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Remu【レム】  作者: 飛鳥
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Past-Part【過去】【決別】

 Past-Part【過去】【決別】


「あれ、」

 肌寒さを感じさせる冷たい空気のなか、ミュウはふと、意識を取り戻す。

「ここ……どこ? 方舟じゃないよね」


 地面に指で触れてみるとがっしりとした、硬い感触が手の平に返ってくる。熱を持っているのか地面はじんわりと暖かく、指先を動かすとぽろり、表面が少しだけ削げ落ちる。


 蛍光灯や電灯は取りつけられていないようで辺りは薄暗いものの、下の方や上空は何だか明るく見える。壁や遠くの地面で見慣れない球がオレンジ色に光っていて、どうやら、それが蛍光灯の代わりになっているようだった。

 天井の何箇所かには横穴が開いていて、そのうちの一つから陽光が射し込んでいる。


「……そうだ。わたし、レムのおかあさんに頼んで、それで」

「騒ぐな。無意味に虫の注目を集めることになる」

 背中を押さえられるような高圧感。聞こえてきた声にびくりと肩を震わせて、ミュウは恐る恐る、声の方向に振り返ってみる。


 黒曜の長い髪に刃のように鋭い瞳。魔導機杖という無機質な金属棒を(たずさ)えて、リーゼ・リストールは静かに景色を見下ろしていた。

 どうやらミュウが気を失っていたのは高台のような場所で、下にはまだ地面が続いているようだった。


「レ、レムのおかあさん。虫の注目って、それじゃあやっぱりここは」

 冷え切った指先を握って暖めているうち、ミュウは床に取り付けられていたオレンジ色の正体に気づいた。それは、球ではなかった。


「……機甲虫の、おうち?」

 機甲虫のおうち。機甲虫の巣穴。オレンジ色が薄暗い闇のなかで左右に揺れて、分厚い銀色が光を反射する。反射された強い光が、ミュウが抱いた疑問の答えを照らし出す。


「おうち? ずいぶんとぼけた言い方をする。まさかこんな娘が適合者とは」

 言葉の意味はわからなかったがリーゼの言い方はとても厳しくて、どうして自分がこんな場所にいるか。ミュウにそれを思い出させるには十分すぎるほどの効果を持っていた。


「てきごう? わ、わたしをどうするつもりですか!」

 震える心を押さえつけ、ミュウはほとんど叫び声も同然の声を上げる。

 大声を張り上げないと周囲の不気味さ、異様さに飲み込まれてしまいそうだったからだ。


「さあな」

 リーゼが問いかけに答えてくれることはなかった。興味がなさそうにそう言って、再び視線を下へと移す。


 訪れたのは静寂と肌寒さ。

 薄暗いなかを漂う空気は芯まで冷え切っていて、その場に立っているだけで体温を奪われてしまう。別のことをして寒さを紛らわしたくても、唯一話が出来そうな相手はとんでもなく怖そうで……。


「適合者の娘。たしかミュウ……アシュホードと言ったな」

「ひゃっ、はい!」

 脈絡なく名前を呼ばれて、思わず声が裏返りかけてしまう。


「なぜあのとき、おまえはレムを(かば)おうとした」

「えっ?」

 リーゼが何を言っているのか一瞬わからなかったけど、すぐにあの時。レムが動けなくなった(気を失った?)ときのことだと気づいた。


「魔導機杖すら持たないただの子供が、私を止められるとでも思ったか?」

「む、無茶って言うのはわかってましたよ。でもレムはわたしを守ろうとしてくれて……だったら、レムが危ないときは代わりに守ってあげようって、そう思うのが当たり前じゃないですか!」


 自分の力でレムを守れるわけがない。それはわかりきっていたけど、それでもあのとき、レムを放ってなんておけなかった。何でもいいからレムの力になりたい。

 そう思った瞬間。無意識のうちに両手を広げ、リーゼの前に立ちはだかっていた。


「やはり馬鹿だな。私の目的はおまえの確保。本当にレムのことを思うなら、一目散にその場から逃げ出すのが正解だ。それなのにレムを庇おうとするなど愚の骨頂」

「友達を、す、好きな人を守ろうとするのが、そんなに馬鹿なことなんですか!」

「……ああ。馬鹿だな」


 何かを考えていたのか、昔のことを思い出していたのか。少しだけ目を閉じて、リーゼははっきりと断言を、ミュウの気持ちを否定する。


「他人を思う心。まして自己犠牲など愚者(ぐしゃ)が己自身を満足させるための行為に過ぎん。完璧な美談が存在するのは物語のなかでだけ。現実はもっとどろりとしていて、後味の悪いことばかりだよ」


 その言葉は、わたしに向けられたものじゃない。なぜかはわからないけど、ミュウにはそんな風に思えてならなかった。

 むしろ、自分自身に言い聞かせているような。


「あ、あの……レムのおかあさんはどうしてわたしを機甲虫のところに」

「その言い方、」

「えっ?」

「母親というのはやめろ。私にはそんな重みを背負う資格も、背負う覚悟もない」


「……? でも、レムのおかあさんはレムのおかあさんなんですよね? それなら、おかあさんって呼ばれるのはおかしくないんじゃないですか?」

「おかしくはない?」

「えっと、レムのおかあさんが本当のレムのおかあさんじゃないなら、おかあさんって呼ばれるのか嫌だったり呼ばれる資格がないって思ったり、そんなことを考えてもおかしくないと思うんです。でも本当のおかあさんならおかあさんなんだから、おかあさんって呼ぶのは普通で、ぜんぜんおかしくなくて……って、あれ? わたし、なにが言いたいんだろ。うーっ、頭がこんがらがってきちゃった。って、な、なんで笑うんですか!」


