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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鞘鳴りが響く時

夜の記憶

作者: 五部 臨

 少年は少女を連れて古い街道を歩いていた。

 林の中を通り抜ける道はすっかり闇に覆われている。使われていないせいか、まばらに生えた草や石が多く足を取られてしまう。辺りが満月の明かりがあることが、せめてもの救いだった。その月も黒雲が覆い始め、湿った冷たい風があたりに吹き始めた。

 ざわざわとまばらに生えた木々が揺れる。月によって生まれた木々の薄い影が怪物のように、巨大で長い体をうごめかせた。


「アルテムぅ」


 少女が泣きそうな声で少年を呼んだ。長い銀髪を揺らして、幼いながら上品そうな顔形をしている。澄ましていれば彫像のようだろう。だが、それはうっすらと浮かぶ涙と、時折すする鼻水のせいでだいなしだった。


「大丈夫、大丈夫だ。だから、泣くな、な、イルマ」


 同じ年頃の少年がなだめた。もっとも不安なのは彼も同じだった。それでも枯葉のような髪を掻きながら、生来の負けん気の強い顔立ちを必死に維持していた。人前で泣かない、というプライドだけがそれを留めている。


「おっさん、いや、ベルンハルト伯なら、オレ達を見付けるなんて簡単だろ」


 自分にも言い聞かせるようにアルテムが断定するような強い口調でいった。イルマは消え入るような小さな声で、うん、と頷いた。そして彼の手をぎゅっと握る。アルテムもそれを強く握りかえす。


 エリク・フォン・ベルンハルト辺境伯は敵が多い。武将として数々の功績を残したが、同じかそれ以上の恨みを買っている。娘であるイルマ・フォン・ベルンハルトが襲われたのも、そのせいだ。


 男らしくない。襲うなら、おっさんの方にしろよ。アルテムは襲撃者を思い出しながら文句をつける。二人は神殿の花壇で土をいじっていた所に、若い男に鉈で斬りかかられた。アルテムより五、六歳年上で、成人したばかりの青年だった。若いはずの目は老いた蛇のようにぎらついていて、不気味でしつこそうな威圧感があった。鉈の青年が踏み込んできた時には花壇がぐちゃぐちゃになった。

 あと一瞬、アルテムの父親が庇うのが遅ければ、イルマの頭が花壇みたいにぐちゃぐちゃなっていたに違いない。


「逃げろ!」


 父親は神官として説法の時にも使う、大きな声で叫んだ。

 白い神官服は血に濡れている。肩を深く切られたらしい。肉厚の鉈に対して、父親が構えた獲物は日用品のナイフだけだった。それでも闘志を捨てず、堂に入った風に構えていた。いつも穏やかな父だったが、時折、神官戦士としてベルンハルト伯に従って戦に出ている。その事実が実感できた希有な時だった。


 凶刃と父の普段と違う声に押されて、アルテムはイルマを引っ張って逃げ出した。無我夢中で駆けて、凶刃からは離れたが、見たことのない街道に迷い込んでしまったのだ。それに気がついた時には太陽は沈んでおり、冬の到来を告げる冷たい風だけがあたりに吹いていた。




 あ・・・・・・っとイルマが小さく声を漏らした。

 それがアルテムを思考から引き戻す。月が黒い雲に飲み込まれて、辺りは闇に沈んだ。夜に慣れたおかげでぼんやりとだけ見える。気休めにもなりそうもない。もはや握る手の温度と風の冷たさだけがまともな感覚だ。アルテムは自分の震えを押さえ込むようにその手を暖かさを意識した。

 二人は不安げに顔を寄せ合った。こうなっては木の近くで動かず、なるべく風を避けるぐらいしかできない。不安がるイルマの手を引いて、低く頼りない木で休もうと慎重に足を動かす。すると、イルマが驚きと希望を混ぜたような声をあげた。


「あれって灯りじゃない?」


 道から外れた場所に小さな、小さな光が見えた。風に揺らめいている炎のようだが、どこか冷たさを感じた。昔、旅の魔術師に見せて貰った魔法で出来た無機質な光にも似ているような気もした。

 鬼火の話を聞いたことが、二人にはあった。彷徨える愚者が持っている炎、あるいは愚者を導く炎だから愚者火とも呼ばれる。だいたいの場合、迷い込んだ者を灯りで誘い、死地へと誘う。誘われるがまま、沼などへうっかり入り込んだら、そのまま浮かんでこない。あるいは実は作り出して操っている魔女に実験材料にされてしまう、らしい。そうなれば、子供は鬼火の仲間入りをさせられて、燃えているのに寒い寒いといいながら、延々と世界をさまようと言われている。


