『シャドー・スカラーズ』についての一考察
『シャドー・スカラーズ』。卒論や学術論文などを代筆する人がいることは知っていましたが、それが一つの産業であるということを私はテレビのドキュメンタリーで初めて知りました。
欧米(中国からも少し、日本からは無し)の学生や研究者が、自分たちの論文を発展途上国の優秀な若者に執筆(代筆)してもらうのです。ドキュメンタリーでは主にケニアの若者たちが取り上げられていました。
彼らは親が爪に火を点すが如く生活して彼らを大学行かせてくれたことに感謝し、卒業したら良い生活を親にさせたいと思うのですが、優秀な彼らの就職先は国内には殆どありません。結果、代筆業に手を染めてしまいます。依頼を受けるのもお金の決済もオンラインですから、依頼者にとっては好都合です。もちろんそれを仲介する人たちも存在します。
このビジネスが成り立つ背景は、持つ者と持たざる者、弱者と強者、国の貧困、安易な承認欲求、などいろいろあり、『シャドー・スカラーズ』を責めることは私には出来ません。
そして当然ですが、論文がどんなに素晴らしいものでも名誉は依頼者にあります。
その実態を調査しているのはケニアにルーツを持つオクスフォード大学の教授です。彼女はシャドー・スカラーズの一人に「罪悪感はないのか」と尋ねるのですが、その答えは「それは依頼する人に聞いてくれ」でした。
依頼者への取材もありましたが、やむにやまれず代筆を頼むしかなかったというような内容でした。
教授の言葉は忘れられません。
「その依頼者たちの中には社会の中核で名を成している者もいるに違いない。そう思うと居たたまれない気持ちになる」。
ドキュメンタリーの最後では、AIの台頭で『シャドー・スカラーズ』のビジネスも圧迫されつつあり「あからさまにAIと分からないように編集してくれ」という依頼も多くなったと語られていました。
私は、このドキュメンタリーが制作された2024年時点では、依頼者の心の中には『罪悪感』が少しは存在したのではないかと思うのです。それは代筆を頼む相手が人間だからです。でも、相手が人間でなくAIだったら?『罪悪感』の枷はなくなります。AIを使う方向にシフトするのは当たり前のことです。
いま話題の生成AIの使用小説についても、『罪悪感』の枷など無きに等しいのですから、その使い方は制作者本人の気持ち次第です。むしろ自分の知性を駆使して作ったプロンプトに価値があると考える人も多いでしょう。
私個人としてはプロンプトの著作権問題をクリアすれば、プロンプトの公開を必須条件としたジャンルを新設して、全てAIで書いた小説を投稿するのもありだと思います。「さすが」と唸るようなプロンプトを見られるかもしれません。
話がそれましたが、最近の生成AIの発達は予測を上回っています。『シャドー・スカラーズ』は今どのような立場に立たされているのだろうか。とても気になったのでジェミニに尋ねてみました。
やはり案じていた通り、代筆ライターたちの置かれた環境は大変に厳しくなっているそうです。
とくに簡単なレポートや単純な論文の依頼が減ったことで収入が激減しているといいます。
けれども、AIには真似できない「より精緻で、AI検出器に絶対に引っかからない本物の論文」を求める富裕層の学生からの高単価案件にシフトしているライターも散見され、また中にはAIをフル活用して編集して格段に作業効率を上げている人もいるということです。
さらに、論文代筆に見切りをつけ、AIのプロンプトエンジニア、SEO記事の執筆、データ分析、SNSでの個人ブランディングなど、別のデジタルフリーランス業へ軸足を移す動きも活発になって来たといいます。
ただ、ケニアの国内に「知的労働の受け皿がない」という問題は解決していないので、彼らの今後が明るいものとは言えないのです。
AIを頼りにせず、高度な論文を書いてきた『シャドー・スカラーズ』。
この激変期に生き残れるのなら、彼らのスキルが影ではない場所で役に立つ時代がいつの日かやってくるのではないかと、そう願わずにはいられません。
「AI直接使用」ではありますが、内容はAIにチェックしてもらっていませんので、誤表記、誤字がありましたらご指摘ください。




