Chaste-Wizard 【純潔】【魔導師】
ライトノベルの賞に応募したものの、あえなく落選してしまった
作品です。お蔵入りさせておくのも勿体無いと思い、こちらに
投稿させてもらいました。初投稿作品になります。
小説の感想など、頂けるとありがたいです。
落選作品ということもあり相応の長さがありますので、お時間があるときにでもお読みください。
Remu【レム】
Preface-Imprinting 【序文】【刷込】
僕の父さんは英雄と呼ばれていたらしい。らしい、と言葉が曖昧なのは、一度も父さんに出会ったことがないからだ。僕が生まれてくるよりも先に、父さんはこの世を去ってしまった。
だけど備え持っていた才能や力は、僕にも色濃く受け継がれている。
受け継いだからこそ、僕は今、ここにいるのだから。
Chaste-Wizard 【純潔】【魔導師】
鉄板の敷きつめられた床が軋んだ音を上げるたび、真っ黒な法衣を羽織った少年‐レムは自分の呼吸の荒さを感じずにはいられなかった。
胸に手を当ててみると、心臓がどきどきと波打っているのがわかる。
右手に携えていた銀色の杖を握りなおすと、レムは大きく息を吸いこみ、ゆっくりと吐きだしてみる。
息苦しさは軽くなったものの、心臓の波打ちは一向に治まってくれそうになかった。
「どきどきするような感覚にはいつになっても慣れないけど、」
遠くの方で大きな爆発音が上がり、足元が激しく揺れ動く。
「こういう音や振動で驚かなくなったのは、少しは魔導師らしくなれたからかな」
機械を用いて超常現象を人為的に引き起こす特殊な技術‐魔導。
その魔導によって生み出された機械仕掛けの杖‐魔導機杖を用いて空を駆け、飛翔艦そのものを守る者。それが魔導師と呼ばれる人々だ。
十二回目の誕生日を迎えたばかりの少年としては明らかに異質なことだが、レムは確かに、魔導師という生き方そのものに慣れを感じるようになっていた。
Communication‐Liese Listor
「通信? リーゼさんからか」
魔導機杖の先端が光を放っていることに気づくと、レムは【伝達】の術式を用いて通信を開始。
Image
同時に、【映像】を呼び起こす。
『レム、聞こえているな。作戦復唱。任務の再確認を行なう』
途端、レムの目の前に細身の女性が姿を表す。
深い深い黒曜の瞳。胸まで伸びた、瞳と同じ色の艶やかな長い髪。真っ白な肌は半透明で、女性の立つ向こう側までをぼんやりと見ることが出来る。
むろん、本当に半透明な人間というわけではない。
魔導の術によって作り出された幻影。単なる立体映像だ。よく見れば対話の相手、リーゼもまた、レムと同じように魔導機杖を右手に携えている。
「エンジン付近に取りついた機甲虫を駆除。その後は周辺区域の警戒を固める。で、いいんですよね」
『そうだ。何故虫がエンジンに向かったかは不明だが、万が一エンジンに支障をきたせば艦の運航に関わる大問題になる。何としてもエンジンに危害を加えさせるな』
「わかりました。ところで、エンジンの防衛に回るのは僕一人なんですか? 艦の運航に関わるようなことなら、もう何人か魔導師を向かわせた方が」
『悪いがこちらも手一杯の状態だ。それにエンジン付近に取り付いた機甲虫は三匹。他の者では無理でも、お前ならやれぬ数ではない。命令だ、全てを破壊しろ』
「はい」
レムが頷いたのは己の力に過信しているからでも、絶対的な自身を持っているからでもない。リーゼ・リストールという女性が命令を下したから。それだけのことだった。
『ああそれと、砲撃系統の使用は禁じておく。接近して斬り倒せ』
「……了解」
羽織っていた法衣服の首元を軽く引っ張ると、中に隠れていた酸素マスクが顔を覗かせる。鼻上までしっかりとマスクで覆い隠し、レムは魔導機杖に搭載されている構築式を確認する。
構築式というのは、魔導が発生させる術の設計図のことだ。魔導機杖は設計図を参考に術を組み立てるため、搭載された構築式以外の術は一切発動させることが出来ない。
「【剣】と【障壁】。使えそうなのはこの辺りかな」
近接戦闘に使えそうな構築式を確認すると、レムは指先にぎゅうっと力を込めなおす。
「白兵戦はあんまりやったことがないけど、戦ってるうちに慣らしていけばいいか」
呼び起こした構築式を用いて魔導の術‐術式を発動させると、杖の先端に術の効力を示す文字が浮かび上がってくる。
Soar
魔導機杖から放たれた光が、レムの身体をゆっくりと包み込む。重力という重たい鎖から解放されたことで、身体が軽くなったのだろう。
鉄板を蹴り上げて、
「レム・リストール。出ます」
レムは【飛翔】する。
同時刻。飛翔艦‐方舟の艦内。居住区。
「ねえおかあさん、そろそろ大丈夫なんじゃないの?」
「だーめ。避難勧告が出ている間はシェルター内で待機しないといけないのは、ミュウもよく知っているでしょ」
母親‐シエル・アシュホードからそんな風に釘をさされ、ミュウ・アシュホードはつまらなそうにドアノブから手を離す。
防火、防音機能を備えた分厚い金属板に守られているおかげでシェルターの内側は静かなものだが、反面、とても退屈な場所でもある。
