Parents & Child 【親】【子】
Parents & Child 【親】【子】
彼女は、生まれながらの王であった。
彼女が望めば全てが手に入り、全てが彼女の思うままであった。
けれど一つだけ。たった一つだけ彼女が手に入れられないものがあった。
それを手に入れようとしたことで、彼女は全てを失った。
それでも、彼女は生き続けていた。
誰にも己を理解されないと知りながら。
誰にも、本当の意味では必要とされていないことを知りながら。
「リゼ、そちらの手順だが」
ある日の夜更け。
プロイア・リヴァルとリーゼ・リストールの二人は、遊戯室に設置されたソファーに腰をおろしていた。向かい合う二人の合間にはチェス板の敷かれたテーブルが設置されており、プロイアの手元には真っ白のコーヒーカップが置かれている。
「ん、ああ。申し訳ない。少々考えごとをしていて」
壁際に置かれた紅色の魔導機杖を眺めていたリーゼは誤魔化すようにそう言って、とん、と《女王》の駒を前に進ませる。
「有益な駒の単独使用。ふむ、指し方は変わらんな。定石とは外れた指し方だ」
「お言葉を返すようですが、定石が戦略の全てではありません。《女王》は最高の機動性を持つ駒ですが、進行状に自軍の駒が置かれていれば、その機動性は大きく損なわれてしまいます」
「それゆえの単独行動と」
「ええ。結果は出しているのですから、特に問題はないはずです」
リーゼが所有する《女王》の駒。最高の機動性を持つそれは、周囲の味方に足を引きずられぬ事で、次々に敵を撃破し続けていた。
「《女王》の有用性は認めるが……チェックだな」
駒を動かし、プロイアはリーゼの側の《王》を追い詰める。
《王》の移動範囲には全てプロイアの駒が効いており、逃げ道はどこにも残されていない。
「…………」
リーゼは、《王》の前方に《女王》を動かす。
「《女王》の力に頼りきっていれば、意外なところで足元を救われる。《女王》を捨て駒にする気がないのなら、扱い方を変えるべきだろうな」
そう言って、プロイアは《女王》の駒を指す。
「盤上の遊戯と実戦を同列で語る気にはなれません。チェスという遊戯は、《王》を取ればそれで終わりなのですから」
とんとんとん。と、プロイアとリーゼは互いに駒を指していく。戦況はリーゼが優勢。《女王》は失ったものの、リーゼは次第にプロイアを追い詰め始めていた。
「チェック、これで終わりです」
「む、そのようだな」
《王》に逃げ場は残っておらず、プロイアはあっさりと負けを認める。
「仕方がない。もう一局と行こう。と、そういえばリゼ。《王》の話、考えなおすつもりはないか?」
両者の駒を並べながらプロイアが尋ねると、リーゼはまたその話か、と小さなため息を一つ。
「以前に申し上げた通り、こちらにそのつもりはありません。第一、私のような若輩者に艦の長が務まるはずないではありませんか」
「謙遜はしなくていい。お前の魔導知識は私を軽く上回っており、指揮官としての能力も十分にある。それに、この艦は代々我々の家系が指揮を取ってきたのだ。それを考えれば、お前以上の適任者はおらんよ」
「それは親馬鹿というものでしょう? 必要以上の期待をかけられても、当事者からすれば息苦しいだけです」
「お前がそれを言うか」
「ええ。何か問題が?」
しばしの沈黙の後、
「まあ、そちらの気持ちがわからぬわけではありません。あなたにもしものことがあれば、私が代わりを勤める。今のところは、それで納得しておいてください」
静寂の空間を切り裂くように、リーゼは刃の付いた言葉で話題を切り返す。そして、
「それより艦長。レムが買い集めてきてくれた部品、スタッフに渡しておきましたよ」
刃を納める事なく、返した刃先をプロイアへと突きつける。
「あの子は私の頼みを聞いてくれただけなので艦長に伝える必要はありませんが、あの子に関する全権を私が握っている以上、報告はしておくべきと思いまして」
「そう睨むな。人手が足りなかったのだから仕方ないだろう。それに、あの子をいつまでも盤上に置いておくわけにはいかんよ」
「人手が足りないと言うなら、私に連絡を入れてください。暇人の一人や二人、幾らでも心当たりがあるのですから」
「代わりはこちらが用意する。だからあの子に干渉するなと」
「ええ。常に盤上に置いているといえ、別に、遊ばせているわけではありません」
「ふむ、盤上という言葉を否定せんか。しかし、あの子が駒でないことは肝に銘じておくのだな」
「どうゆう意味でしょうか?」
「あの子が盤上に立ち続けている理由は、駒だからではないということだ。周囲が注ぐ期待、重圧。それに応える義務。いずれにせよ、機械的に与えられた役割をこなしているわけではない。リゼ、それを知らぬお前というわけではないだろう。戦わせるなとは言わん。だが、せめて心を蔑ろにするような真似だけは」
「なんと言われようと、あの子の扱い方を変えるつもりはありません。それでは、私はこれで」
チェス板を折りたたむと、リーゼはソファーから立ち上がる。
「うん? まだ決着はついていないが」
「投了、こちらの負けということで終わりにしましょう。それより、艦長はそろそろお休みになってください。無理をすればお身体に障ります」
「ふむ。お前がそう言うなら構わんが、よいのか、リゼ」
「ええ。もう……慣れてしまいましたから」
窓越しに見える真っ暗な闇。
光の途絶えた夜の世界に目を傾けながら、リーゼはそんな言葉を呟いていた。
機甲虫が巣穴を離れる際、虫たちは十匹~二十匹程度の集団を作ることが知られている。これは機甲虫が群れでの狩りを基本とする他に、単一固体が得た情報を巣の仲間全体で共有する習性を備えているからだ。
機甲虫は特殊な電波を発することにより、会得した情報を仲間同士で共有。生き延びた固体が巣の仲間に情報を伝達するようになっている。
そのため機甲虫の襲撃を受けた際、魔導師は極力、全ての固体を殲滅するように勤めているのだが。
「仕留め損ねた固体、という認識でよいのでしょうか?」
「ああ、だが……妙だな」
プロイアとリーゼがチェスを行なったその翌日。
方舟より南西八キロ地点にて、一匹の機甲虫が発見された。機甲虫の残党狩りなど、本来ならリーゼが直々に指揮を執ることではないのだが。
「部隊の展開、どのようになっている」
「はい、大よそ予定通り。十五分後には陣を敷き終える手筈になっています」
