帰宅(2)
玉ねぎの先端をめくり、僕はその皮を剥き、三角コーナーに取り付けたビニール袋の中へと次々捨てていく。久々に扱う食材の感触を懐かしく思いながら玉ねぎを丸裸にして、先に洗っておいたキャベツとピーマンと一緒にまな板に乗せた。そして半分に切り、片方はラップに包み、冷蔵庫へ戻す。
残しておいた二分の一の玉ねぎに、僕は包丁を入れた。繊維に沿って細く切っていく。細くと言っても太すぎないように意識する程度で切っていき、横にも包丁を一度入れる。それから玉ねぎの向きを変え切っていくことにより、みじん切りする。チャーハンを作る予定だからそこまで細かく切る必要はない。細かい中の粗め、それを意識する。
自分の家へ彼女と帰ってきて、食料等の買い出しをすると、ちょうどお昼時になったため、僕は昼食を作っていた。特にあまりきちんと食事をとってなさそうな彼女のために。
目がなぜか痛くなり涙が出てきた。別に悲しくはない。両目がしみてそれをなんとか取り除こうとするこの感じはきっと玉ねぎのせいだろう。近所のスーパーで買ってきたのを冷蔵庫に入れずにすぐ切っているのと、包丁を何ヶ月も研いでおかなかったせいに違いない。後で、荷物等の整理が終わった後にでも研いでおこう。もし研ぎ器がなかったら買いに行けばいい。
食材を洗い、皮等を必要に応じて剥いたり取り除いたりして切る。そして煮る、炒める、蒸す等の調理を施す。そうすることによって全く違う形に、さらにさじ加減によっていかなるバリエーションをも編み出せる料理が僕は昔から好きだった。誰かに作った料理を食べてもらい、そして喜んでもらえるのも好きだった。
そんな僕はいつからか料理人を志し、けれど途中で挫折した。プロの、かつ一流の料理人になるために調理師の専門学校を卒業した後さらにヨーロッパに技術を磨くべく行ったが、そこで全てを諦めた。働かせてもらったレストランの風土、やり方に僕は馴染めなかったし気に入らなかった。ひたすらこき使われてただ言われた通りに速さと正確さだけを求められ改善しようという意欲や変化を拒む、善より利益を優先する空気が、そしてそれを強いられるのが僕には耐えられなかった。
我慢すればよかったんだ。いつかは独立することもできただろうし、それまで粘り強く頑張ればよかったんだ。きっと誰もがそう言うだろうし、僕もそう思った。何事にも忍耐力というものは必要だ。辛いことに耐えてこそ得られるものだってある。
けれど僕は逃げた。全部、全部投げ出した。駄目だとわかっていながら辞めた。諦めた。頑張っている人間は大勢いるのに弱い僕は一人全てを投げ出した。自分の心情なんて二の次にするのは当然のことで、当たり前のことなのに、僕にはそれができなかった。忍耐力のない、心の弱い駄目な僕は挫折した。
帰国してなんとか料理とは無関係な職に就くものの、それもまた彼女を監禁してしまった自分の弱さで捨ててしまった。
僕は何をやっているんだろうか?
まともに目標すら達成できない、理想に沿えない自分が僕は嫌いだった。大嫌いだった。
左腕が疼く。切り傷は痕がひどいが全てほぼ塞がっているため、今は長袖のシャツを着ているだけで包帯は巻いていない。
僕は唇を噛む。無意識のうちに視線は自分の左腕へと向いていた。
切ってしまいたい。痛めつけたい。そんな衝動に駆られ、包丁を持つ右手が震えた。
けれど、そう思ってしまうだけで実際に包丁で手首を切ったりはしなかった。いや、できなかった。臆病者で狡い僕は自分が死なないようにしか切ることができない。これまで浅くしか切れないカッターナイフでしか僕は手首や腕を切れなかった。
今だって同じだった。自分を傷つけてはいけないという道徳観よりも、自分が一歩間違えればきっと死ぬというリスクの方を恐れている。
僕は具材と米を炒めるべくフライパンを出し、コンロの上に置いた。今は自己嫌悪に浸っている場合じゃない。彼女がお腹を空かせてきっと僕の料理を待ち侘びているはずだ。だから僕はそれに集中するべきなのだ。
僕はサラダ油を引きフライパンを火にかけた。