おまけにミュウの自宅のシェルターは電力消費を抑えるために明かりが弱められており、室内は全体的に薄暗い、暗澹とした雰囲気に包まれている。避難勧告発令中はシェルターに入らないといけないとわかっていても、こんな暗くて何もない場所に長時間閉じ込められ続ければ、ミュウでなくとも嫌気がさしてしまうだろう。
「あーあ。どうせ避難勧告を出すなら、学校にいるときに出してくれればよかったのに。そうすれば授業時間が少なくなって――」
「ミュウ?」
「う、うそうそ。冗談だっておかあさん」
慌てて両手を振りだす我が子の姿に、シエルはつい、「はぁっ」とため息を漏らしてしまう。
シエルたちが住まう飛翔艦‐方舟が艦内に機甲虫の侵入を許したのは、今から十三年も前の出来事だ。その時を最後に方舟は以後、鉄壁の守りによって機甲虫を退け続けている。
直に機甲虫の脅威に晒されたことのない今の子供にとっては、避難勧告は退屈な時間を告げる合図でしかないのだろう。
だからこそ、居住区の建物全てにシェルターが取り付けられていても不思議に思わない。
今を、当たり前に受け入れてしまっている。
「まったく、平和すぎるというのも考えものね」
「あ、」
そう口にすると共に、ミュウの表情がぱっと明るいものに変わる。どうやら何かを思いついたらしく、大急ぎでシエルの傍に駆け寄ってくる。
「ねえねえ。おかあさんの魔導機杖、ちょっと貸してもらっていい?」
「いいけど、壊したりしちゃ駄目よ」
「大丈夫。大丈夫。ちゃんと気をつけて使うから」
魔導機杖は兵器ではあるものの、その利便性は従来の電子機器とは一線を為している。そのため武器にならないよう大幅に出力制限のかけられた杖なら、居住区に住む民間の人々でも簡単な書類手続きを行うだけで購入することが出来る。もちろん、けして安い買い物ではないが。
「よーし。いくよ」
自分を鼓舞するように声を上げ、ミュウは魔導機杖を起動させる。
魔導機杖に搭載されている力の源。マナを燃焼させてエネルギーに作り変えると、ミュウはそれを吸い上げ、自分の体内で練り上げていく。
と言っても、粘土のように本当にこねくり回すわけではない。動物が発するフェロモンがそうであるように、マナもまた、見たり触れたり出来るものではないからだ。
あくまでも、頭のなかに情景を思い浮かべているだけ。
魔導機杖内部の構築式を呼び起こし、ミュウは術式を発動させる。
Image
術式の効力を示す文字が浮かび上がり、魔導機杖の先端から料理を作る男性の【映像】が映し出される。写っているのはミュウの父親と幼いころのミュウ自身。ミュウが三歳くらいのところを見ると、十年近く前の映像なのだろう。
「また見るの? あなたも飽きないわね」
「うん。だって技術は盗むものなんでしょ。だったらしっかり見て勉強しないと」
シェルターの内部にいるにも関わらずリラックスした様子のミュウを見ていると、シエルは時々忘れそうになってしまう。自分たちが、機甲虫という脅威に晒され続けていることを。
「まあ、それだけこの船を守る魔導師が優秀ってことか」
ミュウの後ろに回りこむと、シエルはミュウの身体をぎゅっと抱きしめる。
「わ、どうしたのおかあさん。急に」
「ふふ、ミュウがあんまり可愛かったからついね」
ぎゅーーー。
「く、くるし。おかあさん。息が――」
「あら、ごめんなさい。やりすぎちゃったわね」
ぱっと手を離し、シエルはミュウの金色の髪をそっと撫でる。
「さ、もう少しここでじっとしていましょ。リ……魔導師さんも他の人たちもみんな、私たちを守るために頑張ってくれているだろうから」
方舟とは地上を追われた人々が住まう、居住を目的に製造された大型飛翔艦のことである。
記録によれば数百年前に何百隻もの飛翔艦が建造されたらしいが、現存する飛翔艦の数は全くの不明。というのも大気中に満ちあふれるマナの影響で磁場が乱れ、長距離通信を行えなくなってしまったからだ。
「魔導師一人のみを向かわせるか」
艦長の椅子に腰掛け、モニターに表示された艦外映像に目を傾けているのは初老の男性。
歳は六十を過ぎた辺りだろう。口元に伸びた髭からは色素が抜け落ち、灰のような、白のような色に変色してしまっている。
「はい。先ほどレムに伝えたとおり、エンジンに支障を来たすことだけは避けねばなりません。中途半端な魔導師を送りエンジンに誤射されたでは、目を当てることすら出来ないでしょう? クリスタの隊を向かわせるという手もありますが、それではブリッジの護衛を務める魔導師がいなくなってしまいます」
答えたのは、先ほどレムに指示を送っていたリーゼ・リストールという名前の女性だ。
瞳にかかりかけていた長髪を鬱陶しそうに指で払い、紅色の魔導機杖を片手に携えたまま、モニターの映像に目を光らせ続けている。
「それに、レムも一人きりの方が動きやすいはずです。小隊を組まず単独戦闘に特
化した魔導師。あの子がそうであることは、艦長もよくご存知ではありませんか」
「ふむ。しかし子供に頼るというのは」
「艦長、失礼ながらレムに関しては――」
「ん、そうだったな。魔導師隊に対する全権をそちらに委ねている以上、こちらが口を挟むことではないか」
艦長‐プロイア・リヴァルはその立場上、魔導師や術式に関する知識を備え持ってはいる。だがそれはあくまで書物を読み漁った程度に過ぎず、専門家には遠く及ばない。
魔導の知識に長けたリーゼがレム一人を向かわせた以上、魔導師の単独行動がこの状況下での最善なのだろう。
