケベと云われても反論の出来ないトラブルで解消していた。そこは人柄が奏して以前の中学などでも崇を避けるような事態になる事は無く。一部では逆の受け止められ方をしていた程である。
何しろ本人は望まないにも関わらず降りかかる事故だらけ。よってこれ位で済むのであれば、誰かが本当に死亡に巻き込まれる事故に遭遇しないのであれば、崇は構わないと甘んじて受け入れてきたのだ。
そんな訳で美月に関しての禍を見過ごす事は出来ないが根本の解決は不可能かと思われた。だが其処へ助けを出す守護霊が現れた。
(全く、天然の陰陽師だなんて面白い婿殿やのぉ)
「あれ、また増えた」
(初めまして婿殿、宜しゅうしたってな、この家の守護霊やっとる夜桜いいます)
「どうも初めまして」
(フフフ、ほんま面白いわ、こない面白い事主様が天ヶ瀬の旦那はんと契りを交わして以来や)
「なんか変でしたか」
(いや、普通の人に見えて崇君は非凡すぎるな、そもそもあの禍を握りつぶしてしまいよる子なんてな)
「あの夜桜さんはあの禍をどうにかする方法を御存知ですか」
(あれは元を絶たんといかんなぁ、恨み妬みがこもっとる、しかもそこの狐にも関係することや)
(き、狐ではない空弧だ)
(狐は狐やろ、まあそれはどうでもよろしいがな)
(それより夜桜さん、空弧に関係するって……)
(出歩くのが大好きなお人がおるやろ……その人が捕まったのがその呪術の元や、ほんま情けない話やで)
(宇迦之御魂神が関係するのか!)
(そない吼えないな、まあ先ず間違いありまへんな、それで助ける方法を探しに東にむかったんとちゃうんか)
(確かに、占で東に光明ありと出たのでな)
(しかし笑えんよ、使われ取る呪法の事な、詳しくまでは判らんけども、こっくりさん言われるもんの派生やろな、普通は下位の低級の狐の霊がつかまったり悪さを仕掛けるようなもんに、宇迦之御魂神が捕まってもうたなんて)
(でも夜桜さんはなんでそんな事知ってるんですか)
(折角我が家にこない素敵な男の子が婿に来てくれるんやで、土産の一つも持ってこんと失礼やろ。そういうわけで学校で気配を探ってたんや、そしたら焼却炉で燃やされた呪符があってな、それが美月に飛んでいったわけや。その力がその辺で歩き回る姐さんの残り香みたいなもんが感じられたさかいな、おおよその見当もつくちゅう訳や)
(では確定ではないのだな)
(いや、あの独特の油揚げの混じった香の匂い、かなり歪んでしもてたけど使える神使のアンタがわからんってどういう事やと思う程やで? まあ美月に憑くころには黒い狐に変異して禍になっとったからかもしれんがな)
「しかし、焼却炉……なんでそんな所なんだろう」
(どやろなあ、大方怖くなって燃やしたっちゅうとこか)
(可能性はありますね)
(しかし姐御が捕まっているなど……ああ、やはり普段から外出をきちんと管理しておけば)
(まあ、そう云う訳やからその呪術をつこうとるのは学校におる、おっと静音がくるぞ)
流石に守護霊が見えない人がいる状態で喋る訳にはいかない、変人と思われてしまうのが目に見えている。 崇と守護霊達は一旦話し合いを中断することにした。そして食堂に向かう崇と静音を見送った後で、再度やってきた白雪を交えて対策を練ろうと話し合った。