 不吉で、信用できない灯りだとも思う。けれど、それ以外に二人にはすがるものがなかった。二人はどちらともなく、頷くと足をそちらに向ける。


 踏み出した野原では、歩く度に枯れかけた雑草がくしゃりと潰れていく。灯りに近づく度に、その音は薄れ、石のようなものが転がった荒れ地へと変わっていた。足の裏が硬く、その不安定さにアルテムは顔をしかめる。


 だが、その顔はすぐに、別の表情によって塗りかえられる。がちゃりと鳴る音が火の方角からした。何かが立ち上がった。ゆらりと灯火を持ち上げて、それはがちゃがちゃと金属の音を鳴らして寄ってくる。アルテムは目を凝らしながら、イルマを庇うように前に一歩出る。いつでも彼女だけでも逃げ出せるようにと、握っていた手はわざと離した。あ、と心細そうに声をあげるイルマを拒むように拳を握って構えた。


 さらにがしゃんと鳴り、灯りが強くなった。目の前に現れたのは青い甲冑を纏った騎士だった。どことなくぼんやりとした存在で、風が吹くたびにその存在がぶれた。片手には、不可思議な光を放つ剣を構えていた。遠くでは炎のように見えた灯だが、近くで見ればどちらかといえばもやが光ってるような印象を受ける。その靄は冷気を帯びているように下へと下へと流れていく。

 兜の奥からは鋭い意志を持った赤色の視線。それに怯まず、アルテムはこの幽霊騎士をに睨み返した。冷たい刃が首筋に当てられたような感覚がぞわりと抜ける。見るだけで体は震え、血管に氷を直接詰め込まれたように寒い。それでも少年は睨むのをやめない。


「なんだ。子供か」


 掠れた低い声を上げて、がっくりと崩れ落ちるように幽霊騎士は腰を落として座った。ぼろぼろと存在のぶれがひどくなり、のっぺりとした青いものに形を変えている。深い霧の向こうにいる人影のようだった。ただ剣だけが明確に物質として存在している。表情は兜の奥からはわからないが、警戒を解いたようだ。ふぅ、と息を吐いたように口元のあたりがひどくぶれた。

 

「道に迷ったか、捨て子か? どちらにしろ、ここは生者の来るような場所ではない」


 ぼうっと輝いていた剣のもやがふわりと広がっていく。散っていったそれが、辺りを覆うように照らしていった。あるのは砕けた石がごろりと転がる不毛の地だった。よくよく見れば幽霊は石壁の基盤のようなものを椅子代わりにしている。その後ろには壊れた武具がごろごろと放置されていた。朽ちた鎧がころがり、錆びた剣が突き立ち、槍は穂先だけを残して崩れ落ち、無数の金属片が錆びて転がっている。古戦場か、戦士の墓場ようだった。

 ひっ、と目をつむってしまうイルマを庇いながら、アルテムは騎士から意識を離さない。


「おまえは、なんなんだ。ここはどこだ」

「騎士、だ。この城を守っていた」


 堂々した声音だった。掠れている声に違和感を覚えたが、死霊であっても狂っているわけではなさそうだ。

 アルテムは素早く落ち着きを取り戻していた。交渉できる怪物なら、まだマシだ。北より来る異形の悪魔や東からやってくる馬賊ではない。そんな気休めの思考をした後、口を開く。


「なあ、あんた騎士なのか、なら、イルマを助けてやってくれよ。この辺りの騎士ならベルンハルト伯に仕えてたんだろ? イルマは子孫なんだよ」


 むっとうめく、気配が緊張したような気もするが、アルテムはたたみかけることにした。道を聞くにしろ、ここで一晩過ごすにしろ死霊を味方につける必要がある。度重なる危険のせいで、積み重なった冷静さと耐性がアルテムにそう計算させた。


「ベルンハルトだと! ヤツは、この城を落とした者ではないか。むう、うぬらはそれに連なるものか!」


 しまったと思う感情が潰れるぐらい強く、叫ぶ騎士。掠れることのない憎悪が吹き出して、イルマに意識が集中する。重苦しく冷たい意識の束がイルマを襲った。青ざめた顔は立ち昇る冷たい光せいだけではないだろう。


