Master-Code 【完全構築】
Master-Code 【完全構築】
気がつくと真っ白な天井が広がっていた。
取り付けられた蛍光灯の明かりが眩しくて、目を開けた途端、思わず視線を別の方向にずらす。白一色の壁に魔導機杖が立て掛けられていて、その手前に黒塗りの机が置かれていた。
「ここ……医務室?」
「気がついたか、魔導師レム・リストール」
聞き覚えのある声。振り向くと、リーゼの近衛魔導師を勤める女性が椅子に腰かけていた。
「クリスタさん? 僕、どうして――」
どうしてこんな所に。口からこぼれかけたそんな疑問は、
「そうだ! 機甲――いえ、ミュウはどうなったんですか!?」
何倍も大きくて、何倍も重要な疑問がかき消してしまう。
「まあまて、順に説明していこう」
そう前置きをして、クリスタは言葉を続けていった。
「貴公がここに運び込まれてから経過した時間は二時間。方舟の内部及び周辺に取り付いていた機甲虫全ての撤退が確認されたため、現在は瓦礫の撤去及び人命救助が行われ続けている」
「機甲虫が撤退? それじゃあミュウは……」
「ああ。世間的には魔導師の活躍によって撤退させたことになっているが、真相は全く別のところにある。機甲虫は適合者を求めて方舟を襲撃し、それを確保した。であれば、此処に留まっている道理はない」
「…………」
拳を壁に押し当てると、レムはぐっと力を込める。こみ上げてくるのは堪えきれないほどの悔しさと、ある人物に対する激しい怒り。
リーゼ・リストール。
怒りを向ける先の名を思い浮かべ、レムは、襲撃の際に飲み込んでいた言葉を思いだす。
「クリスタさん。あの人は魔導機杖を使わずに術式を使っていました。それは、あの人が『人』ではないからですか?」
「その判断は個々のものに委ねられるが、生物としての分類で言えば、司令は機甲虫と同じ科、同じ類に属しているだろうな」
「機甲虫と同じ……じゃあずっと僕を、僕たちを騙していた? そっか、だからあの人はリーゼさんなんて呼ばせてたのか。本当の母親じゃないから、僕のことなんて何とも思っていないから」
「……そうだな。騙していたことは事実だ。騎士の適合者として十三年前に連れ去られ、身体の隅々までを弄り倒されて艦に戻り、それから、あの人は全てを騙し続けている。貴公や他の魔導師。いや、おそらくは自分自身さえも」
「騎士の適合者として連れ去られて、弄られた?」
「うん? ああ、そう言えば貴公は司令の事実を知らないのであったな。そうだな……そろそろ、真実を知っておくべきか」
そうしてクリスタはリーゼが適合者であったこと、十三年前に起きた事件。リーゼの実父である艦長が行った行動。全てをレムに言い聞かせていった。
それでも、
「それが本当だとしても、あの人がミュウを犠牲にしたって事実は変わらないじゃないですか。同じ立場だから同じ扱いを強要する。そんなの、幾らなんでも勝手すぎる」
どんな理由があろうと、どんな事情があろうと、リーゼがミュウに対して行った行為そのものは変わらない。だからこそ、レムのなかに根付いた怒りも治まりはしなかった。
「貴公の考えがわからぬわけではないが、出来るなら、司令の気持ちも汲み取ってもらいたい」
「あの人の気持ち?」
「そう。封じ続けていた構築式を用いてまで、貴公をここに運び込んだ理由をだ」
封じ続けていた構築式。
クリスタの言葉を聞いた瞬間、レムの脳裏に、気を失う寸前の出来事が蘇ってくる。
「そうだ。あの時魔導機杖が僕の名前と同じ言葉を発して、頭が真っ白になって……」
糸を紡ぐように記憶を辿る。けれど幾ら辿ろうと、それ以上の何かが出てくるようなことはなかった。
「同じ言葉ではない。Remuというのは他でもない貴公を示した構築式。完全構築だよ」
「完全構築?」
「そう。機甲虫の女王のみが持つ構築式で、その効力は自らが生み出した個体の完全な操作。つまりは精神支配というわけだ」
「精神……支配」
突然の発言に驚いたものの、それが本当であるなら合点がいった。農園から医務室に来るまでの記憶が飛んでいるのは、その完全構築という力で操られていたからだろう。
ただ、言葉のなかに引っ掛かる部分が一つ。
「機甲虫は女王以外の個体が子を産むことはない。そのため司令と貴公の関係は、本来ならば絶対にあり得るはずがない」