「十五分か、遅いな。クリスタ、作戦予定時刻を五分早める。各々の配置を急がせるよう、小隊の隊長どもに指示を出しておけ」
「わかりました。すぐに伝達に取り掛かります」
早口にそう答えると、リーゼに仕える近衛魔導師、クリスタ・R・クラスタは魔導機杖を用いて小隊の部隊長たちに指示を伝えだす。
「さて、こちらの頭数は四十六。悪戯に被害を出さぬためにも乱戦は避けたいが」
たった一匹の残党を狩る。
当然だが、それだけのためにリーゼを含めた四十名以上の魔導師が殲滅戦に参加しているわけではない。生き残りの個体の下に、機甲虫の別集団が急行しようとしていたからだ。
「それにしてもまさか死にかけの個体の回収とは。あの個体は、それほどに重要な情報を抱えているというのか?」
リーゼの言葉どおり、先日の生き残りらしき個体は一目見ただけで瀕死とわかるほどの重症を負っていた。
何しろ機甲虫の象徴ともいえる巨大な一本角は折れていて、背中を覆い包む銀色の甲殻にも、痛々しいほどの亀裂が入っているのだ。腹の部分は半分以上が黒い消し炭のようになっていて、空中に浮かんでいる今も時折、身体がぐらりと大きく傾いている。
「しかし重要な情報とは何なのでしょう。前回襲撃してきた際も、方舟周辺の旋回という奇妙な動きを見せていましたが」
各小隊へ指示を出し終えたのだろう。長い髪が風で飛ばされぬよう手の平で押さえながら、クリスタはそんな風にリーゼに話しかけてくる。
「さてな。餌場に関することと思いたいが、おそらくそれはないだろう。わざわざ回収に出向く辺り、女王が欲する情報と考えるのが妥当か」
「女王が欲するもの? となると住処とマナ。その他に有り得るのは――」
「『適合者』」
言葉にするのをためらい、クリスタが濁しかけていた単語。それを、当事者たるリーゼは平然と口にする。
「確かに、いずれの線も有り得ない話ではないな。ならば迎えの群れも含め、全てを駆除するのが得策か。む、どうした? 私の顔に、何かついているか?」
「い、いえ。そのような事は。失礼をいたしましたお嬢様」
慌ててクリスタが謝罪の言葉を述べると、リーゼの表情が、少しだけ迷惑そうなものに変わる。
「クリスタ、お嬢様というのはよせ。もうそのような歳ではない。それに、お前も今はリヴァル家に仕えるメイドではないのだ。妙な言い方も、妙な接し方も必要はない」
「あっと、申し訳ありませんお嬢様。理解はしているつもりなのですが、昔の感覚が未だに抜けきれておらず」
そう言って頭を下げる仕草は、リーゼ専属メイドとして仕えていた頃と全く変わらない。
「クリスタ。貴様手があいているのなら前線に出、砲撃隊に加わってみてはどうだ」
過去の思い出を彷彿とさせる態度に疎ましさを覚えてリーゼは言うが、クリスタは首を振ってそれを否定する。
「お言葉を返すようですが、今の私はおじょ……司令に仕える近衛魔導師です。艦内ならともかく、この状況で貴方のそばを離れるわけにはいきません」
「……職務に忠実なことだ」
ため息混じりに呟いた後、仕方がない、とリーゼは小言を漏らす。
「クリスタ、私のそばを離れるつもりがないと言うなら、代わりにレムの護衛を行え。私のそばに待機させているのだから、そちらとしても問題はないはずだ」
「レム? ご子息の魔導師様、隊列にご参加なされているのですか?」
「馬鹿を言うな。突出した魔導師を隊列に加えては、部隊の運用に支障が生じるではないか。あくまでも同行をさせているにすぎんよ」
「確かに。ご子息はまだお若いですからね。焦らず、ゆっくりと組織戦に慣れさせていくと」
「いや、あれを部隊に組み込むつもりはない。下手に他の魔導師と歩幅を合わせるより、単独運用に特化させた方が有益となるからな」
「部隊に組み込むつもりがない? ならば、なぜご子息を前線に?」
クリスタに理由を問われると、リーゼは少しだけ頬をかき、答えづらそうに返事を返す。
「実は妙なことを吹き込まれたらしく、あれは戦う理由とやらに疑問を抱き始めている。精神状態が安定するまでは、出来るだけこちらの視界に留めておきたい」
「戦う理由? 哲学的ですが、無意味な思考ですね。生存競争に理由などないでしょうに」
「それで納得をしないから手を焼いている」
「……なるほど。では、私からもご子息にお話を通しておいた方がよろしいでしょうか?」
「そうだな。多方面から言い聞かせられるなら、それに越したことはないだろう」
「了解しました。ですがそれほどご子息のことを気にしておられるなら、専属のメイドをお付けになればよろしいのでは? ご子息の行動に目を光らせているものがいれば、司令のお心も休まるでしょうに」
「それでは意味がないだろう」
「……確かに。申し訳ありません、出すぎた真似でありました」
一言だけの言葉。それだけでクリスタはリーゼの真意を理解したのだろう。
それ以上、彼女が異議を唱えることはなかった。
「すまんなクリスタ。そちらには迷惑をかける」
「いえそのようなことは。ともかくおじょ……リーゼ司令は全体の指揮に集中なさっていてください。ご子息のことは心配いりません。私の、全身全霊を用いてお守りいたしますので」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「リーゼさん、さっきから何を話しているのかな」
機甲虫殲滅のために敷かれた陣。その中心に位置するリーゼのことを、レムは魔導機杖に調整を加えながらじっと見上げ続けていた。
「それにしても、すごい人数……」
ぐるりと周囲を見渡してみると、一面に多数の魔導師の姿を見ることが出来た。互いに連絡を取り合いながら、それぞれに機甲虫との交戦準備を整え始めている。
と、先ほどまでリーゼと言葉をかわしていた女性の魔導師がこちらに接近。レムに向けて指示を下す。
「魔導師レム・リストール。リーゼ司令からの命令を伝える」
陽光を照り返す金色の長髪。胸元にたれかかったそれを指先で後ろにはじくと、女性は表情を変えることもなく、淡々(たんたん)と言葉を告げてくる。
「貴公は別名あるまでこちらで待機。出来うる限り、マナの昇華を行っておくように」
「こちらで待機? でも、陣の前方に多重障壁を展開するんですよね。それなら僕もそちらに加わった方が」
「その必要はない。リーゼ司令は攻守ともに十分な数の魔導師を揃えておられる。貴公の任務はイレギュラーへの対応だ。司令の命令に素早く反応できればそれでいい」