「やめろ! 女だぞ!」


 庇うように割り込んだアルテムの声に騎士はむぅ、とうなり声を上げた。


「親の詰んだ罪悪は子が背負うもの、恨みもある。ぐぅうむ。だが、女子供、か」

「そうだ、女に手を掛けるのか。あんた、それでも騎士か、恥ずかしくないのか」

「ぐ、むぅ」


 騎士は人によっては女子供に割と手を上げるし、結構恥を知らない。そのことをアルテムは体験としてよく知っている。だが、この古風な亡霊に言うことを聞かすにはいい理屈らしい。ブブブっと羽虫飛ぶような音を立てながら自分自身の像を揺らした。悩んでいるのだろうか。


「イルマは伯の娘だからって変なヤツに追われてるんだ。弱者を守るが務めだろ、アンタ、そこに追い打ちをかけてるんだぞ。それで騎士を名乗るのか」


 言葉にあの襲撃者への怒りをのせて、アルテムはまくし立てる。うぐっと唸る騎士の影に意志を押しつけていった。


「わかった、わかった、我が名誉にかけて、この夜の間、お前達を保護する。それで良いだろう」

「そうだ、それでいいんだ」


 ふんっと鼻を鳴らして、アルテムはふんぞりかえる。いつの間にか立場が逆転したような二人に、イルマは少しだけ表情を柔らかくしていた。


「ありがとうございます。騎士様」

「子供がそう畏まるな。なに、気にすることはない。歩きづめで疲れたろう。こちらに来て座りなさい」


 恥ずかしがるように騎士は二人に背を向ける。敵意は失せ、ぶっきらぼうながら、老人などが持つ熟成された優しさがそこにあった。

 アルテムに似てるね、出し抜けに呟く少女に少年は、はぁっと戸惑いに眉根を寄せた。それに答えずにイルマは穏やかに騎士に向かって頷くと、その隣に座った。慌ててアルテムは彼女追って、その隣に座る。歩いて座るだけで、ふわりと重く沈んだ光のもやが裂かれて舞う。もやは冷たくも熱くもないが、水の中を歩くような重さを覚えさせる。いったい何で出来ているのだろうか、と二人は疑問を巡らせた。


「暖かいものでも出したい所だが、無理でな。すまんが我慢してくれ」


 ハッと笑いながら少年は肩を竦める。不安によって生まれいた勇敢さより、普段の生意気な様子が戻ってきたようだ


「これだから騎士様は。サービスってものが分かってないな。熱っい紅茶とジャムたっぷり塗ったパンとか出せよ」

「我慢の足らんガキだな、貴様は」

「夕飯も食ってなきゃ、そうなるってーの。今夜は久々の豚肉だってのになあー」


 質素な食事が中心の神殿では、きちんとした形で豚肉が出るのは珍しかった。たださえ元から少ないのに、今年は村全体に貯蓄した数も心許ない。もちろん、秋に豚を締めて作った分はあったのだが、ベルンハルト伯に保存食の類は兵糧としてギリギリまで持っていかれた。春先あたりから、南部でまた戦があるらしく伯が準備を整えるためだ。代わりに来年の税は軽くなる約束らしいが、目の前から食料がなくなるのは不安だった。敗北して帰ってきたら、税の約束も消えてしまうだろう。勝ったとしても守る必要などベルンハルト伯にはないのだ。


 神殿にいても、村にいても不安な声がつきないし、娘であるイルマを見る目も厳しいものになっていた。

 うまい食事が笑顔と安息を産むように、粗末な食べものは人を簡単にすさませる。


 あの騒ぎを村人達が見ていて、何人が助けに入ったろうか。そして、言われずとも助けに来てくれる村人が何人いるだろうか。前までそれなりに良好だったイルマと村人との関係は、結局ベルンハルト伯によって崩された。あの騒ぎも元はといえば伯のせいだ。そしてもしも、帰った時、自分の父親が死んでいたら、イルマと今まで通りの関係でいられるのだろうか。その思考に至ったとたんに不安がぶわっと襲ってくる。