「対象、三匹ずつに別れ上下にばらけました」
「第八、第四の小隊を迎撃に向かわせろ。ひとまず艦から引き剥がせ」
オペレーターの青年とプロイアが声を張り上げる最中、リーゼはコンソールを叩く金髪の女性の傍に歩み寄る。
女性の前に映し出された小型のモニターには、彼らが機甲虫と呼ぶ存在が映し出されていた。
「相変わらず、胸糞の悪くなる見た目をしているな」
鋭く伸びた二本の牙。金属によって形成された頑強な甲殻。
人間の足に相当する六本の節は体内に収納されており、半透明な翅がぎちぎちぎちぎちと耳障りな翅音を立て続けている。
「虫が苦手なんて、天下のリーゼ様にも可愛いところがあるんですね」
「冷やかすなシャルル。そういう貴様はどうなのだ?」
「まあわたしも虫は苦手ですけど、機甲虫は何とか平気ですね。銀ぴかに光ってて目もないし、もう虫の原型なんてほとんど残ってないじゃないですか」
「目がないわけではないだろう」
「生き物にモノアイがついてるからって、それを目って言うんですか?」
「……それもそうか」
シャルルと呼ばれた女性がそんな言い方をするのも無理はない。なにせ機甲虫の全身は金属物質で構成されており、本来目があるはずの部分には不気味なモノアイが搭載されているのだ。
「熱源、音源を感知するためのセンサー。マナを体内に取り込む器官に、火薬袋まで備わっているって言うじゃないですか。これ、本当に生き物なんですか? わたし、今でも信じられないんですけど」
「私は生物学者ではないのだ。そんなことを聞かれても知らんよ。ただ見た目はともかく、生態自体は太古から存在していた形式らしい。社会性昆虫。蟻や蜂と同じ、女王を頂点とする形式だ。一つの巨大な巣穴を作り、女王はそこで産卵を繰り返す。成長した子供はやがて働き蜂となり、巣に住まう女王のために餌を運ぶ。最も、あれは蜂ではないが」
「蜂って、居住区の農園で飼育されている黄色い小さいのですよね。機甲虫も、あれぐらい小さければ可愛げがあったのに」
「こいつ等がそれほど小さな生き物なら、人間が空に逃れる必要などなかったさ」
昆虫に属する機甲虫の姿を艦外カメラで捉えることが出来るのは、カメラの倍率が高めに設定されているからではない。
単純に、機甲虫が虫としての常軌を逸した大きさを誇っているからだ。
頭部に持つ牙だけでも二十センチ以上あり、体長は二メートルを上回る。
何故一種の生物だけがここまで異質な進化を遂げたのか。その理由は不明だが、この虫によって人間が空に追いやられたことだけは紛れもない事実であった。
モニターに表示する静止画を切りかえていくうち、赤い不着液のついた機甲虫の画像が現れる。口元に当たる部分に肌色の付着物がついていて、シャルルはその正体に気がついたのだろう。目を細め、反射的にモニターから目をそらす。
「たんぱく質はエネルギー変換率に優れた栄養分だ。身体が大きくなればなるほど、それだけ多くのエネルギーが必要になる。巨大化した虫が肉を食らうようになるのは、ある意味では必然だな」
シャルルとは対象的に、リーゼは表情を歪ませすらしなかった。
「シャルル、お前の仕事は映像解析だろう。何時までそんな事をしているつもりだ」
「す、すいませんリーゼさん。でも、少し待って……」
ハンカチを口に当てたまま俯いているシャルルに目をやると、リーゼはふうっとため息を漏らす。
「それにしても虫どものこの動き、肉を求めているにしては」
食料の確保よりも飛翔艦周辺の旋回を優先しているような動き。
その奇妙さを目の当たりにし、リーゼの脳裏に一つの予感がよぎる。が、
「リーゼ司令」
先ほどプロイアと言葉を交わしていたオペレーターの青年に声をかけられ、どうした? と、リーゼは気持ちを切り替えそちらに振り返る。
「レムがエンジン付近に取り付いた用ですが、映像、回した方がいいですか?」
「ん、そうだな。頼む」
「了解しました。映像、回します」
オペレーターの青年が答えると、リーゼの手前にあった小型モニターの映像が別のものに切り替わる。
真っ黒な法衣服を羽織った少年が、モニターの向こうを飛び去っていった。
「こちらには、まだ気づいてないか」
リーゼの指示に従いエンジン付近に取り付いたレムは、周辺を飛行していた銀色の一つを視界に捉え、構築式を呼び起こす。
Sword
魔導機杖の先端に文字が浮かび上がり、術式が発動。握り拳ほどの大きさの円筒に杖の形状が変化する。円筒の先から青白い光が伸びて、【剣】の刀身が形成されていった。
機甲虫の頭上に移動すると、レムは刃の切っ先を真下に傾ける。
風を裂く鋭い音に続いて、じゅわりという溶解音が中空に響き渡る。
「不意打ち、成功かな」
光の剣は機甲虫の甲殻を溶かし胴体部を貫通。機甲虫の体液を沸騰、蒸発させてしまう。
「……来た」
Soar
自由落下のために停止させていた【飛翔】の術式を再び発動させると、レムは刃を引き抜いて機甲虫の背中から飛び降りる。
レムが刃を突き刺していた固体が別の機甲虫に吹き飛ばされたのは、その直後の出来事であった。
「相変わらず、仲間意識なんてゼロか」
吹き飛ばされた機甲虫の身体から小さな火花が上がり、続けて、大きな爆発が巻き起こる。
Sphere-Protection