「了解しました。えっと――」
伝令を伝えてくれた魔導師の名前がわからず、レムが言葉に詰まっていると、
「クリスタだ。クリスタ・R・クラスタ」
女性の魔導師が自己紹介をしてくれる。
「はい、クリスタさ……リヴァル?」
レムが思わず首をかしげたのは、リヴァルという姓に聞き覚えがあったからだ。
「あの、失礼ですがクリスタさんはリーゼさんの」
「生憎だが肉親ではない。孤児であった私をプロイア艦長がお引取りくださっただけだ。リヴァルという姓はその際に授かったもので、貴公とは何の関わりもない」
何の関りもない。
その部分を強く強調しながらクリスタは答えて、魔導機杖を軽く振るう。
Terminal
すると、周囲に握り拳ほどの大きさの【端末】が生み出されていった。
「数は六……いや、念のために八にしておくか」
乳白色の球体がくるりくるりと回転し、レムの周りを取り囲む。陽光の下にいるからだろう。真っ白の端末はとても見づらく、個々の速度も相まって、次第に位置を把握しきれなくなってしまう。
Protection
身体全体を【障壁】で包み込まれ、レムはようやく、端末が設置されている位置に気づいた。
レムを中心とした三角錐。四つの角を持つそれが上下に二つ重なりあい、半透明な桃色八面体が形成される。
障壁に軽く手を触れてみると、普通のものより遥かに硬い感触が返ってくる。
「どうした? 端末がそれほど気にかかるか?」
「あ、いえ。端末を扱える魔導師は少ないと聞いたので確かに珍しくあるのですが、他の魔導師が扱う術式自体、あまり目にすることがなかったので」
レムが言うと、クリスタは「ふむ」と声を漏らしながら目を細める。
「他の魔導師と行動を共にすることのない、単独戦闘に特化した魔導師。異端だな」
「……?」
「機甲虫という生き物は、鋼鉄の身体と魔導の力を併せ持つ存在。食物連鎖のピラミッドで言えば、人間の上位に位置している。それゆえ相対する際は、上回る数の魔導師を用意する必要がある。能力面でこちらが劣っている以上、戦力差を覆すには数を用意するしかないからな。三対一。場合にもよるが、それが、対機甲虫戦における数字の基本となる」
言われてみれば、と、レムは魔導師の小隊が三,四人で構成されていることを思い出す。
三倍の数が必要というなら、これだけ大人数の魔導師が集まっていることにも納得出来た。
「にも関わらず貴公は単独の戦闘。いや、場合によっては二、三匹の機甲虫と同時に渡り合うことが出来る。それはまさしく異端と言えるだろう」
結局は、そこに繋がるわけだ。
特別な存在、特異な存在。言い方はどうあれ、必要以上にオーバーなことを言ってレムを祭り上げようとしていることは変わらない。
レムがクリスタに嫌気を抱きかけた頃、八面体の向こうでリーゼが腕を振り上げる。
「時間だな。よし、これより機甲虫の殲滅戦を開始する。みな、探れ」
Search
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Search
それを合図に、前衛を務める魔導師たちが一斉に【検索】の術式を発動させる。
「ターゲット、ロック」
機甲虫の姿を捉えると、リーゼは魔導師たちに指示を与え出す。
「放て」
Homing-Fire-Rain
Homing-Fire-Rain
Homing-Fire-Rain
一斉砲撃。
魔導機杖から放たれた術式には【誘導】の効果が付加されており、何百、何千という【炎】の【雨】が、次々に機甲虫たちに降り注いでいった。
灼熱の雨が空を紅蓮に染めて、無数の爆発。続けて、黒煙が舞い上がる。
「数字上での優位を保ちながら火力を集中。波状攻撃によって虫の殲滅を行う。それが魔導師による戦闘の基本だが、貴公からすれば、手間のかかる行為に見えるかもしれんな」
「はい。少しだけですが」
躊躇することなくレムが頷くと、クリスタは少しだけ驚いた表情を見せた後、うっすらとした笑みを浮かべる。
「なるほど、正直な性格をしている。嫌いではないな」
「司令、機甲虫二匹。こちらに接近してきます」
レムとクリスタが話をしていると、リーゼの手前で【検索】の術式を発動させていた魔導師が声を張り上げる。
「仕掛けてくるか。……面白い。障壁強度向上、弩の用意を急げ」
リーゼの言う弩とは丸太のように巨大な矢を専用の台座に置き、梃子の原理を用いて発射する大弓のことだ。魔導技術が主流になるより遥かに昔、中世の時代に戦争の道具として一時代を築いてきた兵器だが、当然、それをそのまま運用するわけではない。
Barrister
Barrister
【弩】の効果を表す文字が魔導機杖の先端に映し出され、二人の魔導師の頭上に、巨大な光の矢が形成される。最も全長五十センチを越えるそれを矢と呼んでいいのかは、はなはだ疑問ではあるが。
「大型弩砲、撃て」
熱を帯びた空気を切り裂き、二本の巨大な矢が放たれる。
Acceleration
Acceleration
【加速】の術式が付加された矢が鋭く伸びて、陣に迫ってきていた二匹の機甲虫の身体をそれぞれに貫通する。
ぐしゃり、と機甲虫の甲殻が潰れるような音はしない。代わりに、矢に貫かれた部位がどろりと溶解してしまう。
機甲虫のモノアイから光が消えて、大きな爆発が巻き起こる。しかし、破壊を確認出来たのは片方だけであった。
ぱらららららららら。
機甲虫の前足に当たる部位が光を放ち、奇妙な金属音が鳴り響く。
びし、ぴしぴし、びし。
リーゼたちの前方に配置されていた障壁に金属が食い込み、障壁全体にうっすらとひび割れが走る。直後、魔導師たちの間にどよめきが広がっていった。
「騒ぐな。一枚目の障壁に傷がついただけだ」
混乱しかけていた魔導師たちを一喝すると、リーゼは身体の半分を削られて尚、金属弾を撃ち続けてくる機甲虫をその眼で捉える。
「捨て身の特攻。障壁では止まらんな」
魔導師たちが形成する陣の前方には四重の障壁が張られているが、リーゼは、それでも機甲虫の体当たりを止められないと予測する。
「陣の内側で好き勝手をされては困る。クリスタ、あの害虫を排除しろ」
「あ、それなら僕が」
魔導機杖を握りなおしてレムが障壁の外に出ようとすると、それを遮るようにクリスタの腕が向けられる。
「魔導師レム・リストール。別命があるまでここで待機という指示を忘れたか?」
「で、でも」
「リーゼ司令はそのように命令を下した。ならば、それを守るのが貴公というものだろう?」