 アルテムは不安はどう押し込めるか知っている。暖かいものか、甘いものだ。白湯でもなんでもいいから、何か口にいれることだ。

 青い顔をし始めたアルテムにイルマは視線を投げかけるが、彼は気付かない。騎士の像がぶれて最初の時のような甲冑姿へと戻っていた。


「本当に、なにもないのか」


 あたりを見渡すと城の跡、奥の方に林檎の木が暗闇の中にぽつんとあるのが見えた。暗闇から浮き出しているような存在感がある小さな木だった。丁度二つの林檎が赤々となっている。子供でも、手でもげそうな位置だった。あれなら簡単に食べることができそうだった。

 ふらりと立ち上がりそちらに向かおうとするアルテムの頭を騎士は剣の平で軽く叩いた。


「あぐっ」

「バカめ。あんなもの喰ってどうするつもりだ?」


 鉄より固くない頭を押さえ込むアルテムを甲冑姿の幽霊が忌々しく吐き捨てた。


「何って林檎を・・・・・・」

「アホ。こんなところに生えている林檎なんて、食べてみろ。ワシと一緒に生と死の狭間で彷徨うことになるぞ。だいたいあんな所に、不自然に生えるはずないじゃろうが」


 騎士は立ち上がってピッと剣を向ける。そこから吹き出た光のもやがそちらへぶわっと広がった。林檎の木が照らされると、ぶれるように姿を変え、折り重なった二つの人骨の姿になった。林檎に見えたのは骸骨が抱えていた巨大な二つの目玉だった。人骨どもはがしゃがしゃと悔しがるようにのたうつと、彼らはもやを避けるように音もなく闇の奥へ消えていく。子供達はそれぞれ短く悲鳴を上げた。


「ここら一帯は、冥界との境目が曖昧でな。特に夜はな。ああやって死者達が生者を引っ張り、成り代わろうとする。あるいは引きずりこんで魂を喰らう怪物もいる」

「げ、なんだよそれ」

「生者のくる場所ではないといっているだろうが」


 舌を出して顔をしかめるアルテム。その横で騎士が咄嗟に剣を構えた。何事かと思えばアルテムの舌目掛けて、陰湿そうな老女の顔をした人の頭ほどある巨大なハエが止まろうと羽根の音を鳴らして寄ってくる。口を締めたアルテムはそいつを思い切りたたき落とした。軽い音と共に、そいつは光のもやまで落ちると青い炎を上げて燃え尽きた。


「くそ、なんてとこだよ」

「やるじゃあないか、坊主。まあ、そういう土地なんじゃよ。最初にあったのがワシでよかったな。アレに心を乗っ取られていたかもしれん」


 構えていた剣を降ろし、傲然と言い切る騎士は霧の向こういるような薄い人型に戻っていく。げぇっと声だけを上げて、石壁の跡に座った。老女のように腰を曲げて陰湿にイルマをいびる自分を想像して、もう一度、声を吐いた。


「くそっ、絶対、親父に浄化してもらおう。どうせ冬へ入れば、書き物ぐらいしかしてないんだから」

「親父?」

「アルテムのお父様は神官様なんです。癒しと鎮魂においては当代一だとか」


 騎士の疑問に答えながら、少し誇らしげに答える。イルマは実の父親であるベルンハルト伯より慕っていて、そして実の子供であるアルテムより仲がいい。だから、自慢のおじさまの話になると普段とは違い、それは嬉しそうに話すのだ。アルテムはそれにいつも面白く無さそうにする。今夜もそれは変わらない。


「はっ、親父はそれしかできないんだよ。今日だって剣持ってりゃなんとかなったろう。いつも帯剣してりゃいいのにさ」

「ふん、そうじゃそうじゃ。神官なんぞ祈るしか役にたたん。それだって対したこともない。末の息子も神殿へ逃げたこんだが一度も墓参りに来ないしな。来てもここをどうこうできるはずもないがな。あやつは胆力というものがない。他の神官も似たようなもんじゃろ」

「そうだ、そうだ。だいたい親父がオレに剣の稽古でもしてくれりゃ、あんなヤツ、オレが格好良く返り討ちにしてやつたのに。全然、触らせてもくれない」

「なんと、そりゃあ、いかん。機会があれば、剣は平民でも持ち方を覚えておくべきだ」

「だろ、だろ!」


 口々に漏らす二人に、イルマは困ったような表情を浮かべている。引きつった顔で何かに耐えるようにしていたが、それも決壊して咳き込むように静かに笑った。





 しばらく夜は過ぎていた。話題が尽きることないような二人に時折、相槌ながらイルマはのんびりと夜空をながめていた。

 黒い雲はいつの間にか立ち去り、月と星々が顔を出していた。こうして星の明かりを眺めると不思議と落ち着く。星座はよくは知らない。専門家である天文学者か、航海士、そして魔術師でないかぎりそうそう覚えられる知識ではないのだ。ただ最低限、方角を覚えるため北極星だけは理解している。


