日子とストーカー
「それじゃあリコちゃん、お留守番よろしくね」
日子の言葉に、白猫がナーオと一声。
玄関の扉を開けると、青空と共にひんやりとした空気が日子を出迎えた。秋もそろそろ終わりを迎える。後一週間もすれば雪が町を覆いつくしてもおかしくないだろう。
ふと、日子は視線を感じた。まるで、体を嘗め回されるかのような悪寒が走る。まただ。ここ最近、何者かに見られているかのような違和感を感じる。キョロキョロと辺りを見回すが、確認できるのは玄関で日子を見送りに来ている愛猫のコクリコの青い瞳だけだった。
気味悪くはあるが、今の所実害はない。ならば下手に騒ぎだてる事もないかと、日子は気分を切り替える。確認のために後ろを振り返ったついでとして、今日もニコニコと機嫌のよさそうな白猫に手を振り、学び舎へ。
あまりにも無防備なその様子だが、無理もない。ここは如月市堅洲町。怪奇スポットが乱立する市内においても魔境と呼ばれる程のオカルト現象の頻発地帯である。危険に晒されていない以上は目に見えぬ監視者にわざわざ気を使っていても気疲れするだけだと、日子はこれまでの学生生活の中で学んでいた。故に失念していた。己に危機をもたらすのは、なにも怪異ばかりではないということを。
水島日子十六歳。堅洲高校一年生。艶やかな黒髪を肩でそろえた儚げな顔立ちの少女である。しかし、体つきは大分肉感的だ。特に胸部にそびえる双房は日本人離れした大きさ。これまた安産型の大きな尻と共に、身に纏う学生服を盛大に虐めている。
現在彼女は学生寮である寒月館で一人暮らしだ。どうやらかつては他の学友と共に過ごしていたようだが、二学期に入ってから他の女学生達は堅洲高校から離れたらしい。何があったのかは知らないし、彼には知る必要もない。重要なのは、日子が自分と共に人生を歩いてくれる幸せな未来を現実にすることだ。
松田大介。双眼鏡を片手に近場の廃墟の屋上から日子を監視している自称彼氏候補は、今日、彼女との関係を深めるための第一歩生み出す決意であった。
学校へと赴く日子の後姿に名残惜しさを感じつつ、松田は廃墟の屋上を後にする。
人々が学業に、あるいは仕事に精を出しているこの時間帯。古びた洋館である寒月館の周りには人気が絶えていた。松田にとっては何とも好都合。素早く扉へと歩み寄ると、鞄からピッキングセットを取り出した。
ガチャリ。
鍵が開くのと同時に松田は素早く寮の中へと身体を滑り込ませる。
大丈夫。誰にも気付かれていない。安堵した松田が扉から振り返ると。
「なー」
主人が帰ってきたと思ったのだろうか。真っ白な毛色の美しい猫が一匹、松田に対していぶかしげな視線を投げかけていた。
番猫といったところだろうか。大きな声を上げられれば、流石に付近の住人に侵入を気付かれる可能性がある。しかし、松田はこれも織り込み済み。愛する彼女が寂しさからかペットを飼っているのは調べがついている。
「君、君。これをあげるから静かにしておいてくれないか? 用事が住んだらすぐにでていくから……」
鞄から取り出した猫用おやつ、贅沢に三袋。白猫は警戒心を抱きつつも、自身に危害を加える気がない事は理解したのだろう。松田が開封したおやつを口にする。白猫は次第にその味に夢中になり、松田への興味を失ったように振舞いだした。これでいい。ただ、帰る際には猫用おやつの包装等を忘れず回収しなければならない。小さく声を出して指呼確認。この計画にミスは許されないのだ。
今では無人となった幾つもの部屋。元々は他の学生も暮らしていたのであろう。何の荷物も残されていないにも拘らず、塵一つ落ちていない所を見ると、日子が定期的に清掃を行っているのが明白だった。
日子の部屋は簡単に見つかった。生活感がある唯一の部屋だった。五つある盗聴器の内、三つまでを彼女の部屋に仕込むことに成功する。おやつを食べ終えたのであろう白猫が不思議そうに仕込みの作業を眺めていたが、幸いにも鳴き声は一声も上げないでいてくれた。
さて、一つは寮に備え付けられた電話に仕込むとして、あと一つはどこに仕込もうか。松田の視線の先はベットの上に置かれたぬいぐるみ。抱きしめるのにちょうどいい大きさだ。
そうだ、これがいい。松田がやや色あせたそれに手を伸ばし、掴もうとしたその時。横から急に現れた小さな……本当に小さな丸々とした腕がぬいぐるみを奪い取った。
驚いた松田の視線の先にはいつのまに現れたのであろう、見知らぬ赤子の姿。赤子はぬいぐるみを抱きしめたまま、松田をいぶかし気な表情で見つめている。
まさか隠し子? 俺というものがありながら?
