第30話 最初の依頼
掌の上で、金属のカードがかすかに光を反射した。
小さな長方形の板。
だが見た目以上に重く感じる。
刻まれた文字は簡素だ。
Eランク冒険者 レオン
まだ最下層。
ギルドの中では、ほとんど無名と変わらない。
それでも——胸の奥が静かに熱を帯びていた。
ここに立つ資格を、ようやく得たのだ。
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「改めてご説明しますね」
受付のリズが柔らかな声で言った。
先ほどの試験の緊張が嘘のように、落ち着いた調子だ。
「依頼はあちらの掲示板に貼り出されています。必ずご自身のランクに対応したものを受注してください」
「分かった」
「それと——」
一拍置く。
「新人の方ほど、“簡単そうに見える依頼”で無理をしがちです。少しでも異常を感じたら撤退を。依頼失敗より、生きて帰る方が大切ですから」
事務的な言葉。
だがそこには、何度も同じ忠告をしてきた重みがあった。
つまり——帰ってこなかった者がいるのだ。
少なくない数。
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掲示板へ向かう。
近づくほどに、ざわめきが濃くなる。
紙を剥がす音。
舌打ち。
小さな怒号。
「くそ、もう取られた!」
「それ俺の獲物だったのに!」
冒険者たちは紙を奪い合うようにして依頼を確保していた。
まるで餌場だ。
弱ければ取れない。
遅ければ残らない。
(これが日常か……)
依頼は生活。
戦いは仕事。
ここはそういう場所だ。
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掲示板の前に立つ。
無数の紙が貼られている。
ざっと目を通す。
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【荷物運搬:商隊護衛補助】
報酬:銀貨2枚
【下水路清掃】
報酬:銀貨1枚+危険手当
【農地荒らしの駆除(小型魔物)】
報酬:銀貨3枚
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現実的な内容ばかりだった。
剣を振るうより、泥にまみれる仕事の方が多いのかもしれない。
冒険とは、もっと華やかなものだとどこかで思っていた。
だが違う。
生きるための労働だ。
それが妙に納得できた。
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「新人か?」
低い声。
隣を見ると、日に焼けた中年の冒険者が腕を組んでいた。
鎧は使い込まれている。
だが手入れは行き届いていた。
「最初は背伸びするな」
掲示板を顎で示す。
「薬草採取にしとけ。派手さはないが、生き残る術を覚えられる」
「忠告、感謝する」
「忠告じゃねえ。経験談だ」
男は小さく笑った。
「新人はな、まず“帰ること”を覚えろ。群れるのもいいが……最初は自分の足で立て」
それだけ言うと、別の依頼を剥がして去っていった。
余計な干渉はしない。
だが確かな善意だった。
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視線を滑らせる。
そして、手が止まる。
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【灰青草の採取】
・ランク:E
・場所:リーデル南西の森
・報酬:銀貨3枚
・備考:群生地に異変の報告あり。単独行動推奨。
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(異変……)
胸の奥がわずかにざわつく。
危険かもしれない。
だが、その言葉に引かれる自分がいた。
森。
風。
気配。
血の匂い。
石の街にいる間、どこか落ち着かなかった理由が分かる。
自分は——あちら側の人間だ。
捕食者の側。
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紙を剥がす。
乾いた音がやけに大きく響いた。
「それにするのか」
先ほどの男が振り返る。
「ああ」
「悪くない。森は嘘をつかねえからな」
一瞬だけ目を細める。
「だが静かすぎる森には気をつけろ」
その言葉が、妙に耳に残った。
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受付へ戻る。
「こちらを受けたい」
リズが紙を見る。
「灰青草ですね。良い選択だと思います」
だがすぐに表情が真剣になる。
「備考は読みましたか?」
「ああ」
「本来は安全な採取依頼です。ですが最近、森の魔物の動きが妙なんです」
「妙?」
「群れが消えているという報告があります。争った形跡もないまま」
嫌な沈黙。
本能が微かに警鐘を鳴らす。
「異常を感じたら撤退してください。これは忠告ではなく——お願いです」
リズの声は静かだった。
だが重かった。
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「ではこちらを」
差し出されたのは小さな革袋。
「保存袋です。灰青草は傷みやすいので」
準備が整う。
胸の奥が高鳴る。
これが、冒険者としての最初の仕事。
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ギルドを出る。
扉を閉めた瞬間、街の喧騒が押し寄せた。
だがもう圧倒されない。
ここに立つ資格を得たのだから。
自然と足取りが軽くなる。
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南門を抜ける。
石畳が土へ変わる。
建物が減り、空が広がる。
風が頬を撫でた。
思わず息を吸う。
(……落ち着く)
胸の奥の緊張がほどけていく。
やはり自分は、自然の中でこそ呼吸が合う。
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遠くに森が見える。
深い緑。
静かな影。
懐かしさすら覚えた、その時だった。
足が止まる。
風に混ざる匂い。
土。
草。
そして——違和感。
(静かすぎる)
本来聞こえるはずの小動物の気配が薄い。
鳥の声もまばらだ。
森が、息を潜めている。
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無意識に剣へ手を置く。
胸の奥で捕食者が囁く。
気をつけろ。
経験が警鐘を鳴らしていた。
灰牙狼の夜。
宵喰いの影。
あの時と似た感覚。
まだ何も見えない。
だが——何かがいる。
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それでも、足は止めない。
ここからが仕事だ。
冒険者としての第一歩。
少年は森へ踏み込む。
木漏れ日が揺れる。
だがその光さえ、どこか弱く感じた。
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まだ知らない。
この依頼が——
ただの薬草採取では終わらないことを。
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