そう、つまりそういうことなのだ。完全構築という存在そのものが、レムとリーゼが親子であることの証明。レムが口にした、本当の母親ではないの否定を意味していた。
ただ、
「僕が生まれたこと。それ自体が奇跡や偶然の産物と言いたいんですか?」
例えそれが真実であろうと変わらない。むしろ血の繋がりがあるからこそ、レムの内側で、どす黒い感情が余計な渦を巻いてしまう。
「偶然の産物だから、望まれて生まれてきたわけじゃないから……だから道具のように扱うことが出来る。ミュウを得るために捨て駒にされた、あの機甲虫たちと同じように」
「さあな。私は超能力者ではないのだ。司令の心の本当などわかるはずがないよ。ただ、貴公が司令のお産みになった子供であることだけは紛れもない事実。食事も睡眠も必要としない、大よそ人とはかけ離れた存在。貴公は、司令がそうなった後に生まれたのだ」
クリスタはレムの考えの肯定も、否定もしようとはしなかった。
「あの方は自らを機械と定義づけている。だが貴公までを機械扱いしたことはない。少なくとも、私の前ではな」
確かな事実を端的に語るだけ。それをどのように捉えるかは、完全にレムに任せているのだろう。
「これは私の勝手な推測だが、あの方は貴公を人間と、何者にも代えがたい宝と思っていたのだろう。にも関わらずあの方は完全構築を呼び起こした。貴公は、その理由をどのように推測する」
「……僕を守るため?」
襲撃当時の状況。それを、レムは順番に頭のなかに思い浮かべてみる。
マナの残量は残りわずか。構築式にまともなものはなく、ミュウを庇いながらの戦闘。
敵の総数は最低が八匹で、数が増える可能性も十分に残されていた。
そうだ。あの時自分自身も感じていた。気づいていたではないか。
ミュウを明け渡すことでしか、劣勢の現状を打開する方法はないと。
けれど、レムはその感情を押しつぶそうとした。一時の感情に身を任せ、リーゼに牙を向こうとした。仮にあそこでリーゼを退けられたとして、機甲虫の群れにはどう対処する。
マナを失い、まともな構築式も搭載されていない魔導機杖。どうやれば、そんなものでミュウや自分の身を守ることが出来る。
「…………」
リーゼの行いは許せるようなことではない。まして、正しいなどとは絶対に思わない。
それでも自分に怪我らしい怪我はなく、こうして、医務室で身体を休ませることが出来ている。それだけは、嘘偽りのない真実であった。
「クリスタさん、あの人はどこに?」
「もうこの艦にはいない。適合者の娘を連れ、行ってしまったよ」
「行ったって、まさか機甲虫の巣穴に?」
「ああ、あの方も元々は適合者。兵隊では女王の望むものがどちらか判別出来ないのだから、今なら、司令だけは安全に巣穴に潜入することが出来る」
「判別できないって、そんなの女王が見たらすぐに――」
そこまで言いかけて、レムは気づく。そう。女王でなければ、女王が見なければわからないのだ。
「機甲虫の形成する社会は女王を中心とした絶対王政。頭を潰せばそれで終わりだよ」
女王個体の抹殺。それがリーゼの狙い。企てていた計画の本当なのだろう。けれど、
「無理ですよ、一人でそんなことをするなんて。第一それで機甲虫の巣穴を潰せたとしても、巣立ちの時期が来れば、春になれば、別の女王が新しい巣を作るだけじゃないですか」
「それでも、機甲虫の活動を停止させておくことは出来る。たとえ一時の間とはいえ、貴公に休息を与えられるというわけだ。それにむざむざ適合者を明け渡し人類にとっての脅威。いや、貴公の障害を増やす必要はないだろう?」
「また、僕のため? どうしてあの人はそこまで……」
「貴公が、この世界の中心にあるからだ」
「えっ?」
「父親や友人。信じていた者はことごとくあの方を見限り、仕えていたメイドは連れ去られる様を震えながら見ていただけ。そんななか、シオン様は己の命と引き換えにあの方をお救いになられた。貴公はそんなシオン様の忘れ形見。穢れきった、偽りだらけの世界に残された唯一の光。貴公にもしものことがあれば、世界そのものが消えてしまう」
魔導司令直属の近衛魔導師であり、かつてリーゼに仕えていたメイド。
クリスタ・R・クラスタ。彼女は、ゆっくりと言葉を告げていく。
