第5話 料理人の誓い
はじめまして。
本作は「料理×成長×捕食」をテーマにした異世界ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしければブックマークや評価で応援していただけると励みになります!
慢心は、音もなく忍び寄る。
それは派手な失敗の形では来ない。 ほんの小さな「これくらい大丈夫だろう」という思考。
三歳児の身体で料理を成功させた。 母は驚き、父は褒めた。
——店が出せる味だな。
あの一言が、胸の奥で何度も反響していた。
嬉しかった。 誇らしかった。
そして気づかないうちに、俺は浮かれていた。
◇
翌朝、家の中は静かだった。
父は仕事へ出ている。 母は市場へ向かったらしい。
台所には、誰もいない。
踏み台を引きずりながら、俺はそこへ向かった。
昨日と同じ光景。
まな板。 包丁。 鍋。
火はまだ落とされていない。
(……やれるな)
胸の奥に、じわりと熱が広がる。
昨日の成功が、背中を押していた。
台の上には、小型魔物の肉が置かれている。
だが手に取った瞬間、違和感を覚えた。
少し柔らかい。
匂いも、昨日より重い。
鮮度が落ちている。
本来なら、ここで判断するべきだった。
今日はやめておこう、と。
だが俺は続けた。
(丁寧にやれば問題ない)
そう思い込んだ。
血抜きは軽め。
本来なら数回水を替えるところを、一度で済ませる。
筋切りも甘い。
火入れも、どこか雑だった。
——慣れが、技術を鈍らせる。
前世で何度も見てきた失敗を、俺は自分でなぞっていた。
◇
肉を焼く。
ジュッ、と音が立つ。
だが昨日ほど心地よくない。
油の跳ね方が荒い。
立ち上る香りに、微かな濁りがある。
それでも俺は続けた。
(食えないほどじゃない)
その判断こそが、最大の誤りだった。
焼き上がった肉を切り、小さな一片を口に運ぶ。
噛んだ瞬間——
世界が、軋んだ。
ぞわり、と背筋を何かが這い上がる。
次の瞬間、視界の中央に赤い文字が弾けた。
【警告】
【捕食者:不完全調理を検知】 【適合率低下】 【スキル暴走の可能性】
心臓が跳ねる。
ドクン。 ドクン。
鼓動が異様に速い。
呼吸が追いつかない。
指先から熱が引いていく。
(……まずい)
立っていられない。
床に手をついた瞬間、胃がひっくり返るような吐き気に襲われた。
視界が暗くなる。
耳鳴りがする。
そして——頭の中に、何かが流れ込んできた。
牙。
暗闇。
肉を噛み千切る感覚。
温かい血が喉を流れ落ちる。
飢え。
喰らえ。
もっと。
もっとだ。
「……っ!!」
喉から、獣のような声が漏れた。
違う。
これは俺じゃない。
捕食した魔物の残滓。
命の記憶だ。
不完全な調理によって、整えられなかった命が——そのまま俺の中に流れ込んできている。
怖い。
純粋な恐怖だった。
このまま飲み込まれれば、自分が何者か分からなくなる。
料理人ではなく、ただ喰らうだけの存在に。
(落ち着け……!)
必死に呼吸を整える。
火を思い出す。
包丁を思い出す。
前世の厨房を思い出す。
俺は誰だ?
料理人だろうが。
命を整える側の人間だ。
震える手で桶の水を掴み、口に含む。
冷たい。
その感覚が、かろうじて現実に引き戻してくれる。
何度も深呼吸する。
やがて表示が揺れた。
【不安定状態:解除】
全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
……死ぬところだった。
いや。
本当に死んでいても、おかしくなかった。
◇
しばらく動けなかった。
汗が止まらない。
小さな胸が激しく上下する。
俺は自分の手を見つめた。
まだ震えている。
問題は身体の弱さじゃない。
慢心だ。
前世で三十年料理をしていた?
だからどうした。
ここは別の世界だ。
捕食者という、命に直接触れる力がある世界だ。
それを俺は——軽く扱った。
食材を侮った。
工程を削った。
料理人として、最もやってはいけないことをした。
「……馬鹿だな、俺は」
悔しさが込み上げる。
だが同時に、理解した。
捕食者は万能じゃない。
むしろ逆だ。
料理人としての覚悟を、極限まで問われる力だ。
丁寧に扱えば力になる。
だが——誤魔化せば、牙を剥く。
◇
その夜。
台所の隅で、俺は火を見つめていた。
炎は揺れる。
だが決して乱れない。
燃えるべきものだけを燃やし、形を変える。
料理も同じだ。
命を整える行為。
そこに妥協があってはならない。
静かに、心の中で誓う。
——もう二度と、料理を誤魔化さない。
速さのために工程を削らない。
慣れたからといって油断しない。
どんな一皿にも、全力を尽くす。
それが料理人だ。
それが——俺の生き方だ。
その瞬間、視界に光が浮かんだ。
【捕食者:適合率上昇】 【精神安定補正:獲得】
まるで試練を乗り越えたことを認めるように。
捕食者は、俺を見ている。
料理人として生きる覚悟があるかを。
なら答えは決まっている。
俺は、包丁を握る側の人間だ。
命を整え、繋ぐ側の。
小さな手を強く握る。
まだ弱い。
だがいつか、この手で世界を変える。
料理で。
必ず。
——そしてその日、俺は理解した。
捕食者とは、喰らう力ではない。
命を“料理する”者に与えられた責任なのだと。
---
ここまで読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひブックマークをお願いします。
評価や感想もとても励みになります!
次回もお楽しみに。