爆風から身を守るため、レムは【球体】【障壁】を周囲に展開する。
障壁全体が上下に激しく揺れて、立ち昇る黒煙と熱気が障壁をみるみるうちに包み込む。
あっという間に、視界が利かなくなってしまう。
直後、ガラスが割れるような音が響き渡った。
張り巡らせた障壁が、機甲虫に突き破られたのだ。
「さすがに、体当たりまでは防げないか」
Sphere-Protection
機甲虫の攻撃を紙一重でかわすと、レムは即座に【球体】【障壁】を張りなおす。
「でも、タイミングをずらすことは出来たから」
機甲虫を正面に捉えられる位置に移動すると、レムは体内でじっくりとマナを練り上げる。
術式の効力はマナの質に比例するため、マナを練り上げて質の向上‐昇華を行えば、その分だけ支払う代価を少なく、効果を大きくすることが出来る。
真正面に二メートルを超える巨体が迫り、
Protection
予め展開しておいた【障壁】にマナを昇華して作り出した二枚目を重ね合わせ、レムは強度を倍増させる。
機甲虫は二枚に増えたガラスを力任せに叩き割り、
光で出来た刀身に自ら飛び込んでいった。
身体一つ分、レムが下降していたからだ。
高温の刃が機甲虫の身体を溶かし、真っ二つに切断する。
後方で、機甲虫の爆発音が響き渡った。
「これで二匹。後は――」
周囲をぐるりと見渡し、レムは最後の一匹を目で追いかける。その機甲虫は、他がやられているうちに戦線から離脱しようとしていた。
「見つけた」
Acceleration
最後の一匹を捉えると、レムは【加速】の術式を発動させる。。風を切り裂きながら急接近。追いつき、刃を振り下ろす。
先ほどと同じ。光の剣が機甲虫の甲殻を溶かし始めて……。
「熱っ!」
絶縁体の部位が傷付き、体内で漏電現象が巻き起こったのだろう。火花が爆ぜて、衝撃に驚いたレムは剣を手前に引いてしまう。光によって形成された刀身が金属に食い込むはずもなく、触れた部分を溶かしながら、あっけなく甲殻から剣が抜け落ちる。
「しまった……けど、逃がさないっ」
その場から離脱しようとする機甲虫に向けて、レムは剣を構えなおす。と、機甲虫は突如反転。エンジンに向かって一直線に突き進む。
やけくそにでもなったのか、それとも漏電によってどこかの部位が故障したか。いずれにせよ、今から加速を使おうと追いつくのは難しいだろう。
『全てを破壊しろ』
リーゼが言っていた言葉を頭のなかで復唱し、レムは構築式を呼び起こす。
「心臓部を撃ち抜いて、その場で爆発を引き起こせば……」
焦る心を抑えながらマナを練り上げ、レムは昇華を開始する。
Fire-Sphere
人間一人を丸々飲み込めるくらい巨大な【炎】の【球体】。みるみるうちにそれが凝縮されて、ついには手の平で押さえ込めるほど小さな球に姿を変える。
もちろん、火力そのものは変わらぬままに。
前方を飛ぶ機甲虫に狙いを定め、
Acceleration
【加速】を重ねあわせた火球を、レムは魔導機杖の先端から発射する。
凝縮された炎が弾丸のように空を切り裂き機甲虫の胴体部を貫通。空中で爆散する。
「よし、対象の駆除完了」
機甲虫の爆発を確認すると、レムは魔導機杖を操作して【飛翔】以外の全ての術式を停止させる。
「けど、任務自体は失敗か……」
廃熱ファン、廃魔ファン。それぞれの回転数を上げて魔導機杖にかかっていた負荷を減少させると、レムは落ち込み気味に言葉を呟いていた。
レムがリーゼから帰艦命令を受けたのは、エンジン周辺の害虫駆除を終えて、しばらく周囲の警戒を行ない続けた後の出来事だ。
結局あの後、新手の機甲虫がエンジン周辺に姿を表すようなことはなく、そうこうしているうちに、方舟に襲来した機甲虫は他の魔導師によって残ら駆除されてしまった。
機甲虫が全滅した以上エンジンの守りを固めておく必要もなく、レムは帰艦命令に従い、方舟の艦内に戻ってきたというわけだ。
「や、お疲れ様。本日も大活躍だったみたいだね」
帰艦したレムを出迎えたのは、リーゼと言葉を交わしていた映像解析班の女性‐シャルル・フリージアであった。
金色の髪は短く整えられていて、両耳に取り付けられた金の耳飾りが、蛍光灯の明かりをきらきらと眩く反射させている。
「はい、ただいま戻りました。ブリッジの方は大丈夫だったんですか?」
「うむうむ。こちらは何ともなかったよ。しかしレムもよくやるね。わたしなんか機甲虫一匹が相手でも怖くて何にも出来ないだろうに、あんなにたくさんやっつけちゃうなんてさ。さすがは英雄の血筋って感じだ」
「それは……まあ」
「あーあ。それにしても今回の奴らは何だったんだろうね。ちょろちょろ方舟の周りを飛び回ってばかりでさ。普通、機甲虫ってもっと積極的に襲いかかってくるものでしょ? あれじゃ、まるで観光に来てたみたいだよ」
機甲虫にはセンサーに引っ掛かった生き物を最優先で攻撃するという習性が備わっている。性格がどうこうでなく、機甲虫という生き物自体がそういう風に出来ているのだ。
そのため多数の魔導師が飛び交っている最中、魔導師に目もくれず方舟の周囲を飛び回るなど、本来なら絶対にあり得ない行為であった。
「確かにこの艦には氷の女王やちびっ子魔導師、わたしっていう絶世の美女まで乗ってるわけだから、好奇心が本能を上回ってもおかしくな――痛っ」