「私は貴公を守るよう直々の用命を受けている。だから、もう忘れてしまうといい。あの方のことも、ミュウという娘のことも」
自分が死んだとしても、本当にこの世界そのものが消えてなくなることはないだろう。人間一人と引き換えに出来るほど、世界が安いはずがない。
なのに、釣り合ってしまっているのだ。あの人のなかでは。あの人の世界では。
「……本当に、勝手な話ですよね」
立ち上がり、レムは壁に掛けられていた魔導機杖に手を伸ばす。
「本当のことなんて何も言ってくれないのに、命令なんて言葉で自分の思いを押し付ける。そうやって自分だけが満足しようとして……」
マナ残量を確認してみると、すでに給魔作業は完了しているようであった。
「どうするつもりか?」
「決まっているでしょう。二人を助けに行きます」
魔導機杖を握り締め、レムはぶるんっ、と軽く振るってみせる。
「駄目だ。土壌調査で得たサンプルを解析班に提出した後、貴公には方舟護衛の任務についてもらう。あの方のためにも貴公を死なせるわけにはいかんよ。第一、手がかりもなしにどうやってあの方の下、機甲虫の巣穴に辿り着くつもりだ」
機甲虫の行動範囲、移動経路から巣穴の所在に大よその目星をつけられはするものの、正確な点在地を特定することは不可能である。
というのもマナが引き起こす磁場の乱れによる通信不調。これにより、方舟から離れた地域の調査を行なえないからだ。
生身の人間‐魔導師そのものを送り込めば調査出来ないこともないだろうが、巣穴への距離に比例して危険も増していくのだから、貴重な人材を裂いてまで虎穴に入る必要はない。
そのため機甲虫の巣穴という場所は、全くの未知の領域と言える場所なのである。
「この世界は、穢れてなんていませんよ」
「なに?」
それでも、その事実を理解していながらも、レムは諦めてはいなかった。
「人も土地も、何一つ穢れてなんていません。偽りだらけの世界に残された唯一の光。クリスタさんは僕のことをそんな風に言っていましたが、たぶんそれは間違いだと思います。この世界には、光が満ちあふれていますから」
何を意図してそんなことを言っているかはわからない。
それでもレムは戦うための力‐魔導機杖を握り締めていた。
だからこそ……。
「忘れろと言った」
Remu
クリスタは術式を呼び起こす。
「……! どうしてそれを!?」
「何を驚いている。大層な名前がついていようと、完全構築が構築式の一つであることは変わらない。であれば、コピーによって複製を作り出せるのが道理だろう? 貴公が勝手をするようなら完全構築を用いてでも止めろ。私の授かった用命。貴公を守るとはそういう意味だ」
「…………」
「動くな。少しでも動けば貴公の記憶を消去する。生きていく上での足枷。あの方のこともミュウという娘のことも、全てを忘れてもらわねばならない」
クリスタが手にする魔導機杖。その先端が震えているように見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。
「完全構築。出来ればこんなものを貴公に使いたくはない。だから……現実を受け入れろ。変えようのないもの。どうすることも出来ないものがあると知れ」
「…………」
レムは何も答えない。けれど握り締めた魔導機杖が、レムに秘められた意思を如実に物語っていた。
そんな様子を見、クリスタは小さなため息を漏らす。言葉を口にする。
「【レム】。もう無駄なことは止めろ。そして、あの方たちのことは忘れてしまえ」
「痛っ――」
瞬間、レムの頭を何かが思いきり締め付けてくる。
襲い掛かってくる激しい頭痛が、頭の奥底でずきずきと呼吸をし始める。
「あっ、痛っ……」
一瞬のうちに表情が歪んで、レムは、反射的に頭に右手を押し当てる。立つことさえまともに出来なくなって、その場に座り込んでしまう。
そんな様子を、クリスタは静かに見下ろし続けていた。
「まったく、そうなることはわかっていたでしょうに。もうおやめください、ご子息。完全構築に抗うことは不可能です。そのまま抵抗を続ければ、心そのものが消えてなくなってしまいますよ」
「……いやだ」
それでも、レムは諦めようとはしなかった。痛みの全てを飲み込んで、受け入れて、魔導機杖を支えに立ち上がろうとする。