 物事の方向性を決める星だった。それが目に焼き付けてからアルテムをちらりと見る。ひいき目で見ても馬鹿っぽい面で目を瞬かせている。

 いつまで、彼が引っ張ってくれるだろうか。こんなことがあったのだから、しばらくは南部に接する父の城に押し込まれるかもれない。手元の方が安全だと。そうしたら、村にいることはできない。南部で戦線が開かれればいつ帰ってこれるかも分からない。


 何か、自分の一部が欠けてしまうようで心細い。寒さのせいのも合わさって体が少し震えた。

 その震えに気付かずに無遠慮な欠伸の音が鳴る。アルテムは寒い眠いといいながら、イルマの横に寄った。


「限界。少し、休む」


 そういうとぶっつりと糸が切れたように、彼は意識を手放した。寝るというよりは気絶するような風だった。慌てて倒れ込む方向を自分の方にしてやる。寄りかかっている少年の顔は場違いなほど安らかなもので、くすりと笑いが出た。アルテムは夕方からずっと気を張り続けていた。幽霊とはいえ、話せる大人にあったことで疲労がどっと出たのだろう。


「いつも、ありがとうね」


 寄り添いながら、アルテムを支えた。お互いの重みが二人の姿勢を安定させる。いまだけでも、こうしていたい。アルテムから伝わる暖かさが余計にそう思わせた。

 それでも、きっと離れてしまうことをイルマはよく理解していた。思考に沈み、重くなりつつある表情を引き留めるように顔を上げる。目の前一杯に青い光が広がっていた。


「わっ」

「おお、すまぬ」


 のぞき込んでいた青い影に驚いた拍子にアルテムを落としそうになるのを、また引き戻す。幸い少年は目をさますことはなかった。


「煮詰まっているようだな、ベルンハルトの娘」


 騎士の固い声音は労るようなものが混じっていた。それを見て、無理に表情を和らげる。しかし、自分でも分かるぐらい引きつっている。もやからの光で浮かびあがった顔は、病人のように青白い。

 騎士は何も言わない。彼女が口を開くのをそっと待っていた。

 薄い雲が月をまた覆い隠すと、肌だけが感じる弱い風があたりを静かに駆けた。


「帰ったら、アルテムと私は一緒にいることはできません」

「そうか」


 少女の言葉を幽霊騎士は静かに受け止める。瞑目したように彼からの視線が一度途切れた。

 月にまとわりついていた雲が流れて散っていく。

 すうすうっと子供らしい寝息を立てるアルテムの声が風に流れて消えた。

 閉じていた視線が開かれた時、ブブブっと音を立てて全身の像を揺らして、影から甲冑へと姿を変える。魔術によって強化された呪練金属特有の光沢が青く輝いた。鎧の各所に刻まれた金色の魔術文字までしっかりと見えるほど、存在感を強くしていた。


「区切りをつけるしかあるまい」

「区切りですか」


 聞きたくないような、それでいて聞く必要があるような解答だった。避ける方法を知りたいという気持ちが、まだ強く残っているのだろうか。


「避けられぬなら、それと折り合いをつけるしかあるまい。生誕の日に年を取り、それを祝って区切るように。何かで分けてやるといい」


 騎士はふぅっとは息を吐いたように肩を落とした。


「もっとも、折り合いをつけられぬ死に損ないが言っても、説得力はないがな」


 自嘲するように無理に高い笑い声を上げた。それによって像がまたぶれた。鎧は月光を反射せず、影を落とすこともなかった。ついている陰影も反射している光も、かつて彼が生きている頃の記録であって、変わらないのだろう。