「…………」
「改めて私が言うことでもないが、貴公の使命はリーゼ司令が下す命令の遂行。機甲虫との戦いなど、所詮は下された命令の結果にすぎん」
「機甲虫との戦いは命令の結果?」
クリスタが何気なく口にした言葉。それは、レムの悩みに対する一つの答えであった。
「そうだ。何を悩んでいるのかは知らんが、貴公は司令の命令をこなせばそれでいい。そのために魔導師という役職についているのだろう」
「命令をこなす。そのための魔導師……」
「クリスタ、どうした。何を話しこんでいる」
「いえ、何でもありません。すぐに迎撃に向かいます」
早々に話を切り上げると、クリスタは踵を返す。
「ではなレム・リストール。貴公が行なうべき優先を履き違えぬよう、常々心がけておくように」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Acceleration
レムに言葉を言い聞かせた後、クリスタは【加速】の術式を用いて陣の前線に急行する。
「思ったよりも動きが早いが、想定の範囲内だな」
Terminal
【端末】の構築式を呼び起こす電子音声が響き渡り、続けて、
Lightning
クリスタが使役する端末の手前に、【雷】が形成される。
「四枚目の障壁が突き破られた直後に放つ。障壁班は壁の消失と同時にその場を離脱しろ」
「はっ」
クリスタが前線の魔導師に指示を下した数秒後。四重に張られていた障壁の最後の一枚が、音もなく砕け落ちる。
「……捉えた」
瞬間、クリスタと八つの端末。それぞれから雷撃が解き放たれる。
ばちばちと激しい音を響かせながら機甲虫に迫り、術式が発動する。
Lightning-Conductor
Protection
Fire-Rain
「なっ!?」
声を失ったのは、雷撃を放ったクリスタだけではない。その場にいた魔導師のほとんどが、機甲虫の見せた特異。術式の多重発動を前に戸惑い、動きを止めてしまう。
多数の術式を同じタイミングで発動させる。そんな行為、本来なら出来るはずがないからだ。
【雷】が【導体】によって文字通り導かれ、放たれた九本のうち、七本が明後日の方向に捻じ曲げられる。
残る二本も機甲虫の前面に張られた障壁によって防がれ、【炎】の【雨】が、クリスタを含めた多くの魔導師に降り注いでいった。
Protection
「死にかけがよくもあがく」
【障壁】を展開することでクリスタが攻撃を防いだ直後、
Regeneration
Acceleration
機甲虫が身体を【再生】。そのまま、急激に【加速】する。
「しまっ――お嬢様!」
声を荒立てながら、クリスタは己の油断を恥じる。
機甲虫が狩りではなく適合者の探索を目的にしているなら、この状況でリーゼの下へ向かうのは必然であったからだ。
「騒ぐな、こちらでも捕捉している」
陣の最前線からリーゼのいる場所までは若干の距離があり、幾ら加速の術式を用いようと、一瞬のうちに辿り着けるようなものではない。
Fire-Lance
それは、機甲虫の接近に備えてリーゼが【炎】の【槍】を構えるには十分すぎる時間であった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
十分すぎる時間。
レム自身はそう思っていたし、実際、他の魔導師にとってもそうであったはずだ。
「リーゼさんっ」
にも関わらず機甲虫の頭部から赤い光が放たれた直後、リーゼは不用意な硬直をさらしてしまっていた。
「何をっ! 早く動いてっ」
機甲虫の頭部が光ったことで、なぜリーゼが動きを止めたのかはわからない。それでも機甲虫の目前でリーゼが硬直したことだけは確かで、だからこそ、レムはリーゼを助けるためにそちらに駆け寄ろうとした。
「……!?」
けれど動いたのは気持ちだけ。脳が下した命令に反するように、レムの身体はぴくりとも動いてはくれなかった。
『別命あるまで待機』
優先すべき事柄を肉体が、細胞が理解していたからだろう。
感情と命令。
レムの内側でそれら二つがぶつかり合う最中、鮮血。続けて、何かが引き千切れる音が響いた。
「まさかっ」
最悪の予感が脳裏を横切り、レムは思わずリーゼを見上げる。と、
Flash
一面に【閃光】がほとばしった。レムを含めその場にいた魔導師達全員の視界をまばゆい光が遮り、じゅわりという溶解音が中空を駆け抜ける。
幾度かのまばたき後、レムはじっと目を凝らす。すると、リーゼの目の前にいた機甲虫の胴体に炎を帯びた槍が突き刺さっていた。モノアイからは光が失われており、傷口からばちばちと火花が上がり続けている。
槍を引き抜くと、リーゼは機甲虫を蹴り飛ばす。
Sphere-Fire
杖の先端に【炎】の【球体】を形成し、発射。機甲虫の腹部を炎が貫く。
「生命活動の停止を確認。終わりだな」
Sphere-Protection
【球体】【障壁】を用いて機甲虫の爆発から身を守ると、リーゼは槍に変化させていた魔導機杖を元の形状に戻す。
「リーゼ司令、お怪我は!?」
「平気だ。どうということはない」
「よ、よかった。ご無事で何よりです」
慌てて駈け寄ってきた魔導師とリーゼとのやり取り。それを眺めながら、レムはおかしいなぁと首を捻る。
一瞬血が吹き出たように見えたものの、何でもなさそうということは、単純に、自分が見間違えただけなのだろうか?
「誰か、周辺の索敵を行なっておけ。機甲虫の残党が残っている可能性、ないとは言いきれないからな」
リーゼが魔導師達に指示を下していく最中。その間にも疑問はぐるぐるぐるぐる、レムの脳裏で渦を巻き続けていた。
けれど、レムにそれを解消するすべはない。疑問を相談する相手すらいなかった。
「レム」
名前を呼ばれてはっとすると、すぐ目の前にまでリーゼが飛んできていた。
「先ほどの戦闘のことだが」
「あ、ご、ごめんなさい。すぐに救援に駆けつけようと思ったのですが、待機しろと命令を受けていたから、反応が遅れて」
「それでいい」
行動が遅れたのだから叱咤を受ける。そう覚悟していたのに、リーゼが発した言葉はとても意外なものであった。
「今のあれは、完全に私のミスだ。お前が気に病む必要はない」
「は、はい。ありがとう……ございます」
レムが気にかかったのは、気に病む必要はないというリーゼの言葉だ。
そんな言い方をするということは、やっぱり、どこかに怪我を負ったのだろうか?