「変えられないとかどうすることも出来ないとか、そんな言い訳なんてしたくない」
「……っ。子供の理屈を振りかざすな! 納得していないのが自分だけとでも思っているのか!」
激昂。今までの物静かな態度が嘘のように、クリスタからぶつけられる言葉は激しいものであった。
「私が何年あの方にお仕えしてきたと思っている。あの方が連れ去られどれだけの無力を感じたと、己を呪ったと思っている! それでも、それでも私は託されたのだ。あの方から、リーゼお嬢様から、ご子息である貴方のことを!」
だからこそレムは痛感してしまう。クリスタの言葉が、嘘偽りのない本心であることを。
「完全構築。クリスタさんは……僕にそれを使いたくないって言ってくれましたよね。何でそんなことを言ってくれたんですか?」
レムがそんな奇妙な質問をしたのは確認しなければ、知らなければいけないことがあったからだ。
「僕をこの場に留まらせるのが目的なら、問答無用で完全構築を使えばよかったじゃないですか」
「……戯言を。私が託されたのは人間、レム・リストールのことなのだ。術式に命じられるまま動く体の良い機械。そんな『物』のことではない」
どんなに酷い仕打ちを受けたとしても、人が虫になるわけではない。まして機械になどなれるはずが、なるはずがない。クリスタが完全構築の使用をためらっていた理由は、術式の効力そのものにあったのだろう。
「やっぱり、そういうことですか。それなら尚更、止まるわけにはいかないじゃないですか」
「なに?」
「だってそうでしょう。完全構築が虫を支配するための力なら、そんなものに屈するわけにはいかない。でないと、僕が人間であることを証明出来ない!」
ぶちぶちぶち、と何かが千切れる音が響き渡る。
ひょっとしたら、神経か何かが千切れているのかもしれない。
「や、止めてくださいご子息。それ以上無理をしたら本当に――」
「うるっさい!」
頭が割れるように痛い。それでも、絶対に倒れるわけにはいかなかった。
自分のためにも、あの人のためにも。
「僕は人間で、魔導師で!」
ぶちりっ。
「リストールの血を継ぐものだ」
魔導機杖をクリスタの首筋に近づけると、
Sword
レムはそれを【剣】に形状を変化させる。
不思議なことに、もう痛みは感じない。
あれほど頭のなかで痛みが激しく暴れまわっていたのに、今は何も感じない。
本当に、何も感じなくなっていた。
「クリスタさん、道を開けてください」
Remu
「……やめろ【レム】。私の言うことを」
刃が宙を舞い、クリスタが手にしていた魔導機杖‐完全構築を放っていたそれが真っ二つに切断される。床に落ちてばちりと火花が上がり、レムはそれを踏み潰す。
「クリスタさん、道を開けてください。僕が助けたい人に、貴方は含まれていない」
それは脅しではなく警告。レムからクリスタに向けられた、唯一の慈悲の言葉であった。
「…………」
クリスタは、レムの言葉に対して明確な答えを返しはしなかった。
何も言わず、一方後ろに下がるだけ。
「ありがとうございます」
そう言って、レムは悠然とクリスタの横を通り過ぎていく。
元来の輝きを失った黒色の瞳は、もう光を宿してはいなかった。
レムが医務室でクリスタと話し合っていたのと同時刻。
「……っ。いい加減に離しなさいよ! 私が何をしたって言うの!」
方舟のブリッジでは、両手を拘束された民間人の女性‐シエル・アシュホードが激しい怒号を放ち続けていた。
「わわわっ、あ、暴れないでくださいよ。だからさっきから説明してるじゃないですか。民間人が戦闘出力の魔導機杖を使うのは禁止されていて、と、とにかく落ち着いてください」
何とかシエルに静まってもらおうと、ぱたぱたと両手を揺らしてシャルルが声を張り上げる。
けれど彼女の不用意な発言は、シエルの怒りに油を注ぐばかりであった。
「落ち着け? 娘を連れ去られて身柄を拘束されて、こんな状況で落ち着いていられるわけないじゃない! だいたい魔導機杖のことだって機甲虫に対する正当防衛。方舟を守るために仕方なくってことぐらい、幾らなんでもわかるでしょうに!」
「そ、それはそうですけど規則は規則で……と、とにかくじっとしててください。別に逮捕しようってわけじゃないんですから。事情聴取を受けてもらえばすぐに開放――」