ショックのあまりそんな戯言が頭の中を駆け巡るが、よくよく考えるてみると日子の産んだ子出ない事は明白だ。赤子の姿は生まれてまだ一年も経っていないように見える。少なくとも、集めた情報の中に日子のお腹が入学時点で膨らんでいたという事実はなかった。第一、顔つきが日子とは似ていない。ベビーシッターのアルバイトでもしているのかとも思ったが、あの心優しい少女が預かった赤子一人を残して登校するなどとはとても考えられなかった。
「え~っと……お嬢ちゃん? お兄さんにそのぬいぐるみを貸してくれないかな? すぐに返すからさ……」
「や~!」
手を伸ばした訳でもないのに、はっきりとした拒絶の意思を示す赤子。とても物心ついている歳には見えないが、まさか自分の言葉を理解しているのだろうか。
ともあれ、どうにかしてぬいぐるみを松田は手にする必要があった。盗聴器を仕掛けるのに丁度よさそうな小物はもうこれしか残っていない。何が何でも全ての盗聴器を仕掛けなければならない……そんな頑ななこだわりが、後の悲劇につながることとなった。
赤ん坊は爆弾だ。少しでも扱いを取り誤れば、スコッチ・ウォッチもかくやという鳴き声でもって周辺住民に不審者の侵入を知らせることだろう。どうにかあやしなだめてぬいぐるみを奪い取ろうとする見知らぬ男に対し、赤子の顔がどんどんと強張っていく。奇妙な事にそれはけっして泣き顔などではなかった。計画に介入してきたイレギュラーを前に冷静さを失っている松田には気付くよしもなかったが、その表情は明らかな敵意を示していた。
松田がようやく異変に気付いた時にはもう遅し。赤子の身体がどんどん大きくなっていく。ベットの上で急速に巨大化し、天井に頭のつくほどになった赤子の腕が延ばされ……松田の意識はそこで途切れた。
「おジャマするのだわ!」
「するっす~!」
午後。寒月館に一際明るい声が木霊する。寮生の日子と共にやってきたのは如月市有数の古々しい名家である龍王院家の御令嬢、龍王院一華とその従者である獅堂二葉、蔵馬三樹の三人組であった。そしてもう一匹。三人の中で一番背の大きい三樹の胸元から、黒い仔猫が玄関に着地する。蓬という名の使い魔は、くりくりとした緑の目に喜色を浮かべながら「なーお」と一鳴き。
「……あれ?」
日子が首を傾げる。己が使い魔である白猫……コクリコが玄関にいない。普段ならば日子の帰りを予測するかのように、玄関を開けたら出迎えてくれる愛猫。友である蓬の返事にも反応しないとなると、いよいよもっておかしい。
「コロちゃ~ん、リコちゃ~ん」
愛猫と自らを慕う水子霊の心の名を呼びながら、自らの部屋の扉を開けた先で日子の瞳に飛び込んできた光景とは。見知らぬ誰かを一心不乱にしゃぶる姿と巨大化した心と、見慣れぬ鞄から猫用のおやつを取り出してはむさぼる白猫の姿。
「ちょっ、心! そんなばっちいのは口にしちゃだめなのだわ!」
「ペッてするっすよ! ペッって!」
その声にようやく日子達が帰ってきたと気付いた心。一華達に言われた通りに口にしていた誰かを放り出すと、見る見る内にもとの小さな赤子の大きさに縮んでいく。そのままふよふよと浮遊しながら、育ての親である日子の腕の中へと納まった。
「……ねえ日子。こいつ、誰なのだわ?」
「知り合いっすか?」
日子は首を横に振る。涎塗れで目を回しているのは始めて見る男の顔だ。
とりあえず起こそうと日子が男に手を伸ばすのを、白猫が制止する。そしてそのまま、握りしめられたままの男の手を無理やり開いてみせた。そこからこぼれ落ちたのは、見た事もない機械であった。
「……なんなのだわ、これ? 蔵馬、分かるのだわ?」
「……これはケダモノの耳……秘密のベールを引き剥がす乙女の凌辱者……!」
「と、盗聴器っすか!?」
険しい顔をした三樹が鞄を無遠慮に漁ると、出てきたのはカメラに双眼鏡、そして日子の隠し撮り写真の数々。
「こ、こいつ……ストーカーなのだわ!」
「ヤベーっす! ひゃくとーばんっす!」
慌てた様子で警察に連絡を入れる一華とロープで男をふん縛る二葉。一方で三樹と蓬はコクリコの案内で男が盗聴器を仕掛けた場所を確認している。
「……守ってもらっちゃったね。ありがとう、コロちゃん」
日子は感謝の気持ちを込めて腕の中の赤子の頭を優しく撫でる。遠くから聞こえてくるサイレンの音など気にも留めた様子もなく、心は満面の笑みを日子に向けるのだった。