「これがその結果だ。私は過去と区切りをつけられなかった。死ぬに死ねず、行くことも帰ることも出来ん。娘、こうはなるな」


 イルマは頷くことができない。それでも騎士は彼女が答えるのを待っていた。青白い過去の姿をさらしながら、時折、その像を歪めながら。


 だが、答えを聞くことはできなかった。

 げぇげぇとえづいた猫のような呻き声が後ろから聞こえてきたからだ。騎士は、壁の跡から立ち上がると剣を構える。


「話はここまでのようじゃな。娘、アルテムを起こして下がってなさい」

「何が、来るんです」


 戻ってきた震えを誤魔化すように少年を揺り動かしながら、少女は問う。答えは冷たく固い声で返された。


「ここは、冥界と繋がってるんじゃぞ。来るものは決まっているわい」


 やっと起きたアルテムが、何事かと振り向くと短く悪態をついた。イルマもそれに習うと、ひっと悲鳴を上げる。

 足音を立てながらやってきたのは、昼間襲いかかってきた青年だった。しかし、深く首にナイフを突き刺さっている。致命傷のはずだった。それでも彼は動いていた。血走った目といびつに歪んだ口元からは殺意が吹き上がっている。

 

「死に損ないの亡霊どもだ」


 唸るような声と共に辺りの地面が盛り上がった。




 呻き声があたりに充満してく。腐敗した腕がぼこぼこと生えてくる。

 彼らが大地から立ち上がるのを待たず、首にナイフが刺さった青年は鉈を掲げて、一直線にイルマへ向かった。


「こっち、くんな!」


 アルテムは彼女を抑えるように前に出ると手近な石をひっ掴んで投げつける。しかし、直撃した飛礫はすり抜けるように落ちていった。

 彼がそれに悪態をつく前に、割り込む影が一つ。下段に剣を構えた青い騎士が自然な動作で入り込んできた。青年が血走った目で騎士に刃を無造作に振るう。単純によけてしまえば、アルテムに当たってしまう。


 彼は体を低くすると肩で体当たりするように鉈に向かっていった。固い音が鳴って鎧が音を立てた。しかし直撃したように見えた鉈はわずかな足捌きと、鎧の曲線を使い受け流す。そして、そのまま青年を下段から腹を薙ぐように剣を振るう。霞でも切るようにな簡単さで刃は青年を断つ。バチバチと青白い余波を放ちながら青年は爆ぜるように消えていった。


 アルテムは目を丸くして、それを見る。え、っと放心したようにつぶやくしかなかった。ほとんど視認できないほど速い剣閃が目に焼き付いている。


 騎士はその賞賛には耳を貸さず、剣を構え直すともぞもぞと動く地面に目をやる。

 死体どもが立ち上がる。数は十人ほどだ。抜け出たはずの大地には穴などは見当たらず、彼らにも土一つついていない。月に照らされていたが、光を反射することはなかった。かつてあったような陰影を絵のように表しているだけで、明らかな異物だった。光をまとったもやが彼らにまとわりつく度に、バチバチという音を鳴らした。死体は皆、あの青年のように命を絶たれた時の姿をしていた。かつてベルンハルト伯に敗れた者達だろう。その豪腕が振るう大斧で無理矢理、断ち切られたような傷からまだ血を吹き出している。ほとんどが戦装束に身を固めているが、平民の服を着た男も見受けられる。あの青年とよく似た年格好だった。


「ふん、相変わらずベルンハルトは暴れているらしいな」

 

 面白くもなさそうに青い騎士はつぶやく。それに反応することもなく、死者達は駆け出してきた。

 最初に突っ込んできたのは、馬に乗り、ランスを構えた騎士だ。人馬共に頭がないが正確にイルマへ向かって突撃してくる。青い騎士はそれに跳び込むと馬の足を無造作に断つ。悲鳴も上げず横転して落ちてくるを軽く殴りつけて自分から逸らし、ごろりと目の前に転倒した所を鎧の隙間目掛けて刺す。風船が爆ぜるような音を立てて銀色の霧へと姿が変わり、騎士だったものは霧散した。馬もいっしょに消える。


「あ、危ない」


 そう叫んだアルテムの声に意味はなかった。

 トドメを刺していた青い騎士の後ろから村人風の男が振るう手斧が襲いかかろうとしていた。しかし、それが体に届く前にぐるりと反転して襲撃者の腹を切り裂いていた。アルテムが叫んだのはその後でしかない。

 声より速いのか、と錯覚してしまうような瞬間だった。

 興奮したようにアルテムがつぶやいた。


「なんだよ、あんた」


 計らず死者と向き直る形になった。死者達は彼を障害と認識したのか、じりじりと距離を詰めてくる。

 ざっと整然とした音を立てて軽装兵の長槍が数本、彼へ向かってきた。ハッと叫びを上げて騎士は横に薙ぐ。槍は穂先ごと砕けた。その姿勢のまま、死者達へと滑り込む。そのまま、剣を大振りで横に振るう。それだけで三人が切り裂かれた。一人は腕を落とされ、一人は腹を断たれ、一人は頭を砕かれた。