「リーゼ司令。索敵の結果、周辺地域に生き物の生体反応は確認されませんでした。機甲虫殲滅は完了したと見てよろしいかと」
「ん、そうか。では全魔導師、及びレム・リストールは方舟に帰還。方舟周囲の索敵を行なった後、異常がなければ通常勤務に移行するように。ああ、ただし第一小隊は私と共に来い。機甲虫の奇異な行動の原因、探っておく必要がある」
「はっ。では、皆に指示を出しておきます」
敬礼の姿勢を見せた後、伝令役の魔導師は素早くその場を飛び去っていった。
「…………」
二人きりの状況になり、レムは、自然とリーゼの腕を見つめてしまう。
怪我を隠しているようには見えないから、気に病むというのは言葉のあやで、単なる自分の勘違い。考えすぎなのだろう。
「何をぼんやりとしている。私の命令が聞こえなかったのか?」
「い、いえ。了解しました。すぐに帰還します」
敬礼をするとレムは命令の通り、大慌てで方舟の方角に飛んでいった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
やがてレムの姿が小さな点のようになって、ふと、リーゼは言葉をこぼす。
「適合者の探索……転機が訪れた可能性が高いが、ひとまず確認をしておくか」
誰も、気づいてはいなかった。
けれど、確かに指し示していたのだ。
彼女の持つ魔導機杖の指針が、Emptyという値を。
機甲虫との戦いを終えた後。レムは方舟の艦内、魔法演習場にて球体型ターゲットの破壊を行ない続けていた。
けれどターゲットの破壊速度も旋回速度も、以前に比べれば大きく劣る。壊すことに躊躇いはないが、頭に靄がかかっているせいでどうしても判断が遅れてしまうのだろう。
(リーゼさんのあれは、ただの見間違いだったのかな)
靄を晴らすためにそう考え、思い込み、必死に自分を納得させる。
「……そうだったら嬉しいんだけど」
納得しきれないのは、妙な違和感が身体に張り付いているからだ。
見間違いであるならそれでいい。問題は、見間違いでなかった場合だ。
その場合、リーゼは魔導の力を用いて自分を治療したことになる。
つまり、それは――。
「あり? 電気が付きっぱなしだと思ったけど、そういうわけじゃなかったか」
妙な考えをレムが抱きかけていると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてくる。振り返ってみると、演習場の入り口に金色の髪飾りをつけた女性が立っていた。
「シャルルさん、どうしてここに?」
「どうしてって、それはこっちの台詞。レムの方こそどうしたのさ。戦闘があったばかりなんだから、身体を休めておくのが普通でしょ。それとも、また訓練をしておくように言われたの?」
「いえ、リーゼさんからは何も。ただ戦闘時は待機状態が続いていたので、少し身体を動かしておこうと思って」
レムの言葉に嘘はないが、身体を動かしている理由はそれだけではない。じっとしていると、今以上に余計なことを考えてしまいそうだったからだ。
「ふむふむ。相変わらず健気だね。たゆまぬ努力の積み重ねってやつか」
レムのそんな心境に気づくはずもなく、シャルルはうんうん、と感心した様子で頷き続けていた。
一通りの訓練メニューを終えると、レムは地面に両足を下ろす。
飛翔の術式を解除してマナ残量を確認。法衣服の内ポケットから厚手の軍手を取り出して両手にはめると、魔導機杖の胴体部から円筒状のバッテリーパックを取り外す。
高熱を帯びたバッテリーが空気を熱していて、軍手越しでもかなりの熱さを感じた。
「へぇー。魔導機杖のバッテリーってこんなに大きいんだ。胴体の半分はバッテリーって感じだね」
「マナが源動力といえ、構築式のインストールや術式の起動は電子制御になっているので、意外に電力の消費が激しいんです。数時間稼動させ続けるとなると、これぐらいの大きさがないと」
「ほほう。となると、これよりもっと大型のバッテリーなら稼働時間が延びると」
「そうですね。実際、機甲虫が搭載しているバッテリーはこれの数倍はありますし。でも稼働時間が延びるだけで術式の出力が上がるわけじゃないから――」
「ちょ、ちょっと待った! レム、あんた今さらっととんでもないこと言わなかった!?」
「うん?」
「うん? じゃない! 機甲虫が搭載しているバッテリーはって、あの虫、魔導機杖と同じものを積んでるの!?」
「はい。元々魔導機杖自体、機甲虫を参考に作られたものですから。本質的にはほとんど同じです。でないと、どうして機甲虫が術式を使えるのかってことになるじゃないですか」
壁際まで歩いていくと、レムは充電器に差し込まれていたバッテリーパックと自分の魔導機杖のパックを取り替える。
「あ、まあ……確かに。なるほど、ちゃんとした理由があったんだ」
納得した様子でシャルルはそう言ったのだが、
「理由……?」
その言葉が、妙に頭に引っ掛かってしまう。
自分には、シャルルの言うちゃんとした理由がないように思えたからだ。
『貴公の使命はリーゼ司令が下す命令の遂行』
魔導師クリスタ・R・クラスタが口にしていた言葉。結局はあれが真実で、他に理由などありはしない。別に、機甲虫との戦いに限った話ではない。
自分は、リーゼ・リストールという魔導師の命令に従っているだけなのだ。
居住区でミュウと出会った時に考えた父親を継ぐ、周りの期待に答えるという思いも幼い頃からの刷り込み。そう命令されてきたから、それが自分の考えだと誤解していたにすぎない。
「どうしたのさレム。何だか顔色が悪いけど」
「な、何でもありません」
大慌てでそう言うと、レムは魔導機杖を片手にその場から立ち去ろうとする。
「……あの、シャルルさん。聞きたいことがあるのですが」
演習場の出入り口まであと数歩という所で足を止めたのは、頭のなかで、もやもやした何かが渦を巻き続けていたからだ。
「聞きたいこと?」
「はい。シャルルさんは映像解析、ブリッジクルーを勤めているんですよね。どうしてそんなものになろうと思ったんですか?」
「どうしてって?」
「だってブリッジクルーといえば、魔導師の次に機甲虫に襲われやすい部署じゃないですか。なんでそんな危険な場所での作業を志願したのかなって」