「いや、なんでもない。ただ、ころころと忙しい奴と思っただけだ。慌しく表情を変える様は、シエルの子供の頃と変わらんな」

「シエルって、ひょっとしておかあさんのことを知ってるんですか?」

「それなりにはな。ハイスクール。いや、ミドルスクールからの付き合いだったか」


「そ、そんな時から? でもおかあさん、魔導師の司令官さんと知り合いなんて一言も」

「子供には聞かせたくない事情というものもある」

「も、ものすごい大喧嘩をした。とか?」

「喧嘩? まあ、そのようなものか」


 そう言って、リーゼは小さく笑う。

 どうして笑ったりするのか、ミュウにはさっぱり意味がわからなかった。


「ところで貴様。先ほどどうして自分がここに連れてこられたかの理由を聞こうとしていたが」

「は、はい。適合者とかそういうのが理由で、機甲虫がわたしを狙ってたのはわかるんですけど」

「そうだな。適合者というのは……いうなれば、機甲虫の仲間になれる素質を持つものと言ったところか」


 携えていた魔導機杖でリーゼが床を突くと、とん、という乾いた音が周囲に響き渡る。

「女王を守るための騎士。そのような、栄えある存在になれるというわけだ」

「守るための騎士? わ、わたし、戦いなんて出来ないですよ。運動神経もそんなによくないし、魔導機杖だって上手には――」


「戦えるか否か。そんなものは些細(ささい)な問題に過ぎないよ。身体能力も精神力も関係ない。重要なのは適合者であるという事実だけ。適合さえしていれば、後の部分は幾らでも調整が効く。むしろ、重要なのは女王固体との相性だろうな」

「相性?」

「送られてくる信号に対する受信感度のことだ。この数値が高ければ、それだけ命令信号に対するレスポンスが早くなる」

「レス、ポス?」


 よくわからない単語の羅列。さっぱり意味がわからなくて、ミュウは思わず首を斜めに傾ける。

「まあ細かいところはどうでもいいさ。ようするに、虫どもは適合者という素体を欲しているということだ。それも出来るだけ傷のついていない、新鮮な状態での確保を望んでいる。それがこちらの手中にある以上、虫どもとしては迂闊に手を出せないというわけだ」


「……それって、人質ってことですか?」

「そうだな。そう言えなくもない。だが私の有無に関わらず貴様は連れ去られていたのだから、どのみち此処に来るという運命は変わらない。であれば、この機を利用しない手はないだろう? 心配するな。多少怖い目に会うかもしれんが、命まで取るつもりはない。ことが済めばすぐに開放してやるさ」


「ほ、ほんとうですか!」

「ああ。だからこの場は大人しく……」

 話の途中で何かに気づいたのだろう。突然に会話をぶつ切りにし、リーゼは魔導機杖を強く握りなおす。


「来たか。思ったよりも早かったな」

「来た? って、なにあれ!」

 リーゼが見上げているのと同じ方向を見てみると、流線型(りゅうせんけい)の頭を持つ巨大な何かが多数の機甲虫を足場に空中に浮かんでいた。腕のような二本のかぎ爪をこすり合わせ、がちがちと乾いた音をかき鳴らしている。


「あれが女王固体だ。通常は巣穴最奥の王室に鎮座(ちんざ)したまま動かないが、唯一、騎士が誕生する際にのみ巣穴の表層に姿を現す」

「ほ、ほんとだ。他の虫を踏んづけちゃってるし、ほんとに女王様みたい」

「どういう基準だ」


 奇妙な物言いでリーゼを呆れさせながら、ミュウはじーっとそれを観察しなおしてみる。

 銀色の光沢を放つまばゆい身体。先端が(とげ)のように尖っている四本の脚。動物の図鑑に描かれていた馬や猫という生き物よりもずっと長い、五十センチはありそうな長い尻尾。


 尻尾の先っぽには室内球技バスケットボール用の球が丸々一つ入りそうなくらい大きな穴が開いている。先っぽに穴というより、尻尾の真ん中に細長い空洞があるのだろう。


「しかし想定していたよりも少々小さいな。脱皮したばかりの固体か」

 成長を遂げたばかりの女王固体。その頭部から、突如として赤色の光が放たれる。

 照射された光が、ミュウたち二人の身体を撫で回す。


「な、なに? この赤いの」

「生体情報の確認を行っているところだ。その適合者の身体情報、健康状態、致命的な病原体の有無。それらを調べ上げ異常がなかった場合、直ちに騎士への改造治療が施行される。もっとも、これだけの機を前に悠長に待っているつもりはないが」