「その時間が惜しいから、今すぐにこれを解けと言ってるの!」
シエルの怒号が一際大きくブリッジに響き渡り、わずかの静寂の後。
「そう当たり散らすな、アシュホード」
「艦長!?」
鉄製のドアが横にスライドし、黒色の艦長帽を被った男性、プロイア・リヴァルが姿を現す。
「そちらの気持ちはわかるが、それでも拘束を解くわけにはいかんよ。でなければ、お前は一人でも機甲虫の巣穴に乗り込もうとするだろう?」
「……っ。当たり前のことを聞かないでください。方舟を危険に晒すつもりはないのだから、魔導機杖を渡して放り出してくれれば――」
「駄目だ。そのような勝手に許可は出せんよ」
「どうして!」
プロイアの言葉を合図に、シエルはどんっ、と勢いよく床を踏みつける。
「納得できません! どんな理由があろうと、結局、大切な人を見捨てようとしているだけじゃないですか。十三年前を経てなお、あなたは同じ過ちを繰り返そうと言うのですか! 胸を抉られるような苦しみを、今また、味わいなおせと言うのですか!」
「……因果応報というものだよ」
「えっ?」
抑揚のない声。プロイアの口調には、これ以上ないほどの疲れがこもっているように感じられた。
「私たちはリゼを助けるために何の努力もしていない。にも関わらず、リゼは方舟に帰還した。シオン・リストール。唯一、リゼを助けようとしてくれた魔導師の命と引き換えに」
「……ミュウが適合者になったのは偶然ではなく、リゼに対する行為のつけだからだと?」
「そうだ。そして主犯たる私が受けた制裁はリゼやレムとの擦り切れた人間関係と……歴史の繰り返しだ」
「…………」
「シエル。お前が勝手な行いをすれば、それはシオンと同じことになる。もしもこれが繰り返しであるならばお前は死に、ミュウという娘が助かることもない。ミュウが第二のリゼとなるだけだ。機械仕掛けの苦しみを、お前は自らの娘にまで背負わせるつもりか?」
「…………」
「納得しろとは言わん。それでも結局、十三年前を受け入れるしかないのだよ。私たちが望んでいたもの。仕方がないという言葉を言い訳に受け入れた、闇色の未来を」
『勝手なことを言わないでください』
その言葉は、ブリッジにいた誰かが放った言葉ではなかった。
慌ててシャルルがコンソールパネルを叩き、次々にモニターの画面を切り替えていく。声の発信源を突き止める。
「か、艦長! 魔導師用の射出デッキです。レムが!」
一瞬にして慌しさを増すブリッジとは対照的。
薄い液晶モニターのそのなかで、レムは魔導機杖を片手に静かに佇み続けていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「勝手なことを言わないでください」
ブリッジから聞こえていた声にレムがそんな言葉を返したのは、艦長たちの会話に不快な感情を抱いたからだ。
仕方ないとかこうするしかないとか。
そういう聞こえの良い言葉で取り繕って自分を誤魔化そうとする。その考えを、他人にまで押し付けようとする。
『レム、どうしてそこに。医務室にいるように言われただろう』
射出デッキに来ているのを特定したのだろう。取り付けられていたモニターが光り、艦長の顔が映し出される。
「はい。ですが、命令を聞きたくなかったからここにいます」
レムが自分の気持ちを正直に口にしたのは、嘘をついてもすぐにばれるからではない。自分の思いに嘘をついたり騙そうとしているブリッジの人たちの声に触れ、今は、今だけは自分の気持ちに嘘をつきたくないと思ったからだ。
『こちらの会話を聞いていたならば状況は把握しているだろう。やめろレム、こちらとしてもミュウという子やリゼを助けたいのは山々だが、方舟の人々を危険に晒すわけにはいかな――』
「またそれですか」
ふうっとため息をついて、レムは、言う。
「方舟を守りたいなら、好きに守っていてください。命令違反だろうと何だろうと、僕はそんな命令に従いたくはありません」
『……やめろレム。お前の父親も同じような言葉を口にして機甲虫の巣穴に乗り込み、そして二度と帰ってこなかった。因果応報。これが繰り返しであるならばお前も』
「十三年前のことはわからないですけど、艦長は今のこの状況を、帳尻合わせに感じているんですよね。自分たちは何もしなかったのにあの人は生きている。それはおかしなことだから、歴史の修正力が同じ出来事を繰り返すことで、矛盾を解消しようとしている」