「んー……なんで志願したかを聞かれても、特別な理由があったわけじゃないからねぇ」
そう言って、シャルルは大きく伸びをする。気分をリフレシュするように上を見上げ、レムの方へと向きなおる。
「魔導師を目指してみたものの適性がなかったせいで試験に落ちて、それでも諦めきれなかったからブリッジクルーに転向しただけさ。わたしは……鳩に憧れてたからね」
「ハト?」
「うん、飛翔艦‐方舟。その名前の由来が神話にあることはレムも知ってるだろ。神様が大洪水を引き起こして、方舟に乗っていた一族だけが生き延びることが出来た。方舟を飛び去った一羽の鳩がオリーブの葉を持って戻ってきて、方舟の人々は大洪水の終わりを知る。つまり、鳩って鳥は方舟のみんなに希望を与えてくれたのさ」
「…………」
「なーんてね。そんな大層なのはわたしには似合わないか。それにレムやリーゼさんの方がわたしよりもよっぽど、みんなにとっての直接的な希望になってるだろうから、やっぱり、今の話は忘れちゃっていいよ」
くるりとその場でターンして、シャルルはひらひらと手を振ってみせる。
「それで? レムは何を思い悩んでたのさ」
「別に、何も悩んでなんか」
「本当に? リーゼさんの命令に不満があって、それで命令を下した意味。理由を考えていたとか、そういうことじゃないのかな?」
シャルルが命令という単語を口にしたからだろう。言葉に反応し、レムはぴくりと身体を揺らす。
「おお? ひょっとして、予想的中? 一発で悩みを言い当てちゃった?」
「いえ、そうじゃありません」
「あ、あらら。そうなのか。残念」
きっぱりと否定されて、シャルルの表情が少しだけ残念そうなものに変わる。
けど、とレムが切り返したのは、それからすぐの出来事であった。
「機甲虫が術式を使うのにはちゃんとした理由がある。シャルルさんはそういう風に言いましたが、僕にも、その言葉は当てはまるんですか?」
「どうゆう意味さ」
「……前に居住区に降りた時、ミュウって女の子に会ったんです」
そうして、レムは全てを伝えていった。
ミュウと出会い、彼女が料理を作れるように頑張っていること。
その理由が、二代目だからという責任や重圧から来ているわけではないこと。
彼女の考えに触れ、なぜ自分が機甲虫と戦っているのかがわからなくなったこと。
レムが思いのたけ全てをぶつけ終えると、シャルルは唇に手を当て、うーんっと首を斜めに傾ける。
「レムはどんなものにも理由がある。理由が必要だと思ってる。だけどレム自身が機甲虫を壊すのはそう命じられたからで、自分の意思でやっているわけじゃない。つまりレムは、そこに大きな矛盾を感じているわけだ」
「矛盾というほど大きな悩みではありません。ただ本当にこのままでいいのか。それがわからなくて」
「……答えは、もう出ているんじゃないかな」
「えっ?」
「命令に従って壊すことに納得してるなら、最初から悩んだりしないじゃないか。結局、レム自信は納得しきれてないんだよ。だけど命令された以外に戦う理由があるわけじゃない。それならさ」
悩みの根本に当たる部分をシャルルが口にしたからだろう。レムはぴくりと身体を揺らすと、一字一句聞き逃さぬよう神経を集中し始める。
「理由を見つける。とりあえず、それでいいんじゃないかな?」
「えっ? でも……」
「正義のために。人々を守るために。そう言って戦えたらかっこいいけど、そういう言葉だけじゃ納得出来ないんでしょ。だったら理由を見つけるためって、それで良いんじゃないかな」
「本当に、そんな理由でもいいんですか?」
「いいも何も、今のレムにとって一番大事なのはそれなんでしょ? だったらそれをやるしかないよ。悩んでばかりいても、良いことなんか何にもないんだからさ。決めて、やって、それでも駄目ならその時に考えればいいんだよ」
「考えすぎるなってことですか?」
「まあそういう言い方も出来るかな。気楽に考えすぎるのも問題だけど、悩みすぎもよくない。うまく言えないけど、わたしはそういう風に思うよ」
「そっか。そうですね」
どれだけそれらしい理由を並べようと、自分自身が納得しきれないなら意味がない。
そんなことで悩む暇があるなら、とりあえずの目標を決めて、それを達成するために頑張ってみる。その方がずっとわかりやすいし、心が楽になるだろう。
「シャルルさん、どうもありがとうございました」
お礼の言葉を述べながら、レムはふと考える。
自分がこんなことを考え始めたきっかけ。ミュウは、今何をしているのだろう。
「くしゅんっ」
居住区に建てられた料理店。店内の掃除を行い続けていたミュウは、小さなくしゃみを漏らす。
「あら、大丈夫? ミュウ」
「うん。へっちゃらだよ。ちょっとむずむずしただけで……くしゅんっ」
「風邪かしら? 熱はなさそうだけどこじらせたら怖いし、週末に予定してた農園は――」
「もう、へっちゃらって言ってるでしょ! おかあさん、もしもわたしのことを置いて……くしゅんっ」
おでこに当てられていたシエルの手を無理やりほどき、ミュウは元気良く(?)返事を返す。
「はいはい、わかりました。それじゃ日曜日までにきちんと風邪を治しなさい。でないと、連れてはいけません」
「だーかーらー、わたしは風邪なんか」
不満そうにミュウが言葉を漏らした拍子、シエルが手にしていた魔導機杖の先端から淡い光が放たれる。瞬間、シエルの表情が少しだけ険しいものに変化した。
「これは……っと、ごめんねミュウ。ちょっとメールが」
くるりと踵を返し、シエルは差出人の名前を確認する。
Liese Listor
そこには、魔導師隊の総司令を務める女性の名が記されていた。
総司令という立場上、魔導師リーゼ・リストールが前線に赴くのは非常に稀なことである。そのため彼女に仕える近衛魔導師‐クリスタ・R・クラスタもまた、平常時は第一魔導小隊を率いる部隊長という立場を貫いている。
機甲虫の殲滅を終えた後。微かに硝煙の匂いが漂うなか。
「クラスタ隊長、このまま司令の後を追い続けてよろしいのでしょうか?」
「どういう意味か」
銀色のランドセル‐携帯用魔力供給機を背負った状態で飛翔を続けていたクリスタは、小隊員の放った言葉を耳にし、その動きを止める。