「何を訳のわからないことを言っている。無駄話をしている暇があるなら、さっさと映像解析に移れ馬鹿者」
いつの間に来ていたのだろう。拳骨を叩きこむと、リーゼはシャルルに向け、罵声を浴びせかけていた。
「わ、わかってますよ。まったくもう、口で言えばそれですむ話なのに。これだから女王様は」
「うっ。そ、それじゃレム。またね」
冷ややかな眼差しを女王から向けられ、シャルルは逃げるようにその場を後にする。
「さてと」
シャルルが立ち去り、冷ややかな眼差しが、今度はレムに向けられる。
「砲撃系の魔法は使うな。私はそう命じていたはずだが、どういうつもりだ?」
「すいませんリーゼさん。でも、」
「ああしなければ虫にエンジンを破壊されていた。か?」
両手を胸の前で組みなおすと、リーゼはレムが口にしかけていた言葉の続きを述べる。
「そうだな。確かにその可能性は高かった。あの状況単体での判断としては、適切だったと言えるだろう。だがそもそもお前が撃ち損じなければ、あのような強攻策を取る必要はなかった。違うか?」
「…………」
レムは否定も肯定もしない。俯いたまま、ただただ、リーゼの言葉に耳を傾けるだけだった。与えられた命令を遂行出来なかった以上、何を言おうと言い訳になってしまうだけ。
レムは、そういう風に考えているのだろう。
「まあいい。今更何を言おうと、すでに過去の出来事だ」
そう言って、リーゼはレムの頭に手を触れようとする。
「機甲虫の甲殻は、いわば分厚い装甲板のようなもの」
が、レムの頭に伸ばしかけていた手の平を戻し、リーゼはレムから視線をそらす。
「多少傷つけた程度では足止めすら出来ん。確実に仕留められるよう、訓練を重ねておけ」
言うべき言葉を言い終えると、リーゼはその場を後にしてしまう。
顔を上げて「はい」と頷こうとしたレムとは、目を合わせようとすらしなかった。
英雄‐シオン・リストール。魔導師隊の総指揮を務める女性、リーゼ・リストール。
幼いレムが機甲虫との闘いに身を投じている理由は、これら両名の血を引いていることに他ならなかった。
いわばレムは魔導師のサラブレッド。
魔導師という役職が機甲虫と戦うためにある以上、当然、サラブレッドたるレムに注がれる期待はその部分に集中する。才能の全てが血統で決まるわけではないが、親が特別である以上、子に集まる期待が常人を上回るのは必然だろう。
だからこそ、期待に答えなければいけない。答える義務がある。
レムがそのように考えているのは、周囲から注がれる期待を理解しているからこそであった。最も、義務感を意図的に植えつけたわけではない。とは言い切れないのだが。
「多少傷つけた程度じゃ虫の足は止められない。だから確実に仕留められるようにする」
第二魔導演習場と呼ばれる、魔導師が訓練時に使用する大広間。
帰艦命令を受けた後、一息も付かずレムがそこに向かったのは、訓練を重ねるようにリーゼから言い聞かせられたからだ。
演習場の内部はひどく殺風景で、入り口の隣に設置された管制室以外にめぼしいものは見当たらない。ただただ、何もない空間が広がっているだけである。
「まずは……上か」
自分より遥かに高い位置にターゲットマーカーが出現したことを確認すると、レムは急上昇し、剣を用いて素早く焼き落とす。続けて、斜め下のターゲットに刃を振り下ろす。
正面、真下、背後……。
ターゲットが三百六十度の方向を問わず現れるのは、魔導師の主戦場が空中という広大な空間そのものにあるからだ。
従来の訓練施設に比べて魔導演習場の天井が遥かに高い位置に作られているのも、訓練の重点を空中戦に置いているからだろう。
「次は――。ん、」
ターゲットの破壊を繰り返しているうち、レムはマナの残量を表すメーターの針がEmpty一歩手前を指していることに気づく。
魔導機杖はマナを燃焼させることで術式に必要なエネルギーを作り出すのだから、マナが底をつけば、白兵どころか飛翔の術式すら発動出来なくなってしまう。
(マナが無くなったら終わりにするかな)
そんなことを考えながら、レムは刃を振るい続けていた。
「ふむ。何やら騒がしいと思って来てみれば」
そんなおり、どこからか男性の声が聞こえてくる。レムが声の方向を見下ろすと、演習場の入り口に紺色の上着を羽織った初老の男が立っていた。
一目見てレムが目を丸くしてしまったのは、その人が、黒色の艦長帽を被っていたからだ。
「艦長? どうしてこんな場所に」
「どうして? 先ほど説明したであろう。何やら騒がしいので顔を覗かせてみたと」
「あ、申し訳ありません。ひょっとしてうるさかったでしょうか?」
「うん? いや、気にする必要はないよ。ただ、先ほどまで外で戦っていたと言うのに今度は演習場。少々気を張りすぎているように思ってな」
「いえ、これぐらい何ともありません。白兵戦は不慣れなので、少しでも身体を慣らして、遅れを取らないようにしておかないと」
レムがそう答えを返すと、艦長‐プロイア・リヴァルは「ふむ」と顎に手を当てる。
「身体を慣らすのは結構だが、術式とは魔導の構築式に従い、術者やその周辺で超常現象を引き起こすのだろう?」
「……? そうですけど、それが何か」
「術式は術者とその周辺にしか効力を与えない。であれば術者が魔導機杖である以上、小さな子供が白兵戦で遅れを取るのは必然ではないか? 魔導の術を用いようと、身体が丈夫になるわけではないのだろう」