『そうだ。今のこの状況は、いわばつけを払わされているようなもの。十三年前から続く矛盾した時を正し、あるべき時間に返す。失うものがリゼ一人だけでないのは、十三年分の利子が積み重なった結果なのだろう』
「だったら、どうして僕を止めようとするんですか?」
『なに?』
「僕はあの人が方舟に戻った後に生まれたと聞きました。だとしたら、僕は矛盾した時間のなかで生まれた子供ってことになるじゃないですか。矛盾した時間を正すと言うなら、僕が此処にいてはいけないのではないですか? それに艦長やあの人の事情も、利子なんて言葉も、ミュウには何の関係もない」
『それはそうだが……』
プロイアが言葉に詰まった直後、かつん、という足音が周囲に響き渡る。
「過去を変えることが出来ないように、過去もまた、未来を変えることはない」
射出デッキに姿を現したのは、魔導師クリスタ・R・クラスタ。
弄られたリーゼが方舟に戻ってきたことがきっかけで、魔導師の道を歩み始めた女性である。
「プロイア艦長。時間という概念に正しいも間違っているもありません。無機質で無慈悲な時計の秒針は、淡々(たんたん)と針を前に進めていくだけ。私たちに出来るのは『今』をどうするかだけなのです」
そう言って、クリスタはレムの傍らへと歩み寄る。スペアでも持っていたのか、その手には破壊されたものとは別の、真新しそうな魔導機杖が携えられていた。
「ご子息。射出デッキにまで来ているということは、巣穴に乗り込むための方法に、何らかの当てがあるのでしょう? どうするおつもりだったのです」
「…………」
「心配しないでください。今さら貴方を止めるつもりはありません。私が何を言おうと何をしようと、自ら決定を覆すつもりはないのでしょう? であれば、貴方のサポートがこの状況での最善と判断したまでのことです。あの方のためにも、貴方を死なせるわけにはいきませんから」
「……わかりました」
小さく頷くと、レムは魔導機杖を起動させる。
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魔導機杖内に搭載された【映像】を呼び起こし【検索】。続けて、【検索】結果が【光】を放つよう複合術式を組み上げる。
レムが羽織っていた黒色の法衣服が淡い光を放ち始め、光の正体。農園の土の入ったビニール袋を、レムは内ポケットからそっと取り出す。
「土壌調査を行っていた際に採取した、病気を抱えた土のサンプルです。ミュウには土壌調査を手伝ってもらっていたので、彼女もこれと同じものを持っていました。機甲虫襲撃の際に底が破れ、少しずつ中身をこぼし続けている袋に入れて」
その言葉を聞いて、クリスタはレムのやろうとしていることを察したのだろう。大きな金属音をがしゃりと鳴らし、魔導機杖で床をつく。
「なるほど。ではそのサンプル情報を速やかにこちらに送信。ご子息は不必要な構築式を消去し、戦闘用の式への書き換えを急いでください」
「はい」
頷いて、レムが魔導機杖内部に搭載されたデータを呼び起こしたその瞬間。
『いや、送信するのはこちらに向けてだ』
レムとクリスタの会話。その間に、プロイアが口を挟んでくる。
『か、艦長!?』
『フリージアと言ったな。悪いが、アシュホードのために魔導機杖を一本用意してやってくれ。拘束も解いていい』
『えっ、そ、それはわたしだってこんな事は本意ではないので解けと言うなら解きますけど、いいんですか? 本当に解いたりして』
『ああ、構わんよ。それよりすぐに作業にかかりたい。フリージア、魔導機杖を』
『は、はいっ』
ブリッジ側で大きな動きがあったのだろう。通信回線を通じて、ばたばたという騒がしい足音が射出デッキにまで伝わってくる。
ブリッジの扉が閉まる音に続けて、プロイアの声が再び聞こえてくる。
『アシュホード、聞いての通りだ。足手まといを、死ぬとわかりきっている者を戦地に向かわせる訳にはいかん。お前は方舟に留まり、レムが巣穴に到着するまでを全力でサポートしろ』
『年端もいかない子供に、全てを託せと言うのですか?』