 Lance

 魔導機杖が【槍】に形状変化したと思ったら、ミュウは、強引にリーゼに抱き抱えられてしまう。


「わわっ」

「娘、死にたくなければ大人しくしていろ」

 Soar

 【飛翔】の術式が発動し、リーゼの身体がふわりと空中に浮かび上がる。


「さて、まずは様子見だな」

 Fire-Sphere

 Fire-Sphere

 Fire-Sphere

 【炎】の【球体】を複数作り上げ、リーゼは機甲虫の女王目掛けて次々に撃ちだしていく。

 Protection

 Lightning

 術式の光を前に、女王の足場になっていた機甲虫たちが反応。【障壁】によって攻撃を防ぎ、ミュウを抱えているのとは反対の腕に向けて【雷】を発射する。


「ほら、出番が来たぞ」

「そ、そんな無茶な」

 ミュウを掴みなおし、リーゼはぐいっと前に突き出す。

 Lightning-Conductor

 Protection

 適合者が傷つくことを恐れたのだろう。リーゼ、というよりミュウの目の前に【障壁】を作り出し、機甲虫は自らが放った【雷】を明後日の方向に【誘導】させる。

 誘導しきれなかった雷が障壁にぶつかり、ばちり、と激しい音が響き渡る。


「ひっ。や、やっぱりこんなの無茶ですよーー」

「いや、十分役に立った」

 Fire-Wall

 Fire-Wall

 Fire-Wall

 続けざま。女王を含めた機甲虫の集団に、三重に折り重なった【炎】の【壁】が襲い掛かる。


「さて、虫の注意を引き付ける必要があるな」

 言うが早いか、リーゼはミュウを掴んでいたその手を離す。

「へっ、えっ、うそ!」

 空中で、手を放されて、

「う、うそうそうそうそうそーーーーーー」

 重力に引っ張られるまま、ミュウは地面に向かって急降下。


 Fire-Sphere

 上空に術式の電子音声が響いて、女王固体の頭部に光の槍が突き刺さるのをぼんやりと見ることが出来た。

 術式の効力は【炎】の【球体】。

 炎が全身を(おお)い包んで、糸が切れるようにぷつり。女王固体の動きが停止する。けれど、ミュウにはそんなことを気にする余裕なんて残っていなかった。

「だ、誰でもいいからなんとかーーーー」


 Soft

 ぶにゃん、と【柔軟】な何かに包まれる。

「わ、わぷっ。た、たすか――」

 とても柔らかな銀色。オレンジ色のモノアイ……。

「ってなーーーーい!」

 思わず大声を上げた拍子、ぐいっと腕を引っ張られる。


「騒がしいな」

 自分を(かば)ってくれた機甲虫の頭部が、光の槍によって無残に貫かれてしまう。

 誰が行ったかは、言うまでもないだろう。 


「しかし虫に助けられるとは。つくづく悪運の強い娘だ」

 Acceleration

 そのまま抱き抱えられたと思うと、周囲の景色が物凄いスピードで後ろに流れていった。

 【加速】の術式の電子音声が聞こえたが、ミュウにわかったのはせいぜいがその辺りまで。あまりの早さに目を回しそうになって、気がつけば、どんっと再び地面に投げ出されていた。


「い、いたたたた。って、ここ、最初に目を覚ましたところ?」

 硬い床の感触に高台の上のような景色。こんな作りになっている場所は他になかったから、おそらく間違いないだろう。


「あ、あの、やっつけたんですか?」

「ああ、頭は潰した」

 言葉を聞いた瞬間、ミュウの表情がぱぁーっと笑顔に変わる。

「じゃ、じゃあこれで終わったんですね。やった。それならもう外に出て、方舟に帰って」

「いや。まだひとつ、後始末が残っている」

「後始末? なんです?」

 首を傾げかけたその拍子。

「適合者という素体の破壊だ」


 ミュウの目の前に、槍の先端が突きつけられる。

「え、ど、どういう……」

「どうもこうも、適合者など人間にとっては百害あって一理なし。無事逃げおおせたとして機甲虫の別固体に利用されるだけなのだから、この場で消してしまうのが最善だろう?」


「そ、そんな……命まで取るつもりはないって」

「嘘も方便。そう言っておけば、脅すよりも楽に大人しくさせられる」

 ミュウの気持ち。命すら気に止めていない勝手すぎる理屈。


 それを前にミュウが何も言い返すことが出来なかったのは、リーゼの言葉から、一点の曇りすら感じることが出来なかったからだ。

 迷うどころか罪悪感すら抱いていない。

 どうしようもないぐらいに機械的で、メリットとデメリットの二極でしか物事を考えようとしない。そんな人を相手に、どんな言い方をすればわかってもらえるか。


「死にたくないと言うなら、一つだけ条件を出そうか?」

「えっ?」

 びっくりして、ミュウは思わずリーゼの方へと向きなおる。


「どうした。死にたくないのではないか?」

「し、死にたくないに決まってるじゃないですか。そんなの当たり前です! でも条件って」

「なに、簡単だ。こちらの要求はただ一つ。これまでのことは全て忘れ、二度とレムに関わるな」

「……えっ」


 何を言っているのだろう。驚いて、ミュウは思わず言葉を失ってしまう。

「正直なことを言えば人間にとっての有害無害。損得などはどちらでもいい。方舟が沈むというなら、それがあの艦の寿命だったのだろう。ただ、レムに害を与えるというなら話は別だ」


「が、害って、わたしはレムをどうかしようなんて思ってません。一緒に遊んだり、話が出来たらそれで――」

「そういうものを害だと言っている。レムが貴様に情を抱けば必然、関心を寄せるようになるだろう? そういう感情があの子にとっての命取りとなる。だからこそ、関わるなと言っているのだ。人間という種は一人きりで一生を過ごし、骨となり、そして土に帰っていけばそれでいい」


「そ、そんなの駄目です! そんなのさびしすぎるじゃないですか! 誰のことも考えないで、誰とも深く関わらないで生きていくなんて。だ、大体、それを言うならレムのおかあさんはどうなんですか!」

「……?」

「一人きりで生涯をなんて言ってるのにレムのことばっかり気にして自分のことは二の次で。それなのにレムには誰とも関わるななんて、それこそ自分勝手じゃないですか!」


「別に関わりあうなと強要(きょうよう)しているわけではないよ。あくまでもあの子の意思を尊重(そんちょう)しているだけ。それで、どちらなのだ? こちらの条件を飲むのか飲まないのか」