「いえ、すでに飛翔艦から百キロ近く離れているではありませんか。これでは通信はおろか、帰艦する前に魔導機杖のマナが空になる危険すら――」
「心配するな。マナに関してはランドセルに十分な量を搭載してきている。仮に機甲虫と交戦することがあろうと、燃料切れを起こす心配はない」
「ですが、このまま直進を続ければ」
「……わかっている」
Map
魔導機杖を操作して【地図】を展開すると、クリスタは赤色の○で記されたマーカーと、その座標を確認する。
Enemy-Base
マーカーの下に記された文字は、機甲虫の巣穴を示す単語である。機甲虫は女王を頂点とした社会性の組織形態を築いているため、当然、巣穴には多量の機甲虫が潜んでいるだろう。
「貴公が不安を抱くのも最もではあるが、司令が機甲虫の危険性を熟知していないと思うか? 今回の任務がただの偵察である以上、無理に身構える必要はないよ」
「本当に……ただの偵察なのでしょうか」
小隊員が口にした言葉。それを耳にし、クリスタはぴくりと肩を揺らす。
「クラスタ隊長も、司令と機甲虫との間に繋がりがあるという噂を耳にしたことがあるでしょう? 仮にそれが真実だとすれば、我々は機甲虫の巣穴に誘導されているのでは?」
「馬鹿馬鹿しい」
小さなため息を漏らすと、クリスタは小隊員を睨みつけながら、言う。
「司令が何度機甲虫の襲撃を退けてきたか、貴公も知らぬわけではないだろう。魔導師四人と破壊してきた機甲虫の数とでは、明らかに釣り合いを取ることが出来ないよ。第一に、司令が機甲虫に肩入れをするメリットはなんだ。金か名誉、それとも地位か? 虫が、司令にそれを与えるというのか?」
「それは……」
「私たちが行っているのは戦争ではない。食物連鎖、自然の摂理。そこには個人が利益を得るための策略など存在しないよ」
Acceleration
それだけを言い残し、クリスタは魔導機杖を用いて【加速】。先行するリーゼの下に急行する。
「すまんな、クリスタ。私の尻拭いをさせてしまい」
「聞こえていらしたのですか?」
隣に並んだとたんリーゼが発した言葉に、クリスタは少しだけ驚いた表情を浮かべてしまう。
「ああ、外部電源(魔導機杖)を使用している時ならともかく、内部電源に切り替えている時はどうしても感覚の鋭さが増してしまう。クリスタ、悪いが杖への給魔作業を頼む」
「了解しました。ですがフルチャージとなると時間がかかりすぎますし、二十パーセントほどでよろしいでしょうか?」
「そうだな。それで頼む」
「わかりました。では司令はこの上で休んでいてください」
Terminal
【端末】がリーゼの足元に六角形を形成し、
Wall
魔導機杖の力を用いて【壁】を展開。粗末な作りの足場を作り出す。
「端末によって壁の枚数を増やして足場を形成。簡易的な乗り物というわけか。なるほど、面白いものを考えつく」
「まだ実験段階の代物ですが、上手くいけば地表調査を行う者の足として利用できるはずです。もっとも、こんな形で役に立つとは思いませんでしたが」
背負い込んでいたランドセルにリーゼから手渡された魔導機杖を接続すると、表示されたディスプレイ画面からクリスタはマナ補充を選択。給魔を開始する。
「内部電源は極力用いず、この上で大人しくしていろと。まあマナを無駄に消費するわけにはいかないのだからやむをえんか。言葉に甘えさせてもらうとしよう」
端末が作り出した足場に降り立つと、リーゼは大人しく身体を休めることにする。足場の速度は上々。下手な魔導師が扱う飛翔の術式より、よほど素早い移動が出来るだろう。
「なるほど、悪くない。だが飛翔と違って小回りが利かないのが難点だな。さらに端末との併用を前提とした術式。魔導機杖が八つの構築式しかインストール出来ない以上、あまり実戦向きではないか」
「そうですね。どちらかと言えば作業用の術式かもしれません」
魔導師が術式を扱うために用いられる魔導機杖。機甲虫の術式発動器官を参考に作られたそれは、機甲虫と同じく最大で八つの術式しか発動させることが出来ない。インストールという性質上、上書きや消去することで構築式自体は自由に書き換えられるものの、それでも搭載する術式は自然と厳選されていってしまう。
飛翔と端末・壁を併用した術式はどちらも飛行の能力を備えているが、構築式の搭載数に限りがある以上、扱い易く数が少ない方を選ぶのが道理だろう。
しばらく飛行を続けた後、先に口を開いたのはリーゼの方であった。
「ところでクリスタ。先ほど放った閃光のこと、改めて礼を言っておく」
「それには及びませんよ。司令の事情がご子息や他の魔導師に知られれば、面倒事が起きるのは目に見えています。私は、近衛魔導師として当然の行いをしたに過ぎません。それよりも司令、ご子息、あのまま艦に帰艦させてよろしかったのですか?」
「ああ。レムは私の指示を忠実に貫いていた。あれならば、誰かが余計な事をしない限り問題はないよ」
「なるほど。しかし、ご子息をご自分の意思どおりに動かすつもりなら完全――」
「頭を、潰されたいか?」
「も、申し訳ありません。失言でありました」
リーゼの機嫌を損ねてしまったことを悟り、これ以上ご子息を話題に上げるべきではない。と、クリスタは頭を切りかえる。
「ところで司令。小隊員の言葉を借りるわけではありませんが、このまま巣穴に接近し続けるのは危険が大きすぎるように思います。幾ら偵察といえ、これ以上は……」
「心配するな。目的地にはすでに到着している」
そう言って、リーゼは端末で作り上げた足場を下降。ゆっくりと地面に降りていく。
「目的地? ここがですか?」
リーゼに続いて、クリスタを含めた一小隊の魔導師たちも飛翔の術式を停止。地表に両足を下ろす。
「……? 特に異常はないように思いますが」
視界いっぱいに広がるのは、雑草の一本すら見当たらない乾燥した大地。干乾びた枯れ葉や木の枝が、風が吹くたびにかさかさと地面を転がり続けていた。
地面を形成するのが砂の粒だからだろう。一歩足を踏み出すたび、ブーツが砂の粒で滑りそうになってしまう。
「ふむ、目視では見当たらんな。クリスタ、私の魔導機杖を」
「あ、はい」
リーゼに急かされ、クリスタは給魔作業を行なっていた魔導機杖をランドセルから取り外す。