魔導の力で人体に直接の影響を与えることは出来ない。それは魔導師にとって常識と言える事柄であった。そもそも身体を鋼鉄のように硬く出来るなら、障壁などというまどろっこしい方法で魔導師が身を守る必要はないのだ。
「でも、リーゼさんは確実に仕留められるよう訓練を重ねろって言ってたから」
もちろん、魔導の力で肉体強化が出来ないことをレムが知らないわけではない。けれどリーゼに訓練を重ねろと言われた以上、レムはそれに従うより他になかった。
「リーゼさん……か」
「どうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ。ただ、少々酷く感じただけだ。エンジンの守りを魔導師ただ一人に任せ、その魔導師は立派に任を果たした。にも関わらず褒めるどころか叱りつけて訓練漬けとは」
「いえ、命令通りに動けなかったのは事実ですから」
Soar
くるりと踵を返し、レムは【飛翔】の術式を発動させる。空中に浮かぶターゲットを捉えると、剣を振り上げて再度破壊し始める。
何処に現れようと関係ない。三百六十度全ての方向が見えているかのように、レムは次々にターゲットを斬り落としていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふむ、よく動く。リゼの言っていた通り、空間把握能力やマナの昇華速度は常人とは比べ物にならんな。両親から受け継いだ天賦の才を磨きぬいた結果か、あるいは、起きるはずのなかった奇跡の賜物か」
空中を縦横無尽に駆け回るレムを見上げながら、プロイアはそんな言葉を呟いていた。
「強大な力を手にしていながら本人に慢心はなく、尚高みを目指し続けている。さすがはサラブレッドといったところか」
サラブレッドとは、血統だけでなく育つ環境も含めて完璧であることを示す言葉である。
純血と言う意味を持つ、人が創り出した最高の芸術品。
「……複雑なものだな。艦長という立場からすれば、ありがたい存在ではあるが」
レムがサラブレットとなり得たのは、母親であるリーゼがそれを望み、幼い頃から特異な環境のなかに放り込んでいたからだ。
だからこそ、レムは創り出された。
機甲虫と戦うためだけの存在。純潔の魔導師として。
「うん。やっぱり外の方が気持ちいい」
自宅の真下。地下施設に設置されたシェルターから地上に上がってくると、ミュウは両腕を広げて大きく伸びをする。
どれくらいシェルターのなかにいたかわからないが、空に浮かぶ人工太陽が西側に大きく傾いているところを見ると、相当の時間が経っているのだろう。
「そうね。日落とし前に避難勧告が解除されてよかったわ。ミュウ、私は洗濯物を取り込んでくるから、お店を見てきてもらっていいかしら。夕方から降水確率を高めに設定するって言ってたから、念のためにしまっておかないと」
「え、雨を降らせる人も避難してたんでしょ。それなのに雨が降ってくるの?」
「ええ。私も最近知ったんだけど、人工降水機って人が操作しなくても、時間が来たら自動的に雨が降るようになっているらしいの。だから避難勧告が出されても、機械が止まってないと普段どおり雨が降ってきちゃうのよ」
方舟に住まう人々が生活している居住区は地上での暮らしを忘れぬよう、極力、地上の街並みを再現した作りになっている。
人工太陽と呼ばれる照明を用い、密閉空間に昼夜の概念を取り入れているのもそのためだ。ただ艦内という都合上、どうしても再現できない部分が存在してしまう。そのうちの一つが気象。天候に関する事柄だ。
居住区に存在する植物や多くの小動物のためにも、艦内全体の湿度を適度に保つためにも、居住区には定期的に大量の水を放水しておかなければならない。そのために人工降水機、人為的に雨を降らせる装置が作り出されたのだが、意図的に雨を降らせる行為は思わぬ弊害を生み出してしまった。
人工降水機が製造された当時、気象庁は降水スケジュールを作り上げ何時からどれだけの量の雨を降らす。と、スケジュールの一般公開を行なった。すると○日は家族で買い物に出かけるから雨を降らせないで欲しい。○日は彼の家に行くから、泊まれるように夕方から大雨を降らせて欲しいと言った、非常に個人的な要望が気象庁に相次ぐようになっていったのだ。
気象庁が降水スケジュールを変更するつもりはないと発表すれば、横暴だ、気象の独占だと一部の人々が騒ぎたて、多くの一般市民も降水予定の時間帯は室内に閉じこもるようになってしまった。人の出入りは商品の売り上げに直結する。そのため商店から組織的な抗議が連日行なわれるようになり、気象庁はついに降水スケジュールの発表形式を大幅に変更。従来の天気予報に似た、何%の確率で雨を降らせるという措置を取るようになっていった。
店先にやってくると、ミュウは真っ先に窓を開けて上を見上げてみる。居住区の天井には青色の空が映し出されているだけで、雨など降る気配すら感じられなかった。
「ほら、やっぱり雨なんて降ってこないよ。本当におかあさんは心配性なんだから」
換気扇のスイッチを入れると、ミュウは調理場に置きっぱなしになっていた赤色のほうきを掴み、店内の砂や埃を掃きだしていく。木製の椅子の位置を調整し、テーブルの上に置かれていた花瓶の水を入れかえる。