「わ、わたしは……」

 少しだけ、レムのことを思い浮かべてみる。


 頼りになるけど少し抜けてるところがあって、でも凄く真面目で、真っ直ぐで……。

「嫌です」

 考えて口に出した言葉ではなかった。知らず知らずのうちに、気持ちそのものが口から(こぼ)れ落ちていた。


「レムのおかあさんが大切に思ってるように、わたしにとっても、レムは大切な友達なんです。忘れるとか会わないとか、そんなことは絶対にしたくありません」

 自分の気持ちに嘘をついたりごまかすことはしたくなくて、だから、正直に自分の気持ちを伝えた。嘘偽りのない本当の気持ち。

 けれど、どれだけの気持ちを抱いても……それがリーゼに届くことはなかった。


「そうか。では、そのまま消えろ」

 躊躇(ちゅうちょ)や迷いなんて存在しない。断るならそれでいい。そう言っているように思えた。

 虫が食っている果物と同じように、リーゼはミュウの処分に取り掛かる。


 ずぶり、と鈍い音が響いた。

 何かが貫かれる音。

 光を放つ槍がころりっと地面を転がって、先端が、薄暗い地面に真っ黒な焼き色をつけていた。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――

「な……に?」

 ミュウの目の前で、リーゼは自らの胸元に手を押し当てる。胸からは(しずく)(したた)り落ちていて、貫いた細針が(あざ)やかな赤に染まっていた。


「虫どもが……女王を失っていながらまだ足掻(あが)くか」

 Fire

 胸を貫いた張本人。機甲虫の兵隊を【炎】を用いて焼ききり、リーゼは両足を地面に下ろす。


 Regeneration

 胸元に開いた傷を【再生】しようとして、それを、見る。

「馬鹿な……」

 流線型の頭。銀色の光沢を放つまばゆい身体。棘のような脚に巨大な尻尾。

 女王という威厳をその身に(まと)う、銀色の悪鬼。


 機甲虫が映しだすモニター越しではあったけれど、リーゼは確かに『女王個体』をその眼で捕らえていた。

「有り得ん。確かに破壊したはずだ」

 燃やし尽くした女王の死骸(しがい)。リーゼははっとしてそれに目を向けて、気づく。


「二匹目の方か」

「えっ?」

「ピラミッドの頂点、女王はただ一匹のみ存在していればそれでいい。遅く生まれた固体や欠陥を持って生まれた固体を生かしておく必要はないということだ。適合者の前に出向かせたこれは、最初から捨て駒扱いだったのだろう」


 Needle

 無数の【針】がリーゼの右腕に突き刺さる。

「……っ。利き腕を封じるか。虫の分際で随分(ずいぶん)気の利いた真似をしてくれる」


 動かない右腕と穴が開いたままの胸元。再生出来ないことはないが相応の時間が掛かるうえ、魔導機杖は足元に落としてしまっている。

 まずいな。

 と、リーゼの脳裏に一つの予感がよぎる。


 ミュウをレムから引き離し、完全構築(マスターコード)によってレムの記憶を消去する。

 方舟から抜け出た時点でリーゼの目的の一つは完了していたが、ここで死んでしまっては、わざわざ機甲虫の巣穴にまでやってきた意味が無くなってしまう。


 方舟でクリスタに伝えた、女王の排除という言葉は建前だ。

 排除出来るならそれに越したことはないが、平常心を保っている限りレムが機甲虫に遅れを取るはずがない。だから、リーゼの目的のもう一つはレムとは無関係のところにあった。


 それをこなすための最善。時間稼ぎ。

「……止むを得んか」

 足元に目をやると、リーゼは槍に形状変化したままの魔導機杖を蹴り飛ばす。

 槍がからりからりと地面の上を転がって、ミュウの元へとたどり着く。


「手詰まりだ」

「えっ?」

「腕を潰され、魔導機杖をまともに握ることすら出来ん。これではもうどうしようもないよ。だがお前にはまだ選択肢が用意されている。人として生涯を終えるか虫の一つと成り果てるか。どちらかを選べ」

「ちょっ、ちょっと待ってください。そんなこと急に言われても……」

「早くしろ! 虫の注意がそちらに傾けば、選択肢そのものが消えてなくなるぞ」

 必要以上に大きな声を出したのは、機甲虫の注意をミュウに引き付けるためだ。


 適合者が槍を自分に向けるようなことがあれば、機甲虫は、泡を食ったように止めようとするだろう。そうなれば、リーゼへの警戒が弱まるのは明白。

 地面に落ちていた魔導機杖を拾い上げると、その切っ先をミュウは自分に突きつける。


 指先がぶるぶると震えている辺り、頭のなかで色々なことを考えているのだろう。

 どうでもよかった。

 右腕に突き刺さっていた針が抜け落ちる。神経が繋がり出したのか、だんだんと腕の感覚が戻ってき始める。


(あと少しだな)

 すでに胸元の修理は終えている。腕が治り次第魔導機杖を取り上げ、周辺の機甲虫を排除してしまおう。あれの居場所がわからないままなのが気がかりだが、真の女王固体の下に向かえば、否が応でも姿を現さざるをえない。問題は女王固体の居場所だが、一応、おおよその検討はついている。


 巣穴の最奥、王台。

 リーゼが頭のなかで考えを巡らせるなか。決意を固めたのか、ミュウは、手にしていた槍を自分の胸元に突き刺そうとする。と、

 Protection

 予想していた通り、光が形成する槍の切っ先を【障壁】が明後日の方向に弾き返す。


 くるりくるりと空中を舞って、槍がぐさりと地面に突き刺さる。

 術式が張られることはわかっていた。だから、それ自体に驚いたわけではない。


「馬鹿な……」

 それでも、リーゼは声を失いかけてしまう。女王が生きていた時と同等。いや、それ以上の衝撃がリーゼの全身を駆け巡っていった。

 なぜなら、術式を張ったのは巣穴(ここ)にいるはずがないものであったからだ。巣穴(ここ)にいてはいけないものであったからだ。


 真っ黒な法衣がふわり、地面に両足をおろす。

 小柄な身体。右手に携えた、光で形成された刀身を持つ剣。 

「どう……して?」

 ミュウもまた、戸惑い交じりの声を上げていた。

 どうしてその人が巣穴(ここ)にいるのか、その理由がわからなかったから。


「言ったでしょ。絶対に守りきるって」

 そんななかで少年は、純潔の血を持つ魔導師は、少しだけはにかんだ笑みを浮かべていた。






「ミュウ、そこでじっとしてて。すぐに終わらせるから」

 Fire-Barrister

 ミュウたちのもとに舞い降りた魔導師‐レム・リストールは【炎】を(まと)った【()】を形成。勢いよく周囲の機甲虫たちに投げ込んでいく。鈍い音と共に機甲虫の身体に()がめり込み、