 彼らが消えていく霞を裂いて、鎖のついた鉄球が音を立てる。顔面へ向かってきた鉄球の鎖を籠手で軽く叩いて軌道を曲げて威力を殺した。当たりこそしたものの兜がガンっと鳴っただけに終わる。振るった鎖帷子の兵士が戸惑ったように止まってしまった。騎士は容赦なくのど笛を裂く。苦しみの声も上げず霧散したのだけが彼にとって救いだろうか。


「どうした、お終いか」


 気迫を込めた騎士の言葉にじりっと死者達の多くは下がった。しかし下がった死者は背後から来た巨大な鈍器でなぎ払われて消えた。

 雑魚は邪魔だとばかりの扱いだった。そいつは確かな意志を持っているようだった。纏っているのは板金鎧で、その奥からは爛々とした赤が光っている。ダンッと明瞭な音を立て、その瞳が揺れて、目に焼き付く。


 瞬く間に振るわれた鉄の棍棒を剣で受け止めていた。騎士の剣が初めて動かなくなった。


「なんじゃあ、こいつは!」


 金属音ではなく、火が弾ける音を立てて二人の得物が明滅した。

 アルテムはげっと唸る。


「じいさん、そのでかい棍棒使いはリュテッドだ! 城門砕きの!」

「んなやつ聞いたことないぞ」


 文句をいいながら、騎士は一歩下がる。全力で押しつける気だった棍棒は大地を砕き、石が辺りに散らばる。辺りが土埃で煙った。しかし、それも一瞬。意外と軽い動作で突っ込んできた。城門砕きだが、唸る棍棒の一撃は軽いものではない。アルテムには騎士がいつ吹き飛ぶか、びくびくしていた。それでも不思議とイルマの手を引いて逃げたい気持ちを留めていた。それは騎士を信じていないと意思表示するようなものだと、心が判断したためだ。

 イルマも同じ気持ちだったようで、決して二人は手を握らなかった。


 それに答えるように火花を散らし、騎士は鎧を使って滑らすように棍棒を避けていた。時折、その像がぶれるが、数秒後には持ち直し、防御の姿勢を取り直す。

 均衡は続いた。


 城門砕きのリュテッドといえば、南部の英雄であり、ベルンハルト最大の宿敵だった。お互い攻めを得意とする騎士だったが、ベルンハルト伯は集団戦、リュテッドは個人での戦いを得意とする。リュテッド一人に数々の用兵術は砕かれたことも少なくなかった。

 まだ決着はついていなかったはずだが、背後に突き刺さった数本の太矢が彼の死を証明していた。今日の襲撃者の頭だったのだろう。


 その無念を込めた棍棒を受け流すと騎士は下から吹き上がるような一閃を放った。チィッンっと珍しい金属音がして、何かが飛んで地面に刺さった。

 リュテッドは己が傷付くのも恐れず、剣の柄を叩いて、それを吹き飛ばしたのだ。


「じいさん、何やってんた」


 騎士は城門砕きをじぃっと見た。わずかにおかしそうな笑い声を上げた。笑ってる場合かと、アルテムは文句とも悲鳴ともつかない声をぶつける。

 城門砕きはそれらを意に介さず、片手だけで長大な棍棒を振るおうとした。

 

