第35話 新人講習
朝、まだ陽が完全に昇りきる前に目が覚めた。
見慣れない天井。
硬めの寝台。
藁の匂い。
ここはギルドが用意した新人用の宿舎だった。
決して快適とは言えないが、雨風をしのげるだけで十分だ。
隣の寝台から豪快ないびきが響く。向こうでは若い男が剣を抱えたまま眠っていた。
新人らしい光景だ、とレオンは思う。
この街には毎日のように新人が流れ着く。夢を追う者、生きるために剣を取った者、過去から逃げてきた者。
理由は違えど、行き着く先は同じだ。
——生き残れるかどうか。
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顔を洗い、軽く体を動かす。
左肩の傷はまだ痛むが、動きに支障はない。
(問題ないな)
これくらいで動けなくなるなら、冒険者など務まらない。
支度を整え、朝の街へ出る。
冷たい空気の中、街はすでに目を覚まし始めていた。
パン屋から漂う香ばしい匂い。
荷を運ぶ商人。
交代する衛兵。
村とは違う。
人の多さそのものが、この街の力だった。
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ギルドの扉を押し開けた瞬間、朝の空気とは別の熱が肌に触れた。
すでに多くの冒険者が集まっている。
だが、いつもと違う。
視線を巡らせればすぐに分かる。
若い。
そして動きが硬い。
表情も緊張している。
武器だけは立派だが、体の使い方がぎこちない。
歩幅も考えていない、音を気にしない歩き方。
分かりやすい。
新人だ。
自分と同じように、この街へ流れ着いた者たち。
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「新人講習を始める!遅れてきた奴は後ろに立て!」
低くよく通る声がホールに響いた。
振り向く。
そこに立っていたのは、白髪を短く刈り込んだ男だった。
片目に走る古傷。
無駄のない体。
立っているだけで空気が締まる。
(強い……)
直感で分かる。
あれは生き残ってきた者の立ち方だ。
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「俺はダリオ。元Bランク冒険者だ」
ざわめきが起きる。
Bランク。
この街では十分に上位。
だが男は誇る様子もない。
「覚えておけ」
腕を組む。
「新人が死ぬ理由の八割は——無知だ」
一瞬で空気が変わった。
「剣が振れないからじゃない。魔力が弱いからでもない」
一歩前へ出る。
「知らない場所に踏み込み、知らない魔物に近づき、知らない草を口にする」
視線が鋭くなる。
「それで死ぬ」
静寂。
誰も動かない。
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「知らないは罪だ」
低い声が落ちる。
「森では死を意味する」
冗談ではない。
誰もがそれを理解していた。
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講習はすぐに実践へ移る。
机に並べられるのは薬草。
「これは止血草。葉を揉めば血が止まる」
次。
「こっちは毒だ。似ているが葉脈が違う。覚えろ」
数人が顔を青くする。
間違えれば終わりだ。
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次は足跡。
砂の上に刻まれた型を指す。
「これは鹿。これは狼。そして——」
少しだけ間を置く。
「これは見つけたら引き返せ」
空気が張る。
「単独で動く捕食者の跡だ。速い。静か。気配が薄い」
レオンの脳裏に、黒い影がよぎった。
地面を裂く踏み込み。
黄金の瞳。
喉元を狙う軌道。
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「新人が遭遇した場合、まず助からん」
淡々と告げる。
周囲の新人たちが息を呑む。
レオンは黙っていた。
(……そうとも限らない)
思ったが、口にはしない。
言う必要がない。
生きてここにいる。
それが答えだ。
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「剣だけ振れても生き残れん」
ダリオが机を叩く。
「冒険者はな、“帰還してこそ”が依頼の達成だ」
真剣な目をして新人を見渡す。
「依頼中の緊急事態は日常茶飯事だ、だからあらゆる想定外を無くせ」
「常に危険と隣合せだと意識しろ」
新人達が熱い眼差しでダリオの話を聞いている。
それほど、冒険者として大事な知識を今、学んでいる証拠である。
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次に読み書きの授業も行われた。
「依頼書が読めない奴は死ぬぞ」
笑いはない。
本気の言葉だ。
「最近はこの制度のおかげで新人の生存率が跳ね上がった。昔は講習なんざ無かったからな」
一拍。
「半分以上が一年持たずに消えた」
重い沈黙が落ちる。
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講習が進むほど、理解していく。
ここは優しい世界ではない。
だが冷酷なだけでもない。
生き残る術は用意されている。
掴めるかどうかは、自分次第だ。
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気づけば昼時になっていた。
途端に腹が鳴る。
緊張が解けた証だった。
ダリオが言う。
「食える時に食え。これも生存術だ」
まったく、その通りだ。
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一旦、研修が終わり昼食をとることになった。