 Acceleration

 機甲虫が(ひる)んだ隙をついて【加速】の術式を発動。次々に光の刃を突き刺していった。

 頭部を跳ね飛ばし動きを止めて、胴体部の重要器官を溶解させる。


 Sphere-Protection

 機甲虫の爆発は、【球体】【障壁】の内側だけに押し留めておいた。機甲虫の巣穴のなかといえ、ミュウが近くにいる以上無闇な爆発は引き起こさない方がいい。


「すごい、あっという間に」

 ミュウの唖然(あぜん)とした声を聞きながら、レムは魔導機杖を杖の形状に戻す。

 宣言した通り、レムは本当に、周囲を囲んでいた機甲虫をすぐに掃討してしまったのである。残っているのはレムとミュウと――。


「レム、何故貴様がここにいる。いや、何故……ここに来ることが出来ている」

 魔導師リーゼ・リストール。ほんのわずか驚いた表情を見せた後、彼女はまた、いつものような鋭い目つきに戻っていた。


「貴方とミュウを助けに来たから。それが理由です」

 地面に転がっていた魔導機杖を拾い上げると、リーゼはぶるん、と短く振るう。


「答えになっていない。クリスタは完全構築(マスターコード)を仕掛けなかったのか?」

「仕掛けましたよ。でも(あらが)って、命令に背いてここまで来ました。それに、あれは虫が虫を支配するための力なんでしょう? だから僕を止めることは出来ませんでした。当たり前ですよね。虫なんて、僕たちの間には何の関係もないんですから」


「綺麗事を言う。私が何かなど、重々承知の上なのだろう。騎士になり損ねた適合者のなれの果て。弄られた時点で、すでに私は人とは別種に成り下がっているよ」

「貴方が自分をどう思っていても、僕が貴方の答えという事実は変わりません。完全構築(マスターコード)を打ち破って此処(ここ)に来られたことが、何よりの証拠じゃないですか」

「…………」

 一瞬だけ魔導機杖から光が放たれ身構えたものの、心そのものを支配されるような、あの奇妙な感覚に襲われることはなかった。


「ここでお前と争う必要はないか」

「……じゃあ」

「ああ、くだらん討論は後にしよう。完全構築(マスターコード)が通じぬ以上何をしようと無意味。だから、」


 レムの目の前で、リーゼは槍を振り上げる。ミュウの元へと急速接近。

「えっ」

 戸惑いの声を上げるミュウに向けて、一息に振り下ろす。


「やらせませんよ」

 瞬間、光の槍と剣がぶつかり合い、ばちりと火花が巻き起こった。


「ほう、よくわかったな。こちらの意図が」

「それは、貴方を……信じていましたから」

「信じる?」

「ええ。貴方は僕のために全てを投げ捨てようと、いえ、全てを投げ捨ててきました。そんな貴方がミュウを適合者(邪魔者)と宣言した。なら、みすみす方舟に連れ帰るはずがないだろうって」


 ぶつかり合った光が火の粉となって周囲に飛び散り、地面に落ちた火の粉が、一瞬の瞬きとなって消えてしまう。

「適合者が機甲虫にとっての大事なものなら、今回の騒動を乗りきったとしてもまた次が来る。その時にまた同じようなことが起これば今度こそ助けられないかもしれない。だから、そもそもの原因の元を断つ。その結果僕に恨まれようと、いっそ殺されたとしても構わない」

「……よく回る頭だな」

「貴方の子供ですから」


 ばちりと火花を散らし、リーゼは後ろに距離をとる。

 相手の指先の動き一つにまで気を配りながら、レムは、ミュウが自分の真後ろに来るように移動する。


「悲しいな。私にはお前をどうこうしようという意思はないというのに」

 リーゼがレムの目の前で両手を広げたのは、抵抗するつもりはないというアピールなのだろう。


「お前がその娘を想っているのと同じように。いや、その何十、何百、何千倍もの想いを抱いているというのに、お前は、私の想いよりもその娘を優先するというのか」


「……違う、そうじゃありません。貴方が僕を大切に想っているのはわかっていますし、そのことに感謝もしています。でも、だからこそなんです。だからこそ恨みたくなんてない。大切な人だからこそミュウを、誰かを傷つけて欲しくなんてないんです」


 心からの訴え。思いの全てを表に出した。伝えた。

 自分のことを何よりも大切に想ってくれている優しい人だから、きっと受け止めてくれる。

 レムは、そう信じていた。


「……大切な人か」

 やがて、リーゼは小さく言葉を口にする。その言葉から妙な他人行儀さを感じたのは、素直に言葉を受け止めるのが照れくさかったからだろう。


 リーゼとレム。二人の間に流れていた殺伐さが薄れ、何とも形容しがたい複雑な空気が満ちていく。リラックスや柔らかいという言葉とは程遠いけど息苦しさは感じなくて、レムは、ほんの少しだけ警戒心を緩めてしまう。