「決闘で負けたのは死んだ時以来だが、戦で勝つのは久々でな」


 カッと城門砕きは光に飲まれて、うっと唸る。朝日が横から降り注いできたのだ。

 その顔面に思い切り拳でぶん殴ると城門砕きの頭部が乾燥した土塊のように砕けて散った。同時にそこから、騎士の体もぼろぼろと崩れている。辺りのもやも晴れていた。


「騎士様!」

「じじい!」


 二人は駆け寄った。騎士は首を振ってそれを押しとどめた。


「潮時でな。そろそろ区切りをつけるときがきたようだ」

「なんだよ、それ」


 納得いかない声を上げるが、ふん、と騎士は無視を決め込んだ。そして落とした剣を指さした。


「くれてやる」


 騎士は視線をアルテムにじっと向けた。納得いかない様子の少年だったが、彼が崩れ落ちる前に拾ってやろうと早足で取りに行った。

 その様子にくくっと笑って、頭から兜を外した。

 イルマはあっ、と驚いたような声をあげる。生意気そうな老顔がそこにあった。白髪には枯葉色の茶が混じっているが、顔形はアルテムそっくりだった。


「イルマ・フォン・ベルンハルトよ。生意気なやつだが、後は頼んだ。では、さらば」


 頷くことも許さないまま、騎士は一方的に言い放ち、勝手に消えていった。やっぱりアルテムに似てるとイルマは不満げに彼を看取った。


 戻ってきたアルテムは、何回か騎士を罵った。憎々しげというわけでもなく、悲しそうでもない。きっとそうすることが彼にとって騎士との決別になるのだろう。そして、わあっと意味のない叫びを朝日を浴びている城の跡にぶつけた。中にはすでに朽ちた装備や戦士の墓標などもなくただの荒れ地が広がっている。

 ふうっと満足したように息を吐くと少年は少女の手を取った。


「いこう、もう朝だ。剣が飛んだ方で見たら、ここからでも村に行けそうなんだ」


 うん、と寂しげに頷くイルマ。別れが近づいてるから、帰りたくはなかった。それでも戻らなければならない。

 それにアルテムは静かに笑いかけた。


「大丈夫だ。いつかさ。あのじじいみたいに、騎士になって、いっしょにいられるようにしてやるさ」


 そうして剣を軽く掲げた。怪しげな光は失われているが、朝日に白刃がきらめいてる。見事な長剣だった。子供には重いのかアルテムはよろけそうになるが、イルマが少しだけ支えるとすぐに体勢を戻した。

 恥ずかしそうに誤魔化し笑いをすると、ふと真剣な顔になって口を開いた。


「だからさ、その時はこいつで、肩を叩いてくれよ」

「うん、うん。待っている」


 そう言って微笑んで手を差し伸べた。丁度、貴公子に口づけを求めるような形だった。イルマは顔を紅に染めている。たださえ色白の肌で目立つのに、日に照らされてそれは隠れることもなく、少年突きつけられた。


「約束、してくれる?」


 首をかしげるとさらりと銀の髪が揺れた。首がぞっとするほど美しいラインを描き、細い鎖骨へと繋がっている。

 普段と違う少女の様に戸惑って真っ赤になった、アルテムは普段のイルマのように頷く。

 その後には短く、未熟で、小さな接吻の音が朝日の中に響いた。

 



 懐かしい夢を見た。不自然な姿勢のまま眠っていた青年は失敗したとばかり肩と手足をぼきぼきとならした。

 腰にはあの剣を下げ、頭は枯葉色の髪に覆われている。目の前にあるのは野戦用のテントにぐったりと転がって眠っている同じ隊の傭兵達だ。起きるには早すぎる時間だった。仲間を起こさないように外へ出た。

 同じようなテントが広がる中をすこし外れた所へ抜けた。


 あれから、すぐにイルマとは別れてしまった。まともな挨拶も出来ぬまますぐに南部の城へと護送されていった。

 アルテムは父親に反発して家を出た。騎士の従者として学びたい。そう主張したが、かなうことはなかった。平民は普通にやっていては騎士になれない。下手すればずっと従者のまま終わる。親心としても反対してくれたのだろう。司祭としての職に就けば彼女に会うこともできると説得もしてくれたが、アルテムは耳を貸さなかった、親心を理解しないまま、無謀にも傭兵部隊の輜重隊に潜り込み働いた。もっとも皮肉にも役に立ったのは癒しの司祭として受け継いだ父の知識だったが。

 彼らから武術を盗みながら、戦場を駆けた。南部では城門砕きのリュテッドが死んだため、統率者がいなくなった。しかし、南部は脆くはなったものの、征服後に泥沼の内戦が待っていた。アルテムはその中で骨を接ぎ、肉を縫い、性病を治療していった。


 本格的な戦働きを始めたのはここ一年ぐらいだった。悪くはなかったが、ベルンハルト伯とイルマに届くには遠かった。

 戦の前はいつも同じ夢をみるのはきっと、こんどこそ二人に届きたいという心がそうさせるのだろうか。


 どちらにしろ、それはありがたかった。初志を思い出すばかりではない。あの騎士の放った剣閃を明瞭に思い出せる。

 今なら、アレに届く。届かなければならない。


 その思いを込めて、剣を抜くと、無造作に構えて放つ。夜の記憶に準えた刃が、朝の光を切り裂いて唸った。

 


 


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