ミュウの母親‐シエルが経営する料理店は非常に小さな作りをしており、店内に設置されているテーブル数もわずかなものである。
料理店と言っても従業員はミュウとシエルの二人だけなので、これぐらいの数で手一杯というわけだ。
「よし、綺麗になった!」
厨房の端に置かれた掃除用具を入れるためのロッカーにほうきを戻すと、ミュウはレジに取りつけられた黒椅子に腰かける。
「あとはお客さんが来るのを待つだけだね」
白を基調とした店内にごみ一つ、埃一つ落ちていないのは、毎朝の掃除をミュウが欠かさず行い続けているからだ。
店先に多彩な色彩を見せるペチュニアの花を並べたのも、避難勧告が出される直前まで熱心に店内の掃除を行なっていたのも、全てお客さんに対する配慮の表れなのだが、
「うう、全然来ない。避難勧告は解除されてるはずなのに……」
黒椅子に腰掛けてから十数分の時間が流れたものの、一向にお客さんが現れる気配はなかった。
「って、くじけてばっかじゃ駄目だよね」
ぱんっと手の平を叩くと、ミュウは気合を入れなおす。そのままお店の外に飛び出して、周囲を軽く見渡してみる。
右を見ても左を見ても、人っ子一人、一匹の動物すら見当たらない。ひゅーっと風が吹き、一枚の枯葉が床を転がっていくだけだった。
「ううー。やっぱりW地区に人なんか来ないよー」
居住区とは方舟のブリッジ下部からエンジンの手前まで、艦全体の実に六割を占める広大な区域全体を表す言葉である。そのため座標を正確に示すために居住区はAからXまで、二十四の地区に細かく切り分けられている。
ミュウたちが住むW地区は居住区の最南、エンジンに最も近い場所に位置する地区だ。
エンジンと居住区の間には隔壁が何重にも下りているものの、危険と隣り合わせという事実は変わらず、お世辞にも人通りがいいとは言えない区域である。
「でもおとうさんが生きてたころは、こんな場所でもお客さんが来てくれてたんだから、頑張らないといけないよね」
自分自身にそう言い聞かせると、ミュウはぎゅーっと手の平を握りなおす。すると、遠くの方から人の話し声が聞こえてき始める。
「あー、身体いて。やっと避難勧告解除されたよ。この後どうする? 適当にどっかで遊ぶか?」
「だな。けど、とりあえず何か食わねえ? ずっとシェルターのなかだったからさ、俺、もうまじで腹が減ってて」
姿を現したのは二人組の若い男。それぞれ白シャツの上に赤色の上着と緑色のベストを羽織っており、ポマードでも塗ってあるのか、髪が跳ねたような形で固められていた。
「う、ああいう人ちょっと苦手……」
一目見て尻込みかけたものの、ミュウは頑張って気持ちを切りかえる。
「でも、逃げてばかりじゃ駄目だもんね。あの、すいませーーん」
「そういやそこの店ってどうなの? 昔からあるけど、俺一度も入ったことがなくてさ」
「あー、駄目駄目。ここは止めといた方がいいって。昔はすごい上手かったらしいけど、料理人が変わって、それで一気に味が落ちたんだとさ。飯なら俺がいい所連れてってやるよ。この前中央のM地区に行った時に見つけたんだけど、安い割にすげぇボリュームがあってさ。おまけに、店員がめっちゃ可愛いんだよ」
「まじで! いいなそれ。最高じゃねえか。よし、さっさと行こうぜ」
ミュウの声に耳を傾けることもなく、二人組の男は素早くその場を立ち去ってしまう。
「うーーーー」
不機嫌そうに声を張り上げたのは、もちろんミュウだ。
「何よ何よ何よ! うちの料理を食べたこともないくせにー。そりゃ、おとうさんの料理に比べたら劣ってるかもしれないけど……でもでも、わたしもおかあさんも頑張ってるのにーー」
同日、深夜。モニタリングルーム。
外部に取り付けられたカメラの映像全てを同時に映し出すため、数十のモニターが取り付けられた部屋のなか。リーゼ・リストールとシャルル・フリージアの両名は、制御盤に取り付けられたキーボードをかたかたと叩き続けていた。
資料とモニターに表示される映像を見比べているシャルルの手前には、白色のコーヒーカップが置かれている。リーゼの側には見当たらないが、これは、彼女が水分を必要としないからだろう。
「うー、目が痛くなってきた」
シャルルの声に活気は感じられず、彼女は時折、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
「リーゼさん。これって、いつまでやればいいんですか?」
「何時まで? 何を寝ぼけたことを。今回の戦闘データ全てを整理し終えるまでに決まっているだろう」
「データ全てって」
未整理の状態になっているデータにマウスのカーソルを合わせると、数十以上の項目がモニターに表示される。
「こ、これを全部やるんですか……」
思わず声を失って、シャルルはそのまま、がっくりとうな垂れてしまう。
「落ち込む暇があるなら頭を動かせ、指を動かせ。でないと、いつになっても終わらんぞ」
「そ、そんな。だってわたし、解析作業なんてほとんどやったことがないんですよ」
シャルルが所属する映像解析という班は、元々は人類の天敵、機甲虫の特性や習性を調べるために組まれた班である。
機甲虫と蜂との類似性。個の概念を持たず、女王という単一の存在に統括された社会。