 その瞬間を見計らっていたように、

 Violent-Wind

 モノアイがオレンジ色の光を放つ。

「……っ。なんだ? 突風?」

 突如【強烈】な【風】が吹き荒れて、レムの真横を銀色が通り過ぎていった。


「きゃっ」

「……!」

 驚いて振り返った時にはもう遅い。銀色の巨体がミュウをそのまま、巣穴の奥に連れていってしまう。


「行かせな――」

 Fire

 背後から撃ちだされた【炎】。


 発射されるのが見えたから避けること自体はそれほど難しくなかったものの、

「なんで!」

 レムは、そう声を張り上げずにはいられなかった。


「なんでわかってくれないんですか! こんな状況になって、ミュウが危なくて、それなのに、どうして……」

「頭を冷やせ。蜂の巣にされたいのか」

 (いまし)めのようにそう言われ、レムははっとする。


 巣穴の奥に続く横穴の周囲で、焦げた土の色をした何かがもぞもぞと身体を動かしていた。

「機甲……虫?」


「そうだ。巣穴の補強や幼虫の世話を担当する個体は甲殻の(つや)()げ落ち、薄汚れていることが少なくない。虫の姿を見誤れば、そのまま命を落としかねんぞ」

「はい……」

「それでいい。適合者の命とお前の命では、釣り合いにすらならないよ」


 最初から、釣り合うものなんてないと思ってるくせに。

 リーゼの言葉に反感を抱いたものの、今はそんなことを気にしている暇はない。

 壁際の機甲虫に狙いを定めて炎を放とうとすると、魔導機杖を握っていた指先に、ひんやりとした手の平が重ねられる。


「頭を冷やせと言っている。あんなものの相手をしていたら、改造治療の時間を無意味に与えるだけだろう?」

「そんなことを言われても、他に方法なんて」

「無くはない」


 光を放つ槍を肩に担ぎ、リーゼが、どんっと力強く利き足を踏みしめる。

「例えば私が囮になってもいいだろう。虫どもの注目がこちらに集まったら、その隙をついて一気に駆け抜けろ」


「…………」

「不服。いや、不審(ふしん)そうな目をしているな。安心しろ、私とて本意ではないよ。だがお前は何が何でもあの娘を助けるつもりなのだろう。それなら協力するほかないではないか」