自然と足はギルドの食堂へ向く。
昼の鐘が鳴ると同時に、食堂は一気に騒がしくなった。
扉が開くたびに冒険者が流れ込んでくる。
革鎧の軋む音。
剣が椅子に当たる金属音。
誰かの笑い声。
皿のぶつかる乾いた音。
熱気が満ちていた。
村では決して味わえない種類の活気だった。
レオンは列に並び、今日の定食を受け取る。
木の盆に乗せられた料理は実に質素だ。
分厚く切られた肉。
硬そうな黒パン。
豆と野菜を煮ただけのスープ。
だが量は多い。
冒険者向けの食事だ。
生きて帰るための燃料。
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席に着くと同時に、肉を一口切る。
ナイフの入りで分かる。
(……焼きすぎだ)
刃がやけに重い。
繊維が締まりすぎている。
口へ運ぶ。
噛む。
やはり硬い。
味は悪くない。
塩加減も適切だ。
だが——火を通しすぎている。
(強火で放置したな……)
惜しい。
本当に惜しい。
素材はそこまで悪くないのに。
料理人の感覚が自然と分析してしまう。
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「うわ、なんだこれ……」
向かいに座った新人が顔をしかめた。
「顎が疲れるぞ」
「ギルド飯なんてこんなもんだろ」
別の男がパンをスープに浸しながら言う。
「文句言うなら強くなって稼げ。そしたらもっとマシな店に行ける」
現実的な答えだった。
この街では、強さがそのまま生活の質になる。
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レオンは黙って食べ続ける。
硬いなら硬いなりの噛み方がある。
肉汁が抜けている分、スープで補う。
組み合わせれば問題ない。
食事とはそういうものだ。
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その時、隣の席から声がした。
「なあ……あいつじゃないか?」
「どいつ?」
「昨日、黒い魔物担いでた新人」
ちらり、と視線が集まる。
興味半分。
警戒半分。
だが誰も話しかけてはこない。
まだ距離がある。
それが都市の空気だった。
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「おい」
不意に低い声が落ちる。
顔を上げると、中堅らしき冒険者が立っていた。
腕に古傷が走っている。
場数を踏んできた目だ。
「お前、昨日の薄影豹の奴だろ」
「ああ」
「運が良かったな」
否定はしない。
運も実力のうちだ。
森では特に。
「勘違いするなよ。新人が調子に乗るとすぐ死ぬ」
「覚えておく」
短く答える。
挑発も反発もしない。
ただ受け取る。
それが一番角が立たない。
男は少しだけ意外そうな顔をした。
もっと反抗的だと思っていたのかもしれない。
「……まあいい」
そう言って去っていく。
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再び食事に戻ろうとした、その時。
「なあ」
今度は別の声。
若い冒険者だった。
「お前さ、昨日厨房で肉焼いてなかったか?」
数人がこちらに振り向く。
レオンは少しだけ頷く。
「やっぱりか。いい匂いしてたんだよな」
「あれ魔物の肉だろ?」
「ああ、薄影豹の肉だ」
「料理できるのか?」
「村にいるときに少し」
それ以上は言わない。
だが、その短いやり取りだけで空気が少し変わった。
興味の質が変わる。
ただの新人ではない。
何か持っている新人。
そんな認識が、静かに広がり始めていた。
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その時。
ガタン、と大きな音がした。
「うるせえぞ、文句があるなら食うな」
低く響く声。
食堂の奥から、大柄な男が出てきた。
腕が丸太のように太い。
着ているのは料理人の服だが、立ち姿はどう見ても戦士だった。
視線が鋭い。
ただ者ではない。
「ここは戦場帰りの連中に飯を出す場所だ。柔らかい肉が食いたきゃ貴族の店に行け」
他の冒険者達や、新人たちが口を閉ざす。
反論できる空気ではない。
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周囲を見渡していた男の視線が、ふとレオンに止まる。
正確には——
肉の切り方。
パンの割り方。
スープへの浸し方。
食べる順番。
すべてを見ている。
観察する目だった。
そしてゆっくりと近づいてくる。
一歩。
また一歩。
周囲のざわめきが遠のく。
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「……お前」
低い声。
自然と背筋が伸びる。
「料理、できるな?」
誤魔化せない目だった。
刃物のように鋭い。
レオンは数秒だけ考え、答える。
「ああ……少しな」
男の口元がわずかに歪む。
笑ったのか、それとも別の何かか。
「そうか」
短く言うと、踵を返す。
だが去り際——
「今日は人手が足りねえ」
一瞬だけ振り向く。
「食い終わったら来い。手伝え」
命令口調だった。
だが不思議と不快ではない。
むしろ——試されている。
そんな感覚があった。
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レオンは残りの肉を口へ運ぶ。
噛み締めながら思う。
(面白くなってきたな)
都市は広い。
強者も多い。
だが——
料理人もまた、戦える。
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