『そうだ。以前にリゼが言っていた通り、あの子の動きについていける魔導師など存在しない。結局、一人きりで行かせることが一番あの子のためになるのだよ。それにお前が巣穴に向かい殺されるようなことがあれば、助け出された後、ミュウという子がどのような想いを抱くと思う』
『そう……ですね。レム君、悪いけどミュウたちのことをお願いね』
シエルからの通信を受け、レムは静かに頷いてみせる。
『クリスタ、お前はレムを現地に送り届けてやってくれ。巣穴に乗り込むとなればどれだけのマナが必要になるかわからん。魔導機杖のマナ消費は、出来るだけ抑えておいてやりたい』
「了解。すぐに構築式の変更に取り掛かります」
『ん、それでいい。それから、レム』
「はい」
すぐさま返事を返したにもかかわらず、プロイアからは、なかなか言葉の続きが返ってこなかった。
しばらくの後。言葉が、ゆっくりと告げられる。
『……私が言えた義理ではないが、リゼたちのことをよろしく頼む。それから、全てが矛盾したなどとお前を否定するようなことを言い本当にすまなかった。行くというならそれを止めるつもりはない。だが、必ず生きて帰ってこい。繰り返しを否定すると言うなら因果応報を、闇色を取り払って見せろ。お前には、それだけの力が備わっているはずだ』
「はいっ」
二度目の返事は、強い想いと共にあった。
胸の内側でどくんっと激しい波が起き、何かが湧き上がってきているように思えた。
今まで感じたことのない不思議な感覚。けれど、嫌な感じのするものではない。
むしろ身を任す事で壊れかけていた、失いかけていた何かを取り戻せているような……。
輝きを失っていた瞳に、うっすらと光が舞い戻ってくる。
宝石のように、黒耀のように、レムの瞳が、心が、再び光を取り戻す。
(何のために戦うか)
何時だったか、ミュウの言葉をきっかけに抱き始めた疑問。
あの時はわからなかったけど、今ならその問いに対するはっきりとした答えを出せるような気がした。
「小さな子供に全てを託す。これではリゼのことを咎められんな」
飛翔艦‐方舟の艦長を務める男性プロイア・リヴァルは艦長席にどっしりと身体を沈め、泣き言のようにそんな言葉を漏らす。
その横で、シエル・アシュホードは神妙そうな顔つきのまま、プロイアへじっと視線を傾けていた。
「……艦長、レムに言い聞かせていた生きて帰ってこいという言葉。あれは、ひょっとしてシオンに対する罪滅ぼしの――」
「馬鹿を言うな。あんな安い言葉で帳消しに出来るほど、私の罪は安くはないよ。あれは、ただの願掛けだ」
「願掛け?」
言葉の意味がわからずシエルが首を捻ると、プロイアは、黒色の艦長帽を深く被りなおす。
「ああ。リゼを救うためにシオンが命令違反を犯した際、私はそれを咎めるだけだった。私は、シオンから帰るべき場所を奪っていたのだろう。仮に生きて帰ったとしても、待っているのは長い牢獄暮らし。リゼを助け出した時点で、シオンのなかの未練は尽きていた。だがもしもあの時帰ってこいと言っていたら、シオンの行動を許していたら、未来は変わっていたのかもしれない。そんな、淡い期待を抱いてしまってな……」
「…………」
「わかっているよ、過去は変えられないと言いたいのだろう。だが、それでもすがりつきたいではないか。過去を変えることで今を、未来を変える可能性があるのなら」
二十分後。
方舟の射出用デッキ。
戦いのための準備を全て終え、レムは、鉄板が敷き詰められた床の上を歩いていた。
床が軋んだ音を立てるたびにぞくりとした感覚に襲われ、レムはその度、自分の呼吸の荒さを感じてしまう。
胸に手を当てて見ると、心臓がどきどきと波打っているのがわかった。
右手に携えていた魔導機杖を握りなおすと、大きく息を吸い込む。ゆっくりと吐き出してみる。
心臓の波打ちどころか、息苦しさすら弱まってくれない。こんな経験は始めてで、レムは胸の鼓動が異様な波打ちを繰り返していることに、戸惑いの感情を抱かずにはいられなかった。
「……おかしいな。こうすれば、妙なざわめきは収まってくれるはずなのに」
もう一度、胸元に手を触れて見る。
どくん、どくん、どくん、どくん。と、心臓の波打ちが早まっているような気がした。
どうしてざわめきが収まらないのだろう。危険な場所に自ら首を突っ込むなんて、そんな、馬鹿げた真似をしようとしているからだろうか?