「ミュウのため、とは言ってくれないんですね」

「当然だ。お前以外の人間に情をかける必要も、情をかけるつもりもない」


 リーゼの態度はどこまでも頑なで、一ミリの揺れ幅すら感じることは出来なかった。

 けれど、だからこそ信じることが出来る……。


「安心しました」

「うん?」

「だってここでミュウのためなんて言われたら、とても信用なんて出来ないじゃないですか」

「ふん、いい憎まれ口を叩くようになった」


 そんな風に言うリーゼの言葉には、どこか愛情と優しさが含まれているように思えて、

「……あの」

 そんな感情を抱いたからこそ、レムは言葉を口にする。

 本当なら物心がついたばかりの頃から口にしていたであろう、とても大切な言葉を。


「これが終わったら、お母さんって呼んでもいいですか」

「…………」

 槍を肩に担いだまま、リーゼはじーっと何かを考えているようであった。

 言葉の一つ二つではとても伝えられない、表現することすら出来ない深い、深い想い。


「好きにしろ」

 帰ってきた言葉はとてもぶっきらぼうな言葉。でも、今のレムにはそれで十分だった。






 自らの命を投げ出し、リーゼ・リヴァルを機甲虫の巣穴から救い出した偉大な魔導師‐シオン・リストール。

 その行動によって、彼は英雄と称されるようになった。


 リーゼ・リヴァルはリーゼ・リストールと名を改め、今は亡きシオン・リストールの後を継いで魔導師に就任(しゅうにん)。方舟の人々を守るため、機甲虫と戦い続けている。

 それが飛翔艦‐方舟に伝わる英雄物語。レムの両親たちの物語。


 英雄の息子。その重圧を掛けてきたのは他でもないリーゼ・リストールその人で、レムは期待に応えるため、ひたむきに魔導機杖を振るい続けてきた。


『わたしはミュウ・アシュホードって言うの』

 変化は突然に訪れた。

 何のために戦うのか。どうして魔導師なのか。

 そんな思いが、過ぎていく日々のなかでどんどん大きく、どんどん成長していった。


 Sword

 【剣】を構え、レムは正面から来る敵に意識を集中する。

 背後を気にする必要はなかった。王台に続く横穴は狭く、旋回(せんかい)して後ろに回りこめるほどの幅があるわけではない。


 さっきまでいた場所。広場から機甲虫がやってくることはありえない。

 広場から王室に続く横穴の手前は、あの人が守りを固めてくれているからだ。


 Acceleration

 術式を用いて一気に【加速】。

 Sphere-Protection

 【球体】【障壁】を展開したまま突き進み、機甲虫の頭部に刃を押し当てる。動きが鈍っているうちに蹴り飛ばし、すぐにその場を離脱する。


 仕留められないこともないだろうが、そんなことをする時間が惜しかった。

「ミュウを連れ去った固体は……まだ見えないな」

 Fire-Sphere

 【炎】を【球体】の形に留め、レムはそれを明かりの代わりにする。


 陽光が射し込まないせいで周囲は暗闇に包まれているのに、機甲虫の側がそれを気にしている様子はない。おそらく、モノアイに暗視機能が備わっているのだろう。


 狭かった周囲が開けて、巨大な空洞に辿り着く。

 暗闇のなかに、オレンジ色の明りが二つ。

 レムはそれらの頭部をはねて、戦闘能力を完全に削ぎ落とす。

 炎の明りに照らされ、空洞の奥に(つや)のある楕円(だえん)の球体が見えた。


 一つではない。十、二十、三十……もっと多く、数え切れないくらいたくさんあって、幾つかの球体‐卵はすでに割れてしまっていた。

 芋のような姿をした真っ白な虫が卵の殻から顔を覗かせていて、巨大な金属のアゴをばっくりと開いている。


 虫たちのその上に、銀色の巨体が腰を下ろしていた。

 流線型の頭にカギ爪の腕。他の固体とはかけ離れた姿。

 その姿は明らかに異様で、レムは思わず目を奪われそうになってしまう。寸前で正気に戻れたのは、ミュウの姿がその異様の目前にあったからだ。


 棘のような脚を床に突き刺したまま、流線型から時折赤い光が放たれている。品定めをしているように見えた。あるいは、適合者という素体を観察しているか。

 いずれにせよ、レムがやるべきことは一つだけだった。


「ミュウ、伏せて!」

 声を張り上げて、剣をがっしりと構えなおす。

 Barrister

 最大限に昇華させたマナを用いて【弩】を形成し、銀色の巨体‐機甲虫の女王に狙いを定める。


(ミュウが適合者であることは変わらない。ここで女王を破壊しようとも、また次が来る)

 頭のなかで、誰かが声を発していた。

(そのたびに、方舟は危険に(さら)されることになる。お前もまた、危険に晒されることになる)


 誰かが、ではない。それは自分自身の声。警告を鳴らして、自分が本当にやるべきことを伝えようとしてくる。


 ……雑音だった。

 弩を撃ち込んで、女王の頭部を破壊する。

 女王の足元にいたミュウを抱き寄せ、レムは剣を振り下ろす。


 鈍い音が響いた。

 ばちりばちりと火花が上がり、まもなくして、女王は動かなくなってしまう。

 無数の機械を統べる虫の王。女王の死は、驚くほどあっけないものであった。






 皮肉な話だな……。

 ミュウを追いかけて横穴に飛び込んだレムを見送り、リーゼは自身をあざ笑う。


 他人はおろか、自身すら物扱いすることをいとわない。レムが生きていてくれるなら、それ以外は全てがどうでもいい。それを信条に生きてきたというのに、その考えが逆に、レムにとって自分を特別に変えていたとは。


「……やはり、血は争えないか」

 横穴の手前に陣取り、リーゼはぱきり、と指の関節を鳴らす。

「大切なものを救うために全てを投げ捨てる。シオン、だから私はお前が嫌いだったのだ」


 頭のなかに思い浮かぶのは、自分を愛してくれた人。自分を救うための犠牲になった人。

「十年以上の月日が流れ、今尚お前は私の心に付き纏う。レムのなかにまで生き続けて、私の望みを跳ね除ける。信じた道を、突き進ませようとする」

 目前に迫った機甲虫に槍を突き刺し、リーゼはそれを破壊する。


「進んだ道の果て。たどり着いたのが繰り返しとは……笑えない冗談だな」

 Empty

 リーゼが携えた魔導機杖の指針(ししん)は空を示しており、すでに内部に搭載されたマナは底をついている。それでも、魔導機杖は槍の形状を保ち続けていた。


「シオン、聞いているか? 貴様のあの時が正しかったというならそれを証明してみせろ。今度こそレムを、(お前を、)あの適合者の娘を(私自身を)守りきってみせろ。そのためなら……命など幾らでもくれてやるよ」


 己の気持ちを、感情そのものを力に変えて、リーゼは紅の魔導機杖‐亡き夫の形見を振り上げる。


 突き刺し、破壊する。

 何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でもリーゼは刃を、命を振るう。


 そうして少しだけ手足の感覚が鈍くなった頃に、ごとりという音が響いた。

 見下ろすと細長い棘の脚を地面に突き刺したまま、流流型の頭部がじんわりと光を放っている様を見てとることが出来た。


「ははっ、ようやく姿を現した」

 それが何であるかを理解した瞬間、リーゼは本当に嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ようやく出会うことが出来た!」

 自らの手でそれを殺すことが出来るから。仇を討つことが出来るから。


「十年来の固体である貴様が未だ現役。それも急場しのぎ(女王の代役)を務めていたと聞いた時は驚いたものだが、今はその偶然に感謝しているよ」


 Termninal-Lance

【端末】を用いて無数の【槍】を形成。

 Fire-Lance

 【炎】を【槍】に纏わせて、

 Strengthen

 リーゼは限界まで腕力を【増強】させる。


「さあ始めよう。貴様に限っては出し惜しみはなしだ。全身全霊をこめて、力の限り……殺してやるよ」






「……虫がいない?」

 女王固体を倒しミュウと共に広場に戻ってきたレムは、周囲の静けさを前に思わず首を捻る。


「ほんとだ。レムのおかあさんもいないけど、どうしたんだろ」

「わからないけど、注意して」

 周囲を警戒しながら床に近づくと、レムは抱き(かか)えていたミュウをその場に下ろす。


 Sphere-Protection

 展開した【球体】【障壁】でミュウと自分を包み込み、剣に形状変化させた魔導機杖を構えなおす。

「どこかに隠れてるなら、それを探すってことは出来ないの?」

「そうしたいところだけど……」


 【飛翔】【障壁】【剣】【弩】

 【球体】【加速】【炎】【地図】


 魔導機杖に搭載中の構築式を確認しなおしてみる。わかってはいたが、やはり【検索】は入っていない。巣穴への進入は方舟側でサポートしてくれたから、【地図】さえあれば機甲虫の巣穴からその周辺・方舟への帰還ルートまで、一通りをまかなえると思っていたからだ。


「ともかく絶対この辺りにいてくれてるはずだから、何とかして合流しな――」

「な、なに!?」

 瞬間、何の前触れもなく足元に亀裂が走る。


「……! ミュウ、走って」

「うんっ」

 慌ててその場を離れた直後、床が砕け、その下から黒色の法衣服を羽織った女性が姿を現す。それを追いかけるようにして、銀色の巨体。先ほどレムが倒した女王個体と同じような姿をしているが、大きさはこちらの方が二回りは大きい。