Map
魔導機杖を受け取ったリーゼはディスプレイに周辺の【地図】を展開。
Search
現在座標を確認し、周囲を【探索】し始める。
「小隊長は私の護衛、他の魔導師は周囲を警戒。何か異常があれば私に知らせるように」
「と、言うことだ。貴公ら、索敵は任せたぞ」
がしゃりという金属音を奏で、魔導機杖を片手にクリスタはリーゼに同行する。
練り上げたマナを昇華し、その純度を向上。魔導師の待機時のセオリー(定石)を行いながら、クリスタは何気なく地表に視線を傾け、瞳を凝らす。
リーゼが探索しているものの詳細を教えてくれない以上、マナの昇華と警戒ぐらいしか行えることがなかったからだ。
灰色の砂粒や小石のなかに混じる銀色の破片。そこにあるのは地表のどこにでもありふれた、当たり前の景色ばかりであった。
「やはり死骸は見つかりませんね。散らばっている破片も、甲殻の一部のようですし」
「構わんさ。構築式の理論が確立している以上、もはや死骸を確保する必要はない」
構築式を元に術式という力を作りだす機械仕掛けの杖、魔導機杖。
それは魔導師が機甲虫に対抗するための必需品であるが、そもそも、この構築式を作り上げたのは人間の側ではない。
マナという特殊なエネルギーをいち早く体内にとり入れ、地上を蹂躙した者。いや、虫がいたからだ。
「生体機能の停止と同時に爆発し、体内の器官を残らず溶解させる。虫たちが見せるあの奇妙な特性は、我々が魔導機杖を手にしたからなのでしょうか」
「私とて機甲虫の全てを把握しているわけではない。が、恐らくはそうだろうな。外敵に技術や情報を与えぬための特殊な進化。いや、この場合は環境に適応したと言うべきか」
機甲虫の特徴と言うとその巨体や鋼鉄の見た目に注目が集まりがちだが、彼らの最も突出している点はまず間違いなく、その適応能力の高さにあるだろう。
環境の変化に適応するため、機甲虫は他に類を見ないほどの速度で独自進化を行い続けているのだ。
「検索の術式に反応あり。こちらだな」
魔導機杖を通して映し出していたディスプレイ画面に赤色のマーカーが表示されると、リーゼはそれを目的地に設定。ゆっくりとした歩幅で歩きだす。
「これは……」
リーゼに同行していたクリスタが思わず硬直してしまったのは、荒廃した地面に、何とも形容しがたい形をした生き物が横たわっていたからだ。
体長は四メートルか五メートルほどだろう。頭部はナイフの切っ先のような流線型をしており、胴体部にかぎ爪の取り付けられた二対の腕が生えている。脚は昆虫で言う腹部にあり、左右それぞれに四本ずつ。脚の先端は棘のように鋭く尖っていて、幾つか『反し』が取り付けられていた。
流線型の頭部にはひび割れが入っており、隙間から、機械の組み込まれた内部組織を見ることが出来る。
Search
奇妙な生き物に驚き、クリスタはすぐさま【検索】の術式を用いてその正体を探ってみる。が、
「アンノーン。該当データなしだと……」
見慣れない文字の羅列を見、クリスタの目つきが訝しげなものに変わる。
検索という術式は魔導機杖内部のデータだけでなく、方舟内に存在する総合データベースにアクセス。そこから必要な情報を順次引き出せるようになっている。
レムが石油に関する情報を検索の術式で調べていたのもそのためだ。
検索の術式に引っ掛からないということは、総合データベースにすら情報が存在しないということになるが、リーゼはこれを検索した。
つまりリーゼ自身、あるいはリーゼの魔導機杖は、これの正体を突き止めているということだ。
「この生き物、尾が切断されていますが、元々は尻尾でも生えていたのでしょうか?」
「ああ。尻尾というより、排卵の際に用いられる巨大な筒だがな」
方舟の総合データベースにすら記録されていない情報。それを、リーゼは淡々(たんたん)と語り続けていく。
「この固体は通常、日に五十~六十ほどの卵を産み落とす。その中の一割が成虫となり、我々が一般的に機甲虫と呼ぶ個体。兵隊へと成長を遂げる」
「兵隊?」
「ああ。社会性昆虫の一種である機甲虫は異なる役割を持つ幾つかの種が存在し、それらが一つに合わさることでコロニーを形成。秩序を持った集団生活を送るようになる。兵隊は集団生活の主軸を支えるものたちで、防衛型と侵略型の二種類に分かれている。ちなみに多重詠唱の能力を持つのは防衛型の兵隊だけだ。防衛という名前からもわかるとおり、通常、この種の兵隊が巣穴から離れることはない」
「……今は、通常時ではないと」
リーゼの説明を聞いて、クリスタは、先ほどの機甲虫のなかに多重詠唱を行う個体がいたのを思い出す。
「だろうな。新たな女王の巣立ちというこの時期に騎士の不在。奴らは、新たな騎士を確保するため躍起になっているはずだ」
「新たな女王? では、この個体はやはり」
リーゼだけが知識を得ている異質な機甲虫。クリスタはその正体に大よその察しをつけていたが、
「女王だよ。私が機能を破壊した虫の、哀れな末路だ」
リーゼは、その証明となる言葉を口にする。
魔導師となったきっかけ。十三年前の悪夢。
英雄と呼ばれた男の命を奪い、自分の人生を狂わせた機械混じりの虫の長。
自らが仕えるべきだったそれを、リーゼは、複雑な想いと共に見つめ続けていた。
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魔導師や機甲虫が扱う術式という力は、マナの昇華を行うことでエネルギー効率、術式の効力自体を格段に向上させることが出来る。
だが能力を無限に向上させられるわけではない。自分の力だけでない以上、機械の限界が存在してしまうからだ。
例えば検索の術式は八,三0六キロまでしか検索することが出来ないし、情報交換、収集の際に用いられる対話の術式は八,三0八キロが限界範囲である。
つまり、二つの術式の間には0,00二キロ分の死角があるということだ。
0,00ニキロ‐距離にしてわずか二メートル。
そこに身を潜ませていた、一匹の機甲虫。
囮となった二十以上の兵隊と引き換えに、その固体は『適合者』の所在を受信する。それは同時に、『適合者』の居場所が女王固体に特定されたことを意味していた。