それらの情報は魔導師と機甲虫の戦闘映像を解析。その結果判明した事柄ばかりである。
だが機甲虫の習性、食料、生態系など一通りの情報を集め終えると、解析という作業自体の必要性が薄れてきてしまった。そのため、いつしか映像解析班の仕事は映像や情報の整理に移行していき、その結果解析班に属していながら解析作業を行えない、シャルルのような人材を生み出すに至っていた。
「今日はデータ整理をするだけで良いと言っている。本格的な解析作業は明日以降だ」
「それは聞いてますけど、それでも数が多すぎて」
「だから私が手を貸している。愚痴を吐くよりも先に手を動かせ」
「わ、わかってます!」
そんなおりに機甲虫が見せたのが、今回の特異な行動だ。
機甲虫は本能というプログラムに従い獲物を定め、追跡、捕食する。
それが人間側にとっての常識であり、事実、一件だけの例外を除いて過去の襲撃は全てそのプログラムに沿ったものだった。けれど今回、機甲虫は常識とは異なる動きを見せた。
方舟に接近した機甲虫は迎撃に現れた魔導師には目もくれず、一瞬のうちに散り散りになっていったのだ。シャルルではないが、方舟の周囲を旋回し続けていたそれはまさしく観光と言った様子で、なかには魔導師から逃げ惑う個体まで確認されていた。
機甲虫がそんな行動を起こした事例は今までになく、急遽行動理由の調査、解析を行なう必要が出てきたわけだ。最も、経験の浅いシャルルに出来るのは映像の整理だけなのだが。
「もう、寝不足はお肌の大敵なのになんでこんな」
「安心しろ。貴様の歳なら、一日程度の徹夜ではたいした肌ダメージにはならんよ」
「ブ、ブラック企業。徹夜仕事を前提にしないでくださいよ。それにしても、リーゼさんってほんとに綺麗ですよね。女の私から見ても嫉妬するくらい若々しいし、とても一児の母とは。ひょっとして、何か若さの秘訣とかがあるんですか?」
モニター画面を見つめながらカタカタとキーボードを叩き続けながら、リーゼは小さな溜め息を一つ。
「別に秘訣と呼べるものなど何もない。十分な睡眠と栄養バランスの整った食事。それだけだ」
「……そう思ってるなら寝させてください」
「貴様の美容に私が気を使う道理はないよ」
「むー……上司なら少しは部下の気持ちを汲み取ってくれてもって、あれ、これ、レム?」
映像整理を行ないながらシャルルが声を漏らすと、後ろで作業を続けていたリーゼがぴくりと反応を示す。椅子から立ち上がり、シャルルのそばに歩み寄ってくる。
モニターには、真っ黒な法衣を羽織った少年の姿が映し出されていた。
「凄い。腕力はともかく、動きの俊敏さが半端じゃないですね。術式も一瞬で発動させてるし、何より、虫がどこにいるか完全に把握してるみたい」
「みたいではなく、実際に把握しているのだろう。レムの空間把握能力は尋常ではない。自分と敵の位置を主観でなく、客観的な視点で捉えることが出来る。その辺りの才能は、さすがに父親譲りと言ったところか」
「尋常じゃない能力や才能って言うなら、リーゼさんからも相当譲り受けていると思いますよ。《氷の女王》リーゼ・リストール。司令官に就任する前は、相当の大活躍をしていたって話じゃないですか」
「私には魔導師の才能などないよ」
「またまた、天下のリーゼ司令がご謙遜を。父親譲りで母親譲り。そうでないなら、あんな歳で魔導師になんてなれっこないじゃないですか」
魔導師とは機甲虫と闘う者に冠せられた役職、称号を表す言葉である。
けれど称号である以上、当然、誰もが魔導師になれるわけではない。魔導師になるには、ある試験に受からなければならないからだ。
それが魔導師試験。
マナや魔導機杖に関する知識を調べる筆記試験と、機甲虫と戦える力があるか実戦形式で試す実技試験の二種で構成された、文字通り魔導師になるために設けられた試験だ。
これをパスしたものだけが、魔導師という特別な称号を得ることが出来る。
シャルルの言葉からもわかるとおりレムもまた、この魔導師という称号を手にしている。
三年前。年齢制限に引っ掛かっているにも関わらず強引に魔導師試験を受けさせられ、晴れて合格することが出来たからだ。
「そういえば、どうしてリーゼさんはレムを魔導師にさせようと思ったんですか?」
「どうして? 妙な質問をするのだな。父親譲りで母親譲り。尋常でない能力や才能を秘めていると言ったのはシャルル、お前の方ではないか。レムが他を圧倒する魔導師に成長した以上、前線に出すのが当然だ。一騎当千の魔導師がいるなら、悪戯に死者が増える心配はない」
「それはそうかもしれないですけど、レムはまだ小さいし、それに自分の子供を望んで危ない目に合わせるのは――」
機甲虫の襲撃を受けていた際、モニターに映し出されていた静止画像。
不意に、赤い付着液をつけた機甲虫のことをシャルルは思い出してしまう。
「体制の前で個々の事情を汲み取る必要はない」
シャルルの言葉を遮ると、リーゼは当然のようにそう告げる。
それでもシャルルは納得していないようで、むーっと不満げな表情を浮かべ続けていた。
再び深いため息を漏らすと、リーゼはシャルルの手元に置かれたコーヒーカップに目を傾けて、言う。
「あの子は自分の役割を理解した上で戦い続けている。ならば、私が母親面をする必要はないよ」