 Needle

 銀色の巨体から【針】が撃ち出されて、

 Protection

 女性‐リーゼは【障壁】を用いてその全てを受け流す。


「上にっ!」

「……!」


 針が防がれることを予想していたのだろう。銀色の巨体がリーゼの頭上に移動し、カギ爪を振り下ろす。リーゼは槍の柄でそれを受け止めたものの、力任せに床に叩きつけられてしまう。

 鈍い音が周囲に響いて、それでも、リーゼは平然とした様子で立ち上がる。


「ちっ、右腕は折れているな。あばらも、二、三は逝っているか」

 Regeneration

 負傷した身体を【再生】の術式で無理やり治療。額から流れる赤い血を指ではじき、リーゼはどんっ、と右足を踏み入れる。


 Termninal-Fire

 Fire- Strengthen

 Fire- Acceleration

 展開されている【端末】の全てを用いて【炎】を形成。

 形成した【炎】を【増強】して【加速】。


「こんな程度で死んでくれるなよ」

 巨大な炎の群れが銀色の巨体を飲み込んで、そのまま、周囲の景色を灼熱に変貌させる。


「す、すごい」

「……! か……リーゼさんっ」

 負傷した身で大規模な術式を放ったからだろう。術の勢いに耐えられず、リーゼの身体がぐらりと横に傾く。支えてあげようと慌ててレムが駆け寄ろうとすると、


「何をもたもたしている」

 リーゼは、自力で体勢を整えなおす。鋭い目つきを保ったまま、レムを睨みつけてくる。

「お前は機甲虫を破壊するためにここに来たのか?」


「えっ?」

「違うだろう。そのミュウという娘や私を連れ帰るために来た。だったら、その娘を連れて早々にこの場を離脱しろ」


「で、でも……」

「ここであれを壊して、マナは持つのか? 無事に方舟にたどり着くことが出来るのか?」

「…………」

 言われて、レムは魔導機杖のマナ残量を確認する。


 正直、危ない。

 残りのマナ全てを帰還のために割り当てて、それでもぎりぎり足りるかどうか。

「図星か。それならとっとと帰還しろ。マナの尽きた魔導師などいるだけ邪魔というものだ」


「そ、そんな言い方はないじゃないですか! レムはおかあさんのことを心配して」

「貴様は黙っていろ!」

 きつい言葉でミュウを黙らせ、リーゼはぽんっ、とレムの頭に手を触れる。


「レム、お前は私のことをよく知っていると言っていたな。それならわかるだろう。お前がここに留まったとして、私に協力したとして、それを私が喜ぶと思うか?」

「……………」


 レムは、リーゼの問いに答えようとはしなかった。その言葉を肯定したくなんてない。でもここで嫌だと言ったとして、それに何の意味があるか……。

「切り捨てろ。足手まといのことなど気にするな。そうして、いま自分が何をするべきかを真に考えてみろ」

「…………」


 いま、何をするべきか。

 わかっていた。

 認めたくはない。望んでいるわけでもない。それでも、決断しなくてはいけなかった。

 そのために、ここに来たのだから。


「……離脱します」

 Soar

 長い長い沈黙の末、レムは【飛翔】の術式を呼び起こす。ふわりと身体を浮かび上がらせる。


「レ、レム!? 待ってよ。こんなの……」

 驚きと戸惑い。たくさんの思いが入り混じったような声をミュウが上げて、レムは、それら全てを聞き流す。


「ふん。それでい――」

 リーゼが言葉を言い終えるより先、ずぶりという鈍い音が響き渡った。

「レム! おかあさんが!」


「……!」

 振り返ると、リーゼの胸元を巨大なカギ爪が貫通していた。

 赤い雫がぽたりぽたりと爪を伝い、黒ずんだ床に血溜りを作り上げている。


「ど、どうしたの。早く助けないと。そのためにここに来たんでしょ!」

「…………っ」

 舌を噛む。

 ()き上がってくる想いを噛み潰し、レムは上空の穴に意識を集中させる。


「レ――」

 Acceleration

 【加速】して、その場を後にする。

 振り返ることはおろか、言葉の一言すら発しない。

 ただ透明な水の雫が一滴。想いの名残のように……空へと消えていった。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――

「しぶといな……」

 自分の胸元を貫いた銀色のカギ爪に手を添え、リーゼは術式を発動させる。


 Strengthen

 肉体の【増強】。腕の節に当たる部分を力任せにへし折り、両足を血溜りのなかに下ろす。ぴちゃりと血が跳ねて、靴や脚に赤色の斑点(はんてん)が付着する。


「まったく、これだから嫌になる。いくら人の振りをしていようと、根本的な生命力が違う。自分が虫なのだと、(いや)が応にも痛感させられる」


 魔導機杖をぎゅっと握り締める。

 杖は槍への形状変化を保ったまま何も言わず、ただただ、淡い光を放ち続けていた。


「シオン、貴様も本当に変わり者だな。このように手前勝手なものに愛想(あいそ)をつくこともなく、最後の最後まで付き合ってくれるのだから」


 日が落ちかけているのだろう。目の前が妙に薄暗い。

 それに、何故だか凄い寒さを感じた。あの日以来、寒さや暑さなんて一度も感じなくなっていたのに。


「いや、最後ではないか」

 槍を構え、一直線に前に突き出す。

 金切り声が聞こえた。


 機甲虫が声を発するところなど聞いたことがないから、ひょっとしたら幻聴かもしれない。だがそんなことはどうでもいい。指先に帰ってくる感覚が、目の前に虫がいることを証明してくれている。

 それだけで十分だった。


「さあ、続けるぞ虫けら。これぐらいで死んでくれるなよ。まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ。たっぷりと、十三年分の殺し合いをしようじゃないか」




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