「どうしました? まさか、今さらになって怖気づいたとでも」
魔導機杖の調整を終えたのか、振り向くと紺色の法衣を羽織った魔導師‐クリスタが自分のことを見下ろしていた。
「わかりません。ただ、胸の奥の方でどくんどくんって音がなって、それが全然収まってくれなくて」
正直に今の心境を伝えると、別に特別なことではありません。と、クリスタが話をしてくれる。
「ご子息、貴方がいま抱えている感情は恐怖。生き物がその身に抱く、根本的な知覚作用です。機甲虫の巣穴。何十、何百という数の虫が蠢く只中に飛び込んでいく。今まで想定すらしたことのない行為を前にして、ご子息の身体自身が拒絶の色を示しているのでしょう。戦うことに対する拒絶。助けたいという思いに対する拒絶。けれど……それでも尚、なのでしょう?」
問われて、レムは静かに頷いてみせる。この感覚が恐怖なのかは自分でもよくわからないが、馬鹿な行いをやろうとしていることだけは、自分自身でもはっきりと自覚することが出来ている。
「人は誰でも恐怖を抱く。だからそれ自体は何もおかしなことではありません。恥ずべきことでもありません。恐怖や恐れ。自分のなかに生まれた感情の全てを自覚し、抗うことなく受け入れる」
「感情に流されろってことですか?」
「流されるままでいろ、とは言いませんよ。時には抗いが必要なときもある。ただ、恐怖を抱くということは生き物としての生存本能が警告を鳴らしているということ。恐怖に抗えばそれだけ死の危険が高まることになる。それを忘れないでください」
「……肝に銘じておきます」
心臓の波打ちも息苦しさも弱まってはいない。
けれどさっきまでよりずっと気分が楽なのは、恐怖への抵抗を止めたからだろう。
指先がじんわりと震えているのがわかる。
心のなかの本当が、生き物としての生存本能が警告を鳴らしているのだろう。
震えていた指先に力を入れ、レムはぎゅっと握り拳を作る。
「いま、怖いと感じていますか?」
「……はい。でも、今はこの感情に抗おうと思います。ミュウやあの人を助け出すことは、それでも尚、だから」
「そうですか。では、ご子息。ブリッジの者も、準備は出来ているな」
『ブリッジの者って……まあいいか。こちらも魔導機杖へのインストールは完了。すぐにでも術式を発動させられるわ』
Termninal
ブリッジの者‐シエルからの返事を合図に,、クリスタは【端末】によって六角形を形成。
Wall
【壁】の術式を用いて空中に足場を展開する。
「加速を使ってめいっぱい飛ばします。マナが底を尽こうと気にせず、足場を切り捨て、一直線に巣穴を目指してください」
「了解です」
クリスタの言葉を聞き、レムは空中に形成された足場に片膝をつく。前方を見てみると、砂の粒が放つ淡い光を確認することが出来た。
「ご子息。貴方は世界には光が満ち溢れている、穢れてなどいないと言っていた。だがこの光は白紋羽病という病気に感染した土。いわば汚染された土が光を放っているようなものだ。それでも尚、世界は穢れていないと言うつもりか?」
「はい。この病気の治療は困難で、感染を発見しだい周囲の土と一緒に焼却するしかない。データベースの資料には、そんな風な情報が記されていました。だけど、本来なら土や樹木を腐らせるだけのこの病気が、今の僕たちにとっては光に、希望になってくれている」
「世界も病気もそこにあるだけで、それをどう解釈するかは受け取る側の問題と。なるほどな」
わずかに口を紡いだ後、クリスタは静かに言葉を続けていく。
「一つだけ忠告しておくが、ミュウという娘を機甲虫の巣穴に連れ去ったのは司令自身のご意思によるものだ。貴公がどれだけ訴えようと、司令がそれをそのまま受け取ってくれるとは限らんぞ」
「……わかっています。でも、どう思われようと関係ありません。あの人だって、僕に同じようなことをしてきたんですから」
「ふふ、それもそうか」
小さな笑みを浮かべるクリスタから視線をずらし、レムは、方舟の外へと向きなおる。
「それじゃあ、行ってきます」
「ああ、気をつけてな」
こくりと頷いて、携えた魔導機杖を力強く握り締める。
マナの昇華を開始して、全身の神経を刃に変える。感覚を、極限まで研ぎ澄ます。
鉄床を蹴り上げて、
「レム・リストール。出ます」
レムは、飛翔する。