第33話 薄影豹(はくえいひょう)
街門が見えた頃には、肩の痛みは鈍い熱へと変わっていた。
血はほとんど止まりかけている。
だが、ずしりとした重みが背に食い込んでいた。
黒い獣の巨体。
普通なら荷車が必要なサイズだ。
それを、レオンは一人で担いでいた。
門番が気づく。
最初は何気ない視線だった。
だが——二度見する。
「……おい」
隣の衛兵を肘で突く。
「あれ、魔物じゃないか?」
レオンが近づくほど、ざわめきが広がった。
商人が足を止める。
子供が指を差す。
「すげえ……」
「黒い豹だ!」
ざわつきの中を、レオンはただ歩く。
誇るでもない。
急ぐでもない。
いつも通りの足取りで。
「坊主、それお前がやったのか?」
門番が思わず聞いた。
「ああ。森で襲われた」
「……そうか」
門番はそれ以上言わなかった。
だが視線が変わっていた。
送り出す目だ。
もうただの新人を見る目ではない。
石畳を踏みしめる。
人混みが自然と割れる。
道ができる。
誰も止めない。
ただ、見る。
それだけで十分だった。
やがてギルドへ辿り着く。
扉の前で一度だけ息を整えた。
押し開ける。
喧騒が溢れる。
笑い声。
酒の匂い。
金属音。
いつも通りの光景。
だが——
一人が気づいた。
「……ん?」
視線が止まる。
次の瞬間。
「おい、待て……あれ」
ざわめきが波紋のように広がる。
椅子が鳴る。
誰かが立ち上がる。
そして。
静寂が落ちた。
レオンは気にしない。
そのまま受付へ向かう。
視線が背中に刺さる。
だが慣れていないわけじゃない。
灰牙狼を村へ大人達と持ち帰った時も、似た空気だった。
「受付のリズです。本日は報告ですね?」
顔を上げたリズが——固まった。
視線がレオンの背後で止まる。
一度瞬きをする。
もう一度見る。
「……それは?」
レオンは保存袋を置く。
「灰青草の採取報告、それと——異変の報告です」
「確認します」
リズが袋を開ける。
丁寧に頷く。
「問題ありません。群生地の状態は——」
「沢の近くの群生地で襲われた」
短く言う。
「こいつに」
そして。
背から黒豹を降ろした。
重い音が床に響く。
リズの呼吸が止まる。
数秒。
完全な沈黙。
やがて、かすれた声が漏れた。
「……嘘でしょ」
もう一度、見る。
信じられないものを見る目。
そして——
「薄影豹じゃないですか!?」
ギルドがどよめいた。
「は!?」 「おいマジか!」 「なんでこんな所に……!」
ざわめきが爆発する。
「これを……一人で?」
「ああ」
リズの顔色が変わる。
「よく、生きて帰りましたね……」
その一言は重かった。
強さではない。
生存への評価。
「確認を行います。少々お待ちください」
リズが奥へ合図する。
やがて数人の職員が現れた。
その中に、無骨な男がいた。
腕が太い。
いかにも解体職人だ。
男は薄影豹を見るなり、目を細めた。
「……坊主」
低い声。
「これ、お前がやったのか」
「ああ」
短い沈黙。
そして男は小さく息を吐いた。
「運が良かったな。Dランクの魔物だぞ、こいつは」
周囲がざわめく。
「Dだと……?」 「新人だろ……?」
「普通ならパーティーで狩るような相手だ。新人が遭遇したらまず死ぬ」
男は続ける。
「しかもこいつ、本来はもう少し森の深い所にいる」
リズが頷く。
「ええ……沢の近くに出るなんて、異常です」
胸の奥に小さな違和感が残る。
だが今は考えない。
「解体はどうします?」
リズが問う。
「爪、牙、皮は高く売れます。作業員に相談してください」
「肉は?」
男がニヤリとした。
「持ってくか?」
「もらう」
即答だった。
男が笑う。
「いい目してるな。冒険者向きだ」
解体場へ運ばれていく黒豹を見送りながら、レオンは静かに息を吐いた。
肩が痛む。
だが心は不思議と静かだった。
都市の外は甘くない。
だが——生きて帰った。
それが全てだ。
解体台に乗せられる黒い巨体。
刃が並ぶ。
職人が腕を鳴らす。
「いい肉してるぞ、こいつは」
その言葉を聞いた瞬間。
本能が静かに囁いた。
(……どんな味がするんだろうな)
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